私達の教育改革通信
第 150号 2011/2
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先事館制作室:進士多佳子〒106−0032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910
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大気エアロゾルの気候影響
向井苑生
刷毛ではいたような筋雲の向こうに広がる青い空は無垢に美しく透きとおって見える。しかし地球大気には、酸素・窒素・二酸化炭素といったガス状の空気分子から大気エアロゾルと呼ばれる一万分の一ミリサイズの煙霧状微粒子まで、様々な粒子が入り混じっている。空気分子と異なりエアロゾルは季節や場所によって量や組成を変える。この移ろいやすさ故に、ちっぽけな大気中の「塵」であるエアロゾルが地球規模の気候変動や放射収支に重要な役割を果たす事になる。放射収支とは地球大気に入射する太陽光(放射)の出し入れのバランスで,「入」が「出」を上回る状態が地球温暖化現象である.エアロゾルの気候影響は、(1)エアロゾル自身が太陽放射を散乱吸収することにより地表面に到達する太陽放射量を変化させる直接効果、と(2)水溶性エアロゾルが雲粒生成の核として雲の放射特性を変える間接効果が知られている。間接効果には、エアロゾル数の増加が雲粒数を増加させて雲の反射率を増加させる第一種間接効果と、エアロゾル数の増加が降水を抑制することで雲の寿命を延ばす第二種間接効果がある。さらに、(3)放射収支は大気
循環の機動力であることから、エアロゾルの直接効果 間接効果によって引き起こされる放射収支の変化が循環場を変動させる影響も無視出来ない。
エアロゾルは自然起源と人為起源に大別される。自然起源タイプは風波による海洋性エアロゾル(海塩粒子)や、陸域のダストエアロゾルがある。植物の呼吸によってもエアロゾルは生成される。アジアは自然起源エアロゾルの代表であるダストエアロゾルの発生源で、全球におけるダスト4大発生源の1つと言われている。特にダストの発生が多いのはモンゴル・中国北部のゴビ砂漠や中国西部のタクラマカン砂漠、中央部の黄土高原などの地域である。この地域で発生した砂や土が砂嵐(ダストストーム)によって巻き上げら、上空の偏西風に乗って数千kmも輸送される。東アジアではダストエアロゾルは、その色から黄砂と呼ばれる。中国大陸から偏西風に乗って飛来する黄砂性エアロゾルは、昔から「春かすみ」現象として日本の春の風物詩となっている。しかし中国大陸の砂漠化に伴い過剰に増大した黄砂は、季節の到来を告げる「春かすみ」の域を超え、甚大な健康被害、生活・環境影響をもたらしている。通常のダストエアロゾルは温暖化(毛布効果)より、むしろ冷却(パラソル)効果の方が大きい。しかし黄砂粒子は長距離輸送の過程で人為起源粒子を巻き込み変質して、アジアンダストと呼ばれる独特な特性を示す。更に、中国を主とした東アジア域においては、産業活動や燃料消費に起因する人為起源エアロゾルの増加も著しい。これらの大気汚染物質は気団に乗って周辺の国々に流れ出す。偏西風の風下に当る日本は、大量に発生する中国産の越境汚染物質をまともに被る事になる。ここ数年、日本では季節を問わず光化学スモッグ注意報が発令され高濃度オキシダントが頻発している。人為起源エアロゾルは産業活動に起因するだけではなく、焼畑などによっても大量に生成される。エアロゾルは自然活動と人間活動が複雑に絡み合って、その組成や生成量を変えながら大気汚染を引き起こし、また気候へ影響を及ぼす。
ここでは、観測データと数値モデルシミュレーションの解析から得られた「大気エアロゾルが放射場や気候に与える影響」の一例として,東アジア(特に中国)において燃料消費による人為起源エアロゾル(汚染物質)の増加による日射量や雲場の変化を紹介する。(1)エアロゾル増加と日射量変化:燃料燃焼起源エアロゾル増加の顕著な東中国域において,観測データが日射量の大きな減少を示している.また,この現象は数値モデルにおいても再現され、エアロゾルの直接効果が強く寄与していることがわかった。このように、日射量の時空間変化にエアロゾルが強く影響し、中国における日射量減少の主要因はエアロゾル増加だと考えられる。(2)エアロゾル増加と雲場変化:数値モデルシミュレーションでは、エアロゾル増加に伴って雲の光学的厚さも増加する。また、間接効果により低層雲量を中心に雲量の増加がみられる。一方、中国南部の夏には、エアロゾル増加による冷却効果が原因と考えられる雲量の減少がみられた。(3)エアロゾルの直接効果、間接効果:エアロゾルの直接効果は、エアロゾル量増加に比例する事が数値モデルから再現された。これに対して、エアロゾル間接効果は地域や季節によって異なる。従来の第一種、第二種間接効果で予測されるよりも大きな間接効果がみられた。使用したモデルは海洋混合層を結合させているので、エアロゾル増加の影響が海面水温変化や循環場変化に及んだものと考えられる。
