私達の教育改革通信
第 139号 2010/3
教育通信ホームページ
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先事館制作室:進士多佳子〒106−0032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910
発行人:西村秀美,先事館箕面 〒562-0023箕面市粟生間谷西3-15-12
お願い:教育通信はオープンメデイアに移行します。A(購読)会員、運営に参画されるB(協力)会員及びC(編集)会員になる方を歓迎します。B会員には自己負担でコピーと友人への配布、C会員にはそれに加えて編集を輪番でお願いします。私達の教育通信が今後どう発展するか、この皆で育てる新方式がよい日本文化に成長することが望まれます。
編集::先事館吉祥寺 海野和三郎180-0003武蔵野吉祥寺南4-15-12;
先事館狭山、菅野礼司 〒589-0022 大阪狭山市西山台1−24−5;
先事館近大理工総研 湯浅学・川東龍夫〒577-8502東大阪市小若江
先事館京都教育大 岡本正志〒612-8582京都市伏見区深草藤森町1
先事館聖徳大学 茂木和行 165-0035 中野区白鷺2-13-
花と話す水木鈴子さん
泰山木 みずきすずこ
あなたの純粋さは
気負わず 構えず ひょうひょうと
香り咲き 風のように 雲のように
水のように 流れ流れていくのですね
人間は 身につけた知識や欲に
おぼれて 流れに逆らおうとします
そんな時
いつもあなたは微笑みかけてくれます
「執着の自分を捨てておいき
あるがままの自分で流れておいき
やすらぎ村まで-------」
あなたの教えは涙でにじんで
心にひろがります
とめどなく 人生を向上させようと
産経(2010/2/10)竹中平蔵氏の「正論」のみだしに、「政府怠慢と過剰介入が危機拡大」とあった。小見出しに“マクロ的な管理なき予算”、”JALへの異常な救済策”,”企業再生でなく産業再生を”、とある。なるほどと思うが、政治経済にうとい私にはそれではどうすれば良いかよく分からない。そこで、高速道路などの渋滞を例に考えてみた。
山道を友人の後についてドライブした時、友人が10回ブレーキを踏むのに対し、私は1、2回踏む程度であった。理由の一つは、私が運転免許を最初に取得したアメリカの道路交通規則がスピード制限を主とした規則でなく、スピードに応じた車間距離で走行するする車間距離走行を主とする規則であったためではないか、と思われる。また、ロンドンであったか、出勤時の交通渋滞を防ぐために、市内へ入る高速道路の料金をある時間帯だけ2倍(?)にした、という新聞記事を見たことがある。日本では、道路交通規則を勝手に市が変えられるものかどうか知らないが、流石、プラグマチズムのイギリスと感心した覚えがある。私見であるが、交通渋滞の緩和には、スピード制限主体から車間距離主体の道路交通規則にすると効果があると思われる。一方、何十年もスピード制限規則に慣れた日本人が簡単に車間距離主体の規則に慣れるとは考えられない。事実、「車は左、人は右」の戦後の規則変更のため、戦後の歩道通行は自転車を含め異常な混乱状態にある。では、どうするか、主要道路の赤信号の時間を2倍にすることを主体に、その土地に適合した赤信号時間を決めてはどうであろうか。全ての制度変更には、必ず、プラスとマイナスが伴う。竹中経済学も、原理的な問題と派生的な問題とに分けて、その対策も、出来るだけプラスの多い、かつマイナスの少ない実行案を作るべきで、経済という複雑系では、その方策は必ず見つかるものと考えられる。
「マクロ的管理のない予算」の最大の原因は、「金融経済」と「市場経済」の2つの経済原理が強く国家経済、世界経済を支配していて、両者と独立な強い第3の経済原理が存在しないことではないかと思われる。なるほど、マルクス経済学もあり、ケインズ経済学もあるが、これらは定義空間の違う別のカテゴリーで、「金融経済」「市場経済」と直交関係にはない。「金融経済」と「市場経済」の両者とほとんど独立な経済原理は、「複雑系経済学」ではないだろうか。100年に一度の経済恐慌が起こるという話を聞くが、これは、経済現象は少し長い時間尺度で見れば、すべて、荘子のいう混沌すなわちカオスを本体とする現象であり、混沌は無秩序ではなく、ちゃんとした力学系の法則によって動いてのである。ただ、複雑系の次元が高すぎるため、長期に亘っての動きが捉えられないだけのことに過ぎない。竹中氏は、所論として、JALへの政府救済が企業に対する過剰介入で、もっと健全な運営をしている全日空にJAL国際線の大部分を移すべきで、企業再生でなく産業再生を図れという。正統的マクロ経済学の立場で立派な議論であると思うが、国防問題や地球温暖化問題等々をも考慮した複雑系経済を考えた場合、現在のJALの体勢をプラスに活用する方策も在りはしないだろうか。
