私達の教育改革通信
第151号 2011/3
教育通信ホームページ
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先事館制作室:進士多佳子〒106−0032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910
発行人:西村秀美,先事館箕面 〒562-0023箕面市粟生間谷西3-15-12
お願い:教育通信はオープンメデイアに移行します。A(購読)会員、運営に参画されるB(協力)会員及びC(編集)会員になる方を歓迎します。B会員には自己負担でコピーと友人への配布、C会員にはそれに加えて編集を輪番でお願いします。私達の教育通信が今後どう発展するか、この皆で育てる新方式がよい日本文化に成長することが望まれます。
編集:先事館吉祥寺、海野和三郎180-0003武蔵野市吉祥寺南4-15-12;
先事館狭山、菅野礼司 〒589-0022 大阪狭山市西山台1−24−5;
先事館近大理工総研 湯浅学・川東龍夫〒577-8502東大阪市小若江
先事館京都教育大 岡本正志〒612-8582京都市伏見区深草藤森町1
先事館聖徳大学 茂木和行 165-0035 中野区白鷺2-13-3
地球母さん 水木鈴子
キラキラの緑豊かな美しい水の惑星・・地球星!
その母なる大地は全生命体(無数の動物・植物・鉱物・人間)のすべてを我が子と信じ、限りない無限の愛をわけへだてなく与えて下さり 万象万物が無差別、無所得の愛で生かされています。
地球母さんはどの子もどの子も可愛いく いとほしく 気の遠くなるような年月を重ねて忍耐強く子育てに心を配って下さっています。
生命体をたくさん生んで育てることは地球母さんの誇りであり尊いご使命だからでございましよう。
とりわけ、花たちは気高く、初々しく、決して不平や不満を言わず 地球母さんの美の教えを忠実に守り 母さんの愛を素直に感じ、素直に表現し 地上を美化し、幸福の波動を 全宇宙に向けて放射しているのでございましょう。 もし、あなたが生きていくのが辛くなったり疲れた時は、地べたを素足で歩いてごらんなさいな! のんびりとねそべって、手足をゆっくりゆっくり のばしてごらんなさいな!
あなたの心いっぱいに体一杯に、ジワジワとポカポカと地球母さんの肌のぬくもり(地熱)が伝わってきて 身も心もやさしく包んで下さる母さんの愛を感じて、もう あなたは一人ぼっちの存在ではないことに気付くことでございましょう。
「ゴリラの「さよなら」」 朝倉勇
さよなら、人類。Good-bye, Human being、
“ゴリラはやがて地上から消えます。”
「森の王者」であった私たちゴリラも、絶滅は恐らく、もう時間の問題でしょう。あなたがた人類がどんなに私たちを保護しようとしても、もう、遅すぎます。
あなた方の「文明」が、私たちの生活の場「森林」を、狭めてくるからです。「文明」は、長い間にわたって私たちを撃ち、生け捕りにし、剥製にしました。
(ゴリラが、かつてあなたがたの生活を、一度でもおびやかしたことがあったでしょうか)
進化した哺乳類で、ゴリラほど平和を尊び品位を誇りとしてきたものはありません。集団間の親密さ、互いの思いやり、デリケートな心づかい。それらはゴリラの特性です。人類のように他の動物を食べたり、同属同士で殺し合うような野蛮なことは、考えたこともありません。それがゴリラの伝統でした。誇りでした。
この点で私たちは保守派でした。自然を尊び、平和を愛しすぎたのです。とどまるところを知らない進歩派の人類に駆逐されるのも、仕方ないことかもしれません。「自然」は、科学文明の乱暴な挑戦には勝てません。もっと、もっとデリケートな、バランスを保った「生きものだからです。
“遠い昔は親戚でしたが・・”
あなたがた人類の祖先と、私たち類人猿とは、地上で一番近しい間柄にあったのではなかったでしょうか。しかし、いま一方は増えて栄え、一方は減り滅亡の寸前にあります。人類の弱小民族も、かつて似たような運命にあったことを、いま私たちは思い出します。これが宿命なのでしょうか。歴史の必然というものなのでしょうか。地上の正義は、結局「力」なのでしょうか。
私(ゴリラ)の目を見て下さい、私とは実はあなたです。人類の反映なのです。ついに言葉を持たなかった、ゴリラの目から、私たちの心を読み取って下さい。
“人類よ、もっと賢明に。”
「文明」を、あなたがたも考え直すときがきています。「文明」は必ず、あなたがた自身を追いつめる、容赦の無い「敵」となるでしょう。たとえ月を往復する能力があっても、毎日の生活をもっと、うるおいのある、心ゆたかなものにできないなら、それは果して知恵でしょうか。
病院には病人があふれていますね。地上でも、海上でも、ひっきりなしに衝突事故がつづいていますね。考えが気に入らないといって、他国にまで兵を出し、人を殺し、森を焼きつくしていますね。
もう、「文明」の使い方に気づくべきです。それが正しくコントロールできたときこそ、あなたがたは「文化」を誇れるでしょう。生活にはルールがあります。もう一度、自然の秩序を見つめ直して下さい。
これはゴリラの嘆願でも泣き言でもありません。やがて地上から姿を消すものの、愛のメッセージです。優しい心をとり戻し、勝者らしく品位を保ち、立派に生きて下さい。
さよなら、人類!