エアロゾルの気候影響を正確に評価するには、エアロゾルの種類や分布を正確に把握する必要がある。そのためには、精密数値モデルの開発やエアロゾル排出量データの充足と精度向上、衛星や地上から観測が不可欠である。近畿大学本部キャンパスが在る東大阪市は,中小規模工場が立ち並ぶ「モノ作り」の街として有名である。 当然、人間産業活動起源の大気微粒子の発生も多い。同時に瀬戸内海・大阪湾から海洋起源の大気粒子(大気エアロゾル)も流れ込む。更に、春には中国大陸から黄砂粒子が運ばれて来る。近畿大学上空には、自然起源と人為起源の微小粒子が混在していると言える。このような背景に基づき、当環境情報システム研究室では、1996年以来、アジア都市域における大気粒子特性の解明を目指し、近畿大学東大阪キャンパスにおいて大気モニタリングサイトを展開し、継続的かつ集中的に大気粒子観測を実施している。現在は近畿大学38号館屋上において、NASA/AERONET標準放射計、国立環境研究所のミー散乱ライダー (NIES/LIDARネットワーク)、さらに浮遊粒子状物質(以下PM)サンプリング機器、全天画像撮影装置等の地上大気計測機器を設置稼働し日夜大気環境監視を続けている。
カタヅケ屋とチラカシ屋
中條利一郎
世の中の人はカタヅケ屋とチラカシ屋のどちらかに分類される。その他に何もしないのがいると言われそうだが、それをカタヅケ屋とチラカシ屋のどちらかに育てるのが教育である。物理学者はカタヅケ屋の雄である。対極に化学者や生物学者がいる。昨今の生物多様性という概念はそのことを端的に表している。物性物理学と言うのは、化学者が散らかした中から、共通の概念を抽出して片づけようとする学問である。生物物理学と生物学者との間にも同様の関係がある。反対に、世の中そんなに簡単なものではないと、次なるチラカシをすることに化学者、生物学者のレゾンデートルがある。「教育改革通信」の126号と146号の拙稿をお読み頂いた方には、高校の科目選択性を廃止せよという筆者の持論の展開とお気づきであろう。そのとおりである。
筆者がお世話になった方も大半は鬼籍に入ってしまわれた。それらの中に東京大学教授だった和田八三久先生という方がいらっしゃった。カタヅケ屋とチラカシ屋という分類は和田先生の受け売りである。また、北海道大学に相馬純吉先生という方がいらっしゃった。同先生によると、A=Bと言えば喜ぶのが物理学者で、A≠Bと言えば喜ぶのが化学者だそうである。和田先生の言葉を借りると、前者がカタヅケ屋、後者がチラカシ屋ということになる。どちらも傾聴すべきお言葉と思うが、両先生ともそのことを活字にすることなくご他界になっている。それを筆者なりに敷衍するのがこの稿の目的である。
上記の筆者の主張への反論がある。主として、文科系のコミュニティーからのもので、高校で習ったことを何でもかんでも理解して生活を続けている訳ではないというものである。高校で教わったことの中に、現在、役だっているものとそうでないものがあるから、それらの科目間の連携をとる必要はないということのようである。筆者はこの意見に賛成するものではない。だからと言って、縁なき衆生と突き放したのでは教育にならない。まずは、筆者の持論に反対の方のレベルまで降りて行って、筆者の持論のレベルまで引き上げることを試みよう。そのためには、学問以外にも役に立つという、肩の凝らない例がいいであろう。
筆者はいくつかの遺跡の長さの計測値(群)をフーリエ変換して、当該遺跡の建造に使われた尺度を求め、遺跡の文化的背景を求める仕事をしている。例えば、30, 60, 90cmという計測値があったとしよう。フーリエ変換などと難しいことを言わなくても、30cmを単位とする尺度が使われていたことは容易に推測出来る。では、35, 65, 95cmならどうだろう。この場合、30cmを周期にしていると言えても、30cmを単位とする尺度とは言えない。フーリエ変換は、元来、周期を求めるものであって、尺度を求めるものではない。そのための工夫が必要であるが、それはこの稿の目的ではない。兎にも角にも、尺度が求まったと思って欲しい。
わが国の歴史上の時代はいくつかに分類される。いくつかに分類するところはチラカシ屋の発想で、一括りに纏められたものの中ではカタヅケ屋の発想が支配的である。そういう時代区分の一つに古墳時代というのがある。3世紀の後半から7世紀の半ば頃までがこれにあたる。更に細かい分類があり、古墳時代終末期というのがある。大体、6世紀の終わり頃である。上で、7世紀半ばまでが古墳時代と書いたが、畿内では7世紀には、殆ど、古墳が見られなくなるので、6世紀の終わり頃でも終末期という訳である。この時代の古墳群で、岩屋山式古墳にカタヅケられる一群の古墳がある。奈良県明日香村の近鉄吉野線の飛鳥駅のすぐ裏手に岩屋山古墳というのがあり、それに代表させた命名である。これとは別に、兵庫県高砂市に石の宝殿と呼ばれる石造物がある。JR神戸線に宝殿(ほうでん)という駅がある。勿論、石の宝殿に因んだ駅名で、同駅よりもう少し姫路寄りの海側にある。むしろ、生石(おうしこと読む)神社のご神体と言った方が、土地の人にはわかりやすい。考古学界では、両者は、ほぼ同じ時代に、同じ工人集団によって建造されたというのが定説になっている。両者の長さの計測値を、カタヅケ屋の発想に立って、共通の尺度を求めようとしても、うまく行かない。一方、岩屋山古墳群(10古墳)を一括りにカタヅケ、共通の尺度を求めると、24.8cmの尺度が得られる。一方、石の宝殿からは32.0cmの尺度が得られる。私は大学で物理学を専攻したが、だからと言って、何でも一緒にしてカタヅケるのではなく、どこに閾値をおいて、カタヅケとチラカシに、柔軟、かつ謙虚に対応することを心がけている。24.8cmという尺度は、当時、和銅小尺という名前で用いられていたものであり、一方、32.0cmは、当時のわが国では、他に例がない。
