私達の教育改革通信
第 142号 2010/6
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先事館制作室:進士多佳子〒106−0032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910
発行人:西村秀美,先事館箕面 〒562-0023箕面市粟生間谷西3-15-12
お願い:教育通信はオープンメデイアに移行します。A(購読)会員、運営に参画されるB(協力)会員及びC(編集)会員になる方を歓迎します。B会員には自己負担でコピーと友人への配布、C会員にはそれに加えて編集を輪番でお願いします。私達の教育通信が今後どう発展するか、この皆で育てる新方式がよい日本文化に成長することが望まれます。
編集::先事館吉祥寺 海野和三郎180-0003武蔵野吉祥寺南4-15-12;
先事館狭山、菅野礼司 〒589-0022 大阪狭山市西山台1−24−5;
先事館近大理工総研 湯浅学・川東龍夫〒577-8502東大阪市小若江
先事館京都教育大 岡本正志〒612-8582京都市伏見区深草藤森町1
先事館聖徳大学 茂木和行 165-0035 中野区白鷺2-13-
未来と将来への希望 海野和三郎
鳩山内閣となって、未来と将来への展望がますます混沌の様相を呈してきた。混沌はエネルギーの浪費となり、時には破滅への道となるが、これなしには次の時代への進歩はない。問題は、混沌のマイナス面を制御しプラス面を促進させることであるが、その混沌のルールを見出し進化する具体的実行に移る方策が不可欠である。また、それに要するエネルギーが過度の場合は何もしないか僅かの改良ですませるのが無難である。その辺りを判断するには、複雑系科学の視点が必要と考えられるが、目下の政治家やジャーナリストの視点にはそれが欠如しているのが心配である。
百年千年の昔は、宇宙自然や人間社会という複雑系は、地水火風空や仁義礼智信の5次元で考えられ、宗教や風俗習慣、衣食住の技術がそれを具体化し、国家間民族間社会間の問題は戦争などで処理された。人一代での世情の変化がさほどでなかったから5次元程度の記述でよかったともいえる。ところが、ヒトの1世代を30年とすると、この1,2世代の間に、地球人類という複雑系に、大混沌を起因する大きな変動が少なくとも2つ現れた。第1は、誰も知る情報革命で、以前十年百年で伝えられた情報がケイタイで1秒で伝わる世の中となった。それにも拘わらず、世界経済は金融経済と市場経済の二つが主たる経済原理で、混沌を予測する複雑系経済は識者の直観に依存する経済学の域を脱していない。超多次元の主成分解析などで、混沌の短期長期の経済変動のルールとその誤差評価をする複雑系経済研究機構を政府主導で作るべきであろう。混沌経済を記述するには、少なくとも金融・市場・複雑系の“3”経済原理が必要と思われる。
第2は、言う迄もなく、エネルギー問題である。石油
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しょうぶ 水木鈴子 6月 目に沁み心に透き通るほどに すがすがしい緑の季節です 花たちはこぞって 大地の愛にこたえます あなたも終日あらん限りの 生命を輝かせて夕方には かき消えるようにしぼんでいきましたね! 一瞬の生命 それは母さんの心で永遠です 一瞬の美しさ あふれこぼれて私の心でも・・ |
の需要供給のバランスが石炭原子力など他のエネルギー源にも依存してくる所謂石油ピークが何時であるか、地球環境問題・食糧問題とも本質的に関連して、この3次元が作る混沌は世界の関心事であるが、人により、10年、50年先といい、すでに始まっているという人もある。地球環境問題で我が国の第1人者と目される山本良一さんの「残された時間」(ダイヤモンド社)によると、Point of No Returnは2℃ということであるから、いずれにしても、石油ピークも長い先ではない。人類学者春田俊郎さんによると、「サルの目から見ると、人類進化の時間尺度は100万年のオーダーから最近では50年となった」という。30年ほど前の話である。大東亜戦争、アフガニスタン・イラク紛争、すべてこの人類生存の危機に関連したカオスとみることもできる。
