私達の教育改革通信

  160 201112

 

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「小さな詩人(minor poet)」と山崎ハコ

          ——前に向かって逃げろ

 

長谷川弘基

以前この場を借りて中島みゆきについて長々と書かせていただいた(123号)。そのとき、英国の詩人T・S・エリオットが区別した「大きな詩人(major poet)」と「小さな詩人(minor poet)」という概念についても言及した。「大きな詩人」とは、その詩人の個々の作品を鑑賞するためにその全作品に通暁することが必要となり、自ずと全作品を読むことを促すような詩人。結果として、このような詩人は文学史の中で言及されることが多くなる。他方、「小さな詩人」とは、その詩人の佳作を鑑賞する際に、その全作品を知っていることを特に必要としない詩人である。けれど、個々の詩を比べた場合に「小さな詩人」は、詩人として「大きな詩人」に劣るところは少しもない。「小さな詩人」の作品が時代を越えて愛唱されることは決して珍しくない。もちろんその名前も広く知れ渡っている。両者の違いは、「大きな詩人」がしばしばその思想や文化史的背景によって評価されるのに対し、「小さな詩人」にあっては、個々の作品が全てであるという点にこそ認められる。

おそらく「小さな詩人」とは、強烈な自我を原動力にして詩作を続ける人ではなく、繊細な感受性や独特の語感を支えとして、誰もが普通に感じ取る、その意味ではありきたりの思いを言葉で表現できる人だと考えられる。万葉集の詩人たちは、少数の例外(柿本人麻呂などはその際たる存在であろう)を除けば、みな「小さな詩人」であっただろうし、石川啄木のような詩人も偉大な「小さな詩人」であるだろう。彼らは「自分の思い」というよりは「人々の思い」や「民衆の思い」を、つまり、誰もが感じうるごく普通の想いを、その意味では無個性な想いを、的確な言葉にのせることができた詩人である。例えば、啄木のかの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど」という歌を耳にして、多くの人は自らの体験を想起せずにはいられないのではないか。

 

山崎ハコという歌手——私より若い人はその名前さえ知らないかもしれない——も、おそらくはそのような存在である。そして、いかにも恣意的と思われかねないが、中島みゆきを「大きな詩人」の典型に、山崎ハコを「小さな詩人」の典型にして、両者を比較したい誘惑に駆られる。少なくとも私自身は、山崎ハコの歌を通して、「小さな詩人」の意義を再認識、いや、もしかしたら、初めて正しく認識できたように感じている。というのは、「大きな詩人」「小さな詩人」と並べられると、たとえエリオット自身が両者の区別が決して優劣の区別ではないと再三強調していたにしても、どうしても「大きい」方が良いように感じられてしまう。(major、minorという語が優劣で論じられる可能性が大であることを承知していたからこそ、このような「誤解」が生じることをエリオットも心配していたのだろう)。言うなれば、「小さな詩人」の偉大さというある種の矛盾が存在するわけだが、その矛盾が本当は矛盾でも何でもないことを、山崎ハコの歌がさりげなく教えてくれた。そして、奇妙な誤解を通して、「前に向かって逃げろ」という大切なメッセージを彼女の歌から受け取ることにもなった。

 

発端は「夢」(1980)という歌である。(30年前にこの歌を聴いていたら、まだ高校生だった私は何を感じたことだろう?)

 

夢が見えていた 

      小さく けれどほのかに燃えていた

遠くの景色の中から いつもこっちを見てるように

 

だけどいつからか 遠くで待ってるお前に

言葉をひびかせて話すことを忘れていたね

 

お前が見えるのは私だけなのに

 

夢が生きていた 孤独にけれど確かに影を引き

はなれていても 一人でも 

          いつも鼓動を感じられた

 

だけど いつからか お前の命も忘れ

生きてるつもりで 自分の胸にだけ手をあてていた

 

命ふきこむのは 私だけなのに

 

夢が生きている 小さく弱く 今にも消えそうに

遠くの景色は 広く汚れた荒野で 時にぼやける

 

だけどなぜだろう やっぱりお前のもとへ

細い糸握り 見えるか これが これが私だ

 

お前と一つの 私の姿だ

 

見えるか 見えるか 見えるか 見えるか

見えるか 見えるか 私の姿が

 

詩の醍醐味の一つは、わずか数十行の中に小説や劇に匹敵する大きなドラマが表現されていることにある(だからこそ、「詩の言葉は極めて密度が高い」と言われる)。この歌においても、夢の喪失と回復というドラマが文字通り劇的に描かれており、中でも特筆すべき(詩として鑑賞した場合の美点)は、「見えるか」と執拗に繰り返されることによって端的に表現されている感情の昂ぶりが、あたかも「見える」に引き込まれるように、非常に効果的な視覚性に支えられている点であろう。夢を「命のある生き物」として捉え、したがって、夢は心(心臓)と直接に結びつき、夢を見失った心に手を置いたとしても、おそらく空しい鼓動の響きしか聞こえない。けれども、夢と自分を繋ぐ細い糸の、心細いながらも確かな存在を再認すること……とりわけ、「細い糸握り」という、単純かつありきたりの表現が持つ絶妙な効果。

だが、この歌を聴いて、この歌が聴く人の心に響くとすれば、山崎ハコの歌手としての魅力を度外視するなら——この歌が聴く人の心を打つのは彼女の心を尽くした歌声の力も大きい——、自分のささやかな夢を人生の途上で繋ぎ止めておくことがいかに困難であるか、そのことを誰もが痛感しているからに他ならない。大切にしていた夢がいつしか風化して崩落してしまう悲しみと無縁な人、無残な姿になり果てた夢の前で呆然と佇むことがなかった人、そんな人はおそらくいない。だからこそ、たとえそれがどんなにささやかな夢であっても、その夢の回復を、まさに夢のよみがえりを、人は大きな感動で迎えるのではないか。そしてまた、だからこそ、この種の「夢の再生」がテレビドラマや大衆映画のお気に入りのテーマにもなっているのではないか。

加えて、この夢が「小さく、けれどもほのかに燃えていた」ことも特筆されなければならない。これこそが山崎ハコの特徴的な側面であり、彼女の歌の至るところに「目立たない」「さりげない」「小さな」存在に対する親密な感情が込められている。例えば、初期(まだ十代の頃)の代表作でもある「白い花」(1976)に表現されている非常に微妙な感情——

 

私の目の前の白い花

人目にもつかず咲いているけれど

幸せそうに ほほえんで

香りを漂わせる

できることなら この指で

お前を摘んでしまいたい

あの人の心に 誇らしく

咲いてるお前を

 