松本清張という優れた推理小説家がいた。一昨(2009)年、生誕100周年を迎えたが、今でも彼の作品がテレビドラマ化されると、ヒット間違いなしという大家である。彼は、また、歴史学にも造詣の深い人であった。考古学者や歴史学者からは評価されないまま、生涯を終えた。何故か? 客観的な閾値を持たず、自分たちの仲間かどうかにしか判断の基準を持たない人々からは、彼はあちら側の人だったからである。彼は石の宝殿にゾロアスター教の影響が見られると言っていたが、一顧だにされなかった。上記の32.0cmという尺度は古代ペルシアで用いられていた単位のqadamというのと一致する。それでも、考古学者らの態度が改まる兆しはない。無理にカタヅケようとしないで、どこまでを一緒にすべきかを判断できれば、自明のことであるのに!
どこかの大学でカタヅケ屋とチラカシ屋について教育しているという話、寡聞にして筆者は知らない。しかし、この一文を読んで、かつての先生や先輩の発言はこういうことだったのかと納得された方は多いと思われる。言葉以前の水面下の教育(寺子屋式以心伝心教育?)を顕在化させたものとして、お読み頂ければ幸いである。
アインシュタインの手紙 田丸謙二
4年ぶりにヨーロッパに旅をしての第一の印象はヨーロッパ連合が現実に実現して来た実感であった。 私が初めてヨーロッパを旅したのは1960年の夏であった。 オランダからパリーに入ると途端に通貨は換わる、フランス語でなくてはならない、そんなガラリと変わる雰囲気であったものである。 国が変わるごとに通貨を換え、コインが換わらずに残り、言葉が変わり、周り全てが違う国に来たな、という実感がはっきりとしたものである。国際学会参加のためにパリーに来た友人は
air terminal まで来てタクシーに乗ったが英語が通じず、英語の出来る人を探して目的地に到着したという。 ある人がパリーでこんなに英語も通じないところなんて、と言ったら、英国人は言っていた,"ロンドンでフランス語を使ってみれば解るよ、全然通じないよ"、と。 今度はどうだったであろうか。 まずユーロという共通の通貨を使っているし(チェッコは未だだったが)、大都市は古い建物に換わって近代的な建物が立ち並ぶと、各国がみな共通の雰囲気の中にあるようになる。 パリーでも昔に比べれば比べ物にならないほど英語が通じるし、「英語できる?」と聞くと、出来ない場合は首を横に振りながら一応申し訳なさそうな顔つきをすることが多い。 4年前にパリーに来たときとも格段の違いである。
第二次世界大戦が終わって、ホッとする間もなく、欧州も日本もメチャクチャになっている状態でありながら、スターリンの率いるソ連と原爆を持つアメリカとで今にももう一度戦争をするかも知れない緊張した雰囲気であった。 私は当時、若気の過ちとでも言うのであろうか、亡父が知っていたアインシュタインに直接手紙を出し、人類はどうしてこんなに馬鹿げたことをするのであろうか、と書いたのに折り返して、アインシュタインから直接私に宛ててお手紙を頂いた。我が家の家宝の一つになっている。その中に曰く
,I see only one way for the individual to serve the
cause of peace: that is to work for the World Federalist Movement and to
resist in private life exaggerated nationalism in every way. Albert
Einstein
あれから半世紀以上。 勿論当時は世界連邦などとてもとても現実の問題として考えるどころではなかったが、今となって見ると、彼の残した言葉が現実味を帯びた生きた言葉になっていることが解る。世界はまだまだ沢山の問題を孕んでいるけれども、長い目で見れば現実は着々と変わる方向に変わりつつあるようである。 ヨーロッパ連合はよいとして、今にアジア連合も話題になってくるのではなかろうか。 互いに戦い合ったドイツとフランスの現在の関係を見ても、自分の国の国民を元気つけるためかも知れないが、隣の国の悪口を何時までも言っていたりすることはもう止めて、大人の行動をとることである。情報化に伴い世界化は否応なしに進むのではないだろうか。
(2004年8月3日)
パリーでの国祭学会に出席した。 参加者二千人近くの盛況であった。 4年に一度の学会で、前回はスペインのグラナダであったが、その間に一段と老けた友人もいるし、90歳を超えて矍鑠としている先輩もいる。 名前が思い出せない幾人かにも会った。 親しげに声をかけられると、胸の名札をしげしげと見るわけにもいかず、調子を合わせるのに苦労をする。 お互いに健康を祝し合いながら、楽しい昔話など、ただ会えるというだけでも貴重さが身に沁みて感じられるものである。 丁度7月14日の「パリー祭」ではCongress
