私達の教育改革通信

   159  201111

 

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三省祭 (うんの記)

東京自由大学恒例の三省祭(第3回)がこの10月29日、詩人・文人・地球人:山尾三省を偲んで、多数の友人、知人、愛好者を交えて賑やかに行われた.行事の報告に代えて、三省さんの詩を一つ、

心からなる 友達よ

1.  心からなる  友達よ

ここは  妙なる  地球の大地

生命(いのち)の花 あふれる 大地

美しく  川は  流れて

未来永劫  変らない

ここで  心を  あわせて  いこう

ここで  縄文の  真ことを  聞こう

ここで  未来の  地球を  つくろう

2. 心からなる  友達よ

   ここは  聖なる  地球の大地

   六千年の  祖先の  大地

   美しく  森は  さかえて

   未来永劫  変らない

   ここで  心を  あわせて  いこう

   ここで  縄文の  光を  学ぼう

   ここで  未来の  地球を  つくろう

3. 心からなる  友達よ 

   ここは  妙なる  地球の大地

   天をゆるがす  響きの  大地

   美しく  田畑は  ひろがり

   未来永劫  変わらない。

   ここで  心を  あわせて  いこう

   ここで  縄文の  祈りを生きよう

   ここで  未来の  地球をつくろう

 

山尾三省:1938(神田)−2001(屋久島)

 

(花や草木とも話す水木すずこさんの詩画集より)

紅葉(もみじ)    水木すずこ

父さんが教えてくれた三拍子

昼夜の温度差が大きいこと

紫外線が強いこと

それに水分が多いこと

あなたが

美しく生まれ変る条件ですってよ!

 

母さんが教えてくれた三拍子

素直であれ 明るくあれ

心に愛の泉をもちなさい

これは心美人に

生まれ変れる条件ですって!

 

幾千万枚の光の饗宴

あなたが眩しい季節は

心美人が増えそうな

そんな気がしてなりません

 

 

福島原発震災が暴いた日本の学問的危機

原田憲一

 2011311日、福島第1原子力発電所で発生した原発震災は、全世界に衝撃を与えたと同時に、日本の大学の危機的状況を暴き出した。つまり、根拠のない楽観論を振りまき、厳しい現実に直面するたびに「想定外」と言い募る御用学者たちが、東京電力から莫大な研究資金を支給されて、原発の安全神話づくりにいそしんでいた事実が暴露されたのである。そして、私にとって既視感のあるこの事態は、数十年も前にドイツの碩学オイゲン・サイボルト教授から聞かされた警告が現実化したものだと言えるのである。

サイボルト教授は、環境分野のノーベル賞といわれるブループラネット賞(旭硝子財団)を1993年に受賞された海洋地質学の大家で、私がアレキサンダー・フォン・フンボルト財団奨学研究員として1978年から約2年間キール大学に留学した時の恩師である。

最初の警告は留学中に聞いたものである。サイボルト教授夫妻を我が家にお招きした時、教授は、ドイツでも国内だけに閉じこもる研究者はどうしても視野が狭くなるし、留学生の面倒見も悪い。若い時代に海外に出て視野を広げることはとても大切だと、私を励ましてくださった。それに対して、職の当てがなかった私は、日本の若手はいくら頑張ってもチャンスが少ない。論文は書かないし学会でも発表しない教授がのさばっていて、教授が辞めない限り若手は職を得ることはできない。日本でも業績評価を厳密に行って、基準に達しない教員は首にすべきだ、と主張した。

ところが、それまでは慈父のような笑顔であった教授が、突然顔を引き締めて、業績評価は間違いだ、と断言された。しかし、私は納得できずに、業績評価の本場アメリカでは、若手の地球科学者が新しい学説を次々に生みだして、世界をリードしているではないですか、と反論した。

すると教授は、基礎科学の分野では、研究成果の評価が定まるまでには長い時間がかかる。たとえば、いま大学に蝶々の採取(Butterfly Collection)をしている教授がいれば、誰もが「何をいまさら」と言うだろう。しかし、何十年後かに、採取された蝶の標本がバイオ技術の基礎資料となる可能性は誰しも否定できない。だから同僚の研究は評価できないし、評価してはいけないのだ。しかし、できるはずのない評価をあえて下そうとする人は、かならず外部の権威を持ち出してくる。たとえば、学界の大御所が褒めているとか、世間に名が売れているとか。そして、終には時の文部大臣が認めているとか、大統領が褒めている、というところまで行き着いてしまう。実際、戦前のドイツの大学人はそれをやって、やすやすとナチスに牛耳られてしまった。「象牙の塔」とは、現実問題から逃避した大学人を揶揄する言葉だが、大学は良い意味で「象牙の塔」であるべきだ。すなわち、時流に流されることのない真理探究の場でなくてはならない。さもなくば、大学に対する社会の尊敬と信頼の念は失われてしまうのだ、と諭すように話された。そして、だからこそ大学に新しい仲間を迎え入れる時には最善を尽くして選考して、あとは信頼するしかない。だから、君が大学に職を得た後は、自分がなすべきだと信じることをやりなさい。教育が大事だと思えば教育に専念すればよいし、研究活動が大事だと思うなら一所懸命に研究すればよいのだ、と付け加えられた。