白い花びら はにかんで

とてもきれいに見えるわ

お前のように 咲きたかった

あの人の心の中に

ひそかに きれいに 咲くがいい

美しい白い花よ

あの人と いっしょに 生きて行け

あの人をなぐさめながら

 

お前をみつめて 生きて行く

私の気持ち知らないで

私にやさしいほほえみを

かえす 白い花

ひそかに きれいに 咲くがいい

ほほえむ 白い花よ

あの人と いつまでも 生きて行け

あの人をなぐさめながら

 

高校生だった私自身も全く同じ轍を踏んでいたのだから、今さら偉そうに言えた義理ではないが、山崎ハコの歌は「非常に暗い」と評され、この歌も「できることなら この指で お前を摘んでしまいたい」の部分のみが取り沙汰されがちである。しかし、真に注目すべきは、この白く美しい花が「人目にもつかず咲いている」、「ひそかに きれいに」咲いている点にある。この白い花は断じてユリではない。それは、例えばユキノシタであり、あるいは、もしかしたらもっと目立たない小さな花である。そして、この歌に込められた感情は、必ずしも妬みや嫉みではなく、もっとはるかに複雑で、もっとはるかに親密なものであろう。なぜなら、この歌い手はこの白い花に対して「お前をみつめて 生きていく」と言っているのだから。小さな、目立たない存在に対する親密な感情は、ごく普通の、ありきたりの存在に対する親密な感情であり、詩の核心にいつも寄り添っている感情である。芭蕉の「よくみれば 薺花咲く 垣根かな」という句がその真相を見事に描き出している。

話を「夢」に戻せば、自分のささやかな夢を保ち続け、追い続けることがいかに困難であるか、このことを誰もが経験的に知っている、「遠くの景色は 広く汚れた荒野で 時にぼやける」ことを痛いほどわかっているからこそ、同じ歌手=詩人が次のように矛盾する歌を披露しても、それが現実には決して矛盾ではなく、事実として両立する想いであることを私たちは容易に理解する。

 

「私の幸せ」

 

朝もやの中に幻をみた

まるでガラス細工の子馬のように

腕を伸ばすとはじけて消えた

そんな私の幸せをみた

 

(中略)

 

目を閉じて歩いたら 私の影が見えてくる

だからいらないんだ 道しるべなんか

ときの巡りに そっと揺れてる

そんな私の幸せをみた

 

もう何もかも捨てていくんだ 空の彼方 雲の果て

もう何もかも捨てていくんだ 空の彼方へ

飛んでゆけ ゆけ ゆけ

夢なんか

 

この歌は『私の幸せ』(1986)というライブアルバムに収録されている。調べてみて少し意外だったが、実は作詞も作曲も本人のものではなかった。しかし、歌手としての活動中断を宣言した直後の、それなりの決意を込めたライブアルバムの掉尾を飾る曲に選ばれているからには、ほとんど自分自身の作品として歌ったのであろうと推測できる。この歌は、「夢」とは正反対に、「自分だけで十分だ。夢なんかもう必要ないし、追いかけることも止めよう」と言っている。そして、このような思いは日々の生活の中でごく普通に私たちが経験することである。自分の夢を自覚的に放棄したことがない人はいないだろう。

興味深いことに、この約10年後、1995年のアルバムには「みんな 普通の幸せのため 夢を小さくする」という、思わずギクリとするフレーズがある。これもやはりごく普通の、ありきたりのことを言っているに過ぎない。それなのに、いや、それだからこそ、山崎ハコの歌は聴く人に忘れがたい印象を残す。

確かに山崎ハコには不思議な魅力がある。仮に「歌唱力コンテスト」などを行えば、必ずしも「べらぼうに上手な歌手」ではないかもしれない。しかし、彼女の歌声には抗しがたい不思議な魅力がある。その魅力は、おそらく、良い意味での「土着」という言葉で表すことができるだろう。典型的な日本風フォークソングに加えて、「佐渡おけさ」のような民謡、さらには演歌もブルースも歌える事実と微妙に関連しているが、彼女を聴いていると、特にその最良の瞬間には、ポルトガルのアマリア・ロドリゲスやアイルランドのドロレス・ケーンのような歌手たちとついつい比較したくなる。声の質も雰囲気もそれぞれに全く違うが、生々しい声の持つ力を最大限に発揮する能力において、そしていっそう重要なことだが、ごく普通の人々がごく普通に共有できる価値観や情緒を惜しげもなく披露する点において、本質的長所を共有している。

(しかし、中島みゆきについて書いたときも全く同様の言い訳をしたのだが、歌の魅力について語るには、言葉はあまりに非力に思われる。この小文を読んで少しでも興味を感じたときは、是非彼女の歌をCDなりyoutubeなりを利用して聴いていただきたい。参考までにyoutubeのアドレスを載せておくので、環境が許すならご試聴いただきたい。http://www.youtube.com/watch?v=JqZPBZYcnQ4 )

 

こんなことを考えているときに、あの3月11日が来てしまった。

 

 多くの人々が同じ気分を共有していると耳にするが、あの(この)大震災以来、何をするのも気怠く、ときに無気力に陥ることが多い。ごく軽い鬱とでもいうのだろうか、自分の内部に喪失感ともいうべき空虚が広がっているような気がしてならない。親しい人を亡くしたときのような強烈な空虚感ではなく、もっと漠然とした、そのくせ量的には決して無視することができない崩落が心の中で起きている。大震災と大津波の被害を、テレビを通してであるが、目の当たりにしたショックもさることながら、それ以上に、引き続いて発生した原発事故の深刻さ、そして日本の政治とマスコミの惨めなほどの「多機能不全」が、日本という社会、日本という文化に対する信頼を大きく損なっている。自らが属する社会や文化に対して不信を募らせるということは、要するに、自分自身の現実に対して不信を募らせることに他ならない。それならば、鬱になるのも当然だろう。 

実際、自国の政府の発表やマスコミの報道が信じられなくなってしまったら、その社会はどうなってしまうのか? 考えるだけでも恐ろしいのに、現実に深刻な政治不信とマスコミ不信がすでに進行している。例えば今、政府やマスコミの報道する放射能汚染濃度をそのまま信じることは難しい。

もとより原発は、ごく普通の市民にとっては巨大なブラックボックスであり、普段でもそこでいったい何が行われているのかは知るよしもない。まして、いったん事故が発生し、関係者でさえも事態の精確な把握ができないとなれば、どんなに禍々しいことが進行していたとしても、確認のしようさえない。現在、空気中の放射能物質は計測が実施されている(その信憑性は別にしても)が、海中に流出した放射能物質に関しては今後も推定値以上のものが発表されることはありえないし、地下水や土中の汚染に関しても真実は五里霧中であり続けるだろう。チェルノヴィリの例を引くまでもない。人類史上前例のない惨事を目の当たりにして、しかもその惨事の実態は決して明らかにされないだろうという暗鬱な予感に取り憑かれ、福島のニュースは『黙示録』の世界をさえ想起させる。