dinnerと称してセーヌ川の上で船の中でのパーテイであった。 たまたま一緒した娘一家も加わり楽しいお付き合いであった。 孫のレオ(中学3年)が「おじいちゃんはどうしてそんなに友達が多いの?」というので、おじいちゃんは前にこの学会の会長だったんだよ」と言ったら意外そうな顔をしていた。 今回はこれまでになく大勢の中国人が参加しているのが目立っていた。 セーヌ川の上で派手に花火が上がり、見事なパリー祭の夕べであった。 当日の昼にはパリーの大通りをパレイドが音楽とともに行進をし、空にはジェット機が群れを成して威容を誇らしげに空を圧していた。昔の国を守る軍隊の強さを誇る意味を持つパレイドもヨーロッパ連合になってくると何かしっくりした感じが薄れて来たようにも感じられてきた。
パリーの学会が終わって、オランダにいる50年余りの間の親しい友人が是非是非と言うので、そちらに廻り、チェッコのプラハで娘一家と再び一緒になり、暇な4日を過ごしたものである。 プラハは娘の学会発表と言うことでの付き合いでもあったが、これで4度目である。 最初の訪れは1960年、未だに共産圏との間の「鉄のカーテン」が硬く、公務員の身分での訪問は数日待たされたものである。 丁度夕立の直後飛行機がモルドウ川(土地ではブルタバ川という)の上を低く旋回して降りて行く時の夕陽に照らされた森や川の輝きは息を呑むほどの美しさで、スメタナの曲を思い出せていた。 その折にプラハでは大変な歓迎であったが、その時に中心的に迎えてくれた人たちの幾人かはその後の所謂「プラハの春」と言っただろうか、ソ連軍が進駐した折に国外に逃げてしまった。送油パイプもひけて これからよくなる、と希望を持って話してくれた友人もその中にいて、オランダに移住してしまった。 確か1968年であったか、「プラハの春」の直後に訪れたときは、非常に暗い印象であった。親しいZ君が私を自分の家に招いてくれたが、外人を自分の家に招くことはその時勢では決して歓迎されないことでもあったが、温かく迎えてくれた。 あの頃はあの教授はこう言っていたと、言いつけられて炭鉱送りになった人もいたと言うし、Z君も自分の息子は大学には行けないんだ、自分が共産党でないから、と話していたものである。 今から12年前にテニス仲間など十人近くと一緒に訪れたときは、Z君は文字通り至れり尽くせりのもてなしをしてくれた。街の案内は勿論のこと、教会での音楽会、美味しいレストランとピルゼンのビールなど、一緒の友人が後々まで感謝をしてくれていたものである。 共産党の時代が去って、彼はアカデミーの会員を選ぶ委員会の長になっていた。 政治的に選ばれていた連中の再審査であったと言う。 彼は本当にプラハを愛し、誠実で心の温かい私の大好きな友人である。 自分が生きている間にこんなことになろうとは夢にも思わなかったと実感をこめて話してくれた。 彼の息子さんも大学に行ったとのことである。
2通の「アインシュタインの手紙」 海野和三郎
教育通信145号(編集:湯浅。川東)に,「拝啓:アインシュタイン様」という一文を書いたことがある。「ヒトは何故戦争をするのか?」、国連が1932年に「人間にとって最も大事だと思われる問題を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わして下さい」とアインシュタインに提案したのに対する問題提起であった。アインシュタインの選んだ相手はフロイトであった。彼自身は、戦争は人為の業であるから「国家より上位の機関」に「法」の「権力」を持たせてはどうか、という提言をしているが、フロイトは、「永遠の平和」を達成するのに、戦争は不適切な手段とは云えないとし、両者の結論として「将来の文明が生み出す心のあり方への希望」と「将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安」(原爆戦争?)とが挙げられている。あれから100年近く経った現在、日本流の見解としては、「法」と言うより、もっと根源的な玉城康四郎流の「如来蔵(タータガータ)」に立脚すべきであり、原爆戦争の脅しも必要であろうが、同時に、植物の光合成よりも10倍100倍効率よく利用する非結像集光による太陽エネルギー利用や火山島地下1000メートルでの地熱海洋発電などのエネルギー革命による新人類への進化を、これからの20年で進める必要がある。物理学に於ける稀代の大天才であるアインシュタインは、人倫のあるべき姿に対する鋭い論理を展開するが、国家社会などの複雑系に対する論理はフロイトに補われた。しかし、荘子の混沌の論理・東洋的な無や空の創造性、それらを統合した宇宙的な「如来」思想には達していなかった。老子の「三から万物」はご存知なかったであろうし、「フェルマーの最終定理」の証明も、南部・小林・益川の「第3世代のコークの齎す自発的非対称性」も出されていなかった昔のことである。
ところで、表題に挙げた「アインシュタインの手紙」のもう一通は、以下に掲載するが、これは数十人の超一流の化学者を弟子に持った日本の化学界の重鎮である田丸謙二さんに宛てた手紙で、田丸家にはこの他家宝として、お父上の田丸卓郎先生(ローマ字でRIKIGAKUの著書がある)の頃からのアインシュタインとの交友の書簡がある(田丸さんのインターネットホームページで検索可能)。以下は、その一つ(November 27,1949).