「2011年世界地図(149号)」へコメント 大阪隆夫
経済システムの問題として、世界の富の絶対量は増大しているにも拘らず、今日の市場原理・自由経済システムのもとでは富める地域と極貧の地域、富める人と貧しい人との格差が縮まるどころか拡大の一途をたどるばかりです。経済大国で国民みな中流といわれてきたわが国においてさえ、貧富の差が広がり、それは人々を苦しめ、生きる希望さえ失わせる状況にあります。また世界市場では実体経済を遥かに上回る騰貴マネーが経済秩序をずたずたにしつつあります。それはリーマンブラザーズの破綻以前からあり、リーマンブラザーズの破綻もそれにからんだ顕著な事例と言えます。人類の十数億を超える人々が食べるのもままならないという絶対的貧困の状態にあり、その状況はリーマンブラザーズの破綻以前から続いていたことです。それなのに今度の世界的経済危機において、各国は金融緩和政策を続行し、新しい産業分野を開拓して雇用創出するなら世界経済は回復するはずであり、これまで通りの経済成長路線に戻れるはづであるといった議論が盛んです。そして日本では社会保障制度をある程度整えて先行きの不安が減少すれば、人々は財布の紐を緩めて景気がよくなるという議論がもっぱらです。しかしそのような小手先の方策が成功し、リーマンブラザーズ以前の経済状況が回復するとしても、人類に蔓延る貧困層の問題は依然として残るのです。 そもそも現経済システムにおいては、はじめから十数億という絶対的貧困層の解消など視野に入っていないのです。もはやこのままでは、人類全体の幸せの視点から見た場合には、自由市場経済の先行きに希望を見出せないのは明らかです。そうした意味で、新エネルギー開発と複雑系経済監視機構の設置以外に、同時並行的にこの人類の絶対的貧困層の解決を図れる様な経済理論が、あるいは地球上の誰もが人として生きられる条件、すなわち最低の住まいと食物と健康を維持できる環境が与えられ、どんな子供にも等しく教育を授けられ、未来に希望を持てるようにするための革新的な経済理論と経済システムの構築が目指されなければならないと思うのです。
そこで、地球上の今日的課題に取り組むためには、個人や諸研究団体の有効な提言を取り上げ実践に移す強力な組織が必要です。国連がその役割をになうようにならなければならないと思います。そのためには国連の組織強化を図ることがどうしても必要です。国連の組織強化が図れてこそ、諸課題への取り組みが強力に推進され、有効な計画が実行されるのだと思います。しかし、そのような国連の改革は実に難事業であり、その実現は容易ではないとすると、できるところから始めていかなければならないということになるのでしょうが・・・こうした問題を皆様どう考えて居られますか。
“東北関東大震災二日後(2011/3/13)に原文を和文に翻訳解説”
明治39年(1906/3/17/6h42m),震源地が嘉義庁打猫(現民雄)で烈震が発生し、空前の惨状をもたらした。この震災後に台湾初の震災記念碑が嘉義市立公園内に立てられた。ほぼ等身大の石碑の上部は見事な「双龍弄珠」の浮き彫りが施され、主体には震災記が陰刻された。活字の関係もあり、訳文のみを以下に示す。
そもそも、嘉義庁下の烈震記録を史書によって考査すれば、康煕年間(1723-1735)一回、乾隆年間(1736-1795)二回、道光年間(1821-1850)及び同治年間(1862-1874)は各一回であった。しかし、当時の災害程度や救済方法については記録がないので、その詳細を知ることが出来ない。
台湾が日本の領土になってからも、嘉義庁内はしばしば震災に見舞われた。なかんずく、明治37年(1904/11/06)に発生した烈震につづき、明治39年(1906/03/17)黎明にも烈震が発生した。この震災の範囲は北は斗六庁(現雲林県)より南は月津(塩水港庁)に到り、震源地は嘉義庁内の打猫であった。爾後、余震はおさまらず、人民は安寧の日を過ごすことが出来なかった。この次月の望月まえに又も烈震に見舞われ、震災区域は南移して嘉義はその北端にあたり、南東十数理に波及した。前後数回にわたるこの震災の数字を次に記す。