原発震災直後のテレビ出演で恥を晒した御用学者は、経済産業省から有識者扱いされていたし、電力会社から多額の寄付金を得ていたので、学内外で高い評価を得ていたことであろう。特に、国立大学の独立行政法人化後は、外部資金の導入実績を文部科学省から褒められて、学内での発言力は高まっていたはずである。しかし、結局は、社会の大学に対する尊敬と信頼の念を大きく損ねてしまった。サイボルト教授が危惧した事態はこれだったと言えよう。

もう一つの忠告は研究の進め方についてである。1992年秋、世界一の歴史をもつ国際会議、万国地質会議(IGC)の第29回大会が京都国際会館で開催された。会場でサイボルト教授と出会った私は、当時取り組み始めたばかりの、変動帯型文明と安定大陸型文明のタイプ分けについて、韓国とニュージーランドにおけるフィールドワークの成果を交えて説明した。すると教授は、地質と文明の関係は面白い研究テーマだと思う、と励ましてくださったものの、続けて戒めの言葉を下さった。きれいな解答を出そうとして、前提条件を単純化してはいけない。特に地域地質は大変複雑なものだ。そこをしっかり押さえないと、いくら門外漢に褒められても、必ず矛盾がでてくる。そして、最終的には答えが破たんして、学問に対する信頼を失ってしまう、と。おかげで、モデルに合わせるために諸文明を安易にパターン化するという罠に陥らずに済んだと感謝している。

ところが、たとえば原子力安全委員会の斑目春樹委員長(東京大学工学部教授)は、浜岡原発運転差し止め裁判で国側の証人に立ち、非常用外部電源の喪失といったような異常事態まで想定していては、原発の設計などできない、と発言したと伝えられている。原発の設計は、前提条件を単純化して行っていることを自白したも同然で、彼がたびたび「想定外」を口にしたのは無理からぬことであったのである。

少し話しを変えるが、私が京都大学に入学した1966年の記憶は、学園を大きく揺れ動かしていた現役自衛官の工学部入学問題と、「東京オブザーバー」である。毎日新聞のヴェトナム戦争の報道に対するライシャワー米国駐日大使の批判に抗議して、同社を退社した外信部長大森実が同年創刊した週刊誌で、1年ほどしか購読しなかったが、今も頭に引っかかっている記事がある。それは、60年安保後に首相の座についた池田勇人が就任直後に語った決意で、日米安保条約改正が混乱した原因は大学人の反対にあったので、今後は大学人の発言力を削いでいく、というものである。

振返ってみると、1970年代前半の大学紛争終焉を機に、大学人と学問に対する軽視や蔑視の風潮が表だってきたように思える。そして30数年後の今日、大学人の社会的発言力は地におちている。その証拠に、今回の未曾有の事態に際して、東大や京大の総長に意見を求めた新聞は皆無であった。また、1990年代後半に我が国の学問のあり方を左右する国立大学の法人化が国会で議論された時も、学長・総長の意見が世論を動かすことはなかった。池田勇人の決意は歴代の首相に受け継がれてきた、と言えるであろう。

大学紛争を機に古色蒼然たる「象牙の塔」が解体されたことで、大学と学問が国民に開かれたのであれば、喜ばしい限りである。だが実態は真逆で、大学から学者らしい学者が消え去り、時流に乗って単純明快な答えを出す専門家と実務家が幅を利かせ、いわゆる体制に奉仕する実用研究が奨励されているのではなかろうか。

大学紛争のまっただ中にいた時の私は、全共闘が主張した「学問の解体」に反対していた。解体後の展望が何ら示されていなかったからである。しかし、世俗化に拍車をかけている今の大学を再び「象牙の塔」として復興させるには、当時の学生が大学人に問いかけた「何のために研究するのか」という批判的な言葉を、今こそ大学人が自覚的に受け止め、自分なりの回答を学内外に誠実に語るところから始める必要がある、と考えている。

シンクタンクマガジンNo. 1312011)京都自然史研究所

 

 

「石原慎太郎論」          海野和三郎

私は大正末期の生まれであるが、そのせいか、ほぼ同年輩と思われる石原慎太郎東京都知事の考え方が、賛否に拘らず理解できる気がする。11月7日付産経新聞に掲載された『日本よ』については、表題の「無限の宇宙の中で」を含めて、共感するところ大である。