Dear
Mr.Tamaru:
Thank you for your letter of November
18th. I see only ‘one
way’for the individual to
serve the cause of peace: that is to work for the World Federalist Movement and
to resist in private life exaggerated nationalism in every way.
All physicists felt it very justified and satisfactory that Yukawa
received the Nobel price. I am
feeling very sad indeed about the hard conditions of life now prevailing in
With my best wishes,
Sincerely yours,
Sign:A.Einstein
Albert Einstein.
はやぶさとクマムシの衛星実験と
深海底古細菌実験 法橋 登
はじめに
自律航法による宇宙物質と生命物質の探査を目的にした探査機はやぶさがイトカワから地球に帰還する途中の2008年に海外で地球軌道上の衛星を使った動物実験と深海底での微生物探査実験が行われた。はやぶさがイトカワから持ち帰った試料は分析中であるが、海外での二つの実験はインターネットで公開されているので概略を紹介してみたい。
はやぶさの宇宙実験
2003年5月に宇宙航空研究開発機構から打ち上げられ、2005年夏に小惑星イトカワに到達した探査機はやぶさが2010年6月に地球に帰還した。持ち帰ったカプセルから直径10‐0.5マイクロメートルスケールの微粒子が光学顕微鏡で約100個確認され、リング加速器SPring-8を使って太陽系形成初期の宇宙物質や生命起源関連高分子の有無か明らかにされる。
クマムシの衛星実験
はやぶさがイトカワを離れて地球に帰還中だった2007年99月に欧州宇宙機構航空宇宙医学研究所(1)はクマムシを入れた容器を地球軌道に打ち上げている。クマムシは緩歩動物部門に属する体長約50マイクロメートル、2対8脚の無脊椎微小動物で、過去の実験ではマイナス200度から1200度までの温度範囲や真空から1500気圧までの圧力範囲で生きることができ、無酸素では寿命をさらに延長することができた。また人間の致死量500レントゲンをはるかに超える750レントゲンの放射線によって受けたDNA損傷をすぐ修復できた。
衛星実験では水分を体重の85%から0.005%まで下げて乾眠(仮死)状態にしたクマムシを容器に入れて地球軌道に打ち上げたあと軌道上で容器を開き、宇宙放射線と太陽光に10日間曝した。衛星回収後容器に水を加えると10数時間後に700匹のうち3匹が蘇生した。
クマムシ衛星打ち上げの目的は極限環境での小動物の例外的な耐久力と自己保存力が一個の特別なDNAに由来するのか、特殊な生化学反応を利用しているのか、宇宙航空医学の研究を進める上の手がかりを得ることだった。はやぶさの次のミッションにはクマムシの生殖実験を追加したい。
深海底での古細菌発見
クマムシ衛星打ち上げの翌2008年にインド洋やマリアナ海溝深海底熱水孔や深海底地下の嫌気環境で発見されたマイクロメートルスケールの細菌群ー好熱菌、高度好塩菌、メタン生成菌などーは細胞膜の物理化学的構造や蛋白質合成機構などから生物進化の系統樹上で約40億年前とされる生命起源に近い位置を占めることが分かり、古細菌と呼ばれるようになった。たとえば産業革命以後急増して地球温暖化ガスとされるメタンの2/3はメタン生成菌由来である。
古細菌の産業利用
高度好塩菌の子孫は今でも死海のような塩湖ばかりでなく食品の味噌や漬物の中に住んでいるが、たとえば漬物の中の好塩菌の細胞膜は光感受性をもち、光のエネルギーを利用してプロトンを膜外に汲み出し膜内外の塩分濃度差を維持している。プロトンポンプと呼ばれる電気化学機構である。この濃度差が生み出す電気化学ポテンシャル(自由エネルギー)は脱塩や生命活動に必要なエネルギー通貨アデノシン三燐酸の生産に使われる。また好熱菌が生産する耐熱酵素を利用して一本のDNA鎖の鋳型から相補的なDNAを合成する技術(2)は1993年度ノーベル化学賞の対象になり現在産業化されている。
参考文献:(1)K. I.