複雑系経済学の本は何冊も本屋にはある。しかし、政治家やジャーナリストに複雑系経済学を知っている人は居るのだろうか。経済学者の中には理念的に複雑系経済を理解し、その線で経済政策に直観的に取り入れている人は、竹中氏を含み、かなり居ると思われる。しかし、昔10年100年かかって伝わった情報が、今、ケイタイで各人に1秒で伝わる時代である。政府は、大型コンピューターを駆使して、複雑系科学としての経済カオスの解析と予報を行い、公表する機構を持つべきである。
老子が「三から万物」と言ったように、カオス:混沌は、三つ以上の独立した原理が相互作用し合って出来る複雑系のことである。然るに、「金融経済」「市場経済」の二者が卓越し、その上、「金融商品」とかいう放蕩息子の地雷を内蔵した世界経済は、100年に一度どころか10年に一度大恐慌を起こしてもおかしくない。「金融経済」「市場経済」と共に「複雑系経済」を原理とする必要がある。
複雑系科学の方法として、最もポピュラーなものとして、超多次元の主成分解析がある。新聞に出ている株価、同種の株価、金の価格、円や元の価格、景気(適当に定義する)、各地の気温、太陽黒点活動、有りとあらゆる変動量とそれらの間の相関など、すべての毎日の値が元データで、データのある期間の各平均値を引き、分散で割って規格化したものが、それぞれの次元の変量となる。それぞれの変量の一定期間の変動も独立な変量であるから、解析に用いる変量の数が無限大にならないように、経済学者に適当と思われる経済変量を最初は100か1000くらい選んで貰う。それで、100次元か1000次元の座標空間に毎日(毎週、毎月)のデータをプロットすると、大数の法則により、プロットされた点の分布は近似的に超多次元の楕円体分布をする。楕円体の軸の長い順に第1主成分、第2主成分、・・とし、雑音に紛れて定義できない軸は切り捨てる。これが、主成分解析で、元データの選び方で、結果も変わりうるので、試行錯誤で、際だった主成分が見えるようにする。もし、景気を良くしようという場合には、景気という変量と正負の相関の強い主成分を動かす政策を取ればよいし、経済恐慌の予測もある程度近い将来についてできるし、その対策もある程度客観的に立てることが出来るであろう。複雑系経済学者の腕の見せ所である。政府の作る複雑系経済機構に竹中氏のような経済学者を入れ、数理解析学者と組ませて人類の福祉に貢献する良い仕事をしてもらうことを希望する。
余談になるが、八ッ場ダム計画中止に3年後、5年後、10年後の温暖化による災害の起こる予想とその利害など複雑系としての地学的計算が考慮されているかどうか気になるところである。また、普天間飛行場の移転問題に、海の大森林養成という地球環境問題、太平洋漁業の振興が海浜飛行場建設と相補的関係にあるという複雑系政治もあり得るという渋谷潜水工業渋谷正信氏の提言も無視すべきではない。政治のような複雑系では、一つの制度改革は必ずプラスとマイナスが半ばするから、幾つかの改革を組み合わせ、プラスを最大にマイナスを最小にする創意が不可欠である。
「父はじっと私を見つめ、一言言いました。「これで、5人分死んでこい」と
(JSHIPS053 対談より抜粋) 神津康雄
――対戦末期に学徒動員で海軍に入隊し、軍医をつとめられた神津康雄氏の談話:
神津 私が海軍に入隊したのは東北帝国大学医学部に在学中の昭和19年(1944)、学徒動員でのこと、たった一年半ほどの経験ですし、軍艦で勤務したわけでもなく、南方で苦しい戦いをしたわけでもありません。ただ、戦後の風潮なのか、間違って伝えられていることについて、少しでもその「誤解」を解くことができればと思います。
――「誤解」というと、例えば、どんなことですか。
神津 「学徒動員」というと、戦後の映画やドラマでは、たいてい、動員された学生は何時も「戦争によって夢を断たれた悲劇の存在」で、「国家のために戦うことに批判的なインテリ」といった感じですよね。しかし実際には、そういう受け止め方はほとんどありませんでした。中には、徴兵拒否して逃亡した挙句に逮捕されるような者が居たことも確かですが、それはごくごく一部のことでです。否応もなく、国が負ければ日本人全てが滅亡するかもしれないというときに――当時はそう思っていたわけですから、そんなことは云っていられません。 日本人の多くは、欧米のやり方に対して不満をもっていましたし、中国大陸で日本人居留民が惨殺されたと聞けば憤慨もしていました。私も含め、ほとんどの学生たちは皆、「俺たちがやるしかない」という気持ちだったはずですよ。
――確かに、戦後の人間は無関心で、勝手な解釈をしすぎているのかも知れません。
