私達の教育改革通信
第 154号 2011/6
教育通信ホームページ
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先事館制作室:進士多佳子〒106−0032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910
発行人:西村秀美,先事館箕面 〒562-0023箕面市粟生間谷西3-15-12
お願い:教育通信はオープンメデイアに移行します。A(購読)会員、運営に参画されるB(協力)会員及びC(編集)会員になる方を歓迎します。B会員には自己負担でコピーと友人への配布、C会員にはそれに加えて編集を輪番でお願いします。私達の教育通信が今後どう発展するか、この皆で育てる新方式がよい日本文化に成長することが望まれます。
編集:先事館吉祥寺、海野和三郎180-0003武蔵野市吉祥寺南4-15-12;
先事館狭山、菅野礼司 〒589-0022 大阪狭山市西山台1−24−5;
先事館近大理工総研 湯浅学・川東龍夫〒577-8502東大阪市小若江
先事館京都教育大 岡本正志〒612-8582京都市伏見区深草藤森町1
先事館聖徳大学 茂木和行 165-0035 中野区白鷺2-13-3
情 報 の 大 切 さ
中條利一郎
私の蔵書の中に一枚のバカげた写真がある。それは九州鉄道百年祭実行委員会・百年史編纂部会の編集になる「九州の鉄道一〇〇年記念誌・鉄輪の轟き」という本に載っている。平成元(1989)年が博多―千歳川仮停車場間に九州最初の鉄道が開通した明治22(1889)年から丁度100年になるのを記念して発行されたものである。本論とは関係ないが、千歳川仮停車場というのは、久留米直前に筑後川があり、その架橋工事が遅れたため、久留米の代わりに仮設されたものである。バカげた写真というのは、同書の114ページの関門トンネル開通一番列車が門司駅を発車するシーン(昭和17年6月20日)のものである。戦時中には軍の検閲があり、その検閲そのまま、ビーム(電車や電気機関車に電流を供給するための架線を支持する水平な構造物)に沿っていくつかの×印がつけられている。つまり、その部分を隠さないと、公表を許可しないという軍の意思表示である。軍は、おそらく、関門トンネルで列車が電化方式で運転されていることを敵国に知られたくなかったのであろう。ところが、同じ写真に電気機関車も写っており、そのパンタグラフが見える。そこには×印はついていない。バカげているというのはそのことである。頭隠して尻隠さずという表現そのまま、電気機関車が牽引していることが明らかなままの削除指示である。当時の写真の解像度が悪かったせいかどうか、架線は細すぎて写っていない。従って、架線のあるべき場所には削除指示の×印はついていない。
この写真と同じ昭和17年発行の「科学朝日」10月号は新橋―横浜間に鉄道が開通してから70周年とい
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しょうぶ 水木鈴子 詩画集より 6月 目に沁み心に透き通るほどに すがすがしい緑の季節です 花たちはこぞって 大地の愛にこたえます あなたも終日のあらん限りの 命を輝かせて夕方には かき消えるようにしぼんでいきましたね! 一瞬の生命 それは母さんの心で永遠です 一瞬の美しさ あふれこぼれて私の心でも・・ |
うことで、「鐡道」の特輯を組んでいる。こちらにも「試
験車は走る」という写真中心の記事が32ページにあり、そこには関門トンネルで試運転中の電気機関車がビーム、架線とともに写っている。こちらには削除指示の×印はどこにも見当たらない。ご丁寧に(下關要塞司令部・鐡道省検閲濟)と明示されている。同じ軍でも、一方は削除指示、他方はそのまま許可と態度が異なる。頭隠して尻隠さずのマクロ版とでも言おうか?