圧死者:1,247人、負傷者:2,399人、家屋倒壊:11,992棟
これらの烈震は前代未聞の巨殃をかもし、その惨状たるや筆舌に尽し難い。僥倖にして嘉義庁長・岡田信興(在任期間;明治33―40年)が災民救済や災害地区の復興に寝食をわすれて奔走した。とりわけ彼の具申が宮城に達するや明治天皇は伊藤侍従武官を差遣され(明治35/04/07来台)前後数回の烈震災害に次の救恤金が下賜された。
1,500円(明治37-11-15) 10,000円(39-3-26) 4,000円(39-5-26)
また民間では無数の善行篤志家らが崇高な同胞愛でもって雪中送炭、そして巨額の救援金を募集して救済や復興に貢献した。況や政府が陣頭指揮をしたので、全て順調にすすみ、災民らは「溝壑」(野垂れ死に)をせずにすんだ。ここに顛末を記して石碑に刻み、示範として後世に残そう。
明治丙午季冬(1907年正月14日至2月12日間)
羅山荘箔容謹撰井書
台湾に於ける当時の人口密度は現在の十分の二弱だったので、死者も数は死骸遍地だったに違いない。現地の長官だった岡田庁長の献身的な災民救済や災害復興に尽力し、明治大帝より内帑金による救恤金御下賜があり、台日交流の秘話であり佳話である。本文が当方関東大震災救援に何かと一助になれば幸甚に存じ、あわせて亡くなった方々のご冥福をお祈り致します。(付:記念碑写真)
東日本大震災に思う 菅野礼司
予想を遙かに越えた大地震と大津波。無惨に荒廃した悲惨な情景は目を覆いたくなる。被災者にはなんともお見舞いの言葉も思いつかない。亡くなられた方々に心からの哀悼を申し上げる。すでに死者は9千人、10日過ぎても不明者が1万人以上という。地震、津波、原発事故と続き、三重苦の被災者、避難者の苦しみはいかばかりか、掛ける言葉もない。
近年の異変続きを思うと、地球と人間社会は、あちらこちらで歯車が狂いだしたような気持ちになる。天災は人力では防げないが、それによる災害を少なくすることはできる。人類は自然災害の経験を重ねる度にそのための努力をしてきたが、まだ自然の威力を甘く見ていたことが、今度の天災でまた思い知らされた。福島原発の事故がその典型である。被害の多くは対策不十分、手抜かりによる人災もかなりあるだろう。
地震による破壊よりも、大津波の破壊力とその恐ろしさが改めて身にしみた。スマトラ島沖の地震による大津波の時の破壊力をテレビで見たが、今度の東北の津波の映像を目の当たりに見ると、ずっと身近に感じて、その破壊力のすごさと被害の悲惨さがひしひしと迫ってくる思いである。津波が町に迫り、舐めるように地上の物全てを破壊し尽くしつつ進む。そして次には自分の家が津波に飲み込まれる様子を、高台から見ている人たちの身を切られるような叫び声はなんとも痛ましかった。営々として築いた自分の家が、街が一瞬にして跡形もなく流された人たち、逃げ遅れて家族を失った人たちの絶望感が思いやられる。
阪神淡路の震災の時もそうであったが、今回はそれ以上に未曾有の災害である。このような時も、人々は助け合い励まし合って復興を目指す。テレビ・ラジオ・新聞を通しての励ましのことばが全国から寄せられている。その中で、10数年前に神戸で罹災した人の言葉「私たちも絶望の中から立ち上がった。今は何もかも絶望的でしょうが、もう駄目と諦めずに頑張って下さい。そうすればきっと復興しますよ」が強く心に響いた。自然の威力に対して人は無力であるが、人間の精神力は強いと思う。その精神力で人々が協力すれば一層力強くなる。
敗戦後の荒廃から復興した日本人の素晴らしい努力を思い出す。何年かかるか分からないが、少しでも早く東北地方が元の平穏な町に戻ることを念願している。多数の外国からも援助と声援が送られ、日本人の秩序ある行動と精神力を讃えてくれている。 老年の私には、復興の援助・協力といっても応分の寄付程度しかできない。使えば罹災者の役に立つ物もあるが、物品は受け付けないそうだ。運送・配布のルートが上手く機能しないからという。折角利用できる物が全国には沢山あるであろうに残念である。
