私達の教育改革通信
第 146号 2010/10
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「考える力を育てる教育」
田丸謙二
日本には「考える力を育てる教育」が乏しくイノベイションの変化の速い時代をリードすることが出来ない恐れがあります。コンピュータの時代には変化が速くなる時代をリードするのは知識ではなく考える力が基本です。
私の孫がアメリカで小学校に行っていましたが、母親である私の娘が校長にどんな教育をするかとの問いに対して、independent thinker を育てることをその一つに入れており、自分の言葉でdebateし、「貴方は如何に考えるか」ということを繰り返し訓練していました。各人は顔が違うように資質も異なるので、そのいい点を引き出す(educeする)educationがわが国には乏しいのです。「和をもって貴しとなす」「皆一緒」の「美風」が「個」を育てることをおろそかにしているのではないでしょうか。立花隆の「天皇と東大」にもありますが、東大生は「教えられたことを理解しそのまま覚えていることは得意にしているのが多いいが、creativeに自分で考えることが苦手なのが少なくない」と言います。
入試が「思考力」を調べないからです。高校でも理科は「解ったか覚えておけ」という「自分の頭でcreativeに考える」こともなく、入試対策の教育ですから大学に来ても講義を聞いてもろくな質問もなく、大学院に来て「先人のしなかったことをcreativeに考えろ」と言っても自立していないので、つい「練習問題」的なことを「研究」だと思いこんで一生損をします。ケンブリッジ大学の入試では「知識の量」は問題にせず、面接に時間をかけてどれだけ思考能力があり、入学後も伸びて将来国を支える人材を選ぶ努力をしています。私は「折角いい頭をお持ちなのですからしっかりと考えなさい。頭は使うほどよくなるものです」と口癖に繰り返していました。それが田丸研の「家訓」になっていました。田丸研出身
者で東大教授が8人も出ました。その大半は東大にいたからなったのではなく、理研、東工大、横国大、北大(二人)などに就職して自立して優れた研究結果を出したので東大に招かれたのですが、その他にも京大、阪大、東工大、北大などを含めて30人余りの「大学教授」が生まれましたし、その他にも理研、国立研究所、企業の研究所などで活躍をしているものも少なくなく、紫綬褒章も4人受賞をしています。これは決して自慢話ではありません、IBM という先端的な会社では「社訓」として「think」という言葉を各自の机に載せていて、先週も私の研究室の卒業生たちが拙宅の庭の「草取り」(本当は「バーベキューパーテイ」なのですが、「草取り」と言った方が「飲み会」というより女房が納得すると言っていました)に来た時もその一人がIBM に務めていたので聞きましたら、ポケットより「think IBM」と刻んだボールペンを取り出しました。誰でも自分は考えていると思っていますが、他所から「考えろ」と言われるとそれだけ自分で考えてcreativeになるものです。
東大教授をした一人の弟子が昨年に亡くなり、今年彼を偲ぶ会を致しましたが、彼がガンで亡くなる前、息も絶え絶えになりながら「よく考えて仕事をしなさい」、「もう一度考えなさい」と「考えろ」ということを最後まで繰り返しつぶやいていたそうです。「田丸研の家訓」を最後までつぶやいていたことを未亡人から聞いて感無量でした。
現在世界的に、コンピュータの時代に備えて、「知識」よりも「考える教育」が広まっています。日本でもそれを真似をして「ゆとり教育」を始めましたが、教師自身も「考える教育」を受けたこともなく、「学力の低下」になりました。このことは日本の教育に関して基本的に肝心なことではないでしょうか。