かつての軍を揶揄するのはこの辺にして、軍が情報を大切にしていたのは間違いない。今年(2011年)3月11日、東北地方の太平洋側を中心に、貞観11(869)年以来の大地震と言われる東日本大震災を経験した。亡くなった方々には哀悼の念を、被災された方々にはお見舞いの念を、復興に向けて努力をしていらっしゃる方々には感謝の念を捧げながら、上の話と結びつける。筆者は、当日、南青山の路上でこの地震を経験した。地下鉄だけでなく、すべての鉄道が運転を取りやめたことを知ったので、東京駅まで辿りついた。東名高速バスに乗ろうとしたためである。因みに、拙宅は東名横浜インターチェンジからそれほど遠くないところにある。ところが、東名に限らず、東京駅から出るすべての高速バスも運転中止になっていた。タクシーに乗ろうとしたが、渋滞でなかなかタクシーが来ないのと、タクシーに乗ろうとする人が多いのとで、なかなか乗れない。その内に東海道新幹線だけ運転開始になったとの情報が届いた。それで、新幹線に新横浜まで乗り、そこからタクシーに乗るべく行列に加わった。6時間待って漸くタクシーに乗る事が出来、午前4時を過ぎて帰宅した。友人(複数)にその話をすると、6時間も待つのであれば歩いた方が早かったでしょうというレスポンスが帰って来る。そのとおりである。しかし、行列に並んだ時点で6時間も待つとは思っていなかった。それが分かっていれば、私も歩いたと思う。何時間待つのか、情報がなかったための愚行であった。
大阪に住んでいた頃、梅田から難波まで、地下鉄の御堂筋線の頭上、つまり、御堂筋を歩いてみたことがある。成程、地下鉄の上はこういう景観のところかと感心した。爾来、大阪に住んでいた時点で開通していた地下鉄の線路の上(onではなく、above)全部歩いた。一度に歩くのは5km位にして、休日にそれを繰り返した。東京に転居して、今度は東京の地下鉄に対しても同じことをした。その応用篇として、拙宅と勤務先との間の道路も全部走破した。地震で歩いて帰ることを想定していたことは言うまでもない。つまり、経路に関する情報は完璧であった。しかし、タクシーの待ち時間の情報が得られなかったために、この愚行に及んだ訳である。今でも、被災地では情報不足に悩んでいらっしゃる方が多い由である。当然のことと思われる。正しく、タイミングよく、情報を伝達して欲しいものである。
東日本震災復興の理念とビジョン
菅野礼司
東日本震災による壊滅的被害から復興する構想がいろいろ提起されだした。この復興は、元の状態への復旧ではない。それは同じ災害を繰り返さないための災害対策を施した新たな地域と街づくりというだけではなく、新たな社会構造と生活スタイルにまで及ぶものであるべきである。そのための基本理念と構想が必要であろう。それを仙台の友人に尋ねられて、自分なりに考えて似た。
阪神震災とは規模も質も違うので、復興の観点と方法は異なる。また、敗戦後、日本は奇跡的復興を遂げたが、そのときの状況と現代の状態は全く異なるから単純比較はできないが、対比してみることは有益であろう。
(1)戦後の戦災復興の場合
国内状況:
・敗戦で日本人は自身を失い意気消沈していた。
大都市はすべて消失。 原爆の洗礼を受ける。
衣食住すべて極度に不足していた。働き盛りの男性の多くは戦死して、力が弱かった。
・鎖国から開放されて新たな世界が開かれ、閉塞感から脱出した喜び。連合軍の支配下で限られてはいたが自由をえた。
精神的支柱:
・戦後民主主義の導入。思想・信条の自由(条件付だったが)をえた。
・ 自由・人権の保証と戦争放棄の平和憲法のもとで新た復興の息吹が芽生えた。
復興目標:
・政治・経済と生活の立て直し。次に復興から成長へ進み、豊かな生活を求めて高度経済成長に向かった。
・資本主義制度を前提にした経済成長に歪みを生じた。
(2)今度の東関東震災の場合
大地震・大津波・原発事故の3重災害。
国内状況:
・長期の平和時代が続き、経済、科学・技術先進国として物質文化に浸たっていた。
しかし、バブル崩壊後の永い不況下で経済的、文化的格差が拡大された。
・政治経済の一極集中(東京中心)による政治・経済、文化の歪み。都市と農村の格差(過疎)の拡大。
地方主権、地方自治獲得の運動が台頭している。
・食料・資源・エネルギーの自給率が低下し、外国依存度が高まる。
少子化・高齢化社会の進行。
・原発依存、地下街・超高層ビルの乱立で、人工世界が増大して自然からの乖離が進む。これは科学・技術への過信であり、危険性を孕んでいる。
・国家財政の危機、極度の赤字国債の累積。
政治の貧困で自信と目標を失いかけている。