日本は地震列島である。私は幸いにして、これまでひどい災害に遭ってない。阪神地震の時は少し離れていたために被害はなかった。娘が神戸にいたが怪我もなく無事であった。人間は住むところでこれ程に運命に違いができる。地震・水害・台風禍などの大災害に遭わず、一生無事に過ごせる日本人の割合はどれくらいであろうか。これまで被災せずに過ごせたことを感謝しなければならない。しかし、天災は何時くるか分からない。「明日は我が身」ということを忘れないようにしよう。
大地震、津波の後にさらに原子力発電所が大事故の危機にある。炉心が溶融して大事故になれば、まさに踏んだり蹴ったりである。関係者や自衛隊などの懸命の努力で、なんとかこれ以上大事に至らないですみそうである。緊急対策が効果を発揮することを切に願うばかりである。
福島原発の危機:技術の不完全性
”最高水準の技術をもって建設した”はづの原発設備であるが、危険な事故を次々に起こしそうな事態にある。地震で原子炉の運転は停止したそうだが、その後の冷却装置である水ポンプが故障して稼働しなかったとい。津波でその冷却装置の電源が破壊されたからだという。 原発のような危険な施設は何重にも安全装置がつけられているはずである。この冷却装置もその一つである。だが、その設置場所が低かった。原発は海岸に建設されるから、津波の被害は想定されて高所に造られたそうだが、津波はその想定の高さを越えてしまった。今度の震災は、想定外のまさかのことが多く起こった。
私はエネルギー源として原発の必要性は認め、頭から反対するつもりはない。しかし、日本の原子力行政に不信を抱いている。原子力基本法、原子力平和利用三原則によってかろうじて平和利用に止まってきた。だが、その原子力三原則も、形骸化されてきた。
政府と電力会社の馴れ合い姿勢は、情報非公開、事故隠蔽をたび重ねてきた。そのため、日本人に根深い不信感を植え付けた。安全性についても原発建設会社や電力会社の姿勢は信用できない。ある会社の原子力部門のスタッフに聞いたところによると、原子力開発部門の安全性研究の姿勢は「どこまで手を抜いても大丈夫か」であるそうだ。この方針がベースにあり、その上に安全装置をどこまでつければよいかというのである。原発に限らず他分野でも、これくらい安全率を掛けておけば大丈夫だろうと想定して設計しても、その予想は常にはずれてきた。これで絶対安全であるということは原理的にはないから、これくらいで大丈夫というのでは危ない。人間の考える技術には必ず抜け穴がある。人知は自然力に較べてまだまだ小さい。常に想定外の可能性を念頭に置くべきである。技術の過信は禁物である。
日本の原発装置には、炉心が高圧に成ったときガスを抜いて圧力を下げるためのガス弁は要らないと最初はつけなかったそうである。専門家の警告や外国の例を見習って、電力会社は後からつけたという。今度の事故で、冷却ポンプが故障したために、炉心が高温高圧になって爆発の危険性が生じたので、そのガス弁を開けてガスを抜き圧力を下げた。このガス弁が無かったら炉は爆発か溶融を起こしていたであろう。
このガス抜きで放射能が外部に漏れた。放射能漏れはこれだけが原因かどうか分からないが、測定された放射能の値と場所は頻繁に変わっているので、どうも腑に落ちないところがある。正直に正確な事実を発表して欲しい。
2号機の圧力抑制室が破損して大量の放射能物質が流れ出てた。1〜4号機から放射性物質の漏洩は続いて、放射能はかなり広範囲に拡散しているようだ。東北・関東地域でかなりの放射能が観測されたことを発表され、状況は時々刻々流動的である。
最初は政府・東電の発表は楽観的であったが、1号炉、3号炉、2号炉と次々に事態の悪化が小刻みに発表されてきた。東電は事態を甘く見て対策に手抜かりがあったのか、あるいは都合の悪いデータを隠していたのか。ついには、発電停止をしていた4号炉まで危険な状態になったところを見ると、事態を甘く見ていたとしか思えない。東電の隠蔽体質と無責任さに、菅総理が怒鳴り込んだと報道された。政府も東電も後手を踏んでばかりである。
天上ばかり見ず足下を固めよう