人類が原子力の利用を諦めるべきかどうかはわからないが、原子力発電が実際には実験室レベルに留まっていることは、放射性廃棄物の処理法さえ見つかっていない事実だけをとっても、十二分に明らかである。実験段階の技術をあまりに拙速に実用に移したのだから、試薬を臨床に使うことと全く同じことが起きても、何の不思議もない。どんな事故も「想定外」とは決して言えないはずである。言葉を換えれば、原発を続ける限り、今後も「想定外」の事故が起こり続けるということである。とすれば、地震多発地帯で人口過密な日本に実験炉以上の装置を設置して稼働させていることが愚策であることは、少なくとも私には自明の結論に思われてならない。

福島で起きたことの悲惨は、文字通りに「逃げ場さえない」悲惨である。十万を超える数の人々が住み慣れた土地を離れることを余儀なくされる一方で、おそらくそれ以上の数の被災者が放射能汚染に不安を感じながら逃げ場もなく生活している。健康に直接的被害があるかもしれないという恒常的不安を感じつつ生活することがどれほどのストレスになることか。そのような生活を強いる社会が正常な社会であるとは決して言えない。

しかし、驚くべきことに、原発全廃を「現実的ではない」と評する人々が今なお多い。彼らは異口同音に、日本の経済を支えるには安定した電力提供が必要であり、また二酸化炭素の総量を減らすためには火力発電の利用を増やすわけにはいかず、風力や太陽光は安定性に欠けると言う。消去法で考えても、原子力以外に選択肢はないというのが彼らの立場である。そして、原子力利用の是認とセットのように主張されるのは、原子力全廃は単なる理想論であり、現実的ではないという批判である。

「現実」と「理想」を二律背反として捉える思考の安直さも問題だと思うが——現実と理想は両立可能である——、もしも「理想」を「夢物語」として否定するのであれば、真に否定されるべきは「原子力の平和利用」という考え方の方である。原子力研究は、どう贔屓目に見ても、いまだ発展途上の研究であり、原子力の安全な利用こそが「理想」であり、一部の研究者によれば、それは実現不可能な「夢物語」とされているのだから。けれども、ここでの真の問題は、「理想」が軽蔑的なニュアンスを込めて使われている事実である。つまり、仮に「原子力に頼らない社会」の実現が著しく困難であったとしても、もしもそれが必要であるなら、なぜそれを追及する道を選択しないのだろうか? なぜ、その夢、その理想を早々と断念しなければならないのか? 例えば、民主主義の実現は一種の理想論であろう。現実に存在する民主主義政体は、日本は言うに及ばず、イギリスもフランスもアメリカも、どこかに不全なところがある。だからといって、民主主義の理想を捨てることは明らかに間違っている。なぜ、安全や安寧という理想を求め、夢を追ってはいけないのか? 

福島の事故以前から原発に関する不安については多くの人が話題にしていた。日本の原発が大事故を起こすのは時間の問題(つまり、大地震がいつ起きるか)だと言われてきた。だから、福島のケースは、本当は決して「想定外」ではない。想定され、危惧されていた問題であった。そして、当然なことだが、似たような事故は今後も起こり続けることだろう。津波対策をしたところで、それを越える巨大津波が来ない保証はない。たとえM9の地震に耐えられるように原子炉を作っても、M9.1の地震が来ない保証はない。正に、神のみぞ知る。確かに、飛行機でも新幹線でも事故は起きるだろう。ひとたび大事故が起きれば、いつかの列車脱線事故のように、正視に耐えない悲惨な事態が引き起こされるに違いない。しかし、原発の事故は、これまでのどの事故と比べても、比較にならないほどの悪影響を多方面に与える。おそらく唯一比較できるのは、巨大隕石の落下と、そして大型核兵器の使用だけではあるまいか。

このように考えると、唯一の選択肢は、原発維持ではなく、可能な限り早急な断念であり、日本の全知性を結集して考えるべきことは、「どうしたら原発なしで経済を支えることができるのか」を真剣に模索することである。原子力発電という選択肢を抹消し、その上で、どのような社会構造が構築できるのか、叡智を尽くして考えなければならない。「原子力はまだ実用段階ではない技術だから、原発の本格的稼働には無理がある」。なぜこんな「自明なこと」が共通理解にならないのか、不思議でならない。

 

こんなことを考えているとき、突然「前に向かって逃げるんだ」という言葉が脳裏に浮かび上がってきた。確かに、「原発廃止」とは「原子力から逃げる」ことに他ならない。原発が怖いのだから、それから逃げるわけである。そして、もしかしたら、「原発全廃」には「逃げ出す」という否定的側面があるために、精神的マッチョな人々には受け入れがたいのではないか。原子力の平和利用には様々な困難がある、しかし、だからこそ、そのような困難に雄々しく立ち向かわなければならない、云々。だが、原発から逃げることは、同じ「逃げる」であっても、おそらく「前に向かって逃げる」ということだ。つまり、安全という理想に向かって、平和という夢に向かって逃げる。原子力を断念することこそが日本の理想であっても何も不思議はない。戦争を断念することが日本国憲法の理念であることとよく似ている。

 

それにしても、「前に向かって逃げる」なんて面白い言葉を、いったいどこで拾ってきたのだろう? 最初に考えたのは、震災以来貪るように聴いていた山崎ハコの歌だった。しかし、どんなに思い返してみても、彼女の歌詞にはそんな言葉はなかった。次に考えたのは、それなら、興味が昂じて、わざわざライブハウスに出向いたとき、山崎ハコが話していた言葉の中にあったのだろうか。しばらくの間はてっきりそうだと思い込んでいた。きっと「夢」という歌のインパクトが強すぎて、夢に関する一切を彼女に帰すのが当然だと思っていたのだろう。