神津 私も海軍に行くと決まったときは実に晴れやかな気持ちでした。私の父親なども大変な喜びようでしたよ。出征前、これが最後と帰省した時、お守り代わりの刀を手渡すと、父はじっと私を見つめ一言言いました。「これで、5人分死んでこい」と。「我が家には、男が5人いるが、兵隊になってお国のために働くのはお前だけだ。おそらくお前は死ぬことになるだろうが、ほかの兄弟達の分も・・」ということでしょう。私の4人の男兄弟たちはみな、結核にかかってしまって軍隊に行っていなかったのですから。
――神津家は長い歴史を誇る名家ときいております。父君の一言は今聞くと実に激しい言葉ですが、長い伝統を身近に感じていた当時の人達の考え方では、普通だったのかもしれませんね。
神津 神津家は長野県北佐久郡志賀村(現:佐久市)で400年ほど続いた家で、代々名主をしていた家柄です。佐久の地で「赤壁の家」といえば、みなさんご存知の方も多い、いわゆる豪農の本家筋で、私はそこで10人兄弟の下から番目、四男坊として生まれました。 父の猛は地元で名士としてしられ、島崎藤村の著作にも出てきます。藤村という人は、明治から大正、昭和と日本が大国へと向かって近代化していく時代に「日本人の心」を追求した人です。私の父は、その藤村と生涯にわたって心を許しあう親友であり、精神的な同志でした。藤村がお金に困れば、たびたび出資もして上げていたようですから、パトロンのような存在でもあったのでしょう。ちょうど司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKでドラマ化されておりますが、明治から昭和にかけては、日本が大国になるという夢に向かって、皆が力を合わせていた時代です。ところが、長野の田舎では、国のために出来ることなど限られています。父は藤村と天下国家のことを熱く語ったのでしょうが、総領ということもあって、簡単には身動きが取れない。歯がゆくもどかしい想いがどこかにあったのだろうと思います。だから父は、私が海軍に進むと聞いて本当に喜んでくれました。出征前に手渡してくれたお守りの刀は、実は家宝として神津家に伝わる「関の兼光」の銘刀です。この日本刀は、戦後国府に刷るんだと云って国に持っていかれてしまいましたが・・。それほど大事な刀と一緒に私を送り出し、国を護る使命を私に託したのです。「5人分死んでこい」の言葉と気迫に、私は深く感動したことを覚えています。
――お父様は、神津さんが海軍で大活躍することを随分と望んでいらしたんでしょうね。
神津 私が海軍に入ったのは昭和19年でしょ。すでに戦局の行く末も大分見えていた頃ですから、活躍しようにもできる状態ではないんです(笑)。海軍に入ったのも大それた理由などありませんでしたね。当時東北帝大医学部在学中で、陸軍医学校か海軍医学校か選ぶことが出来ました。東北大学では学生寮に入っていたのですが、陸軍や海軍に進んだ卒業生たちがよく顔を出していました。海軍の方が行動もスマートでしたし、何よりも詰襟の軍服が格好良かった。そういう単純な理由で海軍を選んでしまったんです。ともあれ、昭和19年7月から12月までの半年間、私は海軍医学校で鍛えられました。
――海軍医学校というのは、どういうことを教えるのでしょうか
神津 本来なら、臨床医学と軍陣医学について教えるところなのでしょうが、その頃の海軍では殆どの艦艇撃沈されていましたから、そもそも軍医の乗る船がないのです。教官達も一度は死ぬつもりで出征して、それから内地へ戻ってきたような人ばかりです。そんな教官ばかりでしたから、国のため立派に死ぬにはどう学生を鍛えるか、死ぬ時には海軍軍人らしく潔く死ぬ――軍医学校は、そのことだけを徹底的に教わる場所でしたね。
――昭和19年末といえば、すでに10月のレイテ沖海戦で連合艦隊は壊滅状態、軍医学校を出て、最初の勤務はやはり艦隊勤務ではなかったわけですね。
神津 軍医学校を出た私は、昭和20年(1945)1月20日の発令で、海軍軍医として知多半島にある第二河和海軍航空隊に任官いたしました。ここは水上機の基地ですが、この頃は、すでに特攻隊の基地として再編成されていました。25人いた隊員は皆、特攻隊員で私は彼等と一緒に半年間過ごすことになります。知多半島と云うところは、太平洋に一番近い場所ですから、一番に敵を発見して出撃しなければならないわけです。それだけに海軍の期待も大きかった。水上特攻というのは、フロートを付けた零戦に爆弾を抱えさせて敵に突っ込んでいくのですが、敵艦にうまく当たらなければ意味がありません。模擬爆弾を抱えて3000mの高さから急降下して、海面すれすれで機首を引き起こす突入訓練を繰り返していました。ところが、どうもうまく当たらないと云うことで、水面に対して30度から60度の角度にしたら、フロートが吹っ飛び翼も吹っ飛んで海に落ちる事故が続いてしまいました。3000mの高さから落ちると、水はコンクリートと同じ硬さです。遺体は鼻の骨まで砕け、目玉もどこにいったか分からない状態で、頑丈な飛行服の中で遺体は濡れ雑巾のようにバラバラになっていました。25名の隊員のうち訓練中の事故で亡くなったのは11名、それ以外の隊員達も九州の方へ転属になり、特攻に出撃し、皆戦死してしまったようです。