「ノーベル賞世代」の私達の責任
嶋田一郎
今年のノーベル化学賞受賞で、「日本人受賞10年で9人」の活字が新聞紙上で踊っていました。日本の科学のレベルの高さを物語っています(受賞者鈴木北大名誉教授談話)。しかし正確にはこのレベルは、数十年前の日本の科学のことです。このころは、直接に経験しないまでも、安保闘争があり、大学闘争や大学立法反対闘争が全国的に燃え広がった時代でした。長くは続かなかったものの、学生も含む学長・学部長の選挙、助手を含む人事選考委員会や全教員の参加する教室会議などの民主化体制が広がりました。当時の研究状況は、身近な例を挙げれば、東北大学教養部では助手以上の研究費は基本的に平等になりました。実験系では、実験設備は貧弱でしたが、いろいろ集めると1人100万円近くを校費として自由に使うことが出来ました。貧しいけれど比較的に研究の自由と自分の時間があったのです。この時代を若き研究者として過ごした私達の世代の頂点が日本のノーベル賞受賞者達なのだと思います。もうあまりノーベル賞受賞者は出ないかもしれないという恐れも込めてこの世代を「ノーベル賞世代」と言っておきます。
この後、日本は高度成長期を本格的に迎え発展しました。同時に公害や格差拡大などの深刻な矛盾も噴き出しました。大学臨時措置法の下におかれ、定員削減が続いた大学は、民主化体制が形骸化していき、大学予算の校費は停滞しました。物価の上昇により実質的に目減りする中、見かけは新しい看板を掲げた概算要求に必死に活路を見出そうとしたのです。様々な「大学改革」が試みられましたが、殆ど政治の壁に遮られて実現せず、深い徒労感が残りました。この20年間はボディーブローのように効いて、2000年代に入って政府から法人化の攻撃がかけられた時には、大学にはもう反撃する力が残っていませんでした。このような流れの中で、私達「ノーベル賞世代」は、多くは無自覚なまま、中核的役割を果たしてきたのです。残念ながら今の日本の科学は惨憺たる危機的状況にあります。競争的環境の中で、一層厳しくなる自己の研究条件の維持拡大に汲々として、後の世代のことをどれだけ広く深く考えてきたでしょうか。私達が直接育てた世代は、今や40代50代となり、日本の社会と学術を動かしています。そして成長し実りあるべき若き世代は全く悲惨な状況にあります。大部分が使い捨ての‘日雇い’研究労働者です。この責任の根元は、今の中核世代を育てた「ノーベル賞世代」にあるのではないでしょうか。なぜ私達の世代は、自らの若き時代よりも豊かな研究状況を、今の若き研究者に残すことが出来なかったのでしょうか。どこで何を間違えてしまったのでしょうか。この機会に、私達世代が「ノーベル賞世代」の問題点を突き詰め、誤りと教訓を明らかにして、次の世代に語り伝えるべきでしょう。このことが、私達の世代の最後の役目だと思います。
植物工場 法橋登
1973年と1979年に二度起こった石油ショックのあと、日本の産業界は製造業と輸出に牽引された戦後の高度経済成長を再現しようとする通産派とリサイクル農業に支えられた食糧の自給自足と内需喚起によって石油依存から脱却した新しいライフスタイルを発見しようとするようとする科技派に分かれた。
私は科技庁資源調査所の助成研究員としてトータルライフサイクルエネルギー研究会に出向し、生命保険会社で計算する年齢別職業別生命の値段を年齢別産業分野別