自主外交の貧困(アメリカ従属)。
政治思想の貧困と議会制民主主義機能の衰退、そしてマンネリ化で、政治不信がつのった。
政・官・財の癒着で国民は疎外されてきた。(これは自民党を中心とした長期の一党支配政治による弊害。)
そこに大地震、大津波、原発事故と3重被害で未曾有の災害が起こった。(大戦では兵器として原爆被害、今度は平和利用の原発事故の被害をうけた。)
国際状況:
・グローバル化時代。世界の均一化の反面、国家および地域の格差の進行。
・交通・運輸、情報ネットの急速な発達。
多国籍企業・投機マネーによる経済的支配の浸透−その弊害が金融恐慌。
・米国・ヨーロッパ・東洋の3極体制の中で日本は埋没しそう。
東洋諸国(中国・インド・韓国)の著しい成長と発展−特に経済面での成長。
・資本主義経済制度のもとで規制のない市場原理を優先する政策の破綻−それに対する反省。
科学・技術は人類の生活を豊かにするよりも、主に市場原理のもとでの金儲け競争に利用されている。
・政治・経済の恒常的不安定(カオス的不安定さ)。
科学・技術革新、生産力増強の激しい競争−必要以上の開発競争でかえって無駄と浪費の生活スタイルが進んだ。
・常に成長を前提とし、成長が止まれば経済的破綻となる今の経済制度は不自然・無理である。
・国際的地域紛争とテロの増大。
核兵器削減・廃絶運動の高まり。
人類が抱えている諸問題:各国共通(特に先進国)
・人類絶滅の危機:環境破壊と原水爆戦争
地球環境異変(温暖化、環境汚染、自然破壊)からの保護−持続的開発・発展は可能か。
・人工超過問題(すでに地球の収容力を超過)。人口増減の地域的不均衡は顕著である。
・資源・エネルギーの限界−獲得競争の激化。
食料配分の不均衡−飽食と飢えの格差がひどい。
・労働と富の配分を均衡化し、格差是正の政治・経済制度が求められる。
このような情勢の中で、復興の理念とその精神的支柱を何に求めるか、またその目標をどこに置くかが問われている。社会構造、生活スタイルを変更して、新たな日本社会の構築が望まれる。それには大きな発想の転換による復興構想が必要である。
ただし、このグローバル時代には、その構想は日本国内だけに閉じない問題もあるので、克服すべき課題は大きくかつ多い。
(3)今度の復興構想で考慮すべき点
精神的支柱
・すべての国民が平和で文化的生活を享受できる社会、そして人権を尊重し経済的・文化的格差のない社会を築く。
・明るい展望の持てる未来社会を!
それには自然災害を人災にしない万全な対策が不可欠である。
平和憲法、優れた科学・技術、日本文化の誇りを持って文化国家を建設する。
・世界平和と文化に貢献できる日本主導の外交活動を。日本人が国際的に自信と誇りを持つために必要。
・一極集中を止めて地方分権
東京都と地方の政治的・経済的格差を是正するための社会の仕組みをつくる。
・自然災害による大被害を避けるため。
自然災害対策を施した街づくり−天災を人災にしないような準備を!
地震、台風、火山などの多い災害列島日本では自然と巧く付き合う国造りが必要。
同じ災害を繰り返さないだけでなく、種々な災害を想定して、科学・技術による予測を尊重 した災害対策を築く。
・住居・職場の領域配置は災害を考慮した都市構成を。
地下街と超高層ビルを多く作らない。
・地方主権の地域活動が伸びる社会構造を−地方の産業・文化を育成する。
そのためには、地域に根ざした産学協同で独創的開発を育てる。地方大学と地場産業の協力を。
正常な産学協同は基礎理論と実学、科学と技術の交流により独創的発展が芽生える。
・地産地消で資源・エネルギーを節約−不必要な人と物質の移動を減らす。
・アジア地域との交流(外交、文化、貿易)重視の地域構想を築く。
太平洋側東日本の偏重から脱し、日本海側西日本を加えた均衡ある地域開発と地方都市計画を。
・人間の生き方を変える文化の育成
消費社会からの脱皮−無駄を省き、「知足」の心をもつ。物質的豊かさでなく、精神的豊かさも求めて生活スタイルを改める。
そのような教育を行う。
・環境保全に寄与する地域社会の構造を追究する。 自給率を高め、できるだけ地産地消を目指す。
・貧富の格差是正の社会制度を
無規制の市場原理優先を止める経済制度を。
労働と富の配分の不均衡を是正する経済制度を。
・そのためには、市場原理優先の資本主義経済制度を改めた新たな政治・経済制度が求められる。
・エネルギー源、とくに電力源を何に求めるか
太陽光、風力、水力地熱などの持続的自然エネルギーの開発を助長する国の支援施策は不可欠である。
・原発存続の可否の議論は慎重に!