まず、チリーのアルマ天文台(日本も有力参加国)で、地球という星にへばりついて寝転んで満天の星・銀河・星雲・宇宙を手が届くような実感で見たカメラマンの話がある。その感想として、「私も今まで世界のあちこちを訪ねることが出来たが、この年齢となり自分の人生に残されているものについて考え感じるようになると、何処よりもチリーのあの高地に行って宇宙そのものに接してみたいとしきりに思う。人はよく何々の哲学などというが、「哲学」そのものは存在と時間について考える学問のことだ。アリストテレスは、“ここにあるこのペンが何でこんな形ヲしているかなどということではなしに、このペンが、ここにあるということそのものが不思議なのだ”その実感を恐らくチリーのあの高地で眺める星空は伝えてくれるに違いない。」「年齢を重ね自分の死についての実感といおうか、予感をようやく信じられるようになると、誰しも自らの人生に重ねて「存在」と時間の幻妖な不思議について感じられるようにはなる。それは人生かけてようやく獲得できた成熟というものかも知れないが、しかしそれでにわかに何がどうなるものでもありはしない。」(中略)「全宇宙の存在に比べれば人間個々の存在なんぞ無に等しい、というのは理としては分かるが、実感には至らない。その実感がないと悟りにも解脱にも通じない。折節に読んでいる法華経には、他の宗教には例がなく、お釈迦様は“存在”と“時間”そのものについて、現代数学の“群論”のような絶妙な例えを引いて説いている。存在と時間の無限性を前にしてたじろぐ人間たちのためにこそ輪廻転生が説かれたのだと思う。松原師の般若心経のかいせつにも、人間のそんざいのはかなさを覚るという否定の向こうにこそそのはかなさを超克する、更なる否定があって人間はそれでようやく救済され真の安定が得られるのだとある。故にもその実感を体得するために私としては是非ともチリーのあの高地に行って地球に張り付きながら宇宙とじかに接したいものなのだが。そして思ったが、もし全人類があの高地に出向いて、群論的に云えば、“無限の無限”たる宇宙にじかに向かい合えたら、我々の存在の貴重な背景である、このちっぽけな地球を救うために妥当な抑制を自らに強いることも出来るに違いない。」輪廻転生は、論理的に否定不可能な如来の論理であるとは思うが、群論的な論理であるというのは石原式解脱なのだろうか。「あのチリーの高地からの宇宙の映像を見てわたしは改めて昔聞いたホーキングの講演での言葉“地球なみの文明を持った惑星は宇宙全体に二、三百万あるだろう。しかしそうした星はその文明なるもののために循環が狂いきわめてふあんていとなり、宇宙時間でいえば殆ど一瞬に、地球時間でいえばせいぜい百年で滅びてしまう”と。」「温暖化の齎す豪雨を含めたこのところの地球全体の気象異変をどう捉えるかを、私たちはあのチリーの高地で仰ぐ宇宙の、せめて映像に依ってでも覚らなくてはなるまいが。」「人間は必ず死ぬ。その人間がまたこの地球を自らの手で殺そうとしているのだが。」ホーキングは、文明社会の持つあらゆるエネルギー・環境・人口問題などを評価して、文明社会の寿命を百年程度と評価したのであろう。しかし、如来様が護っている私たちの地球は、お釈迦さまの云ううに、いつも、ここぞという時には輪廻して(新しい人類に進化して)未来へ転生する道が開けるに相違ない。阿修羅の如く、その先導をするのが21世紀に生を受けた私どもの勤めであろうか。太陽エネルギーをこれまでより格段に効率よく利用するなど、人類進化の方向が次第に見えてきたことが実感される。

 

 

地震の発生予測問題、崩壊堰き止めダム決壊予測問題に、’複雑系’を見る

志岐常正                                                       

   柿食いながら考えた ー 子規と漱石をつなげてしゃれたつもり。とかくこの世にはややこしい事が多い。

 ”東日本複合大災害”の要因の中に、地震の規模の過小想定があることは否めない。良心的で、世界一級(海溝型地震に関して世界のトップ)の真面目な地震専門家が間違えたのだ。原発事故の’想定外’といは、ちとわけがちが違う。

 何故こういうことになったのかを考えてみると、複雑系問題に行き当たるように思う。しかし、ほとんどの地震学者には、このような問題意識はないのではないだろうか。今の地震学は物理学だ。古地震の歴史学も現象論として重要視されてはいるが、実態論では、力学計算で本質論へ進めるような単純化、モデル化が求められる。”複雑だ!”では仕事にならない。地質屋の活断層調査もこれに引っ張られる。観察・調査そのものは詳細を極めていても、それに基づく断層活動度評価では、マニュアル主義の漫画化がなされている。