高層ビルの危険性が軽視されているように思えてならない。東京に直下型地震が遠くない将来にくる可能性は高いといわれ、地震対策がなされている。しかし、超高層ビルの建ち並ぶ地帯は危険きわまりない。耐震建築技術の進歩で超高層ビルは地震で倒れたり折れたりすることはないようだ。しかし、低振動の揺れは永く続くから、ビル内部にはそれこそ想定外のことがいろいろ起こる可能性がある。窓ガラスの破損で降り注ぐガラス片で側下の街は危険である。ここにも技術に対する過信が見られる。
幸いに今度の大地震で、高層ビルの事故は少なかったが、なぜ次々に高さを競うのであろうか。天上ばかり見ずに、足下に目を配らないと思わぬ災害が起こるだろう。日本一高い、いや世界一高いビル・タワーだといって浮かれているのを見聞きすると、「何のためか」、「これでよいのか」と、古代のバベルの塔の愚を思い出す。
もう一つの「非常事態宣言」 海野和三郎
産経新聞(3/16)の見出しに、『“「非常事態宣言」なぜ出さない”とある。筆舌に尽くせぬ東日本大震災の惨禍と、それに伴う原子力発電所事故のダブルパンチと、政治の失敗が、例えば、15日の東京株式市場1300円以上の暴落、などに表れている』という。また、曽野綾子さんは、『関東大震災、原爆投下あるいは東京などの大空襲、そして今回の東日本大震災は、近年の日本人の心に残る大きな事件となった。「愛する者たち」の命が失われたことを、心底烈しく悼んだ。戦争も天災も,その点では同じ残酷な運命であった。その死を悼む思いは別として、私たちは常に人生からも、今回は地震からも何かを学ばねばならない。しかし、私は今回ほど、わが同胞に誇りと尊敬を持ったことはない。あれだけの災害に遭いながら、店舗や個人の家に対する略奪も放火も全く起きなかった。あってはならない災害だったが、今回の事件で、日本と日本国民に対する評価は世界で一挙に高まると思われる。』という。
震災で、亡くなられた方、行方不明の方も万人を超え、重大な被害に遭われた方々は百万にもなるとのことで、唯唯、哀悼の意を表する他は無い。
ところで、今回の大震災から何を学び、それを如何に『非常事態宣言』するかについては、これまでとは違った21世紀特有の視点で論ずる必要がある。その一つは、持ち時間に対する「緊急性」であり、第2に人類の文明に必要な「エネルギーの確保」、第3に「地球環境の保全」である、と考えられる。人生を「成長期」「成年期」「老年期」各30年余、100年で「時代」が変わる点は、これまでと変わらないが、100年前に1年かかった情報伝達が、ケイタイで1秒で伝達されるようになった。プラスもあるが、マイナスもある。今回もケイタイ情報を上手に利用した人とそれを信用しすぎて災難にあった人もあるであろう。恐らく、最大のマイナスは、緊急事態ばかりに気をとられて、例えば政治的な「予算の仕分け」などで、10年後100年後の重大な破局を軽々しく見過ごすことになりやすい点であろう。但し、今回の場合は、どの道緊急予算措置が優先されるであろうが、政治とは殆ど関係なしに、土木事業建設事業農林事業などのパワーがこれまで以上に増強され、平和戦力になることであろう。その勢いを第2の「エネルギーの確保」の事業に向けることに成功すれば、マタイス神父さんのいう「CRICISはCHANCE」にもなる。
第2の「エネルギーの確保」は、震災以前からの基本的課題であったが、10年20年後に控えた「石油ピーク」を乗り越える有力な手段としての原発が今度の事故で恐らく10年ほど開発計画が遅れるであろうから、その代り、小規模太陽光熱発電を早急に開発し、世界に普及させなければならない。もし、家庭規模の太陽光熱発電で、石油火力より格段に安価に電力を供給する技術が、日本の技術力で10年以内に開発できれば、今回の災害もマイナスをプラスに、災いを転じて福と為すことになるであろう。