これまでの日本の原発産業は、国の推進政策の上に胡座をかき、甘えと傲慢さで独善的「安全神話」を作った。情報を歪めて事故隠しを重ねてきたために国民の不信をつのらせた。安全対策を怠り、油断を重ねた結果、このような事態を招いた。「想定外」という言い訳は嘘である。現在の科学・技術のレベルを持ってすれば、もっと安全な原発は可能であるはずである。
完全な科学・技術はなく、想定外のことは起こりうるから、自然エネルギーの開発、推進ですませるならそれに越したことはない。
人類は物質的豊かさ、便利さは十分充たされている。精神的豊かさに欠けているだろう。
このような理想と要請を満たす社会を目指すための精神的支柱(哲学・倫理)、および政治・経済の理論が求められると思う。
紛争屋伊勢崎賢治に紙上論争を挑戦する
海野和三郎
ビタミン・クレオさんの案内で、吉祥寺駅東北東5,6分のところにあるジャズ・バーに行くと、紛争屋を自称する伊勢崎賢治さんが、コントラバス、ピアノ、ドラムと自ら吹奏するトランペットのジャズ男女4重奏を指揮していた。30分ずつ3時間ほどの演奏の合間に、パキスタンでの国際紛争とはいかなるものかを語り、異国の軍隊の中での国連軍指揮官としての奔放な体験談を語っていた。コンサートの終りに、「紛争屋の外交論:ニッポンの出口戦略」伊勢崎賢治(NHK出版新書)の著書が今年の3月に出ていることを知り、年に似合わぬ好奇心で読んで見ようと思った。本屋の宣伝帯に曰く、「日本人よ目を覚ませ。愛国者を自認する紛争解決のプロが真の国益を問いなおす。」とある。一読して、賛成するところ納得するところも少なくないが、意見を異にするところもある。そこで、勝手ながら、紙上論争を挑戦することとする。
はじめにインドから考えた
インドへ25年前に行ったこと、東京外語大で、「平和構築・紛争予防講座」を開講している、自衛隊幹部候補生への講義、各国実務家との連絡、政策提言、議員外交など実務をもしていること;「アメリカは、経済問題やインドとの関係をえさにして、アフガニスタンのテロリストを支援するのかとパキスタンを脅迫、軍事政権を国連側につけいる」など自己紹介的解説は簡にして要を得ている。
第1章
紛争屋が見た「戦争と平和」
「なぜ戦争はなくならないのか」の答えは、「戦争は儲かるから」とある。軍需産業、情報伝えるメデイア、国土修復の建設業、人道援助のNGO,にもお金が入る。貧困を解消すれば戦争はなくなるというが、人道的援助を続けても貧困はなくならない。良質のダイアモンドを算出するシエラレオーネの例では、多国籍企業と腐敗した独裁政権の間で官僚も賄賂の連鎖となり、教育も行政も機能しない最低の最貧国家だという。「貧困対策は、紛争を予防できない。いや、むしろ貧困を拡大する大きな可能性がある。この認識から出発しない限り、実効性のある紛争予防は構築できないのです。」(貧困と援助のマッチポンプ)以下、小節のタイトルを列挙すると、貧困対策をすれば戦争はなくなるのか:紛争「予防」の現実(貧困対策は、紛争を予防できない、むしろ貧困を拡大する可能性が大きい。この認識から出発する必要がある);核兵器を廃絶すれば戦争はなくなるか:(ルワンダの内戦では100日間に80万人が農作業の鎌で死んだ);正義が守られれば戦争はなくなるか;戦争犯罪人を赦せるか;正義なき平和;徹底的にやっつけて「平和」をつくる!?;戦争はどこから始まるか;正義とは何か。著者は、戦後教育のコトバにもなった「人権」を“生きる権利”と解釈して、紛争解決のための正義と考えているようである。それに異存はない。しかし、内戦にしろ、テロにしろ、戦争にしろ、対立する両者が妥協できる実行策を模索しなければならない。その時の中心となる思想は、「人権」というよりもっと根源的なサンスクリットでいう「タータガータ」日本で言う「如来蔵」の精神ではないだろうか。玉城康四郎は、老子の「道(タオ)」、「気(空気、元気、気合、など)」、「プネウマ(精霊)」、など根源的には同じであるという。日本の神道や沖縄のイザイホーに色濃く残る自然神信仰、アニミズム・シャーマニズムも宇宙自然との一体感を人の生命哲学としている点で同一である。