――軍医として赴任した神津さんの目には特攻隊員はどのように映ったのでしょう。
神津 特攻の隊員達は、とにかく皆自分から手を挙げて志願した人達です。国のため自分から手を挙げて志願した人達です。国のために自分から死ににゆくわけですから、人間の出来た、いま思い出しても本当にりっぱないいやつらだったなあと思います。私が軍医だったから、特攻隊員のことを傍観者として見ていたんだろうと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。当時の我々は誰もあのような形で戦争が終わると思っていませんでした。まけるにしても、必ず本土決戦があって、一人残らず死んでから負けるのだと思っていたのです。軍人にとっては、戦争に負けるということは死ぬことである、と。ですから、軍医とはいえ、死ぬのがあとになるかさきになるかのちがいだけであって、気持ちは特攻隊員と全く変わらなかったのです。
その後、私は四国の第五十八四設営隊へ転勤となりました。終戦間近の昭和20年8月10日頃でしょうか。突然、第三航空艦隊司令から「設営隊3700人全員を自決させるから、青酸カリを用意しろ」と命じられました。私は上官に「なぜですか」と尋ねたところ、「敵はまず四国を占領する」という情報が入ったとのことでした。まず四国が占領される。ならば、占領されたときに軍人は一人として残っていてはいけない、捕虜になっては行けない、と云うことでの「玉砕命令」です。それで、私は広島の呉まで青酸カリを受け取りに行きました。「負けることは死ぬこと」、私達にとってはそれが常識だったんですね。
――8月15日の玉音放送のまさに直前ですね、その後の5日間というのはどの様に過ごされたのでしょうか。
神津 青酸カリをうけとりにいったわたしは、途中の瀬戸内海で敵のグラマン戦闘機の機銃掃射をうけたりしながら、ようやく呉に辿り着きました。私が薬剤中佐に「青酸カリ3700人分を第三航空艦隊司令の命令で受け取りに参りました」と言った所、「貴様のところは設営隊だろう。設営隊なんかにやる青酸カリはない。帰れ!」と怒鳴られました。しかし、帰れと言われたところで、司令の命令ですから帰るわけにはいきません。一瞬諦めて帰ろうかとも思いましたが、帰れば帰ったで、命令違反で軍法会議にかけられて、死ぬことになるかもしれない。ならばこの辺で死んでしまおうか、と私は覚悟を決めまして、「青酸カリをいただくことができなければ、私は中佐の見ている前でしにます」と言って腰のピストルに手をかけました。すると中佐は、こいつは本当に死ぬ気だということが分かったのでしょうね。本当ならば740gのところを1000gもわたしてくれました。おかしな話ですけれども、これは本当にうれしかった。あんなにうれしかったことはなかったというくらいです。1000gの青酸カリを受け取って帰った私は、それから終戦の日まで、どうやって青酸カリを使うかということばかりを考えていました。青酸カリを隊員たちに配るのは、敵が占領する前でなければなりません。一人ひとり強引に飲ませてしまおうか、食事の中に入れて黙って食べさせてしまおうか――そんなことばかりを痩せる想いで一生懸命考えていました。ですから、8月15日の玉音放送を聴いたときはうれしかったですね。青酸カリを使わずに済んだということがうれしかったのです。私にとっての終戦の喜びとはそういうもので、あとはただ虚無感に打ちのめされていただけでした。
――最後に、戦争を知らない世代に伝えたいメッセージを是非お聞かせ下さい。
神津 戦争が終わって、日本がどうなったかというと、まずコーンパイプをくわえて飛行機から降りたマッカーサーやってきました。マッカーサーは散々てこずった日本が再び立ち上がれなくするために何をしたかと言いますと、ひとつめに憲法を変えた。そしてもう一つが教育です。
昭和22(1947)年に日教組を作らせ、続いて23(1948)年には教育勅語を廃止。24(1949)年には、国を守るエリートを養成してきた旧制高等学校を廃止しました。以来、日本が現在に至るまで平和を享受し続けたことは事実ですが、しかし一方で戦前の価値観がすべてが悪いものとして捨て去られてしまっています。幕末があり、明治維新があり、そして明治、大正、昭和と日本人が少しでも豊かになろうと皆で頑張ってきた。そして、近代化する一方で、では「日本人の本当の心」とは何なのか、真剣に考え続けてきたはずです。