エネルギー消費(電気・ガス代)に置き換え一生の間に個人が消費するエネルギーと生涯収入の比から石油換算エネルギーコストを計算する積み上げ法を提案した。省エネ型産業構造と職業別省エネライフスタイルを提案するためである。通産派は通産官僚だった堺屋太一が著書「油断」でよびかけた「石油より安い新エネルギー開発」によって新産業を輸出産業に育て、戦後の成長体験を再現する目標をたてた。科技派は資源調査所が水資源調査所として明治時代に創設され、水資源の枯渇によって石炭資源調査所にかわり、石炭資源の枯渇によってただの資源調査所に変わって石油戦争になった過去の記憶から、水資源の乏しい産油国の井戸元で自噴原油が水より安く石油資本に買われ、自国の消費者が買える値段をつけられ、自国の石油資源は世界が枯渇するまで手をつけない、という富者の身勝手がいつまでも続くとは思えず、産油国の工業化による水資源の枯渇が石油の枯渇より早くなることを心配していたからである。
石油ショック当時私が勤めていた国分寺の研究所では千葉大学園芸学部古在豊樹教授がよびかけていた国家プロジェクト「植物工場」の実証試験を科技庁から受託した。古在さんのお父さん由重はマルクスより優れた思想に出会ったら直ぐ転向すると話して化学者から哲学者に転向したが、本人は祖父が専門にした農芸化学を引き継いだ。私は当時すでに科技庁から受託した実験用国産一号原子炉プロジェクトに入っていたが植物工場プロジェクトからも声をかけられた。実験も計算機も苦手な私はヒマに見えたらしい。植物工場は江崎以来日本の得意分野である発光ダイオードなどを使う人工太陽の補助と液肥による植物の無土壌、無菌、無農薬、周年栽培を実現しようとする農業自動化の試みである。植物は最終生産物(種子)を残すために必ずしも植物にとって最適ではない自然環境のなかで体細胞の栄養生長を生殖生長に転換しなければならない。しかしレタスのような体細胞だけを利用する葉菜では生長方程式は簡単な非線形カオス型:dy/dt= ay(by)になる。yは生体乾重量,tは時間、a,bは植物種ごとに遺伝的に最大値が決まっている乾重量の初期値と終期値である。
私を植物工場に誘った高辻正基の父は佐藤内閣時代の野党の質問に日米安保の適用範囲の北限を沿海州沿海と答えた法務大臣で、今大臣ならば安保適用西南限は尖閣諸島と沖の鳥島の間と答えるだろう。高辻の専門は非線形光学で重力レンズの非重力非線形光学現象説はネーチャー論文になった。高辻も私も農学の素人なので植物生理学の教科書類を読みながら植物工場の原型である施設園芸やビニールハウス栽培の現場で専門家の話をきいた。千葉の牧草研究所では同じ科技プロジェクト「阿武隈畜産団地」の話をきいたが、阿武隈では現地の雑草より強い牧草の育種に成功しなかった。高辻と私は「植物生長の数理モデル」を数理科学誌に発表して科技庁への研究成果中間報告の添付資料にした。プロジェクト終了後高辻は東海大学に移り、植物工場学科を創設して初代教授になった。
古在さんは物理環境調節による培養植物の生長制御と大量増殖の研究によって国内関連学界賞のほか国際共同研究によって昆明市科学賞、中国の社会発展と文化への貢献によって外国専門家友誼賞などを受けている。ロシヤ、中近東諸国、サウジ、カタールも熟練作業員を必要としない植物工場導入に関心を示している。生長初期の苗の密植による競争効果(せり太り)を考慮した生育に伴う株間調節も自動化してある。水の大量消費を伴う洗浄や仕分けがいらないので、生産物は工場から直接学校給食や外食レストランにの現場に届く。先進国の中では比較的水資源に恵まれた日本に産油国から石油を運ぶタンカーの復便のバラストがわりに水道や産業排水の浄水処理施設を積む‘等価交換’のアイデイアも現実化しようとしている。もともと人工太陽を使う植物工場は日照不足による壊血病や白人に多い遺伝障害から子供を守るモヤシをつくるために小規模には極北白夜地帯の小学校で、大規模にはデンマークで始まった。日本の石垣いちごが施設園芸の世界一号だというひともいる。植物工場は英語ではculture technology と呼ばれるひとつの文化運動でもある。