地球上の生物はすべて、こうした生存の危機には「進化」で対応し、生き延びてきた。プレカンブリア紀からの太陽増光には、植物が繁茂しCO2を減らし炭素を地中に埋め込んで、生物環境を護った。ヒトの体温は約36℃、外気より2,30℃高い。しかし、温血動物は体温が1℃ほど違っては生きて行けない。アフリカにあった現代人の先祖も、毛皮も持たず羽も持たないので、幾たびかの氷期・間氷期に生き延びるために、喉の構造を変えて言葉を自由にして集団生活し、衣食住の技術を発明してホモ・サピエンスに進化した。石油ピークが迫り、時間尺度が著しく縮まった今、資源もなく国土も狭く人口密度も高い日本は、世界に率先して21世紀人類進化の新しい道を開拓していくべきである。人類文明という複雑系の新たな進化がわれわれの緊急かつ不可避の課題となってきたのである。(次号に続く)
鳩山首相と民主党政権の功罪
菅野礼司
遂に鳩山首相は辞任した。この結末は、政治家は良心と理想論だけでは駄目、リーダーシップを発揮した決断と実行力が不可欠だということを如実に示した。
民主党が政権党になり、鳩山内閣が誕生してから、日本における政治の閉塞感はかなり取り除かれ、国民に開かれた政治は明るさを取り戻しつつあった。永かった自民・公明党の政治に国民は憤懣やるかたなき思いが募っていたので、民主党に対する期待が大きかった。だが、民主党も国民も早期の結果を求めて過ぎたので、それだけに失望も大きかった。
民主党のマニフェストは次々に後退した。特に沖縄名護市の基地移転問題では鳩山首相は遂に進退窮まった。沖縄の基地負担を軽減しなければならないという方針は当然であり、そのために努力した気持ちは汲むべきだろう。それによって基地問題と安保条約に基づく日米軍事同盟を考え直す機運を高めたことはよかったと思う。だが、見通しのない無責任な首相の発言は、この問題を混迷に導き、右往左往して遂に立ち往生した。沖縄県民の期待を裏切り、国際的信用を失ったその責任は重い。
鳩山内閣に限らず、政権を取ってみたら政治の内実は単純ではなく、野党時代の認識の甘さに気づくことは、昔から何所の国にでも見られたことである。永い自民(公明)党政権時代に蓄積された腐敗の膿を絞りだし、国民の望む新たな政策を実現するにはかなり永い時間が必要のはずである。それを民主党は急ぎ過ぎて短兵急に変えようとして、国民に直ぐできるような幻想と期待を与えた。これの判断は甘かったと率直に選挙民に謝るべきだろう。来る参議院選挙はその機会である。
民主党政権が改革しようとした方向「コンクリートから人へ」は、大筋では間違っていなかったと思う。また、情報公開、官僚支配の排除などの政治姿勢によって、これまで闇の中に隠して国民を欺いてきた事柄や政官財の腐敗構造がかなり明るみに出された。それによって政権交代の意義と必要性を国民は知ったはずである。だが、マスコミはそこにはあまり目を向けず、鳩山首相の失政を大きく取りあげて、鳩山叩きに力を注いだ。その姿勢には近視眼的偏狭さを感じた。
次の菅内閣は、マニフェストおよび鳩山内閣時代の成果と失敗を検討して、もう一度政策を練り直し、時間を掛けてもよいからそれを(急がねばならないものは別として)着実に実現するように頑張ってもらいたい。改革は一挙にできるものではないだろう、民主主義的過程は何事においても一歩ずつ、かつ辛抱強く時間がかかるものである。菅内閣に課せられた課題は、赤字財政の立て直し、開かれた明るく清潔な政府、景気回復、格差是正など、どれも大変な難題であるが、少しでもよくなるよう頑張って欲しい。ときには国民にとって痛みを伴うであろうが、その痛みは弱者に向かないようにすべきである。財政立て直しには増税(特に消費税)は避けられないであろう。だが、消費税は食料など生活必需品でなく贅沢品にこそ多く課すべきである。小泉構造改革により貧富の格差が拡大して、その痛みと矛盾のしわ寄せは弱者に向けられた。生活に喘いでいる弱者をこれ以上苦しめない政治を工夫して欲しい。。
今、政治改革の転換点にある。政局が混乱して実行力のある政府ができなければ、日本は致命的打撃を受けるであろう。
参議院選挙を前にして、各党は選挙対策に熱心である。政党は選挙に勝つことは大事であろう。だが、選挙民受けのよい政策を掲げ、困難な現状を改善するにはどうすべきかを率直に訴えることをしない。それどころか、議員選挙は人気投票ではないのに、タレントを候補者に引き込むなど悪い傾向がまたでてきた。選挙対策を優先させるあまり、なり振りかまわず選挙がすべてということになっては、やがて議会制民主主義はその根本から腐っていく。
マスコミは、民主的政治を日本に根付かせ、国民の方向を向いた政府を育てるような報道をすべきである。最近のマスコミは無責任に世論を煽っているように思える。市民社会におけるマスコミの役割を自覚した報道姿勢を取って欲しい。