Jönson et al. Current Biology, 18 (17)(2008) 729. (2)D. Silverstein et al. Nature
465 (2010)1039.
世界経済と資本主義的経済制度の破綻
菅野礼司
現代社会は、通信・運輸の発達により、必然的に全地球は一つに結ばれている。グローバル化によって世界の政治・経済や情報・文化の繋がりは緊密化し、環境、資源・エネルギーなど多くの要素が複雑に絡み合っている。グローバル化時代には、通常の熱力学的法則(エントロピー増大則)に従えば、世界中の人類社会は平均化され統一化が進むはずであるが、現実は逆で地域格差や貧富の格差がますます拡がっている。このような現象が起こりうることは、複雑系の科学によって理解できる。システム(社会・国家または世界)の構成要素の数が多大であり、それら要素が多くの要因により複雑に絡み合っていれば、自己組織化が起こり、部分的に不均一化が生じてそれが自己増殖し増大していく。つまり地域格差や富が一部に集中するような現象が起こりうる。また、近年の世界経済は不安定であり、情報化社会では局所的小さな原因が契機となって、瞬間的に世界恐慌を引き起こし易い状況にある。このようなカオス的現象が生じうるのも、複雑系の特徴である。
今の世界は政治・経済が非常に不安定であり、この状態は改善の見通しが立てにくい。世界経済と資本主義的経済制度が破綻しかかっているように思える。その根本的原因は、資本主義的市場原理優先の経済制度と、技術革新による高能率と利便性の追究による浪費にあるだろう。その根拠を挙げて分析してみよう。私は自然科学が専門なので社会科学に関しては素人であるが、その素人の目で見、感じたことであるから、間違いや見落としが在るであろうが、的外れではないと思う。
1.先進国の国家財政破綻の危機
急激な金融危機の裏に慢性的経済危機が世界を覆いつつある。それは国家経済の破綻の恐れである。日本とアメリカを筆頭に、ほとんどの先進国は累積する赤字財政に悩んでいる。国家ばかりでなく地方自治体も同様な傾向にある。その国家財政の赤字(赤字国債)は増える一方で、急速な景気回復でもない限り減少する見込みはほとんどない。それと平衡して多くの地方自治体も経済破綻の瀬戸際にある。
近年、世界的金融恐慌や経済危機が立て続けに起こっている。アメリカのサブプライムローンに端を発して、リーマンショック、原油価格の乱高下、ドバイ経済危機、ギリシアに始まるユーロ圏の危機など、今後何が起こるか分からない程不安定な情勢である。グローバル化の時代には、政治・経済の不安定な状況は全世界に拡がりカオス現象を引き起こしやすい。一国の経済危機は全世界を揺るがす。
文明が進むに従い人類社会の仕組みがどんどん複雑になり、国家の機能・役割も多様化し肥大化した。科学・技術の進歩はそれに拍車を掛けてきた。今や平均的な日常生活に必要な設備や物品は非常に多くなり、家庭の出費は昔に較べて何十倍にも肥大化したことからもわかるように、それと同じく国家の財政も莫大な額に膨らんだ。軍事費、公共施設費、教育・研究費、社会福祉費、医療保険費、環境保全対策費などなど、種類も金額もどんどん増えてきたし今後も増大するばかりであろう。そのジレンマを脱するためにと「小さな政府」を目指して、規制緩和と民営化の構造改革を推し進めたのがアメリカの新自由主義と市場原理優先政策であった。その結果が貧富の格差拡大、社会の歪みと矛盾の拡大であった。
今の状況が続けば、遠くない時期に経済的に破綻する国が続出するのではなかろうか。日本はその先頭を走っているように見える。グローバル化された世界では、どの国も似たような状態にあるから、一つの国が倒れるとドミノ式に波及して世界経済は破綻するだろう。一国の経済破綻は関係諸国の援助で一時的救済は可能であろうが、世界の先進諸国の一斉破綻では救済の手を差し伸べるものがない。
2.技術革新で効率・便利さ追究:無駄と贅沢、
非必需品の増大
人類の飽くなき利便さ追究により、科学・技術の発達で生活は実に便利になった。その反面、日常生活にとって必需品以外の設備が次々の増えている。一般家庭でも便利な機器を多く備えるようになり、昔に較べて家計の出費は増大するばかりである。これが貧富の相対的格差を生む一つの要因であろう。
本来、科学・技術の発達は生産能率を上げるから、一人ひとりの労働時間は短縮され、かつ社会全体の富は増加するはずである。しかし、新たな技術を用いた産業や仕事が生まれ、社会の全仕事量はかえって増大する。それゆえ、全労働時間は増え、失業者は減るはずだが、現実は逆で職場の労働人口は増えず、一人の労働時間は延長されて過労死まででる始末である。この原因は労働配分が歪んでおり、富の分配制度の不公平さにある。そのために、失業者をつくり、低賃金の労働者を増やしてきた。こうして経済的格差が増大した。その上に、家庭の生活費が増大するような便利さを求める社会のために、一層生活困窮者が増えた。