石油ショック以来通産「油断」派が進めてきた日本の太陽光発電は国家助成を背景に2004年には世界総発電量の50%を超えるシェアを達成し世界一位になったが、油断した国が助成を打ち切ったため2008年にシェアが18%まで下がり世界六位になった。2009年に助成が復活したが翌2010年に日本の工業規格に適合した住宅向け太陽光発電が中国から逆上陸した。発電コストは日本の7割、2020年には5割になるという。日本からの工場移転や定年退職した優れた技術者や学者の寄与が逆上陸に貢献している。中国からの古在教授に対する度々の顕彰もそれを物語っている。2010年には経済産業省が改めて植物工場を輸出産業に育てるための支援を再開したが千葉大学名誉教授になった古在さんは去る2010年5月の記者会見で支援再開の理由を国に代ってこう答えた:官産学が一つになって風向きを変えなければ日本の工業と農業は共倒れになるからです。
中国さん、ノーベル賞おめでとう
中條利一郎
中国共産党様、この度の劉暁波氏のノーベル平和賞の受賞、おめでとうございます。中国が大好きな私にとって素晴らしいニュースです。心からお慶び申し上げます。オリンピックなど、体育会系の行事では、沢山の金メダルなどを取っていても、ノーベル賞にはどうしても手が届かず、世界中から貴国は体は一流だが、オツムは三流だとバカにされていたのが、漸く、オツムも一流と評価されるきっかけになった慶事です。貴国の人口は、わが国のそれの10倍あると伺っています。単純計算でも、100人を超える受賞者がいて、はじめて、わが国と肩を並べられることになりますが、その一里塚であることに変わりはありません。
貴国が固有の領土と主張なさっているところにルーツを持つ人で、受賞者がいなかった訳ではありません。でも、いずれもアメリカで学び、アメリカ国籍を取得している人々です(たしか、3人と記憶します)。ですから、例えば、国別受賞者数表などを作成する際、中国人とはカウントされないので、貴国としては、今まで、苦々しく思っていらっしゃったことでしょう。また、貴国が、無理矢理、自国の領土に組み込んだチベットからも、ダライラマ氏が受賞されています。貴国から見れば、彼も中国人受賞者として数えたいでしょう。でも、彼は中国籍を取得することを快しとしていません。そのことをよくご存じの貴国としては、これまで、ノーベル賞受賞の候補者が出ると、その人が外国へ行ったり、外国籍を取ることを躍起になって阻止されたのもわかります。最も単純で、かつ貴党にとって安全な方法が牢屋に閉じ込めることです。世間では劉氏の逮捕について喧しい議論がありますが、文明国家を任じていらっしゃる貴国が世間で言われているような野蛮な理由で逮捕されるとは信じられません。名前は牢屋でも、実態は国の威信を発現する人として、手厚く遇されているものと存じます。ただ、ひたすら貴国人としてカウントされるようになさっただけですから。貴国にとって幸いなことに、劉氏は牢屋に閉じ込められた状態での受賞が確定しました。もうこれで、誰が何と言おうとも、中国人初の受賞者が出たことに間違いはありません。おめでとうございます。安心して、牢屋から出してあげて下さい。
そうされれば、私はもっと貴国を好きになるのですが。また、最近、貴国を悪く言う人や国が増えて来ました。そういう人や国も貴国を好きになるか、それに近い方向へ変わるものと信じます。
恐怖の予告!? 今年の夏は何故 暑かったか 海野和三郎
地球温暖化の影響があるのか?来年は、再来年はどうなるか、心配である。一方、地球温暖化はウソである、とする説も少数ではあるが後を絶たない。CO2削減25%は日本経済にとって過重負担である、というのが影の動力であるらしい。それも、CO2地球温暖化説の理論が判っている人が少なく、温室効果と温暖化とが全く別の物理であることの理解に欠けている為である。単に、政治経済の問題ならば、破局となっても、10年か20年も経てば成るようになるが、地球温暖化の問題は下手をすると未来の人類と地球生物の命運を左右しかねない問題であるので、慎重な対応が必要である。