私を含めて戦争に行った者は皆、散々なめに遭いましたし、国民も皆それぞれの立場で不幸で惨めな体験を強いられてもきました。しかし、それでも戦前の価値観の中には、極めて真っ当で正しいものがあったということだけは伝えなくてはいけません。戦前の価値観を見直すということは、戦争を賛美することとは全く違うのです。私は今年、91歳になりましたが、残りの人生を掛けて、少しでもそのことを伝え、これからの日本に役立っていくことができればと思っています。
「北朝鮮を見る、聞く、歩く」吉田康彦
(平凡社)を管見する 海野和三郎記
国という複雑系を「ことば」で表現するのは容易なことではない。まして、「日本人拉致問題」や核開発などの問題を抱えた北朝鮮の素顔を広い見地で紹介できる人は殆どいない。著者の吉田康彦氏は、かつて北朝鮮への帰還者に対する朝鮮総連のプロパガンダをNHKで放映したとかで、北寄りの人と目されているらしいが、そんな時代はとうに過ぎて、本書を見る限り、非常に中立公正な見解を持って居られるようである。
新書の「帯」にいわく、知っていそうで知らない「北の素顔」・ドラマ「ファン・ジニ」の故郷・体制が崩壊しない最大の理由は「教育」・温泉天国、レアメタルの宝庫・日本のアニメ原画も作られている・etc.「文化」で読み解く「金正日体制」! とある。以下、目次を記載(抜粋)して、紹介に代えることとする。
まえがき;長文の前書きがあり、ここは是非一読する必要がある。
1万年前からの日本民族のルーツの一つである北朝鮮の現代の素顔、現代
史、政治経済情勢、最新事情の分析に対する著者の意図が述べられている。
第1章
北朝鮮の食文化――犬肉料理と薄味キムチと冷麺で――*朝鮮半島分断の経緯 *アヒルとジャガイモ *金正日の健康問題 *南北関係の推移 *外国人旅行者の立ち入り禁止地域 *金日成神格化と無謬性
第2章
映画は最大・最強の大衆芸術――プロパガンダと芸術性を両立させた金正日―― *映画委員会と国防委員会*朝鮮戦争と金日成の死*世にも希な社会主義、“世襲”国家 *日本人拉致問題 *申相玉監督の拉致 *北朝鮮の外交関係 *脱北者という存在
第3章
オペラ・サーカス・マスゲーム――北朝鮮自慢の舞台総合芸術――*在日朝鮮人と帰還事業 *北朝鮮の巨大規模信仰
第4章
北朝鮮の美術と、「世界遺産」――見直される朝鮮画/高句麗古代壁画/小さな美術館「切手」――*再評価される「降仙の夕焼け」*開城工団(工業団地)
第5章
文学も体制維持・強化に奉仕――金日成賛歌から「ファン・ジニ」まで――*北朝鮮の核開発
第6章
教育とスポーツ――思想教育で体制堅持/エリート教育で国威発揚――*北朝鮮が崩壊しない理由 *金正日と長男・金正男 *日本の単独経済制裁 *冷戦終結直後の北朝鮮
第7章 観光資源と鉱物資源――白頭山と金剛山――*金正日出生地をめぐる神話 *南北離散家族再会 *国際親善展覧館 *核燃料も純国産
第8章 マスメデイアと交通事情――論文指導とテレビCM/増える自転車/「統一列車」が走る日・・――*金正日の私生活 *「千里馬運動」と「降仙の烽火」*金曜労働と土曜学習 *過去の十年間の新年共同社説 *日本通のエリートたち
第9章 北朝鮮・旅のアラカルト――ひと味もちがう旅、ユニークな旅―― *政治に翻弄される北朝鮮旅行 *日本人ジャーナリストの北朝鮮取材 *朝鮮戦争の交戦相手は誰か *北朝鮮当局と衝突しやすい欧米のNGO
あとがき、参考図書・参考資料リスト 年表
科学・技術の社会的意義を歴史教育に
(補足)
菅野礼司
歴史は人類の営みの発展推移とその意義を総合的に記述すべきものであろう。人間の営みは多面的であり、それらは相互に関連しあっている。そのなかで、科学・技術は重要な役割を果たしてきた。 生産力に見合う生産関係を人間社会の下部構造として重要視するのが唯物史観であるが、その生産力を維持発展させてきたのが科学・技術である。また政治、思想文化など上部構造に科学は大きく寄与している。唯物史観でなくとも、この観点はもっと強調されるべきであると思う。上部構造と下部構造ともに社会の重要な構成要素であり、それらは相互規定的に依存しつつ社会が発展してきたことは否定できないであろう。そのことを思えば、科学・技術を無視してまともな人類の歴史は語れないはずである。それにもかかわらず、これまでに歴史教科書には科学・技術の役割はほとんど無視されてきた。この歴史観の歪みを正す歴史教科書をつくるべきことを以前にこの「教育改革通信」でも主張した。 その際は、科学・技術の社会的役割については、ニュートン力学に始まる西欧近代科学を中心に採りあげたので、説明が不十分であった。以下にその補足をしたい。
科学の社会的機能−科学は文化の一部である
1.精神文明への寄与:自然観、哲学、人生観の形成に不可欠である。2.物質文明への寄与:技術を通して生産力となり物質的な豊かさをもたらす、また自然 の脅威から身を守る。