門前の小僧は習わぬ経を読めるか
佐々木聖
プラスチック・ワードとしての「効率性」
プラスチック・ワードと呼ばれる言葉がある。「コミュニケーション」「プロセス」「システム」といった、内実は何だかよくわからないけれど、それを口にしたとたん、さも立派なことを言ったような気分にさせる言葉のことだ。一種の思考停止を誘う水戸黄門の印籠のような言葉、と言い換えてもいい。
「このような単語を、日常世界のマスターキーと呼ぶこともできるだろう。なにしろそれはお手軽だ。あらゆる部屋に通じるドアを開けて、広大な空間を切り開いてくれる。そして、あらゆる分野の現実に浸透し、みずからのイメージに合わせて当の現実を仕立て直すのである」(ウヴェ・ペルクゼン『プラスチック・ワード————歴史を喪失したことばの蔓延』糟谷啓介訳)。
いま流行りの日本語では「地球環境」「付加価値」などが典型か。四字熟語で押すなら、ひと昔まえは「構造改革」なんてのもあった。「顧客満足」とか「国際平和」もそうだが、その語の前ではグウの音も出ない、懐かしき寅さんの口上を借りれば「それを言っちゃアおしめえよ」的な言葉のつらなりだ。
これのリストに昨今ぜひ付け加えたいのが「効率性」。世は挙げてムダ排除の大合唱だ。それ自体の意義はさておき、民主党の事業仕分けに送られる拍手喝采の裏には、このプラスチック・ワードがべったりと貼り付いている。
もうずいぶん前から、ビジネス啓蒙書の世界ではこの言葉が金科玉条といってよい。やれ速読法だ多読法だ、最小の労力で最大の成果を上げる仕組みだ、時間を有効に使うノウハウだ、1円もムダにしない経費削減術だ、「暗黙知」を「見える化」する方法だ……。そして、いわゆる「カツマー」(ベストセラー・コンサルタント勝間和代氏の心酔者)に代表されるごとく、それらの目的はすべて「いかに他人を出し抜いて一人勝ちするか」。一方
その陰では、全く上昇志向を望まない、もしくは望むべくもない人たちが増えている。
いつからこんなさもしい、世知辛い世の中になってしまったのか。そこで、この言葉がまだプラスチック・ワードではなかった時代を振り返ってみたい。
1日歩き回って1500円のアルバイト
大学時代の夏休みに、実家のある神奈川県相模原市周辺で「漬物の訪問試食販売」という奇妙なアルバイトをした。
朝、社員の運転するライトバンに3人の学生アルバイトが乗って出発する。適当な場所に車を止め、1エリアにつき30分の制限時間で解散し、個別訪問する。しば漬け、からし漬け、たくわんなど6種類ほどに仕切られたタッパウェアを持ち歩いて家々の戸を叩き、その場で試食してもらう。気に入ってもらえれば、袋詰めの在庫を積んだライトバンに取って返し、お好み3種類の詰め合わせセットにして売る。制限時間が来たら次のエリアへ向けて移動する。
カーラジオから柳ジョージ&レイニーウッドの資生堂のコマーシャルソング『微笑の法則』が流れていた1979年の夏のことだ。
おそらく埼玉県あたりの工場でつくっていた漬物だと思う。夏の暑い盛りに、衛生に配慮しているとはいい難いタッパウェア入りの漬物を学生アルバイトが持ち歩き、試食してから買ってもらうなど、今ではとても考えられない。しかし東京近郊では当時ちらほら見られた商売だったと記憶する。
履歴書をもっていくと即座に採用され、ろくなオリエンテーションもないまま現場に放り出された。未経験の学生がいきなり飛び込みセールスをするのだから、そう簡単にはいかない。おまけに完全歩合制だった。
はっきり覚えていないが、たしか1セット1500円で300円ほどの歩合が入るのではなかったか。移動時間を入れると1日に回れるのは10エリア程度なので、1エリアで1セット売れたとしても1日の稼ぎは3000円。当時、バイトの時給の相場は400〜500円だったから、労力のわりには分が悪い。そもそも1エリアでコンスタントに1セット売るのは至難の業だった。
だからバカらしくなって、一緒に始めた何人かは最初の1、2日でさっさとやめた。ソニーがウォークマンを、NECがパソコンを発売し、インベーダーゲームが流行して、「軽さ」と「明るさ」がもてはやされる80年代を目前にしたこの時期、もっとスマートに効率よく稼げるバイトは探せばあったのだから、無理もない。もっとも、雇うほうでもそれを見越して人を選ばず片っ端から採用したのだろう。