 断層を細かく分断することを科学的調査だとする風潮が、この20年ほど蔓延してきた。プレート境界断層もそうだった。そもそも、「プレートテクトニクス」が、地球テクトニクスをなるべく単純化して捉えようとする物理学的手法の成功例だ。ただし、その単純明快プレートテクトニクスの立場からは、プレート境界を細かく分断しようという要求は必要ない筈だが。ここでは健全な(!)実証主義が絡んで、結果的には失敗したのだと思れる。

 堅苦しくなったが続けよう。 「地震の発生予測について、どうして”30年間に何パーセント”という言い方しかしないのですか?どうして何日の何時何分に起こるとはっきり言わないのですか?」と聞かれることがある。例の’原子力村’の発言のような’隠蔽’ではないのかという疑問らしい。しかし、時と所を確定的に予言する者があれば、それはオカルトの類だ。どんなに地震学が進んでも、”確率が高くなった”としか言えない。直前予知に成功するようになっても、”今にも起こるかも知れない。2−3日先かも知れない”と警報を発することが出来るだけで、”何時間何分後に”とは言えない。それは地震の発生に確率論的性格があるからだ。津波も同様だ。 自然には確率論的現象がある。いやだと言っても、神様がこの世をそのように造ったのだから仕方がない。 地震発生の確率論的性格は、地盤(地殻)にストレスが溜まって限界に達して’切れる’、その時に出る波が

地震動だということに由来している。矛盾が蓄積して激変に至るという現象は、地質学発祥のころの’漸進変化説’と’激変説’の対立生んだ。学生時代に講義で聴いたことだが、地質学は、前者(’漸進を変化説’)が”現在は過去の鍵である”という’現在主義’の形をとることによって神学の呪縛から離れ、科学として成立した。今にして見れば、自然にも社会にも、激変現象はいくらでもある。地震や地震災害はその典型例だ。今やカオスの研究が発展し、自然科学だけだなく、たとえば’平和学’にも取り入れられようとしている。 ちと話がずれるが、考えてみると、われわれの学生時代には、自然についてのこのような見方や研究はあまり発展していなかった。地質学者が知らなかっただけかも知れない。この春、’自然の多様性’という研究会ができた。参加者の多くは地質屋だが、そこでもまだ’複雑系の科学’という視点はあまり意識されていない。生物学や経済学では既に取り入れられつつあるのに。 もう一つ思い起こしてみると、われわれの学生時代、京大の地質では鉱山学の講義はあったが、防災問題、環境問題に関わる講義はなかった。松下先生の地形学は、これらの問題を考える基礎の基礎として、今でも役にたっているが、災害を意識したものではなかったように思う。

 1953年の和歌山県有田川大水害の際に、今年のを越えるほどの大規模の地すべり性深層崩壊がいくつも発生した。そのうち一つの花園村での崩壊が有田川をせき止めてダムを造った。それで、森島正夫さんに言われて、この’天然ダム’の決壊の怖れを偵察に行った。私が大学院に残って数ヶ月の頃だ。こういう問題に関係する

ような事は何一つ教わったことも勉強したこともない。「何を見れば良いのですか?」と聞いたら、「こういう崩壊堰き止めダムで、下から水が流れ出ていて後まで保った例はない」とのことだった。森島さんが何処ででこのようなことを勉強されたのかは聞かなかった。現地行ってみたら、確かに下から水が流れ出ていた。それで、現地の人々

に「多分切れる」と言った。そうしたら、「明治の十津川大災害の天然ダムは、じわじわと切れたがどうか」と聞かれて閉口した。私の後で、森島さんや市川浩一郎さんなどの本隊が調査に行った際には「次ぎに台風が来たら崩壊する」と言ったらしい。結果的にはその通りになった。今年の堰き止めダムがどうなるかは大いに関心あるところだが、やっとの思いで東北日本の被災現地に行ってきたところで、今のところこのダム問題まで現地に見に行く気力がない。

 

 

「第6回再生可能世界エネルギー展示会」

比類なき太陽エネルギーの特徴を活用する方法        海野和三郎

「まとめ」

太陽光は6000K近い高温の光球より発し、光速で8分ほどの地球に到達する準黒体輻射で、地上での強度は約1kW/m2である。簡易集光装置で集光すれば集光度の4乗根で高温の絶対温度が得られる。即ち、約2倍集光で金星の温度、約10倍集光で水星温度が得られることになる。一般に、熱機関や発電などの場合、同じエネルギー量に対しての仕事量(効率)や発電量は温度上昇に比例的であるから、簡易集光によって、火力発電より格段に安く太陽熱発電が可能である。21世紀は、エネルギー問題、地球環境問題、人口問題の3重苦による人類生存の危機にあるが、その根源的打開は太陽エネルギーを以前より格段に有効利用すること、即ち、人類の新たな進化が鍵である。