第2章 拉致問題と北朝鮮和解と人権のジレンマを乗り越える
最も緊急で最も重要な課題・拉致問題;特異な人権侵害事件としての拉致問題;日朝平壤宣言;二国間交渉の枠組みで考える意味;蓮池透さんから受けた衝撃;「主権侵害」の陰に隠れた「人権侵害」;日本のメデイアの特殊性;心理的には戦争状態の日本;制裁外交の戦略的無意味;「対話」の危険性感情には感情を以ってせよ!?;やっつけずに落とし前はつける;人権を主にする考えは当を得ている。
第3章 沖縄「独立」論差別を逆手に取り日米を動かせ
安全保障問題と差別問題との交錯;基地と共に生きる島・沖縄:メッセージが見えにくい基地反対運動;安全保障問題に張り付く「日本」への怒り;「過去の記憶」が突き付ける難題;被害者性と加害者性の同居;
「国防」と「平和」のはざまで;極端な想定―沖縄独立;日本政府を手玉に取る「外交」戦略;普天間なんて;地位協定なんて;米軍海浜基地のマイナスをプラスに転ずる案として、以前、渋谷潜水工業の渋谷正信さんの案:美しい沖縄の海を一層豊にする案を紹介したことがある。沖縄が豊かな自然とイザイホーのような神代の哲理を今尚残していることは、日本にとっても世界にとっても極めて重要なことである。
第4章 日米同盟vs九条と自衛隊
外交をダメにする思考停止そしてみんな「保守」になった;アメリカの「PRクライシス」;アメリカにとっての日米同盟;平和主義者が戦争を起こす;九条は日本人にもったいない;間違いだらけの自衛隊派遣;血税が犯罪組織に;世間知らずの日本;党利利用されるNGO;PRTに派遣された二人の日本人女性;自衛隊の法的根拠;自衛隊の海外派遣と法整備;九条は最後の空洞化―「軍法」を提案する
特別対談 伊勢崎賢治VS宮台真司
ソフトボーダー 平和が儲かる出口戦略
以下省略 (関心のある方は元本を見て下さい)
私がここで主張したいのは、エネルギー革命が現在進行中であるということである。20世紀に到るまでは、衣食住のエネルギーは、植物による光合成で作られた農作物、林業、牧畜による一次的太陽エネルギー固定が主なものであった。20世紀半ばからは、石炭、石油などの化石燃料がエネルギー需要の半ば以上を満たすようになり、世界人口も倍増し現在60億、あと20年で100億になろうとしている。しかし、その頃、いわゆる石油ピークとなり、エネルギー需要供給のバランスが崩れようとする。先物取引等が過熱すると経済大恐慌が起こりかねない。当分の間は原子力がエネルギー需要を満たす予想であったが、東日本大震災による天の与えた警告によって、人類のエネルギー問題は新しい進化の時代に入ったと見るべきであろう。以前、10年100年掛かった情報伝達が、1秒に縮まった21世紀のエネルギー戦略は、誰にでも理解できる単純で且つ有効なものでなければならない。太陽エネルギーの、自然以上の効率の良い使い方の開発が、以前農耕文明を発明した現代人への進化に対応する、新人類進化となることが予想される。50年後のエネルギー取り合いによる世界戦争をそれで予防することを目標に、全人類がタータガータ(宇宙自然に対する畏敬と未来の命を守る決意)で頑張りたい。脱原発の運動が今世界的に広まっているが、注意したいことは、エネルギー不滅の法則があり、他のものと違い、代替エネルギーを定量的に充分に用意することが不可欠なことである。特に、電力は経済に於ける流通貨幣のようなもので、文明社会に一刻も欠かすことはできない。脱原発には、その前に、定量的に充分なエネルギー供給の道を用意しなければならない。それに答えるエネルギー源としては、化石燃料の枯渇が20年後に迫っている現在、太陽エネルギーを直接有効利用する方法が、最も、簡便かつ本質的である。