太陽エネルギーは、石油火力などより格段に質のよいエネルギーで、太陽中心部の核融合に発し、6000℃近くの高温の表面から発する黒体輻射に近いエネルギーであるから、集光することにより、集光しない場合に比べて同じエネルギー量で、ほぼ集光度倍の仕事(電力を作るなど)をする。風の強いところに風力発電装置を置けば、効率よい発電が出来るのと似ている。太陽エネルギーの場合は、地理的条件を別にすれば、集光は人工的に行うことになるが、大別して、集光にお金をかけて集光度を上げる大規模集光型と地球環境を巧みに利用する植物の光合成と、その中間で、発電装置と同程度以下で集光に余り費用をかけない、平面鏡を組み合わせた非結像集光シーロスタット(ヘリオスタット)式の家庭規模での集光とがある。最近の情報では、ドイツがアフリカの砂漠を利用して、半ば、国家事業として大規模集光型の太陽熱発電装置を推進し始めたようであるが、原発より経済的かどうか、いずれにしても完成には恐らくかなりの時日を要するものと思われる。日本では、三鷹光器が大型集光での実験に成功しているが、用途としては、石油火力発電と拮抗する発電装置というよりは、海水の淡水化など別の目的を目指しているようである。今回の緊急事態には、従って、平面鏡複合非結像集光装置をヘリオスタット駆動で、水平に固定した装置内へ10倍以上数十倍集光し、熱電素子(ペルチエ素子)と蒸気タービン発電とを組み合わせた家庭規模の太陽熱発電装置を早急に開発して、世界に普及するとよい。装置の製作には日本の町工場が最適で、被災地を含む全国の町工場が立ち上がれば、20年後の世界経済不況、50年後のエネルギー不足やそれが原因の世界核戦争を未然に防ぐことができる。1年かけて、1m2程度の小型太陽光非結像集光装置による実験装置をつくり、実験結果を見て本格的な装置を試作し、大量生産に入るとよい。
第3の課題「地球環境の保全」は、化石燃料や原子力に頼らず、太陽エネルギーで生命活動をし、それが地球環境を守ることになる本来の地球生物としての人類のありかたの問題であり、上記の太陽エネルギー工学もCO2問題に寄与するなどその一環である。しかし、更に視野を広くすれば、21世紀は自然の恵みだけではやっていけない、地球人口過剰の時代に入ったとも考えられる。例えば、享保の飢饉の時のような氷期にフランス革命が起こり、国と国との戦争や民族大移動など、果ては、数十万年前の氷河期にアフリカに居た人類の先祖が農業を発明し、衣食住を発明し、言葉を自由に使えるようになって集団生活を導入し、毛皮も無く空を飛ぶ羽もなく像やゴリラのような力もないままに、猿人から原人へ更に現代人と進化した過程が、この21世紀に時間を極端に短縮して訪れたと見ることも出来る。とすれば、荘子のいう妄言として、21世紀は、人類再進化の時代という誇張も成り立つ。従って、第3の課題「地球環境の保全」は、「21世紀人類急進化」と言い変えてもよいかもしれない。水が液体である地球環境の生命の原理を生かした如来蔵的太陽エネルギー工法で、人類のピンチを切り抜けるのが、資源もなく人口密度も大きいが、生きる力を持つ日本に与えられた天命であろう。
エネルギー問題と地球環境との関連を地球環境天文学の立場で、数字を挙げて議論しておく必要がある。太陽エネルギーの質と量、水の働き、CO2と地球温暖化、エネルギーと文明、など意外と量的にはよく分かっていないので、以下に、稿を改めて、論ずることにしたい。
地球環境は複雑系である 海野和三郎
金色夜叉ではないが、「すべてこの世は金の世の中」と割り切る人もいる。最近、原優治代表の21世紀経営創造コンファレンスで、ケインズやマルクスの経済学について学ぶ機会があった。マルクスは労働の価値を経済に優先させるべき考えであったが、共産主義国家でも、金融経済・市場経済の原理で政治経済が運用され、特権階級による支配が行われている点では、資本主義社会やイスラム社会と異ならない。ケインズの自由市場経済は、多分、内乱や予期せぬ災害などによる経済変動に備える意味もあって、弱いインフレ誘導で、経済変動の安定化を図ることを意図したらしいが、複雑系科学としての経済学の視点がない時代でもあり、経済混沌の予測を定式化するには到らなかったようである。経済予測については以前教育通信で提言したこともあり、ここでは省略する。