真相は、偶然ラジオで女優の松田美由紀(俳優の故松田優作の未亡人でもある)が「原発が怖い」と語っていたことをそのまま記憶したにすぎなかった。だから、「原子力から逃げる」ことは「理想に向かって逃げる」ことだというのも、おそらくは松田美由紀からの受け売りかもしれない。だが、ラジオから聞こえてきたこの言葉がこれほど気になった背景には、震災をはさんで執拗に(ほとんど中毒患者のように)聴き続けた山崎ハコの歌と、それらの歌が体現していた「ありきたりな、しかし切実な想い」の存在があったことは確かだと思う。小さな詩人たちが拠り所としてきた普通の感性をもう一度見直したいと切実に願う。放射能汚染を怖いと思うことは、巨大地震を怖いと思うことと何も変わらない。それはごく普通の人間が感じるごく当然の感情であり、非科学的な迷妄とは言えまい。天災からは残念ながら逃れられない。しかし、原子力発電からは、人智を尽くせば、きっと逃れられる。みんなで逃げよう、未来に向かって。

 

 
法橋登         東日本復興ともう一つの科学史
                                      法橋登
. 物理学界誌20117月号の巻頭言「東日本大震災に思う」を読み、女性研究者からみたもう一つの科学史を知った。筆者の笹尾さんは、核分裂の発見に関わった女性研究者たちに正当な評価が与えられ、活躍の場が用意されていれば原子力利用は今と違った形になったかもしれないとして、物理学会会員の男女比を自然比に近づける今後の活動目標を示した。同じ7月号声欄「福島第一原子力発電所の事故処理についての緊急提案」で兵頭俊夫氏は東日本復興につながる福島原発事故収束のための対策本部の設置を提案した。そのような場では参画者の専門分野は現段階では核化学が中心になるだろう。ボランティアレベルでは、早川博信を中心とする核化学者のグループが1970年に論文化して特許化されたCsの分離・回収法が福島に提案された。
リーゼ・マイトナーLise Meitnerは笹尾さんが正当に評価されなかったとする女性研究者の人である。科学史家Ulla Fölsingも著書のなかで、リーゼを男性ノーベル賞受賞者たち(カッコ内)の蔭にかくれた次の4人の女性科学者の一人に挙げている: Mileva Maric (A. Einstein)L. Meitner (O. Hahn)、 C. S. Wu (T. D. Lee and C.N.Yang)R. Franklin (F. Crick, J. Watson and M. Wilkins)。マイトナー自身は、「平坦な人生より内容の豊かな人生を選んだ自分に万足している」と友人に話して90年近い生涯を終えているが、同じユダヤ系ドイツ人でアインシュタインが理論物理学に最も貢献した数学者とよんだエミー・ネーターEmmy Noether は亡命先のアメリカで51才でなくなった。笹尾さんが正当に評価されなかったとするもうひとり、Ida Tacke-Noddack 1925年に故郷のライン川にちなんでレニウムと命名したRhenium の発見によって1933, 35, 37年にノーベル化学賞候補にノミネートされたが、1908年に小川正孝が英国留学中に発見してニッポニウムと命名した未知の元素NipponiumRheniumだったことがロンドン大学実験室にまだ保存されていた資料の最近の日本でのX線分析で確認された。東日本復興計画のなかで、帰国後の小川の研究の場になった東北大学での小川とNoddackの日独共同顕彰(レニウム合金銅像)を提案したい。なお、プルトニウムの危険性や福島一号原発事故の可能性を指摘していた高木仁三郎は、1997年にRight Livelyhood賞をうけている。人類文化の発展に寄与しながら富と人材を偏在させるとしてノーベル賞に批判的・補完的だったこの賞は一般にもう一つのノーベル賞として知られる。
参考文献
1H. Hayakawa et al. Talanta 17 955 Pergamon Press  1970. ここで提案されたCs 分離・回収剤は震災後福島      に送られた。
2K. Yoshihara Proc Jpn Acad SerB Phys. Biol. Sci. 
 2008 84(7) 252
3. Ulla FölsingNobel-Frauen (Mùnchen 1994).

 

 

江上不二夫先生の教え 

                                   大澤省三

ある分野が発展の途上にあると、しばしば同じような研究が独立に複数の研究室で行なわれることが珍しくない。その中でよほどの天才でない限り、他人が思い付かないような卓抜なideaをだし、それを実験に移して発展させることは夢のまた夢である。しかし、このところ、夢を実現したかのごとき実験データの捏造がしばしば報道されている。このようなことは、昔もしばしばあり、あるノーベル賞受賞者の研究室でも、捏造事件がおきた。論文がでたあとで、取り消しの文が出たことはかなり有名な話しである。研究者は多かれ少なかれ、名誉欲もあるだろうし、より上のポストにつきたいという願望があるが、このような行為はある意味では犯罪であり、サイエンティストとしてだけではなく、人間失格である。もう一つは、他人の研究結果、あるいはideaの盗用で、これも本質的には研究者としてはあるまじき行為である。私自身、2度ほど被害を受けたことがあるが、相手が日本の研究者なので、敢えて実名も具体的な内容も伏せておく。以上のような行為は論外であるが、江上先生は講義の中で「日本の有名大学の研究室(名称は伏す)の連中は、PNAS、Natureなど一流雑誌を航空便でとりよせ(あのころはPCもFAXさえなかった時代)、その中のめぼしい(多少とも自分に関係ある)論文の続きのstepを争ってやっている。論文がでた時期には当然発表した研究室で、次のstepはすでに終わっているか、その先までいっていることくらい分かりそうなものだ。そんなoriginalityに欠けた連中が大成するはずがない。たとえ自分が多くの人が研究している分野の中にあっても、人まねをせず、自分のできる範囲でoriginalityを発揮してほしい。さらにいえば、現在の分野をこえた重要分野を開発してほしい。そしてそれを面白くしてほしい」という意味の事をしばしば述べられた。例えば、核酸研究の全盛期に江上先生は、敢えてあまり人が目をつけないリボヌクレアーゼの研究を推進、核酸構造の研究に不可欠なT1リボヌクレアーゼを発見されたし、岡崎令治さんは、DNA合成研究の激烈な競争の中にあって、どの教科書にもでてくる不滅の業績(Okazaki Fragmentを主体とするDNA replication機構の解明)をのこした。木村資生さんは、生物学に数学は不要と教授から疎まれたにもかかわらず、「分子進化の中立説」で一世を風靡した。これらの3つは、例外の天才研究者の話しと思われるかもしれない。しかし、凡人でもoriginalityがなによりも大切だということを頭において研究をしてほしい。そして出来れば新しい分野を切り開き、それを重要分野に育てあげてほしい」というのが、江上先生の教えであったと思う。私も凡人だが、それを片時もわすれることなく研究に打ち込んできた。たいして大きなことは出来なかったにしても、全体としては充実した研究生活を満喫しえたのは、江上先生の教えのおかげであった。

(初代進化学会会長)       

(日本進化学会ニュース October 2011「私と進化学」第2回 虫から始まり虫で終わる(後編)「分子生物学から進化学へ」より、著者の了解のもとに最後の部分を抜き出させていただきました)