炎天下を1日じゅう汗だくになって歩き回ってもせいぜい5セットしか売れないので、さすがにやめようと思った。だが、コンスタントに10〜15セット売るヤツが一人だけいる。名前は忘れたのでA先輩としよう。同じエリアでかち合うことがあり、A先輩の売り方を見ていると、あることに気づいた。
でっちあげたセールストーク
その会社がテリトリーにしていた、新宿から小田急線で1時間弱の地域は、東京のベッドタウンとして急速に宅地化が進んでいたが、真新しい家をA先輩は素通りする。当たりをつけるのは、反対に古ぼけた長屋ふうの家。それも玄関ではなく、勝手口から「こんちわ!」と御用聞きよろしく声をかける。「今日も暑いねえ」などと世間話から始まっていつのまにか、まるで旧知の間柄のように会話が弾んでいる。気がついたら売れていた。そんな具合なのだ。
当時、新しい家にはインターホンが普及し始めていた。これがセールスマンの大敵であることは、いくら学生バイトでも1日経験してみればわかる。試食まで持ち込めれば売れる可能性は高くなるが、対面できなければ話にならない。だからインターホンのある家は避けていたが、長屋のおばちゃんのふところにするりと入るA先輩の巧まざる手腕には心底、舌を巻いた。
いっかな売れないのにすぐやめなかった理由を今から振り返ってみても、ライトバンに乗せられ鵜飼いの鵜みたいに放たれる行商スタイルにちょっと自虐的な好奇心を覚えたのか、A先輩の抜きん出て優秀な行商人ぶりに少しでもあやかりたかったのか、あまり定かでない。まあ、生活がかかっているわけではない自宅通学の学生バイトの気楽さ、だったのだろう。
ちょっと底知れぬ不良っぽさがある反面で人あたりの良いA先輩の真似はできない芸当なので、こっちは「理詰め」でいくことにした。そこで目をつけたのが6種類ある漬物の中の山菜漬け。「山菜をマヨネーズであえてサンドイッチの具にすると美味しいですよ」というセールストークを考えた。いまこう書いているだけで気持ち悪い。もちろん頭の中ででっちあげただけで、実際そんなふうにして食べたことはない。ひどい話だ。
ところが不思議なことに、「へえ、そうなの」と買ってくれる人がいる。それに味をしめ「マヨネーズあえ山菜サンドイッチ」をセールストークの柱にして、山菜を中心に売り込む作戦を実行したら、1日10セットはコンスタントに売れるようになった。現金なもので、そうすると俄然おもしろくなってくる。
北海道出身で流しの弾き語りをやっていたという社長(たしかまだ30代だったはず)にカラオケスナックに連れて行ってもらった。ちょっと水っぽい美人の奥さん以外に正社員2人の零細企業だ。バイトのA先輩は半端ないワルの前歴があると見たが本人は多くを語らない。社長が「社員旅行の積み立て金をバイト代から天引きしていいか?」と聞いた。「はい」と答えた。
……だが、しょせん口先だけのセールストークは長続きしない。調子が良かったのはせいぜい2週間で、お盆を過ぎたらガクンと売れ行きが落ちた。行商部隊そのものが出動しない日も増えた。その会社は菓子メーカーの下請けもしていて(むしろそれが本業だったのかもしれない)出社するとそっちへ回されるようになった。パートのおばちゃんたちに混じって「麦チョコ」を袋詰めするのは漬物の行商に比べれば楽だが、これはこれで気鬱な単純作業だった。
夏休みが終わりフルタイムから週2日のパートタイムに変わると、完全に麦チョコ要員になった。なのでフェードアウトするようにやめた。社員旅行の積み立て金を返してくださいとはさすがに言えなかった。
さもしくも、世知辛くもないお客さん
たかが学生バイトの「ひと夏の経験」に大層な御託を並べるつもりはない。けれども、編集記者の仕事で職人さんに取材する機会があるたびに思い出したのが、この時のことだ。
職人はその技を言葉ではなく身体で受け継ぐ。例えば駆け出しの板前は「追い回し」といって下働きだけを命じられる。だが鍋釜を洗うにもうまい手はずがあって、やっていくうちに自分でそれに気づかなければならない。鍋釜洗いひとつにしても奥が深い。それがわからず漫然と仕事をしているようでは、容赦なく見込みなしの烙印を押される。包丁を握るようになっても、先輩はいちいち口では教えてくれない。失敗を重ねつつ体得していくしかない。料理人に限らず昔の職人はみんなそうして一人前になった。
というようなことは頭では理解しても、なかなか実感としてつかめない。乏しい体験からかろうじて推察するに、あの夏の炎天下に徒手空拳で放り出された漬物行商に「習うより慣れろ」の職人世界の一端があったのかもしれない、と思う。社長もA先輩も、売るためのコツやら説教がましいアドバイスなど、酒の席でさえ口にしたことがなかった。それぞれ自分のやり方があるのだから、そんなことは自分で考えるしかない、自分で考えてこそ身につく。結果的に行商職人としては失格だったのだけれど、「門前の小僧、習わぬ経を読む」というのはこういうことなのかもしれない、と今にして思うのだ。