太陽エネルギーは、6000°Kの黒体輻射に近い良質のエネルギーで、光速で中心から2.3秒ほどの太陽面を発し、光速で500秒ほどの地球に達するまで、強度は距離の2乗に逆比例して弱まり、地球に達するときには所謂太陽定数の1.37kWm-2となるが、更に地球大気による減光を引いて、約1kWm-2と覚えやすくするとよい。黒体輻射温度の4乗が輻射強度に比例する(ステファンの法則)から、太陽光を地上でまともに受けた黒体温度は絶対温度約365°K、集光すると集光度の4乗根に比例して受光する黒体の温度が上昇する。平面鏡を張り合わせた簡単な受光装置で、例えば16倍集光すれば、絶対温度365Kが730K、地上平均温度を300Kとすると、400°程度の温度差となる。一般に、熱機関の仕事の効率は温度上昇に比例するから、沸騰水を数分で作り、蒸気タービンで発電しても良し、太陽熱発電パネルを併用してもよし、1kW発電が家庭規模で2m・2mの集光鏡をシーロスタット式に第1鏡を極軸の周りに1日半回転させるだけで可能となる。恐らく、石油火力発電より格段に安い電力を、使う場所で作る利点があり、天候に左右される欠点も対流を阻止して数日保温をする機能を受光するソーラーポットに持たせることにより、かなりの程度緩和されるであろう。この仕事は、大企業よりむしろ町工場的であるから、不景気になりそうな日本の生産業への梃入れと、世界戦争予防の役に立てば、一石二鳥であろう。新人類への進化の糸口になれば、一石三鳥である。何よりも、将来に希望が持ちにくい世相をタータガータ(如来蔵)で一気に払拭したいものである。妄説多謝、妄聴感謝。
黒い石、黒い雨、黒い波
法橋 登
はじめに
2011年はガリレオ生誕400周年とキュリー夫人のノーベル化学賞受賞100周年が重なる最初の年で、国連化学年に指定された。2011年はまた、1000年に1度といわれる三陸大津波と世界最大級の原子炉事故が重なった年でもある。黒い石でキュリー夫人の業績を、黒い雨と黒い波で長崎原爆と三陸津波がもたらした放射線災害を考える。
黒い石
化学者の吉祥瑞枝さんはエッセイ「キュリー夫人の黒い石」1)でキュリー夫人の業績を、「キュリー夫人の最後の実験ノート」2)で夫人の人柄を紹介した。黒い石は日本では北投石として知られていた鉱泉の黒いタール状沈殿物ピッチブレンドを指すが、キュリー夫人はウラン鉱石から放射されるベクレル線の謎に挑戦し、ウラン鉱石より強い放射能をもつ産地の異なる三種の黒い石8トンを粉砕し、分別結晶法でラジウム0.1グラムの分離に成功し、ラジウムの電離能を測定した夫ピエールと放射能を発見したベクレルとともに1903年度のノーベル物理学賞を共同受賞した。授賞理由は「放射能の発見」である。キュリー夫人はさらにラジウムの約5倍の放射能をもつポロニウムを分離に成功し、1911年度ノーべル化学賞を単独受賞した。ラジウムの放射線(アルファ線)は剥離し易い皮膚表面から数ミリという短い到達距離の電離性をもち、ある種の薬効があると愛好者に信じられていたが、競合的査読者をもつ科学ジャーナルでの薬効の論文化に成功したとは言えない。査読はピーアレビューの和訳であるが、ピーアの原義は貴族で、貴族を査読者に変えたのは、ナポレオン内閣である(欧州共通歴史教科書)。数学・物理学者ラプラスを内務大臣にしたこの内閣は、ガリレオが目指した「宗教からの科学の開放」を「貴族からの科学の開放」に近代化した。なお、ナポレオンの遺髪のサンプルは、1960年代に川崎市の民間実験用原子炉で放射化され、砒素が検出された。