 

 

「書く!」から「打つ!」文字へ

ーー生臭さを脱臭してゆく文字と文字を巡る文化状況

 

`島庸二

 「肉筆」ということばがあります。ふだん何気なく使う言葉ですが、〈肉〉の〈筆〉というのですから、気にし始めるとそれぞれの語のイメージの連結がなんとも凄まじい言葉です。「肉筆浮世絵」というのがありますが、多分肉筆書道という言葉はありません。これは浮世絵の方は肉筆よりも版画にすることで、つまり肉筆画の一枚もの、オリジナル主義に対して版画と云う複数生産による安価な、つまり出版ということが基本になって発達したからなのでしょう。そこではさまざまに技法的な工夫を凝らして、出来るだけオリジナルに近い表現を得ようとしながらも、版画独特の美を生み出して、「浮世絵」という、肉筆とは違う、ひとつの(当時からみて現代風な)美のジャンルを創出したわけで、そのことが逆に肉筆を差別化したのだと思います。ここでは版画の効果や表現をあらかじめ織り込んだ、原稿(下絵)としての肉筆画が描かれるようになっていきました。

 私も一度、はがき大の自分の描いた花の水彩画を、知り合いの浮世絵師が版画にしてくれたことがあります。彼らは浅草近くの下町に、彫り師と刷り師とが近所同士のように住みながら、浮世絵のマスターピースを現代に復元する仕事をしているのです。もちろん創作版画もしていたのでしょう。その人たちの創ってくれた私の花の絵が、実に見事に、墨の濃淡なんかも原画そっくりに再現されていたのに、まずびっくり。しかしよくみるとどこか原画とは違う、原画の持っている構造を読み解く特別な感覚が、画面を支配して、原画からは明らかに独立した美をつくりだしていることに気づき、これこそが浮世絵版画の美なのだと大いに実感したものです。絵画という私、の胸を、版画という平手で、ぐっと、押し退けられたような新しい “私体験” 、これは今でも私の「浮世絵体験」として、その版木とともに大切に持っています。

 

*肉筆とコピーである印刷との間にある “オリジナルに近づけよう” という印刷術の姿勢は、15世紀のグーテンベルクによる活字の発明のときも、例の有名な42行聖書(1455年)につかった活字が、当時の書写本の、羽ペンによる肉筆を手本として、それを理想として、出来るだけそれとそっくりな書体であることを目指して作り出されているそうで、その上に頁の文頭を極彩色の飾り文字、飾り罫など、こちらは肉筆(当然カラー印刷とか写真印刷とかはなかった)によるものですが、当時の人々には、印刷というよりは、頁全体がまるで丁寧に手書きされたような本として受け取られたのではなかったでしょうか。またそうであることが、一方では、この活版印刷で成った本のその成果を、羽ペンではなく、活字という「父型と母型の驚くべき結合と、それらの関係と調和によるもの・・・」(グーテンベルク『カトリコン』のコロフォンに)として、書写本との差別化を高らかに表明した、揺籃期の印刷術の、心底の理想であったのかもしれません。

 が、しかし、この42行聖書の場合、元になった書写本の、つまり手書きそのものが、聖書ですから、肉筆といいながらも肉感的な生臭いものをそぎ落とした、幾何的な図形的なものにすることで、神の領域を伝えるにふさわしい表現としてあった、そのために、本来なら印刷の、版にする際に生じる、手彫りの限界とか、整序ーー抽象化といったことを、肉筆段階ですでに具えていた、ということであったのではないか。とにかくグーテンベルクは自分の印刷物を羽ペンによる肉筆によるものではない、といいながらも、肉筆の文字にすでに具わっているものを、ひたすら再現することから、その画期的な発明をスタートさせたようです。さらに云えば、だからこそ、手書きか印刷か、見分けのつかないほど精巧に出来上がっているからこそ、わざわざ手書きではない、と断ることに喜びと誇りを感じていたに違いありません。

 

 私は「町まちの文字」というテーマで、生活の中の、あるいはその周辺に掲げられた、あらゆる文字を目指して訪ね歩くようになってから、かれこれ50年ほどになりますが、その間、1973年に同名の本を、75年に「祈りの文字」という2著を出しました。それ以来、画家という仕事と同時にこの文字探索の仕事も私のライフワークとなって今日に至っています。

 ここ数年、Cafe Nousというサイトのご好意で「町まちの文字を訪ねて」というホームページを作ってもらって、そこへ近頃の町の文字状況をレポートしております。(はいじまようじ/町まちの文字/と打ち込むと見られますので、どうぞ見てください)先日、読者からの興味深い投書があったのですが、それは、文字そのもの、それも活字ではなく、筆やペンで書かれた、あるいは刻まれた文字には、良いものか、邪悪なものかもしれないが、人を引っ張り込む力、引力が感じられる・・・そしてケータイや電子ブックにはその力が感じられないのは書かれた文字には、一つの文字を書き終わるまでの時間の経過があり、それが「完全に向かっていく力」として内包されているから、だというのです。すばらしい!「引力」とはまさに卓見です。

 私が文字の探索を始めたのも、まさに文字に具わる強力な「引力」に取り憑かれてのことでした。そういえば先述の2著での私のテーマは、文字の持つその引力の正体を突き止めることでした。それを一言でいえば、書道の根底を歴史的に流れるアニミズム、文字の持つ霊性の有様を、結果として訪ね歩くことに成ったのですが、かの王羲之や顔真卿など多くの書聖たちが、当時、道教の熱心な信者であったことを思えば、それも頷けます。日本では空海の飛白文字や雑体書などがもっとも濃厚に霊的なアニミスティックな書風のものです。

 私の、もう一つの「町まちの文字」のほうは生活全般にわたるものですから、商店の看板とか、基本的に芸術としての書道からこぼれ落ちたものですが、看板の文字とはいえやはりどこかにアニミスティックな、あるいは先ほどの「引力」を漂わせるのですが、俗域のことですから、それがある種の「生臭さ」となって、不思議な人間味を、みるものに呼びかけてくるのです。

 面白いのは、看板などは書道として書かれたものを、そのまま用いるのもありますが、その大方は彫刻で浮き彫りにして、文字の印象を強調したりしています。その、彫刻の段階で、文字の自然を彫刻的に整序する、と云ったことが起こり、それが一つの様式にさえなっている例もあることです。例えば永字八法でいえば「払い」や「はね」などの筆の掠れ。それは生の文字では筆先の掠れが、その文字の力強さ、躍動感をあらわす要素になるわけですが、無数の線をなして、やがて力が抜けて消えてゆきます。それを鑿で表現するために、何本かの細い線に要約するわけですが、面白いことに、一つの文字の各所の掠れの線を、7本、5本、3本というふうに分けて表現するのです。つまり七五三という吉祥数をひと文字の中に込めるわけです。折があったら三越の “マル越” マークとか “魚がし” のロゴをみてみてください。