しかし門前の小僧が習わぬ経を読むには、どうしてもある程度の時間がかかる。ショートカットの近道はなく、遠回りのようでも王道を進むしかない。「効率性」というプラスチック・ワードがしゃしゃり出る隙はないのだ。暗黙知を「見える化」すれば形式知にはなるかもしれないが、それがきちんと継承されるかどうかは、また別の次元の問題というしかない。
それにしても、インターホン越しに「ウチは結構です」と冷たくあしらわれた新興住宅地の立派な門構えの家と対照的に、怪しげなセールストークに「ノって」くれたとしか思えないボロ長屋のおばちゃんたち。ムダに悪戦苦闘している学生バイトを哀れに思って同情してくれたのかもしれない。いずれにせよあの人たちには、おトクなことしか考えない今どきの「生活者」(これもプラスチック・ワード)のさもしさも、世知辛さも感じなかった。
「紙」の運命
「電子メール」、「電子書籍」でなく
「電紙メール」、「電紙書籍」としよう
菅野礼司
インターネット通信が紙の新聞・書籍に取って替わろうとしている。二千年以上前に文字を書くために紙が発明された。木簡や粘土板に代わり、紙は人類の貴重な歴史記録を残してくれた。その後印刷術の発明と改良により文字による文化は急速に進歩したが、紙の製造が追いつかず紙は非常に不足していた。「必要は発明の母」である。十九世紀に木材を原料とする紙が多量に製造されるようになったが、それまでは紙は貴重品であった。
ところが現代では、紙は印刷以外にも多方面に使用されて私たちの生活の隅々まで浸透している。社会活動のみならず日常生活でも紙のない生活は考えられないであろう。だが、安価な紙が手軽に手に入る今日では複写紙やティッシュペーパなど湯水のように無駄遣いし使い捨てている。戦後の物資不足時代に育った者から見ると、紙に限らず無駄遣いは目に余るものがある。物が溢れていると、空気や水のようにその有り難みが分からない。
今や紙のゴミは莫大な量となり、その処理には大変なエネルギーと労力を要する。木材資源保護と環境保全のため古紙が再利用されるようになったが、再生回数にも限界がある。
紙製品の代替物もいろいろな物がかなり出回ってきた。紙袋はビニール袋に、手紙は電子メールに、などなど。今後、紙の代替が急速に拡がり大きな問題となるのは新聞と書籍である。20世紀には書籍の発行部数は指数関数的に増えて、図書館ばかりでなく個人の書斎にも溢れて置き場に困るようになり、邪魔者扱いされるようになった。そこで登場したのがインターネットである。
インターネット画面が印刷紙の代わりをすることは環境保全のためには望ましいし、情報化時代の必然的変化であろうが、紙本来の役目が消えていくのは残念で寂しい。
そこで、呼び名について提案したい。「電子メール」や「電子書籍」と呼ぶのは科学的にもおかしい呼び名であるから止めたい。直接電子を見たり、使ったりしているわけではないのに「電子・・」というのが多すぎる。たとえば「電子レンジ」は電磁波レンジである。
これまでの文字と紙の関係の歴史を残し、昔の「紙手紙」の温もりや、「紙製本」を手にして読んだ名残をとどめるために「電紙メール」とか「電紙書籍」と呼びたい。
ちなみに「電子投票」は「電紙投票」とすべきだろう。
「企業経営の倫理指針」:ピーター・F・ドラッカーのことば(選訳・註 海野光三郎)
訳者 海野光三郎 紹介 法橋 登
進化する21世紀の企業経営。海野光三郎は2005年に96歳で亡くなったドラッカーの経営進化論に出合って学者から企業家に転身し、1975年に資本金1000万円で機械会社を仙台に設立し、事業を火花放電ストリーマーと計算機制御による精密機械部品の自動加工に専門・特化し、現在資本金6000万円、従業員140人ながら1部上場企業35社65工場を含む世界のおよそ1000社に製品を納入する年間売上げ25億円の
世界でオンリワン会社に育て後継者を得たのちこのほど現役を勇退した。社名のワンプラスエンジニアリングはこのオンリワンからとっている。
日本の放電研究は1937年に大西洋横断飛行の最後にアメリカで爆発事故を起こしたドイツツェッペリン社の飛行船ヒンデンブルクの水素爆発火花放電起因説の検証を海軍から委託した寺田寅彦研の湯本清比古が日本ではじめて担当したテーマである。中谷宇吉郎、平田銛三とともに寺田研三羽烏と呼ばれた湯本はのちに創設時の日立中研副所長に迎えられ、戦後の原子力部門の新設に関わった。医師だった光三郎のお父さんは大阪大爆撃で殉職した。大阪には原爆投下後に最後の大爆撃があった。