「太陽エネルギー」

太陽エネルギーは、約6000Kの黒体輻射に近い極めて良質のエネルギーである。光速で中心から2.3秒ほどの太陽光球を発し、光速で500秒ほどの地球に達するまで、強度は距離の2乗に逆比例して弱まり、地球に達する時には太陽定数1.37W m-2 となるが、更に地球大気による減光を引いて、約1kW-2となる。黒体輻射温度の4乗が輻射強度に比例する(ステファンの法則)から、太陽光を地上でまともに受けた黒体温度は絶対温度約365K(90)、集光すると集光度の4乗根に比例して受光する黒体の温度が上昇する。これを用いると新しい太陽エネルギー文明の創造が可能である。

「非結像集光の利点」

現在広く利用されている装置に太陽光発電と太陽熱温水器がある。共に、屋根の上などに固定された装置なので、石油火力に比して格段に安価なエネルギー装置というわけでなく、使用目的が限られている。集光装置をつけて高温の沸騰水を短時間でつくれば、その事情は一変するが、大型単能のものでは高価になるから、少なくとも石油ピークを過ぎるまでは、集光装置はレンズや凹面鏡でなく、且つ小型で簡便安価な平面鏡を組み合わせた非結像集光装置にする必要がある。その第1集光鏡は、全体を1.5m平方とすると、その中心に30cm平方の平面鏡を置き、その周りに10数個の平面鏡を張り合わせて、3mほどの距離(焦点距離)で、すべての平面鏡からの光束が中心鏡の光束と重なるように設計調節する。この非結像集光鏡を第1鏡とし、その南側に焦点距離の中ほどに、冬至の太陽を遮らない程度の高さに平面鏡(第2鏡)を置きその真下のソーラーポットの底に集光するシステムが簡便である。第2鏡は。第1鏡中央鏡の2倍以上の径にし、ポットの上に漏斗型に集光鏡を置けば、曇り空の太陽付近の雲からの光もある程度取り込める。第1鏡は、極軸の周りに1日半回転するシーロスタット駆動すれば、朝入れた太陽光は夕方まで逃げない。太陽高度の季節変化には、第1鏡の仰角又は第2鏡の高さで調節する。この装置の利点は、鏡面への斜め入射によるロスがないこと、入力エネルギーが天候による以外は定常的であることもあるが、何より集光によるエネルギー効率が格段に高くなることである

「エネルギー問題」

21世紀最大の問題は、エネルギー・地球環境・人口の3問題であるが、中でもエネルギーは不変量であり、運動エネルギー、位置のエネルギー、熱エネルギー、電磁気エネルギーなどと姿形は変わっても総量が不変なので、最も基本的であり、衣食住に必要なエネルギーも何処からか持ってこなければならない。一方、ヒト1人は1kWのエネルギーを消費して生きているという。1kWの電熱器を四六時中付けっぱなしで消費する電気エネルギーと同じエネルギー消費ということで、主に衣食住のエネルギーに対応するものであろう。何10万年か前原人の時代には自然の恵みでそれを得、その後、農耕牧畜林業を発明し、言葉を自由に話して集団生活する現代人に進化したと考えられる。植物の光合成による太陽エネルギー利用文明の始まりである。その後、人類は気候変動などが刺激となって、230万年前であろうか、アフリカの地を離れて北上し、更に東へ全地球へと広がった。その間、農耕器具などの文明の発達もあり、同時に、人口増加と民族大移動、エネルギー(領土)の取り合い(戦争)が始まった。以前、地球全体でどれだけの人口を持つことが出来るか概算してみたことがある。光の速度(3×1010cm/s)で1秒間に赤道を7回り半ということから、地球半径を出し、地表面積の1/3が陸、その1/10だか1/100だかが農耕適地、そのまた1/10が農作物、その1/10が光合成をする葉、葉緑素の被覆面積がその1/10、光合成のエネルギー効率が1/10、食べ物になるのがそのまた1/10、といったいい加減な勘定をして、1人1kWのエネルギー消費の何人分となるかである。うろ覚えであるが、20億人という数字を出して、19世紀初めまで、化石燃料依存のエネルギー文明以前の人口増加が緩やかであったことを納得した記憶がある。トラクターを用いるなど、大農法で農地を拡充したことと、世界人口の増加との因果関係の説明である。

 化石燃料への大幅な依存が20世紀以後の世界文明の特徴である。化石燃料も元はといえば太陽エネルギーであるが、億年かけて地球がためた化石燃料を100年で使う効率の良さが、第2の進化と云ってもよい文明をつくったが、その枯渇が石油ピークという形であと10年か20年ほどに迫ってきた。それ以前にも、資源小国の日本は、自前のエネルギー源を何割かは持つ必要から原子力発電を導入して、一時期世界第2の経済大国にまでなったが、東日本大震災によって、原発の安全性を格段に高める必要が明らかとなり、原発電力価格の高騰が不可避となってきた。電力は、エネルギー問題において、経済における共通通貨のような役割を持つから、石油ピークを目前にした原発電力価格の高騰は世界経済の破綻に繋がりかねない。事は急を要する。(前節で説明した)10倍以上集光の非結像集光システムを用いて、(太陽光ではなく)太陽熱発電とシンラタービン発電で1kW発電し、残る熱水を暖房に使うなど、太陽エネルギーの長所を生かす装置は、家庭規模(第1鏡口径2m以下)のものは、(戦時中兵器工場での勤労動員経験で判断して)意欲ある町工場で容易に製作可能であると考える。