現在明星大学に保存されているキュリー夫人の実験ノートには自然放射能の3〜5倍の残存放射能がある。「生物にあたえる放射線の影響を研究する医学が発展することをねがう」が白血病で亡くなった夫人の遺言とされる。実験ノートは、1970年代のはじめにロサンゼルスの古書店で見つかった。明星大学で実験ノートをみた吉祥さん2)は、恐れより理解を選んだ(孫娘の証言)夫人にしたがって福島三号炉の使用済み燃料貯蔵プールから発する青い放射光を目視している。
黒い雨
近畿大学の山崎秀夫たち3)は、長崎原爆投下地点から2.5キロ離れたダム湖の湖底から過去約100年間に堆積した深さ約6メートルの泥を採取し、1940年代に堆積した層からプルトニウムとセシウムの放射能を検出した(孫娘の証言)。福島三号炉は低濃縮ウランとプルトニウムの混合燃料を使っている。プルトニウムもセシウムも天然には存在せず、原子炉内ウラニウム燃料が核分裂中性子を吸収して造られた。
山崎たちの仕事は論文化に先立って「黒い雨と重金属」という見出しで朝日新聞科学面(2009年月1日号)に紹介された。黒い雨は原爆投下後に降った雨を、重金属は産業活動によって生まれた鉛、水銀、同、亜鉛などの排出物をさす。これら重金属は各種合金、電池材料、電子部品などに使われる。明治維新以後の日本の平時、戦時から戦後1960年代前半の高度成長を経て1960年代後半から始まる公害規制期にいたる産業活動の年代記が深さ6メートルの泥層に刻まれている。天然の重金属の濃度は場所ごとにほぼ一定しているから、それより多い分は人間活動による汚染とみられる。1945年に泥のなかの重金属の密度が放射性物質とともにピークを示すのは、原爆投下によって産業施設が黒い雨に変わったことを示した。
黒い波
東日本震災の震源(宮城県・牡鹿沖約130キロ)付近が地震に伴い東南東に24メートル移動し、3メートル隆起した。地殻変動をとらえたのは宮城県沖の二カ所と福島県沖の一カ所。宮城県沖の基準点のひとつはたまたま震源のほぼ真上に設置されていた。大震災は海側の岩板を引き込んだ陸側岩板が跳ね返って起きたとみられる。1960年代はじめにカナダ原子力公社チョークリバー研究所では大型加速器(Tandem Accelerator)による放射性核廃棄物の核破砕(nuclear spallation)によって無害化する計画があった。それが実現しなかったのは、同時に浮上した廃棄物を海底岩板にのせて地殻深部に引き込む案だった。岩手県沖の海底観測定点は、海底放射能観測定点にもなるだろう。
私は1961−2年度IAEAフェローとして、チョークリバー研究所にある実験用重水原子炉による中性子実験を見学する機会があった。この炉で発生する中性子線を利用する米原子力潜水艦用核燃料を含む各種物質材料の原子構造解析を体系化したブロックハウスは、1951年度ノーベル物理学賞を受賞した。授賞理由は「中性子光学の創始」である。この炉で自国の原子炉燃料被覆の放射線劣化の実験をしていた地質学出身のドイツの技術者から福島震災の見舞いの手紙が届いた(福島第一原発の炉心溶融は燃料被覆の破損から始まった)。この手紙で、最近の国際地質会議で、津波が入り組んだ三陸海岸線で増幅され、30メートル級重層津波(towering tsunami)となって大災害を導く可能性が話題になっていたことを知った(toweringは大気の屈折率変化で朝日や夕日が大きく見える効果をさすが、特に高層火災などの災害に関連して使われる)。1999年に東海村で起こった原子炉廃液の核臨界事故は、円筒状容器内を遠心状にひろがる波面が容器内壁にあたり、求心状に収縮増幅する反射波の繰り返しによるものだった。世界に放映された三陸の黒い波は、一次波の反射によって沖合いに運ばれ、二次波によって打ち返された地上構造物だった。
参考文献
1. 吉祥瑞枝: 化学と工業 64巻2号(2011)142.
2. 吉祥瑞枝: 化学と教育 59巻1号(2011)40−41.