ドラッカーは8歳のとき両親の紹介でオーストリアの精神科医フロイトと会い、フランクフルトで法学の学位を得たのち新聞記者としてヒトラーともインタビューしている。しかしナチへの不信からロンドンに移りケインズから直接経済学の講義をうけたが、ヒンデンブルク
事故のあった1937年にアメリカに移民した。ドラッカーがアメリカで見たものは、利潤を追求する個別経営者ではなく、生産と損失回避を二大原理とする社会制度としての企業と未来に向かって進化する経営だった。ドラッカーは自分は社会環境に住む社会生態学者だとして自然生態学者や自然環境主義者と区別し、体系性と歴史性に乏しかったアメリかの経済学から経営学という新しい研究分野を分岐させた。
ドラッカーの度々の来日講演やIT社会、知識労働者、標準化、民営化、年金基金社会主義などのキーワードによる現代日本の総括や未来の示唆に影響を受けた200名近い経営者や学者を会員とするドラッカー学界も創設された。ドラッカーとキーワードを共有する光三郎にも歯車人(ハグルマビト)、要人(カナメビト)など日本の古代技術者を連想させる造語があるが、夜間余剰電力を利用して残業ゼロにする「二直制」(勤務時間を9.00~18.00: 18.00~24.00の二交代とする)や日本で失われつつある伝統的手仕事職人の「スキル」のデジタル化による永久保存と世界への発信は光三郎の独創である。
内容紹介 海野和三郎
1.自らの成長も自らの責任である
・「自らの成長に責任を持つ者は自分自身である。」
・「自ら成果を上げる存在にするのは自分自身である。」
・「組織と自らを成長させるには何に集中すべきかを自らを問わなければならない。」:『プロフェッショナルの条件』
・「自らの得るべきところを知るには自らである。高い要求を果たすのも自らである。飽きることを許さないよう予防策を講ずるのも自らである。そして仕事を心躍るようにするのも自らである。」
・「自らの成長につながる最も効果的な方法は自らである。高い要求を果たすのも自らである。」
・「自らの成長につながる最も効果的な方法は自らの予期せぬ成功を見つけ、その予期せぬ成功を追求することである。ところが殆どの人が問題に気を取られる。」
・「13歳の時 宗教の先生のフリーグラ牧師が何によって覚えられたいかね、と聞いた。誰も答えられなかった。すると、『今答えられると思って聞いたわけではない。でも50になって答えられなければ人生を無駄に過ごしたことになるよ。』と言った。:『非営利組織の経営』
・「今日先進国社会は自由意志によって職業を選べる社会へと急速に移行しつつある。今日の問題は選択肢の少なさではなく逆にその多さにある。あまりに多くの選択肢、機会、進路が、若者を惑わし悩ませる。」:『断絶の時代』
2 時代は組織社会であり知識社会である
・「組織は常にそれ自体が専門化した存在である。すべての組織が目的によって規定される。いまやあらゆる先進社会が知識社会となった。」
・「成果を上げる能力によってのみ現代社会は二つのニーズ、即ち貢献を得るという組織のニーズと自らの目的のための道具として組織を使うという個人のニーズを同時に満たすことが出来る。」:『経営者の条件』
・「今日では知識を基盤とする組織が社会の中心である。知識や理論を使うよう学校で教育を受けた人達のますます多くが組織で働いている。彼等は組織に貢献して初めて成果を上げることが出来る。」
・「成果を上げるよう意識して努力しない限り、周りを取り巻く現実が知識労働者を無価値とする。」:『経営者の条件』
・「現代の組織はボスと部下の組織ではない。僚友によるチームである。現代の組織は知識の専門家によるフラットな組織である。」:『ポスト資本主義社会』
3 さらに情報社会である
・「データーは情報ではない。情報の原石に過ぎない。原石に過ぎないデーターが情報となるには目的のために体系化され仕事に向けられ意志決定に使われなければならない。」
・情報力とは情報を入手する力ではなく、情報を解釈して利用する力を意味することになった」:『未来への決断』
・「IT革命は、プロセスを変えたに過ぎない。情報自体にはいささかの変化ももたらしていない。」
・いいコマースは経済、市場、産業構造を根底から変える。製品、サービス、流通、消費行動、労働市場を変える。さらには社会、政治、世界観、われわれ自身に「インパクトを与える。」:『ネクストソサイエテイ』