最近、リビアでカダフィ大佐の率いる軍事政権と民衆(?)の間に紛争があり、米仏サウジアラビアなどがからんで民主主義を標榜しているようだが、私など素人が見ても何が原因でどうなっているのかよく分からない。リビアは産油国であるというから、イラク同様、石油の利権争いが何らかの形で絡んでいるように感じられる。世界の政局を動かしている根本原因の一つはエネルギー問題であるという理解で、地球環境天文学の立場から、大まかな数字をあげて、この小論をまとめてみることにしたい。
先ず、ヒト1人は1kWで生きていると云われている。1人が衣食住に消費するエネルギーが1kWの電熱器を付けっ放しにして消費するエネルギーに等しいというわけである。個人差があり、時代と共に変わるが、平均すれば、10倍ほどは違わないという数字である。次に、地上注ぐ太陽エネルギーを太陽光に垂直な面で受けると、1m2あたり1kWという。これは、地球大気圏外の太陽エネルギー強度(太陽定数1.252kW/m2)の7割(大気減光3割)である。以前、光の速度(3・1010cm/s)1秒間に赤道を7回り半というのから、地球半径を出し、地表面積の1/3が陸、その1/10だか1/100だかが農耕適地、そのまた1/10が農作物、その1/10が光合成をする葉、葉緑素の被覆面積がその1/10、光合成のエネルギー効率が1/10、食べ物になるのがそのまた1/10、といったいい加減な勘定をして、太陽のめぐみの農作物で、どれだけの地球人口を養えるか計算してみたことがある。うろ覚えではあるが、20億人という数字を出して、19世紀初めまで、化石燃料依存のエネルギー文明以前の人口増加が緩やかであったことを納得した記憶がある。トラクターを用いるなど、大農法で農地を拡充したことと、世界人口の増加との因果関係の説明である。同様な関係は経済成長の限界の議論にもあてはまり、石油の需要供給のバランスがくずれる10年後か20年後の「石油ピーク」が、世界経済の危機となる可能性がある。その危機を回避する手段として最も有力であったのは、原子力発電であると目されていたが、今度の東北関東大震災で、原発の復旧から開発に進む予定は少なくも10年遅れることになる。これは、日本だけのことではないが、特に、資源小国の日本は世界に先駆けて新エネルギー開発に当たらなければならない。
地球環境の面からみると、今度の震災は「水」の被害でもあるし、地球環境の特徴は「水」が豊富なことであり、今後のエネルギー問題は「水」環境を中心に計画を建てるべきことを示している。1kWm-2の太陽エネルギーを垂直に受け続けると地表は最高何度になるか、ステファン・ボルツマン定数σ(5.67.10-8/(m2K4)を用いて、σT4=1kWm-2 から、365K:90℃と出してもよいが、ステファン・ボルツマン定数などを使わずに、もっと分かりやすく、半径が光速で2.3秒の太陽面上での6000Kの黒体輻射が、光速で500秒の地球の距離に広がったとして、温度の4乗が距離の2乗に逆比例する関係を用い、更に地球大気による減光を3割とおくと、太陽光に垂直に置いた黒体の温度として、365K(1年の日数):90℃が求まる。これは、1気圧の大気の下で「水」が液体である温度の上限に近く、摂氏の温度目盛と云い、如何に、「水」が地球環境のシンボル的存在であるかを示すものである。
もう一つの、低温側の基準は、北極海底温度である。氷点下の海面温度に対し地熱を熱伝導するために海深2kmの海底温度は約3℃であるという。水は大陸から流れ込み、北極海底から冷塩水は大西洋に流入、地球自転による転向力で流れは北米側に押し付けられるが、大西洋西側重い冷塩水の作る圧力とヨーロッパ側との圧力勾配が転向力と釣り合う速度で、北米側深海を南下して赤道を越える。赤道を越えると海底流は急激にアフリカ側へ流れアフリカ西側海底を南下、喜望峰沖を東に進み、一部はインド洋へ一部は南極洋を経て太平洋を南米更には北米の西側を北上し、アリューシャン沖から日本の東、太平洋からインドネシア海を経て、喜望峰沖アフリカ西岸を北上して大西洋北部グリーンランド沖へ戻る。海洋大循環である。大循環縦方向の流れを駆動しているのは、冷塩水の作る水圧の圧力勾配で、それに対抗する渦粘性としては、太平洋などの深さの1/4:1km程度のサイズで大循環の流速程度で乱流する渦粘性を仮定して、地球を一周する定常流を計算して、約1000年で海洋大循環は地球を一周するであろうという結果を出したことがある。こんないい加減な計算でも、その後、ビキニの放射能が大循環で一周する周期が約1500年というから、海洋大循環のメカニズムとしては、こんなところでよいであろう。専門家は大循環の過程での塩度の変化も考慮したシミュレーションをやっているらしい。