一方、ギリシャ、イタリヤ、シリア、エジプト等々、嘗て栄えた地中海沿岸諸国も政情不安となっているが、貧富や権力の格差が直接の原因であろうが、昔ながらの生き方では生きるためのエネルギーの不足が顕在化して来たことにその根本原因があると思われる。

太陽エネルギーの長所を生かした利用の開発は、世界平和のためにも、資源小国日本の持つ権利でもあり義務でもある。

「地球温暖化問題」

 太陽光を真正面に受け続けると90℃まで温度を上げることができ、地熱を熱伝導するために維持される北極海底温度3℃は1200年ほどかけて深さ4000mほどの大西洋海底、南極海を経て、太平洋海底を北上し、アリューシャン沖から日本列島沖海底を南下、インドネシアを抜けてインド洋、さらにアフリカ西の大西洋海底を北上してグリーンランド沖に沈み込む。海洋大循環である。その間、3℃の温度は殆ど変らず、赤道地帯での太陽光による温暖化も1200年の熱伝導や海流の影響も表面の1000m程度に限られる。3℃と90℃とは、1気圧の大気の下で水か液体の水である下限と上限に近く、水の惑星地球、生命の宿る星、地球に不可欠な条件である。不思議はこれだけではない。なぜ、こんな不思議な地球が存在するのか科学では説明できないことが無数にある。如来(タターガタ)のまもる地球としか言いようがない。その地球環境に、CO2による温暖化が進行しつつある。世界各地の気温の年変化から、温暖化を観測的に求めようとすると、太陽磁場の影響や地球軌道傾斜の変動などあって、データの解析に先入主が入る余地が無くもないが、ここでは、40年ほど前に、太陽など恒星の大気構造に対するスペクトル吸収線の影響を理論研究した結果をもとに判断すると(松島訓さんの弟子:J.ハンセン(CO2説の提唱者)とA.レイシスも学位取得の武者修行で東大天文の私のところへ来て、この理論を覚えたものと推察する)、温暖化に効くガスは波長20ミクロン程度の地表が出す1)超遠赤外に、2)広く分布した分子の帯スペクトルを持つこと、3)そのスペクトル線が弱すぎず飽和もしていないで、分子数が増えると吸収線強度が比例的に強くなること、の3条件が必要で、CO2がそれに該当する。温暖化が進み、北極圏の地中に氷結しているカーボンハイドレートなどが溶け出して温暖化を増幅すると北極海面の温度も上昇、海底温度も上昇し、海洋大循環も止まれば深海温度も上昇し、溶け込んでいたCO2の大量流出で、熱帯ジャングルのような高温多湿多雨の住みにくい地球となる恐れがある。現在でも、タイなど各地の大洪水、日本でも大雨などの異常気象には、温暖化の影響が出ているように思われる。昨年の夏暑かったので、今年の夏も暑いと要注意という予報を春先に出したことがあるが、今年の夏は暑かった。来年の夏も更に暑いとまた心配である。何れにしても、太陽エネルギーの有効利用で、化石燃料消費主体のエネルギー消費を1日も早く止めるべきである。

経済不況となり、自殺者の増加、50年後の世界戦争を誘発しないためには、この非結像集光太陽エネルギー利用が最適であろう。21世紀人類進化に、如来様のご加護がありますように!

 

 

幼作随想 「静かなる夜半に」                  上條彰次

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 黄色い葉っぱが先を急ぐ様に散って、心の世界もあわてて淋しい色に着替えをした程でした。何故散るかって、私たちだって、たちまちの内にそうなるでしょうに、凋落の葉の悲しみを決して外からのみ見てはならないと思います。アルペンのお山に冬が来始めましたよ。みんな征ってしまって、取り残された私の眼には、常念(岳)様の美しい雪も、わびしい心の冬篭りではないかと思われるのです。どうして、そんな不必要な事を考えるかって……それはもう変な心持ちなのです。

 色々と考えて空しくなった心に、ただ矛盾で一杯なディオニソス的狂乱だけを感じ、その実、拠り所というものは何一つないのですからね。幻の城、そう、私たちが観念の奴であることはどうしても避けられない運命です。しかし、一途に思い込んだそれが、たとえ誇張された一片のつまらぬものであっても、そのために死んだ生は美しいと信じています。