 

*先の2著を書いてからでも、既に40年がすぎようとしている今、私はこの本の書き直しの必要を強く感じています。先ほどの投書のように、手書きのもつ引力といったものの変化についてです。よく「文字は書くもの」から「打つもの」に、私自身も文字の大半はキーボードで書(打ち)ます。コンピュータの進化が、やがて「語るもの(音声を読み取って文字化する)」になる、ということですから、コンピュータで育った今の学生には、すでにとうぜん文字に対するアニミズムや霊の尻尾からは解放され、そのかわり、造形として楽しむ、といった文字が、いや現に、商店街、飲食店など町を彩る文字たちは、目一杯色彩的で、疑似書道的で、人間臭く、踊るように身をくねらせて、ウイットだの親父ギャグだのを体現して、町にあふれかえっています。そこではかつてのアニミズムさえも動画のフィクションとして、あるいは “おまじない遊び” として、ゲームソフトのなかに収まってしまう、という時代。今度書く本で、そうした新しい文字状況から改めて文字全体/始め支配のツールとして生まれた文字の今様/を見直そうと云うものです。

(はいじまようじ   画家・編集者

 

 

1kwの人間学マイクロ・エネルギーによる新産業革命はいかにして可能か

 

茂木和行

「解き放たれた原子力は、あらゆるものを変えたが、われわれの思惟の仕方だけは変えなかった。こうしてわれわれは、比べもののない破局に向かっている。人類に生き残って欲しいのなら、われわれには、本質的な新しい思惟の仕方が必要だ」(アインシュタイン。ゲオルク・ピヒト『続・いま、ここでーアウシュビッツとヒロシマ以後の哲学的考察』法政大学出版局より)。

 「比べもののない破局に向かっている」とはよく言ったものだ。しかし、広島・長崎に落ちた原子爆弾から今回の福島原発における大規模な放射能汚染に至るまで、その間にチェルノブイリ(19864月)やスリーマイル島(19793月)での原子力発電所事故を経験しながら、人類は自分たちが「比べもののない破局に向かっている」とはおそらく思っていないのではないだろうか。人間がかかわる科学技術において、事故が100%起きないようなものが存在するとしたら、それはこの世のものではありえない。なぜなら、いかなる仕組みも物質とエネルギー・情報が組み合わさった一つの機能体である以上、まずは自然の法則にしたがった劣化や外力による崩壊はまぬがれず、さらに人知の愚かさやミスによる破壊が上乗せされるからである。巨大津波という自然力と愚かな安全神話によってもたらされた福島の原発事故は、その典型的な例に過ぎない。問題なのは、コントロール不能に陥った時、その「科学技術機能体」が発生させる害毒の大きさである。原発が比べもののない破局へと私たちを導く可能性をもつ「科学技術機能体」であることを、福島の事故はまさに示してくれた、と考えるべきであろう。

1、             新しい思惟の仕方とは何か

ヴォルテールの『ミクロメガス』(1752年)を読むと、改めて「人類はけし粒に等しいこと」を思い出す。そこから、アインシュタインが求める新しい思惟の仕方」を模索してみることにしよう

『ミクロメガス』は、シリウスの惑星に住む身の丈38万8,800mの巨人族の若者ミクロメガスが、身長1,949mの土星人を連れて地球に旅する話。彼らは、バルト海の波間に浮かぶ小さな生物を見つける。それが、帆船に乗った人間だったが、彼らにとってはダニに等しい大きさに見えた。…土星人が海に入ると脛の半ばほどが濡れる程度だし、シリウス星人に至っては踵がちょっぴり湿るほどに過ぎなかった(ちなみに、日本海溝の最深部は8,020m、世界最深はサイパン島のある太平洋マリアナ諸島の東側10,924m)。

今回の東日本大震災における津波は斜面を駆け上がる遡上高で最大40.5m(岩手県宮古市)に上った。1896(明治 29)年の明治三陸地震のときの津波は最大38 あったとされる。しかし、1771(明和 8)年に石垣島を襲った津波は高さ 85、世界では 1958 年アラスカを襲った津波がなんと高さ500mに達したという。だが、土星人にはこれほどのものでもたかだか膝の上に過ぎず、シリウス星人にとってはまるでさざなみにも等しいだろう!

(ヴォルテールは、1755年11月1日に起きたリスボン大震災を一つの題材にして、ライプニッツの楽観的な神の最善世界説を皮肉った『カンディード』を1759年に書いている。リスボン大震災の震源はヨーロッパ南西端のサン・ヴィセンテ岬から西南西約200km、マグニチュードが8.5-9.0と推定される。津波(15m)による死者1万人を含む5万5000人から6万2000人が死亡したとされ、大航海時代の強国ポルトガルの国力は衰退へ向かい、今日まで回復することはなかった。当時のGDPの3-5割が失われた、といわれている

http://ja.wikipedia.org/wiki/1755%E5%B9%B4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87

「けし粒」にはけし粒らしい生き方がある。土木技術の粋を尽くして巨大な防潮堤を造っても、自然は私たちの想定など軽く吹き飛ばす。岩手県宮古市の総延長2433m、海抜10mに及ぶ巨大防潮堤(「万里の長城」とも呼ばれていた)は、大津波の前にもろくも破壊された。東日本大震災の最大の教訓は、巨大化を続けてきた現代文明が曲がり角にあることを示してくれたことなのではないか。巨大エネルギーの生産基地・原発は、その醜い象徴として瓦礫のなかにある。

メガ(巨大)ではなく、ミクロ、すなわちマイクロ(極小)へと舵を取ること。けし粒としての人間にいまこそ求められているのは、エネルギーのマイクロ化、そのために技術のすべてを尽くしていくこと、それに合わせたさまざまな新しい文化スタイルを創造していくこと、にあると考える。そこにアインシュタインの言う「ポスト原子力」を担う、新しい「思惟の仕方」があるのではないだろうか。