3. H.Yamazaki et al.Science
and Technology, No.22
(2010) 23-26.
会話は三流、ボキャブラリー量は一流
中條利一郎
かつて、ある国の宰相がボキャ貧だと騒がれたことがある。「私達の教育改革通信」の130号でも、ある国の宰相について書いた。どちらも同じ国の宰相だが、別人である。ボキャとは言うまでもなく、ボキャブラリーの省略形である。それまでは語彙という難しい漢字で表されていたのが、この宰相のお陰で、ボキャブラリー、あるいは、ボキャで通じるようになった。
わが国でも若い人は英語をしゃべるのに堪能であるが、年輩の人は、筆者も含めて、英会話に不得意な人が多い。これはわが国の語学教育がなっていなかったのではなく、かつて外国に行くのが容易ではなかった時代には、外国語とは読むもの、書くものであり、話すもの、聞くものではなかった時代の影響である。従って、喋れなくても、ボキャブラリーは豊富であった。そういう時代に英語教育を受けたものの対処法と思って読んで頂ければ幸いである。
「教育通信153号」にラザフォードの肖像の入ったお札と、彼の生地にあるモニュメントについて書いたところ、それに興味を持って頂いた読者があった由、編集者のお一人から連絡を頂いた。有難いことである。それでその続編を書いてみる。ネタはいくつかある。146号に書いたイッテルビー村もその一つである。さて、何にしよう? 編集者から頂いたメールにラザフォードのことをファラデーと書いてあったので、ファラデーを選ぶことにする。青函トンネルが開通し、その技術(それにお金も)を使って英仏海峡トンネルが開通した。1994年だったと記憶する。1995年にロンドンで学会に出席し、帰りのフライトをパリ・シャルルドゴール空港からのものにして、青函トンネルを通ってみることにした。現在とちがって、その頃のイギリス側のユーロスターのターミナルはワーテルロー駅だった。その頃、ファラデーの肖像をデザインした20ポンド紙幣が出た。ロンドン滞在中にもお目にかかったが、いずれもピン札ではなかった。1枚コレクションに加えるに際し、出来ればピン札にしたい。ワーテルロー駅が最後のチャンスである。出札窓口で手持ちの20ポンド紙幣を出し、new bank noteに換えて欲しいと言ったところ、お前の持っているのはnew oneだという。つまり、最近デザインが変わり、チャンとそれを持っているではないかという訳である。ピン札はnewでは通じない。
ポリエステル繊維はかつてテトロンと呼ばれることの方が多かった。帝人と東レ両社から市販され、両社の頭文字を並べた命名である。それもまだ市販される前、わが国ではイギリスのICI社のテリレンという商品名のものが細々と流通していた。その頃、妹が今までにない新しい素材のスカートが欲しいと言うので、テリレン製のものを奨めた。今とちがって染まりは悪かったが、エバプリーツ加工してあるのが目新しく、妹もそれが気に入った。ワーテルロー駅で、咄嗟にそのことを思い出した。それで、I mean the bank note
without pleatと言って無事にピン札をゲットした。今でもわが家にある。
ところで、ファラデーとはどういう人だったのか? ご専門でない方のために一言で説明するとすれば、1860年のクリスマス・レクチャーで「ロウソクの科学」について講義をし、それが同名の書物として日本語にも訳されている(複数)人というのが、最も適切であろう。専門教育を受けなかったにもかかわらず、物理学者でもあり、化学者でもあった人で、静電容量のSI単位をファラッド(F)というのは、彼の業績を讃えたものである。
教育論議が何を(what)、どう(how)教えるか、つまり、教える側からの議論に終始することが多い。しかし、それを教わった側がどう受け止めるかと言うことも、それ以上に、重要である。教わるのは博士課程まで行っても21年、教わったことを使うのは一生である。自分が受けた教育が悪かったと嘆くのは簡単である。この例のように、パラフレーズすることは、かつての英語教育を受けたものには易しいとまでは言わないが、比較的簡単である。
この度の大震災で家財道具をすべて失われた方も多い。そのような状況の中で、コレクションの話を書くのは不遜のそしりを免れないかも知れない。コレクションではなく、教材について書いたものとお赦し頂きたい。
(編集 菅野)