一方では飢えと生活苦に喘いでいるのに、他方では極度に贅沢な生活がある。また金余り現象で投機資金が世界経済を掻き回している。人類社会はいろんな面で極度の二極化が進み、多くの矛盾が蓄積される一方である。
技術革新の持つ矛盾:地球環境の悪化,特に地球温暖化は急速に進んでいて,もはや猶予できないところにきているように思える。地球環境保全のために,CO2排出の削減や省エネルギー技術の開発の必要性がしばしば唱えられている.国連を初め日本政府もその方針を打ち出している。環境破壊を防止して地球を救うのも,科学・技術での力が大変有効かつ不可欠であることは間違いないから,その方針に反対するつもりはない.しかしそのような方法には限界があるし,そればかりでなく,その新技術も使用法によっては逆にエネルギー消費を増やしたり,新たな環境破壊の要因を生み出したりする可能性があることを認識すべきであろう。技術も使いようで益にも悪にもなる。
大型機器の小型化は、その製造のための資源が節約されるし,運転のためのエネルギー消費量が大幅に減る。それゆえ,環境破壊を阻止するのに大変有効であるように思える。たとえば,コンピュータの場合,半導体のICチップス技術が進んだために,大容量メモリーの大型コンピュータの小型化で資源と電力の節約は計り知れないであろう。また,超微細物質を操作し細工するナノテクノロジーの進歩は,多方面で機器の小型化を可能にしつつある。これらの技術開発により,非常に多種機器の小型化が進み,莫大な資源とエネルギーの節約が可能になる。だが喜んでばかりはいられない。コンピュータの小型化により,パソコンが一般家庭にまで大量に進出し、今では携帯電話機がそれに替わろうとしている。その結果,社会全体で見れば,パソコン・携帯電話の全台数は指数関数的に膨れ上がり,その製作に必要な資源量と電力消費量は大型コンピュータ時代に較べて却って急増した。さらに技術革新によるIT機種の改良は日進月歩であり、IT企業は生き残りをかけて次々に新機種を売り出さざるをえないようになっている。そのために使い捨てと売れ残り商品の廃棄の無駄は目に余るものがある。
この状態はIT産業に限らない。身の回りを見れば家電機器をはじめ、自動機器、事務機,医療機器などいくらでもある。この種のものは,その機器が便利であればあるほど,また情報化社会が進めば進むほど,需要が増大し普及する。それにつれて人間の欲望もまた増大する。まさに悪循環である。市場原理優先の資本主義経済制度のもとでは、全ての産業(製造からサービスまで)は技術革新に追われて走り続けねば倒産に追い込まれる。また、経済成長が3〜4%に維持されねば社会(あるいは国家)は不況になり、その機能が保てないようになっている。だから、建造物や機器はある時期に建て替えや買い換えねばならぬように設計されているという。このままでは、この状態をいつまでも継続できるはずはない、早晩破綻するだろう。「持続可能な発展」は無理である。
妙な経済学:現代の経済学は人類社会に格差のあることを前提にしているという。ただし、その格差を是正するために、市場競争で豊かさを達成し、その成果を分配し直すことで格差を是正すべきであるというのが、多くの経済学者の総意に近いそうである。しかし、その成果としての富の分配法を正す役は政治である。今の政治にその力があるだろうか。資本主義的市場原理を変えずにそれが可能であろうか。そのような経済学舎は無責任ではないか。 また、地球環境のことを考えれば、これ以上生産力や経済力を市場競争で伸ばして、使い捨て生活を続けることは許されないだろう。全ての人間が安定した平均的水準で生活できるように均せば、すでに人類の総人口は地球の収容能力の1.2培に達しているそうである。だから先進国家は、経済的格差の是正を人為的に遅らせていると思いたくなる。
3.不安定な政治・経済
人類は環境破壊、食料・資源不足、人工過大などいくつかの問題に直面している。また、ほとんどの国家は経済的な困難を抱え、不安定で破綻の縁にある国も少なくない。世界経済もいつ大恐慌が起こるかも分からない不安定な状況にある。
そのために、政府は一時逃れに金融緩和政策をとるから、金余り現象で投機資金がだぶついている。 物を作るよりも、投機資金を動かして大儲けをしようと金融工学が生まれ、マネーゲームが盛んになった。また、食料・資源・エネルギー不足につけ込んで、多国籍企業や投機屋が物価を操り、世界経済を席捲している。いまや一握りのそれら多国籍企業や投機屋が国家・社会を動かしている感がある。そのような投機的動きは規制すべきだが、今の市場原理主義には限界がありあまり効果がない。