・「未来の組織が現実のものになりつつある。それは、情報が機軸となり構造体となる組織、つまり情報型組織である。情報量は情報の中継点、つまり階層の数がひとつ増えるごとに半減し、雑音は倍になる。」:『実践する経営者』
4 企業という組織を考える
・「組織とは共通の目的のために働く専門家からなる人間集団である。」:『ポスト資本主義社会』
・「ベンチャーに取り組むのであれば、製品やサービスの意味を決めるのは顧客であり、自分ではないことを思い起こす仕組みを作らなければならない。事業とは顧客の創造だ。」:イノベーションと企業家精神』
・「利益とは企業存続の条件である。利益とは未来の費用、事業を続けるための費用である。諸所の目標を実現させる上で利益に欠ける企業は、限界的な危うい企業である。」
・「家族、親族、地域共同体など存在そのものに価値を持つ人間集団と異なり、目的を組織の外に持つ。」: 『マネージメント』
・「企業をはじめとするあらゆる組織が社会の機関で
ある。組織が存在するのは、組織自身のためではない。社会、コミュニテイ、個人のニーズを満たすためである。組織は目的ではなく、手段である。」
・「事業を成功させるには社員が最高の仕事を出来る環境を作らなければならない。」:『P・F・ドラッカー理想企業を求めて』
・「組織が存在するのは、組織自身のためではない。企業
をはじめとするあらゆる組織が社会の機関である。」:
『経営の哲学』
・「完璧な組織構造などありえない。」せいぜい出来るこ
とは、問題の少ない組織を作ることである。」:『マネージメント』
・「最も重要な五つの質問とは、われわれのミッションは
何か、われわれの顧客は誰か、顧客にとっての価値は何
か、われわれにとって成果は何か、われわれの計画は何
か、と言う五つの質問からなる経営ツールである。」
・「五つの質問がもたらすものは行動のための計画である。
計画とは明日決定するものではない。決定し行動するこ
との出来るのは、常に今日である。明日のための目標は
必要である。しかし問題は明日何をするかではない。明
日成果を上げるために今日何をするかであ。」:『経営者に送る五つの質問』
・「顧客が事業の土台であり、事業の存在を支える。顧客だけが需要を創出する。社会が企業に資源を託しているのは、顧客に財やサービスを提供させるためである。」『現代の経営』
・「事業は何かを知る第一歩が、顧客は誰かを考えることである。次に、顧客はどこにいるか、顧客はいかに買うか、顧客にいかに到達するかを考えることである。
・「顧客が価値ありと考えるものはあまりに複雑であって、彼等だけが答えられることである。憶測してはならない。顧客のもとへ行って答えを求める作業を体系的行われなければならない。」:『現代の経営』
・「われわれは未来について二つのことしか知らない。ひ
とつは、未来は知り得ないこと、もう一つは、未来は今
日存在するものとも、今日予測するものとも違うという
ことである。自分で作ることである。」:『創造する経営者』
・「およそ企業の内部にはプロフィットセンターはない。
内部にあるのはコストセンターである。技術、販売、生
産、経理のいずれも、活動があってコストを発生させる
ことは確実である。しかし成果に貢献するかはわからな
い。」:『創造する経営者』
・「えてして会社は自らの経営幹部に対し、会社を生活の中心に据えることを期待する。しかし仕事オンリーの人は視野が狭くなる。会社だけが人生であるために会社にしがみつく。」『現代の経営』
・「組織の構造とは組織が目的を達成するための手段であ
る。したがって構造に取り組むには、戦略から入らなけ
ればならない。経営学者アルフレッド・チャンドラーの
名言『組織は戦略に従う』だった。」
・「組織にとって最適の規模とは、組織の機能や仕事に必要な情報をもっとも有効に扱うことの出来る規模である。」:『マネージメント』
・ 自らの強みに焦点を合わせ、強みでないことは他社
に任せなさい。」:『P・Fドラッカー理想企業を求めて』
・ 人を動機付け、献身と力を引き出すもの、最善を尽
くさせるものが、組織の分化である。」
・「優れた組織の文化が存在することによって、投入した
労力の総和を超える力が生み出される。そのとき力の創
造が行われる。」:『現代の経営』 (続く)
人間に伴う「場」について
南原律子