1.は上部構造への寄与、2.は下部構造への寄与である。 科学・技術にはその時代と地域の自然観と風土が反映している。それゆえ、東洋と西洋では科学の論理と方法がかなり異なり、近代科学は西欧で誕生した。したがって、科学・技術の社会的機能は西欧の方が大であるから、以下の考察は主に西欧社会になる。
(1)古代 科学・技術は人間の社会的生産活動のなかから、知的欲求に根ざして生まれた。その発展過程で、科学は技術的知識を普遍化し、抽象的理論として体系化され、最初は自然哲学として誕生した。 古代の科学は宗教行事、生産技術、医薬術、暦術などと渾然一体となっていたが、次第に呪術的要素を排除しつつ、合理的知識の体系を整えていった。 科学と技術の分離は古代ギリシア時代からであろう。エジプト、メソポタミアで蓄積された技術的知識が昇華されて科学として分離独立した。(東洋ではこの分離は遅れた。)自然観:観念論と唯物論的自然観があったが、宗教的自然観が長期にわたり優位にあった。科学も宗教的教義と自然観の支配下にあって、コントロールされていた(中国はやや異なる)。西欧ではアリストテレスの目的論的自然観が支配的。
(2)中世
技術的進歩はあったが、科学の進歩は停滞した。古代の自然哲学(西欧ではアリストテレス自然学)から脱皮し、近代科学誕生の知的準備期であった。
科学の中心はイスラム圏に移り、理論偏重のギリシア科学と実学的東洋科学を融合させたアラビア科学がその役割を果たした。技術の進歩はアラビア以外に、中国、ローマ帝国、西欧で顕著であった。単純機械、測量技術など進歩。 スコラ哲学(自然学):トマス・アクィナスがアリストテレス体系とキリスト教義を融合し、スコラ的形而上学、観念論哲学や形式論理学が栄えた。
二重真理説:神学的真理とは別に自然学的真理は存在しうるという思想が、アラビア科学の中に芽ばえた(アベロイス主義)。キリスト教会からは弾圧されたが、14〜17世紀の半ばにかけて支配的になった。アリストテレス体系(哲学・自然学)の崩壊:目的論的自然観から機械論的自然観へ コペルニクス地動説(16世紀)が契機となり、階層的有限宇宙の崩壊から等質な無限宇宙へと、宇宙像が転換した (空間革命)。 天上界と地上界の壁は取り除かれ、一つの同質な宇宙に統一され、近代科学への道を開いた。
(3) 近代科学(第一科学革命)
17世紀終わり頃ニュートン力学を皮切りに実証科学として西欧で成立した。 自然観の転換:目的論的自然観から機械論的、原子論的、数学的自然観へ。これが近代科学の基礎にある自然観である。やがて力学的自然観が定着した。 科学は神を必要としない論理を築いた:自然の運動原理を自然自体の中に求め、自然の仕組みを探究するのが科学の目的となる。 宗教からの独立:逆に科学理論は宗教教義へ影響を及ぼすようになった。宗教の社会的権威の低下は宗教革命である(16世紀キリスト教の宗教改革より影響は大きい)。 信仰の時代から理性の時代へ:思想革命、新しい哲学・倫理の誕生は啓蒙運動の興隆をもたらした。 科学の社会的機能:科学は一つの制度として社会に定着し、科学者は職業の一つとなる。 科学の目的:自然法則の探究の他に、生活を豊かにし、国力を興隆させる(F.ベーコン)。 第一次産業革命:18世紀〜19世紀にかけて工場制機械工業の導入は、産業の変革と社会構造の変革をもたらし、市民革命とともに近代の幕開けとなった。この産業革命の特徴は、工場制機械化と動力機関の発達、それによるエネルギーの大量利用である。産業革命の力により物質文明が急進し、さらに地球支配の思想、環境破壊の始まり。
(4)現代科学(20世紀の第二科学革命)
物理革命:相対論、量子論の誕生は科学観と自然認識の意味を転換させた−科学の適用限界を認識させた。
自然観の転換:進化的自然観、階層的自然観が現代科学の基礎となった−思想革命。自然科学の全面的革命:化学(構造の化学)、生物学(物理生物学、分子生物学)、宇宙物理の質的転換と飛躍的発展へ。情報科学、コンピュータの誕生:科学・技術の飛躍、情報化社会の誕生。
第二次産業革命: この産業革命のベースに量子力学とコンピュータの進歩がある。 第2次産業革命の特徴:エントロピーがキーワード(第1次産業革命ではエネルギーだった)、 科学と技術の直結、基礎科学の技術への応用期間の短縮。 量子力学の利用:ミクロ科学・技術、ハイテク産業、ナノ技術の開発が進む。 コンピュータの利用:ロボット、巨大技術、ロケット、通信・輸送手段の発達。 現代科学革命と第2次産業革命により、情報化社会、グローバル化、宇宙時代の開幕。
こうして人類史の転換期に入った。物質文化の急速の進展で生活様式と人生観が大きく変化した:自然支配の思想−地球環境の破壊、原水爆開発競争で人類絶滅の危機。 こうして科学・技術は政治・経済を動かす力を得、国家の権威、国力のシンボルとなった。物質文化の飛躍的発展、精神文明の遅れは、社会の歪み、人心の荒廃をもたらした。このような状況を生んだ人類の活動に対する反省の時期に入った。