社会活動が多様化し多くの構成要素が複雑に絡み会っている現代は国家の政治・経済のシステムは複雑系である。まして、世界が一つに結ばれれば一層複雑なシステムとなる。それゆえ、内部に自己組織化の作用が起こり、不均一な部分系ができる。すなわち、いろいろな組織や仕組みが生まれうる。また、不安定な状況では、小さな作用が増幅されて巨大な効果を生むカオス現象が起こりやすい。情報・運輸ネットワークが発達したグローバル社会では、ごく短時間にカオス現象が全世界に拡散する。
近年の世界情勢は、先進国も発展途上国も政治・経済的に不安定であり、そこに投機資金が動くので、カオス現象が起こりやすい。リーマショック、ドバイ危機、ギリシア危機などが次々に起こり、それら一部の危機が瞬く間に拡大されて全世界に波及する。
日本に目を向けるなら、経済不況の時代には社会福祉費などが増える一方で国家の支出は増すが、税収は減る。まして増税はできない。この状態がいつまで許されるのか。日本の赤字国債は国内で消化されていて、外国金融に依存してないからまだ大丈夫だとの説もあるが、ものには限度がある。ついに日本の債券の格付けが下がった。「量的変化による質の転化」という法則がある。量的変化がある限度(臨界値)を越えると質的転換が起こる。その質的転化はこの場合、国家財政の破綻である。
4.議会制民主主義が機能不全
もう一つ、議会制民主主義がマンネリ化してまともに機能しなくなったことが、この危機を脱出することができない原因である。それどころか、むしろ危機を増幅しているように思える。
国家財政の危機や、世界経済の不安定性を克服するには、国民の痛みを伴うような思い切った政策転換も必要である。それにはリーダーシップのある政治家が求められる。大量の赤字を抱えた国家財政を救うには、増税は不可避であろう。経済を活性化させれば税収が増し、国家財政は改善されるという説もあるらしいが、それにも限度がある。第一、いかにして経済を活性化させるのか。その手だてすら見出せずにずるずるとると現状に追従している。以前の経済バブルのような活況は不可能であるし、もうご免である。
このような状況では、議会制民主主義の矛盾・弱点が浮かび上がってきくる。政治家・議員は当選するために集票を最優先させて選挙民の顔色を気にするから、この窮状を脱するためのまともな政策を掲げて選挙を戦わない。そのようにして当選した議員達は、議会で建設的な政策をつくる議論よりも、党利党略のための非難合戦、揚げ足取りに多くの時間を浪費している。そして世論調査の数字ばかり気になり、その数値に振り回されている。
今の小選挙区制は少数意見を切り捨てるどころか、時には半数近い死票がでる。僅かの票差で当落が決まるから、全国的にはそれが積もり積もって、議席数に大きな開きができる。これは選挙におけるカオス現象である。二大政党制を無理やり実現しようとして小選挙区制にしたために、少政党が育たず、その上衆参議院の捻れ国会で動きが取れなくなっている。
また、選挙に首長や議員にタレントが有利であることも議会制民主主義が形骸化されていることを示している。この現象は選ぶ方、選挙民にも問題があるが、マスコミの責任のほうが大きい。選挙に限らず、すべての面でテレビタレント、マスコミに騒がれる者が異常に幅をきかす時代である。マスコミに乗った有名人はますます有名になりもて囃される。下手にマスコミに楯を突いたり批判したりすると、潰されるか無視されるから、マスコミには頭が上がらないという状況ができた。
今や、マスコミは非常に強い力を有し、それゆえの奢りがある。取材の方法や態度にそれが見られる。マスコミは天下の公機であるから、謙虚になって報道の内容と姿勢を正すべきである。しかし、それを内部に求めることはできないだろう。一旦得た「力」を自ら放棄することは期待できない。政治家・官僚がその典型である。
5.望まれる政治・経済制度の根本的改革を!
もはや資本主義の破綻は明らかであろう。政治・経済の社会制度を根本的に改革しなければ、これらの危機を脱することは不可能であろう。それには資本主義的市場原理優先の制度に代わる新たな制度を見出し、築かなければならないと思う。今のこの危機から脱するにはどうすべきかを、世界中が真摯に議論すべきである。それには強い政治的リーダーシップと新たな政治・経済理論の構築が必要であろう。政治・経済の仕組みが複雑化し、グローバル時代にはこの危機を救う政治・経済の新理論を築くことは非常に難しいであろうが、そのような理論(完全なものはないが)は存在するはずである。諦めず一人ひとり考えねばならないが、特に世界の社会科学者・政治家たちの研究に期待したい。
もうゆっくり構えている余裕はない。社会の活動量とテンポは累進的に加速されている。したがって、昔の百年に一度の危機は、現代では十年に一度、いや数年に一度の頻度で起こっているからである。
地球環境、資源・エネルギー、人工過剰問題とともに、ここに挙げた上記の問題も人類の抱えている危機の要因である。
(編集:菅野)