2、「マイクロ・エネルギーによる産業革命」を目指す文化の創造 

新しい思惟の仕方を、現実の新しい生き方につなげるためには、「月を取りに行け、たとえ取り損ねても、そこから星を目指すことができる」(フランクリン・ルーズベルト)という大きな発想の転換が必要である。いままでとまったく違った発想で物事に対処すると、そこからもっと大きな転換が必ず待っているのである。現代文明が、巨大なエネルギーを消費することによって支えられており、とくに電力がすべての生活の基盤であることは疑いない。日本だけでも、一人あたり1時間あたりの平均消費電力は約1.3kwにのぼる統計局ホームページ/世界の統計 第6章 エネルギー

http://www.stat.go.jp/data/sekai/06.htm#h6-04より)ちなみに、2007年における日本の総発電力」は、11337億1100万kWh)。

一見すると凄い値だが、日本人一人に換算すれば1kwの電熱器を付けっ放しにしている程度の電力量である。人間が1日食べるエネルギーを2,500kcalとしてみよう(30-39歳の男性値。60-64歳は男性2,100kcal、女性は1,750kcal)。1wは毎秒1ジュールのエネルギー量、1カロリーは4.186ジュールのエネルギー量である。働き盛りの男性は1日2,500×4.186=10,465kJのエネルギーで生きている。これを単位時間当たり(毎秒当たり)のエネルギー消費量であるkw(キロ・ワット)に直すと、

10,465KJ÷24(時間)÷3600()0.1211KJ0.1211KWすなわち毎秒の消費エネルギーは0.1211kw=121wとなる計算だ。

生存するだけなら毎秒0.1w少しのエネルギーで十分な人間がその1万倍1kwの電力を生産して消費しているのである。食べて寝るだけでなく、電車や飛行機に乗り、パソコンや携帯電話を使い、原子力発電所を動かし、ときに宇宙にまでロケット飛ばす。本教育改革通信で海野和三郎が常に書いているところだが、地上に注ぐ太陽エネルギーを太陽光に垂直な面で受け取ると、1uあたりちょうど1kwになるそうだ(大気でエネルギ−が3割減衰しているので、高度が高いところはもっと率がよくなる)。太陽電池の平均電気変換効率を低めに見て10%とすると、一人ひとりが3m四方強=10uの太陽電池パネルを自家発電用に所有し、日本全体でその電気を共有できるスマートグリッド的なシステムがあれば、太陽エネルギーだけで現在の生活が可能になる計算だ。

日本の総世帯数は4,900万3,000世帯http://population-japan.com/。3m四方強=10uの太陽電池パネルを全世帯につけるだけで、約4900万kwの発電量を期待できることになる。送電ロスや電力の安定性などの問題はあるが、机上計算にしても、日本列島が“猛暑”に蔽われた夏至の日(6月22日)の東京電力管内の電力需要を十分まかなえることになる。

この単純なモデルが示しているのは、巨大技術によって巨大エネルギーを作る時代から、マイクロ、あるいはナノの超微細技術の発達によって、私たち一人一人が家庭野菜を作るように、エネルギーを自前で作る時代が近づいているという予感である。ただしこれは、単なる「エネルギーの地産地消」ではない。自分のエネルギーを自前で作るのは当たり前で、すべての人間が公共的に必要な電気エネルギーを分担して生産するまったく新しいシステムなのだ。

3、          「節電」より「創電」−遊び心いっぱいの「マイクロ発電ビジネス」を育てる

 とかくこの世は真面目すぎて面白くない。どうせなら、高杉晋作にならい「おもしろき、ことなき世を、おもしろく」人生を生きてはどうだろうか。節電するなら「創電」に工夫としのぎを削ったほうがはるかに楽しい。人力でどこまで行けるのか。ビジネスにつなげれば、爆発的に人力社会が実現する、そのための種をいくつかあげたい。

A、             発電・蓄電シューズ(スポーツ・運動分野)

圧力がかかると発電する圧電素子を組み込んだ発電床をベンチャーの「音力発電」(藤沢市)が開発し、藤沢市の入口に設置されている。体重60キロの大人が歩いた時に1枚の発電床で0.3wの電力を生じるそうで、この電力で自動ドアがあく仕組みになっている。この発想を逆転して、スポーツ選手が履くランニング・シューズや、子どもたちのスポーツ・シューズに、小さな蓄電池と「圧電素子」を組み込んだ発電・蓄電シューズを開発してみてはどうだろうか。

人が一歩歩くと、どれだけの電気が発生するものだろうか。体重や足底の面積によって異なるが、フリーエンジニアの石川雅章の試算によれば、体重60キロ、25センチの足の「私」が歩いた時、仮に一蹴り0.1Wの発電エネルギーが生じるとし、一歩の接地時間が0.2秒だとすると、一歩あたりの発電「量」は0.1×0.20.02Jとなる。発電シューズを履いて、たとえばマラソンを行い、スピードではなく発電量を競う新しいゲームを作ろう。フルマラソン世界記録保持者エチオピアのゲブレシラシエ(2時間3分59秒)は、平均歩幅183pで42.195kmを1分あたり平均185ピッチで走り抜けたので、この間、シューズは地面を2万2,808回蹴ったことになる。一蹴りあたりの発生電力量を「私」より多く見積もって0.05Jとしてみると、1,140J分のエネルギーを発生させたことになる。これを2時間3分59秒=7439秒で割れば、単位時間(秒)あたりの平均発電力が出て、0.154Wとなる。蹴りが強いので、おそらくもっと発電量が多いだろうが、仮に50人の選手が出場したとしてだいたい同じような発電力があるとすれば、マラソンレース中に毎秒5w程度の電力が供給されることになるだろう。

もちろん、これはかなりいい加減な比較で、実際どのようになるか、が本当は興味深く、発電マラソンが文化として根付けば、より電力を稼げる走り方は何か、スピードと発電量の関係は、などの研究が花開き、スポーツグッズ業界は、高性能の発電シューズ開発にしのぎを削るだろう。

もっと大きな話で、世界中の人間が発電靴を履く時代が来たとしよう。「私」は歩幅1mで1kmを12分で歩くので、1万歩を歩くのにおおよそ2時間(7.200秒)を要する。一歩あたりの発電「量」0.02Jで一万歩歩けば200Jとなり、単位時間当たりの発電量は約0.28wとなる。毎日、仮に平均して30億人が1万歩を歩いたとすると、世界では毎日30億×0.28w=8.4億wのエネルギーが少なくとも2時間程度使えるだけ発生することになるだろう。これは、84万kw分の電力に相当するから、破壊された福島原発一基分を2時間程度動かしたことになるのである。

開発進行中のワイヤレス給電の技術が進化すれば、

http://gigazine.net/news/20090828_wireless_electricity/

地球上の人類の徒歩発電分がリアルタイムでワイヤレス送電され、スマートグリッドの技術により、世界中のどこかで使われることになるだろう。

B、発電・蓄電自転車(スポーツ・健康分野)