「苦しみ」といって、それはたしかに愚かな生き方でしょう。けれども苦しみのために泣く人を笑う者はいっそう愚かであることに気づかねばなりません。勿論、真実の一部分を構成するに過ぎない観念の霧を払って、究極まで果敢に突進する努力を忘れたのではありませんが……もうよしましょうね、こんな事をあれこれ言うのは。私は私の気持ちに於いて、真面目にこの事に対しようと覚悟しているのですよ。覚悟なんて、大げさな言葉ですって……。

 一つの行動に、人の何倍も努力を要する私ですし、それに己だけを良い子にしたい恐ろしい考えが入っていたら……然し純粋な行動とか何とか、そんな事はさて置き、自己の貧しさを知ることとおとなしくする事とは違いますし、それに具体的行動なくしてはこの仮初の世に私達は何物をも描くことは出来ないのです。

 夜空がまるで海のようですよ。ほんとに、じっと眺めていると、浮かんで来るのは悲しい事ばかり、寂しい事、淋しい事……けれども私は勢い立って、本質的な淋しさを持った。「今」の一瞬に全力を燃やし尽くしてしまいましょう。あヽ、だけど……解って下さいますね。やはり誰かこの地上に、燃えて消えた私の名を「あわれ」と呼んでくれる人があれば、きっと嬉しくてたまらないと思います。

 あの人の気持ちも、あの人の心も、すべて、涙で一杯なお月様の顔に読み取ります。みんな生きています。みんな美しく。そしてその中に私は、一人になりそうです。そう、人間の究極は一人ですからね。然し、皆さん泣かないで下さい。勢い立って下さい。あヽ、私は、“今”の旅を続け、どれかの“今”に於いて生を終わりましょう。けれども、その時こそ君達の魂と、天空を馳せて還って来る信州の山に永遠の盃を交わし得ると思います。然し又、それだからといって、私は決して現在の“今”に満足しは致しません。皆さん、どうか残り少ない日々を、刹那々々に強く踏んで、急流のように生き抜いてください。顔々、声々、心々、恐ろしかった。それだけに忘れ得ぬ眼々、感傷の上に、感傷を超越して、なおも私は生きます。

 今朝冬の精がとうとう部屋を包みました。私は布団の中にもぐりこみます。―灰色の日光―静かに眼を閉じると、友は次々と私を離れて何処かへ行ってしまいました。堪え難い悲しみが沸きます。でも、君達の眼が、常に愁いに満ちて淋しくあることを、それで沢山です。私はそれで安心致します。

 最後に、友情らしい友情を有たなかった君よ、私は抑え難い恋しさを感じてなりません。又明日も、信濃の地に雪が降って、その恋心をも、深く秘めて了うことでしょう。雪の静寂は君の胸に余りにも静か過ぎる事を信じます。私は一切を自己の世界に閉じ込めて寮を去り、考え、――思い――想い……働き、スチームを流れる湯の音が止まりました。明日の試験のために、これで筆を擱かねばなりません。今想い浮かぶ君の姿を、そっと呼んでみました。返事をしたようにも、しないようにも思われました。では、さようなら、さようなら。冬夜更けてたわむれに歌うわが声をふと悲しくなりて止めし後の静寂

 松本高等学校思誠寮発行「思誠」第二十三号(昭和20//10

上記は、上條祥次著『詞林夢幻拾遺』(和泉書院) 第1部“随想類で綴る自己小史”の序章となっている随想である。

八十路越え 友どちあまた逝き去りぬ 独り事めく問わず語りか  

終戦の1年余り前であろうか、松本高等学校文科生で、思誠寮に名寮歌「遠征」を残して学徒出陣した著者の青春の記録である。旧制の高等学校には、精神性の高いところが少なくなかったが、中でも松高は自然環境も良く、多くの名寮歌も作られた。上條さんの著書『詞林夢幻拾遺』は、若い人たちに高い次元の人生哲学を肩を凝らさず伝える名著である。(海野記)

 

 

平成の三如来                          海野和三郎

平成の危機には、平成の如来様のご加護が必要である。今の時代に如来様としての力を持つ人は、生前菩薩として八面六臂の衆生済度の生涯を送り、死して後、尚その働きが輝いている人である。何時の時代何処の国にもそんな如来様が人々を守っていたであろうが、私たちの周辺にも平成の如来様がいる。私たちもそんな如来様に倣って一日一日を有意義に過ごしたいものである。私にとっての「平成の3如来」は、山岡萬之助、玉城康四郎、樋口和博の御三方である。