(5)21世紀(第三科学革命) 「存在の科学」から「発展進化の科学」へ:これまでの物質の存在様式とその運動法則の追究から、物質の能動性(自己組織化、進化)の原理法則の追究へ進む。自然観:階層的自然観、進化的自然観、数学的自然観を引き継いで、宇宙の進化(物質・ 時空間)と生命の発生・進化の機構に迫る。進化の科学:宇宙進化、物質進化、生命進化−複雑系の科学。生命科学:生命の本質の探究、遺伝・発生と生命制御の科学が進む。認知科学:記憶、思考、心理の解明、脳の科学・「脳を知る」、「脳を作る」、「脳を守る」。宇宙時代:宇宙基地の建設、月・惑星探査と利用の時代に入った。宇宙空間の汚染に配慮 すべきである。そのためには国家間の競争ではなく国際強調・協力が不可欠である。 今後「人間とは何か」が科学的に解明され、人生観、価値観の転換が起こるだろう。また社会構造、社会制度の変革も必然的に求められるだろう。以上のような科学・技術の進歩発展を見れば、それは人類の歴史を動かす原動力の基礎となってきたことが理解できる。
地球環境問題などを国際的に研究討議していることで脚光を浴びているIPCCの代表的研究者にアメリカ(NASA?)のジェイムス・ハンセンがいる。宇宙飛行士だった毛利さんとのテレビ対談を見て覚えている人も居るかもしれない。一方、赤祖父俊一さんは、アラスカにある国際北極圏研究所の所長を長く務めた日本が世界に誇る地球物理学者である。その二人が、CO2による地球温暖化の問題で見解を異にしていることが、文藝春秋などのジャーナリズムで「地球温暖化の詐欺を暴く」といった扇情的な見出しで、話題となった。教育通信138号でも、この問題が取り上げられ、けんか両成敗的な菅野さんの論説がある。
ところで、ジムは京大宇宙物理で助手をしていた松島訓さんがアメリカへ渡り、京大宇宙物理の惑星研究の伝統を伝授した弟子で、彼が学位を取ったとき兄弟弟子A.Racis と共に武者修行に来て、東大天文学教室の私の所にも2ヶ月くらい居たことがある。40数年前のことである。一方、赤祖父さんは、旧制松本高校の5年後輩で、彼が東大地球物理の学生だった頃、よく天文の図書室で天文学の本を借りに来た天文好きの後輩として私の記憶に残る人であった。ジム・ハンセンとレイシスが何のために、惑星に関心のない私の所に来たのか当時は全く分からなかったが、それから2,30年経って、私も地球環境問題に関心を持ち、海洋大循環の理論をでっち上げたりするようになって、ようやく分かった。当て推量であるが、当時、私は、星や太陽のスペクトル吸収線の毛布効果(地球大気CO2などの温室効果に対応)が星の大気中の温度勾配を急にするか緩やかにするか、大気構造に及ぼす影響がスペクトルの中心的な波長より長波長側にある吸収線と短波長側にある吸収線とで逆になるという理論を出していた。地球大気と太陽大気とではまるで違う。最大の違いは、エネルギー源が太陽の場合内部の中心にあり、地球では外の太陽にある(一部は地熱)こと、地球は1日1回転の速い自転で夜昼があること、地球には顕著な季節と緯度による違いがあること、それに、大量の水が地上にあること、などなどである。そうした違いにも拘わらず、スペクトル吸収線の大気に対する毛布効果、地球大気の場合は俗にいう温室効果の基本的物理は同じで、それをジム達は会得して帰ったものと思われる。
ここで注意しておかなければならないのは、通常、温室効果ガスと地球温暖化ガスとを混同している人が多いが、両者はまるで違うことである。地表に達する太陽光は主として波長1ミクロン以下の可視光であるが、直接地上に達して吸収される成分以外に大気分子や雲などで散乱されて地上に達する成分もある。その両者が地表温度の放射として大気圏外に再放射されるエネルギーを吸収または散乱によって地表にもどす作用を温室効果といい、水蒸気、CO2、NO2等あるが、雲や霧などを入れてもおかしくない。恐らく、最強の温室効果ガスは、H2Oであろうが、金星、火星、40億年昔の地球では、CO2が最強の温室効果ガスであった。しかし、現在では、H2Oは2つの理由で完全に地球温暖化ガスではなく、むしろ地球寒冷化ガスとなっている。一つは、水蒸気の強い吸収線は入射太陽光の強い近赤外域にあり、雲の影響と共に、入射太陽エネルギーを弱くしているし、第2に、仮に地上の発する数ミクロンの遠赤外域に吸収線を持っていて、かなりの温室効果があるとしても、恐らく、吸収線が強すぎて飽和し、例え分子の数が10倍になっても吸収量は1割しか増えないということになって、温暖化ガスとしての効果は寒冷化ガスとしての効果に遙かに及ばない。恐らくNO2も同様であると思われる。CO2の場合は、地上の300K程度の黒体放射による波長数ミクロンに多くの分子帯スペクトルを持ち、不飽和の分子線を多く持つから、分子数が増えれば比例的に温室効果が上がる地球温暖化ガスとしての役割をする。