海洋大循環を問題にした理由は、深さ1000m以上の深海には太陽エネルギーで温められた表層温度は殆ど熱伝導せず、大循環流の温度はほぼ北極海底温度の3℃程度で世界中の深海温度が一定しているので、これが世界中の地表温度をほぼ定常に保っている第一の理由である。3℃から90℃まで、地球大気を保持する地球重力の下で、「水」が液体である温度範囲に地表温度はほぼ安定に保たれている。勿論、季節変化あり、南北極地の低温あり、太陽エネルギー変動に伴う氷河期ありではあるが、なんと言う奇跡か、如来(タータガータ)に守られた地球という他はない。
太陽エネルギーは、大別して、通常の6000K弱の輻射エネルギーと主として対流層で電磁流体力学的に太陽自転と対流と磁場との相互作用で作られた太陽黒点や白斑などとその母体ともいえる磁場の束が約11年の擬周期で極性を変えながら太陽面に現れるエネルギーとがある。後者は、量的には輻射に比べて圧倒的に小さいが、それでも、地球の気温を1℃程度変える力がある。ヒマラヤやアルプスなどの氷河地形で1℃の上下は雪や氷での太陽光の反射による温度変化の増幅となり、氷河期の原因ともなり得るのでバカにならない。しかし、11年周期は短いので数年で効果は平均化されるから、実害は余りない。ただ、近年CO2による地球温暖化と重なり、温暖化が急激に進んだような印象を与える時期があるので、現象論にとらわれると誤る。また、地球自転軸の軌道面との傾斜角の変動が原因とされるミランコビッチサイクルなどという万年オーダーの長周期の氷河期のサイクルや1000年程度で飢饉の原因ともなる氷期のサイクルもある様だが,よくは知らない。
一方、地球温暖化の原因となるガスは、地表温度が放射する波長10ミクロン程度の遠赤外域に広い波長範囲に吸収線帯を持ち、その吸収が強すぎて完全吸収に近い飽和状態にない、という3つの条件を満たすことが必要であり、温室効果ガスとは異なる。分子数が増えれば比例的に吸収が増える分子であることが条件である。その条件を満たすガスはCO2で、カーボン・ハイドレートはもう少し多量になれば、温室効果ガスとなるであろう。水蒸気は、太陽光強度の高い近赤外に強い吸収帯を持ち、入射太陽光を遮り、且つ、雲となり霧となり、雪や氷となって太陽光を反射するから、温室効果は強いが、むしろ地表の寒冷化に働く。
温暖化が進むと、カーボン・ハイドレートがツンドラから湧出し、更に温暖化が進むと、北極海の氷が融けて海面温度が上昇し、海底温度も上昇すると、海洋大循環の深海からCO2が湧出し温暖化が加速することになるであろう。一方、水の寒冷化作用は、雲となって太陽光を遮り、雨を降らし、晴天、曇天、豪雨、台風などの振幅が大きい荒れた気象条件の地球となるであろうことが、予想される。
昨年の夏は暑かった。今年の冬は、7、80年前ほどではないが、寒かった。今年の夏が昨年の夏のように暑かったら、温暖化の影響かと警戒する必要がある。このところ、大雨、大雪、など気象状態が荒れ模様である。かつて、台風の運ぶ角運動量が億年蓄積されて、フォッサマグナをつくり、冨士山、八ヶ岳を噴火させ、百余の温泉を湧出させたのではないかと考えたことがあった。地球環境は超複雑系である。プレートテクとニックスなどという現象論だけに満足せず、マグマの磁気流体的対流の本質論を地球環境問題にも取り入れてもらいたい。このあと、家庭規模の安価で手軽にエネルギーを得る救世の非結像集光型太陽熱発電の設計を論ずる予定であったが、耄碌しているので、時間がなくなってしまった。関心のある方は、個人的に連絡を取って頂ければ幸いである。妄言多謝。
(編集:海野)