自転車照明のダイナモで人間が発電するのはせいぜい6w程度。それでも、仮に日本人の約半数が一斉に自転車をこいだとすると、5,000万×6=3億w = 30万kw になる(ちなみに日本の自転車保有台数は8,500万台、中国、米国に次いで世界三位)。これは、計画停電が行われた時の需給ギャップ400万kw(3月15日時点)の十分の一弱にあたる。1時間もこぎ続ければ、ほとんどの人がダウンするから、バーバパパの話のようにはいかないが、電動自転車を蓄電型「発電自転車」へと発展させ、人力によって生み出された電気をカセット型の蓄電器で家庭の蓄電池へ移し、余った電気を売電も可能なようにする。徒歩発電と同様に、ワイヤレス給電によって、走っている自転車から直接電気を必要なところに送れるようになる時代が来てほしい。

この原稿を書いていたのが福島原発の事故後3か月たった6月だが、11月に本号の巻頭で「小さな詩人(minor poet)」と山崎ハコ——前に向かって逃げろ」を書いてくれている岡山県総社市在住の長谷川弘基が、人力発電・蓄電自転車を自ら組み上げ、合い・渓流沿いを走っては発電・蓄電し、iPod touchとiPod nanoの充電用に使っている、と聞いて大感激することになった。人力発電に関心の高かった長谷川は、旧ユーゴスラビアの内戦サラエボが包囲されたとき、市民自転車の発電機で夜間の光を補っていたいう話を耳にしたころから、自転車のダイナモによる発電を現実化してみたいと考えていた

長谷川によると自転車のハブダイナモ(車軸に取りつける、発電量が比較的高いもの)と整流器を使えば、通常のママチャリ発電機よりも効率的に発電できる器具は

1)シマノ(メーカー名)ハブダイナモ(1万くらい。発電量のなるべ く高いもの)

2)ドイツのメーカーが作っている整流器e-werk

http://www.bicycle-navi.net/guest/yokoaoki/uncategorized/219.html

この器具日本で買うと高い、個人輸入すれば1.5万くら いで手に入るという。

3)エネループの充電器

この装置システムを使って、ロードレーサータイプの自転車ならば20キロも 走れば単3電池が2本充電できるそうだ。パナソニックリチウム型充電池

http://masterpeace21.com/2289)

を使った場合4050キロ走れば満充電することができ、iPod touchとiPod nanoが一回ずつ充電できる。大体時速15〜20キロくらいで走っていて、1時間でエネループ2本、 2,3時間でiPod touchとnanoが充電できる勘定だそうだ

以来、「ちょっと自転車に乗ってくる」と言う代わりに「ちょっと発電してくる」と家族に言って出かける長谷川である最大の難点は、発電機の抵抗のせいで、坂道を登るのが以前よりもかなり大変になったこと。特に昔なら登れた山道が、ときどきは降車しなければならなくなったけれど、レースをしているわけではないので、大した問題ではない」と、長谷川は楽しそうである。

同じ発想で、スポーツジムのルームランナーなどに、発電・蓄電システムを組み込めば、「蓄電ゲーム」に始まり、全国ルームランナー発電大会など、楽しい無数のイベントが考えられるだろう。 

C、水飲み鳥発電(おもちゃ、教育分野)

水飲み鳥は、水に浸した頭部の蒸発熱で気圧が下がり、胴体の液体ジクロロメタンが一部吸い上げられて頭部が重くなり、こっくりと頭が下がって水に浸かる。頭部と胴体部の圧力が等しくなり、再び重たいほうの胴体が下がる。この繰り返しで水を飲み続ける、アインシュタインが「いったいこの原理はどうなっているのだ」と首をかしげたという逸話が残っている疑似永久機関である。

 このおもちゃに小さな羽根車を仕込み、液体が胴体から頭部に流れる力で発電し、蓄電するシステムを内蔵させる。手をかざすと水が蛇口から出てくるTOTOの自動水栓「アクアコート」は、発電ユニットが内蔵されており、出てくる水の勢いで内部の羽根車がまわって発電し、これを蓄電する仕組みになっている。この進化形である。子どもが毎日水やりをすることによって、充電の様子がわかるよう「見える化」する。貯金箱ならぬ「貯電気箱」である。

 4、マイクロ・エネルギー革命の未来図

 マイクロ・エネルギー社会の実現には、大きな困難が待ち受けていることは間違いないが、「元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない、成功について考えるのです」(ヘレン・ケラー)「成功するには、成功するまで決して諦めないことだ」(カーネギー)の精神でぶつかれば、不可能なことはない。

 以下に、簡単な未来図を描いておきたい。

@                 自然エネルギーのなかに、確実に「人力エネルギー」の占める割合が増えていくだろう。道路に圧電素子を埋め込めば、そこを通る自動車によって発電されるようになる。これも一種の人力発電である。音力発電によると、発電床の上を1dの車が通ると8w強の電力が生まれる。都内の主要道路に延べ300kmにわたって敷き詰めると「東京23区の一般家庭が使う電力の4割を賄える」という。

人間の体温で携帯電話に充電する技術も登場している。

http://gigazine.net/news/20090919_mobile/

A                 すべての個人が1kwの電力を生産する時代はいずれ来る。その前に、100kw, 10kwといった小規模の発電所が生まれていき、地域ごとにスマートグリッドで結ばれるようになるだろう。その全体が、日本全国でネットワーク化され、やがて一人ひとりが1kwの小さな発電所となる時代へと移行していく。

B            情報革命の進展とともに、ハード機器の値段は下がり続けている。すでに、携帯電話の端末機器は、月々に支払われる通信料の形で償却され、実質的にゼロ円となっている。電気代も、1kwの電力生産設備がプロバイダーによって貸与する形式となり、通信と一体となって、事実上はソフトやアプリケーションへの支払いのなかで償却されるようになろう。つまり、電気代も実質ゼロ円の時代がやがて確実にやってくる。巨大電力発電会社である東電などの企業は、電気網などの施設業者として、生き長らえるしかないだろう。

(本原稿は、2011年6月25日に港区南青山の「青山生涯学習館」学習室で行われた千代田フォーラム主催の討論会「いま、日本の原発問題を考える」において、討議資料の一つとして発表したものに、手を加えたものである。私が仕事量と仕事率の概念を明確に把握しないまま計算をしたために生じた多くの誤りを指摘し、正してくれたフリーエンジニアの石川雅章に深く感謝する。ただし、さらなる誤りがあったとすれば文責はすべて私にある。また、「人力発電・蓄電自転車」の箇所は、実践している長谷川弘基のおかげで、現実性が極めて高くなった。深くお礼を申し上げる)

( 編集 茂木)