テレパシーを感じやすい人と、そうでない人がいる。科学的に解明して欲しい問題である。私は感じやすいようである。そのせいか心理学者ユングに興味がある。
私は毛虫が嫌いだ。ある日玄関を出て門を開けようとすると,ふと“毛虫がいる”と思った。ふり返るといるではないか!その時私は,毛虫を見た気持ち悪さと同時に,毛虫がなんともいえない空間のひずみを作っていることと,自分がそれに気づいたことに驚いた。私は毛虫を見ていないし,毛虫は匂いも音も発しないので,脳の知覚野が認知したわけではない。これを物理学的に考えると次のようになる。毛虫はその周囲の空間に何かを出して「毛虫場」を作っていた。その場に私の体(脳?)が反応して毛虫の存在を知ったのではないだろうか。
この他にも、私の考えたことを誰にも言っていないのに,その内容を人が話し出すのを聞いてびっくりすることがよくある。先日も運転免許の更新に行ったとき、講習会場で「2ヶ月前に右折しようとしてタクシーとぶつかったので優良運転者とは思えない」と考えていたら、受講終了のスタンプをもらう時に私だけ「気を付けてください」と言われた。人間も「人間場」を作っているのではないだろうか。私の作っている「人間場」は,私の考えた事を人に伝えやすいようである。この場は空間距離も関係ない。ツイッターを,キーボードに入力することなく日常行っているようなものだ。それは“気の毒に”と同情してもらえる事態なのかもしれない。確かに納得できる説明を得るまでは不思議でたまらなかった。けれども悪いことばかりではない。私が“こうなったらいいな”と思うことは不思議と実現するのである。その達成は全てが私の努力によるわけではなく,私以外のエネルギーに導かれていることもある。
人が生きて行くには,人間を含む自然のしくみを理解することが必要だ。大災害の状況を見ていると自然の威力はものすごいが,自然には意志がない。他方、人間は善意や悪意の意志をもって働きかける。だから学校では自然や人間の本質、および両者の関係を理解させることが大切だと思う。知識や娯楽については,今やアイパッドも登場して獲得するのに苦労はしない。けれども自然の本質を理解していないと,それらを使いこなしたり,夢を実現したりすることは困難になるであろう。
理科教育で紹介される自然の本質の中で,大切であるにもかかわらず、最も軽く扱われているのは,「場の概念」ではないかと思う。高校物理にでてくる「場の概念」は電界のところであるが,ほとんどの教科書が「空間そのものに力を伝える性質がある」という書き方をしている。私は高校生の頃から「なぜ“電界”とは“電気的エネルギーが存在する空間”と書かれないのだろう?」という疑問をもっていた。電界は“空間の性質”というよりは,電荷に力を作用するのであるから“エネルギー的存在”であろうと思っていた。そして大学の電磁気学の授業を楽しみにしていたら,教授は黒板にいきなり“電場のエネルギー”というテーマを書かれて,数式が展開されていった。電場エネルギーを計算しているのだから,電場にエネルギーがあるのは当然といった具合で,空間にエネルギーが存在するのかどうかは解説されなかった。そこで書店で「空間にエネルギーが存在する」という文章を探したが,見つけることができなかった。この疑問は30年間も私を悩まし続け,昨年やっと一応の理解に達した。相対性理論によればエネルギーは物体だけが所有するものではなく,空間にも存在する。場はエネルギーをもつ物理的実体である。この事実は教科書にも書かれていないのであるから,一般に知られていないのではなかろうか。
私の仮定している「人間場」も,空間に存在するエネルギーの一種ではなかろうか。人間が集まってできる“場”ではない。人が存在すると,周囲の空間はある種の「場」を伴っていると思う。“人の気配”とか,“殺気を感じた”とかいうのも「人間場」がキャッチされたのではないかと思う。遠赤外線がそれを媒介するという説もある。しかし、遠く離れたところまでは無理だろう。
アインシュタインは「もっとも不思議なことは,自然の一部である人間が,その自然の仕組みを理解できることである」と言った。確かにいくら科学が発達したからといって,自然のすべてが解明されたわけではない。テレパシーの問題もその一つであろう。すべての自然物は「場」によって結ばれ、相互に反映し合っている。中国の「気」はその「場」ではなかろうか。
学校教育の内容は,時代の変化と社会情勢,環境などに適したものを選択すべきである。物理的場に限らず、「場の概念」は人間や自然を考える上で重要なので,高校物理においても正しく表現し解説してほしい。
(編集 菅野)