山岡萬之助如来  山岡記念文化財団 季刊「宇宙」に日本大学名誉総長の肩書きで巻頭言があるが、(昭和31年6月)、同様な趣旨の「宇宙賛詞」という詩文がある。  

宇宙賛詞

宇宙は一元の世界にして 広大無辺無始無終なり 

銀河の星は燦然と輝けど 無限なる宇宙の一部なり 

太陽は遊星に慈光を放ち 昼夜と季節の変化を与う 

諸星は整然として 自転公転瞬時も止まることなし  万物を構成する極微の原子は 陽子を中心に回転する電子なり 原子核を変化すれば勢力を生じ 勢力変じてまた物に転化す 

宇宙一体物心一如 おのずから悟ることを得べし 

天地自然の妙理 讃嘆おくところを知らず  

宇宙の神は大霊にして 全智全能融通無碍なり 

普く光被して偏することなく 

万有はこの摂理によって生成発展す 

人は神の流れにして 神霊の加護により心身を保有す 人は万物の霊長として霊智霊能を有し 神と感応道交することによって完成す 人は神によって生命を享け 神の正法に従って生存す 神の正法に応ずれば幸福にして 永遠の生命を享け 神の正法に反すれば苦悩を生ず 科学は宇宙の神秘を開けども 究極は求め難くそは神の世界なり 宇宙の神を信仰し修練すれば 光明世界の実現は明らかなり。

山岡萬之助は明治9年4月長野県諏訪郡湊村(現岡谷市)に生まれた。明治29年単身上京、一念発起して日本法律学校(後の日本大学)で苦学、六法全書も丸暗記したという。明治32年司法試験に合格、司法官試補、明治34年判事検事試験に合格、以後、東京区裁判所判事、東京地方裁判所判事、東京地方裁判所検事、東京控訴審検事を歴任。その間、明治39年から3年余、ドイツ留学、ミュンヘン,ライプチヒ,ベルリン大学で研究、ライプチヒ大よりドクトル・ユリス(法博)の学位を得た。しかし、彼の知識欲は止まるところを知らず、哲学特に宗教哲学及び物理学(自然哲学)に傾倒した。物心一如の「宇宙の大理」を世界中の人の言葉で明らかにしよう、という意図で、総長として関東大震災後の日大を復興し、その後の大発展を指導し、現在も「宇宙」を発行している山岡記念文化財団を創設し、日本文化に大きな貢献をした。

法学から出発した山岡萬之助の哲学は、「新教壇」として宗教的実践哲学を組織した。これが一神教などと違う点は、神でなく「宇宙」が信仰(?)の対象であり、バイブルや神学でなく素粒子論宇宙論など最先端の物理学が宇宙観を形成している点である。一神教的「神」が不在の点は東洋的であり、しいて類似した超越神を探すなら、居るか居ないか分からないがただ有難くみんなを護って下さっている如来様に対する信仰とでも考える他ない。機関紙も一時「新教壇」であったが、現在はもとの「宇宙」に戻って居り、教団も「財団法人:山岡記念文化財団」となっている。

生前、菩薩として人々のために阿修羅のごとき大活躍をした人が、没後なお私たちのために大きな働きをして護って下さっている人を如来とするなら、エネルギー問題・地球環境問題・生存問題の三重苦に苦しむ21世紀救済の如来の第一に山岡萬之助先生にご登場をお願いしたいと考える。如来(タタガータ)は、時代と共に人類の進化と共に、少しずつ姿が違ってくるであろうが、幸いなことに少なくとも私にとって、平成の3如来というべき人がいる。山岡萬之助如来に続いて、樋口和博、玉城康四郎の御二方である。

ここまで書いてきて、編集の不手際で、残念ながら時間切れとなってしまった。樋口和博如来玉城康四郎如来の菩薩の頃の物語は来月以後に改めて述べることにしたい。法曹界の阿修羅のごとき樋口和博先生は数年前、100歳を越えて亡くなられた。私にとっては、(旧制)松本高校剣道部の大先輩、剣友会長であった。百歳になられる少し前であったか、ある日、階段で足を怪我されたとかで、お見舞いに上がった時、「剣道の達人にしてはドジですね」と悪口を言ったら、打ち解けて、「伊那の勘太郎」などと言われた若い頃からの武勇伝をいろいろ聞かされた。そのようなお話は、随筆「峠の落し文」(法曹生活五十余年)に珠玉とも言うべき随想が二十数編載っている。次の機会に23編なりとも紹介したい。「落とし文」の巻末は、「淡煙」という俳句集となっている。

玉城康四郎先生については、「ダンマの顕現」など著書も多く、NHKの放送などでのファンも多いと聞くが、私にとっては、仏道の師であると共に科学哲学の論争の相手でもあった。仏陀の輪廻思想をあれほど素直に受け入れていた仏教哲学者も少ないのではないだろうか。その一例に、表面積(情報)無限大体積ゼロの点という“絶対矛盾的自己同一の開け”、ピラミッドの無限回四つ切モデルに真面目に相手をして頂いた思い出がある。

                 (編集:海野)