その辺りの輻射輸達の理論は、太陽などの恒星大気について吸収線の毛布効果として4,50年前にやったことがあり、それを全く状況の違う地球大気の場合に応用し発展させたのがジム・ハンセンだった。彼は、地球温暖化を国際的に討議しているIPCCの指導的役割をしていて、大気中のCO2増加による温暖化の評価は信頼できる。ただ、私は、H2Oの寒冷化効果や太陽面磁場エネルギー変動の影響などをどう評価したか、それをIPCCがどう受け入れたについては全く知らない。ジムは、Point of No Return は、もう過ぎた、とかなり極端な議論をしていると聞く。 一方、文春2009/5、「地球温暖化の詐欺を暴く」という過激な表題(内容は違う)で、赤祖父俊一さんとの対談を桜井よし子さんが編集した記事を、赤祖父さんと松高同級生の塩原恒文さんが送ってくれた。要約すると、赤祖父さんの議論の大部分は、少氷期少氷河期などの100年以上の概周期変動の話、多分、黒点磁場の母胎となっている太陽大極磁場変動や地球軌道傾斜変動と高山地形との相互作用、海流の変動など、様々な原因による概周期変動の話であって、今問題になっている10年乃至50年オーダーの地球温暖化によるPoint of No Returnに関係する話は、図1と図2(私のパソコン技術では転載できない)の解説のみである。しかし、図1、図2には11年、22年を主な周期とする短期太陽磁場変動の影響の補正はなく、ただ、気温変動とCO2使用量(第1図)と気温変動とそのIPCCの予測曲線(第2図)とがでている。太陽磁場変動の影響は「ひので」衛星などのデータから得られるであろうが、恐らく平均気温への影響はたとえば0.2,3℃とかであろうが、図1,2への影響はかなりありそうである。その影響をIPCCが考慮しないならば、図2のIPCCの予測線と扇形の誤差範囲曲線の引き方は明らかに間違っている。使ったデータが1880年から2000年までであるから、気温予測線と誤差範囲曲線の起点は、1940年に取るべきである。そうすると、2100年頃までの平均気温曲線は気温予測線と誤差の範囲で非常に良く合っている。この曲線の引き方のミスはIPCCのミスであり、IPCCも近年そのミスを認めたらしい。赤祖父さんは、自説の主張があるので、上に述べた意味でのIPCCのミスには他の地球物理学者同様気が付かなかったようである。 それでは、CO2による地球温暖化はどうなったのであろうか。産経(3/2)ワシントン駐在編集特別委員古森義久「あめりかノート」地球温暖化論への懐疑によると、IPCCがミスを認めた結果、地球温暖化論への懐疑や批判が米国の議会や経済界で広がった。ゴア氏等民主党リベラル派で主唱され、環境保護のための産業活動の規制が求められたが、共和党には温暖化を疑い、産業規制に難色を示す議員が多い。一方、ゴア氏は2/28日付ニューヨークタイムスに「小さなミスが真の環境変化をぼかすためにりようされている」と温暖化論を強調した、とある。恐らく、日本でも、産業界を中心に上記太字の運動が勢いづくかもしれないが、それは大変危険である。最近は、太陽黒点があまり出ていないと聞く。天が味方して、CO2による温暖化を幾分緩和してくれているのかも知れない。未来のためには、未知の要素はあるが、CO2による地球温暖化は世間の評価以上に確立した理論と観測によるものであることを念頭に置いて、地球環境保全のために、簡易な非結像集光装置により、化石燃料より遙かに安価で簡便な太陽エネルギー利用を産業界に普及すべきである。 (編集:海野)
水木鈴子さんの「地球母さん」を英訳して下さる方を探しています。(編集者)
地球母さん 水木鈴子
キラキラの緑豊かな美しい水の惑星・・地球星!
その母なる大地は全生命体(無数の動物・植物・鉱物・人間)のすべてを我が子と信じ、限りない無限の愛をわけへだてなく与えて下さり
万象万物が無差別、無所得の愛で生かされています。
地球母さんはどの子もどの子も可愛いく いとほしく 気の遠くなるような年月を重ねて忍耐強く子育てに心を配って下さっています。
生命体をたくさん生んで育てることは地球母さんの誇りであり尊いご使命だからでございましよう。
とりわけ、花たちは気高く、初々しく、決して不平や不満を言わず 地球母さんの美の教えを忠実に守り 母さんの愛を素直に感じ、素直に表現し 地上を美化し、幸福の波動を 全宇宙に向けて放射しているのでございましょう。 もし、あなたが生きていくのが辛くなったり疲れた時は、地べたを素足で歩いてごらんなさいな! のんびりとねそべって、手足をゆっくりゆっくり のばしてごらんなさいな!
あなたの心いっぱいに体一杯に、ジワジワとポカポカと地球母さんの肌のぬくもり(地熱)が伝わってきて 身も心もやさしく包んで下さる母さんの愛を感じて、もう あなたは一人ぼっちの存在ではないことに気付くことでございましょう。