最近、東京雑学大学へエネルギー地球環境問題の講座を聞きに行った時、週間新潮(10/4/13)の「地球温暖化」を眉唾にした「世界的権威」のデータ捏造!?―根拠が消えた「CO2原因説」と巨万の「CO2ビジネス」という記事のコピーを友人からもらった。“データ捏造”というゴシップについては記事を信ずるよりないが、“根拠が消えた”という一句は、全く無責任極まる暴言である。記事によると、英国機構研究所(CRU)ジョーンズ所長がペンシルベニア州立大古気候学者マン教授に宛てたメールに、“トリック”という言葉でデータ操作が伺われる内容があった、とある。恐らく、罪はジョーンズ・マン側にも、それを批判する側にもあり、ジョーンズ・マン側の罪は、「ホッケー・ステイック(HS)」曲線と称した1980年から2000年頃にかけての急激な0.5℃ほどの平均気温上昇をCO2のみに帰着させたことで、批判側の罪はCO2寄与も否定したことである。週間新潮(10/4/13)に載っているデータを見ても、約11年の概周期を主とする太陽磁場活動の影響などの変動振幅は、「ホッケー・ステイック(HS)」曲線の振幅の半ばを占めており、太陽磁場活動のみとしてもCO2の影響のみとしても無理がある。マンはペンシルベニア州立大というから、CO2温暖化理論の提唱者のジェイムス・ハンセンとは知己であろうが、「ホッケー・ステイック(HS)」曲線はやりすぎであった。マンもジョーンズもゴア元大統領も恐らく温室効果ガスと地球温暖化ガスとはまるっきり違うことも知らず、また、ジム・ハンセンも恐らく太陽磁場活動の地球への影響のことはよく知らないのではないだろうか。また、前にも書いたことがあるが、著名な地球物理学者赤祖父俊一さんや、週刊新潮の解説に出てくる渡辺正教授・伊藤公紀教授らも恐らく太陽対流層における磁場活動の形成や気体分子による吸収線の大気構造に及ぼす影響についてはご存じないであろう。
地球の場合、主たるエネルギー源が外(太陽)にあり、液体・気体・固体と変容する水が地表の大部分を占めて大量にある点が太陽や他の惑星と非常に異なっている。地球温暖化ガスの特性は、吸収線の波長が地表温度が出す10ミクロン以上の超遠赤外域に広い範囲をカバーし、その上それらの吸収線が飽和せず、分子数が増えると半比例的に吸収量が増加するガスである。そうした3つの条件をみたすガスはCO2以外になく、水蒸気などは近赤外の入射光散乱光をも吸収するし、雲や雪になり可視光を反射するから最強力な温室効果ガスであるが、温暖化ガスではなく寒冷化ガスの作用の方が強い。ただ、メタンハイドレートは、地球温暖化ガスの性質を持つと考えられるが、まだ大気中の量が少ないので、温暖化の影響はない。
ところで、今年の夏は暑かった。来年以降の夏が一層暑くならないかが心配である。このところ、太陽黒点が殆ど見えなかったが、もしかしたら、太陽磁場活動の影響が平均としてCO2による温暖化効果を或程度打ち消していたのが、今年になって逆転しだしたのかもしれない。太陽光のエネルギーは光球からほぼ一様に放射されるが、磁場活動のエネルギー放出には1ヶ月程度の太陽自転周期でかなり不規則に変動する太陽表層磁場の異方性があり、「ひのとり」のような衛星をもう一つ二つ打ち上げて、太陽磁場の動きを測定し、同時に、地球気温の分布の変動も同時に測定する事が望まれる。近頃諏訪湖に神渡り(おみわたり)ができるような厚い氷が張らなくなったのも危険信号の一つかもしれないが、享保の飢饉やフランス革命を呼んだ小氷期などの長期の変動や更に長期の氷河期の原因とされるミランコビッチ・サイクルなどは恐らく別件であり、ここでは問題にしない。
以上、要するに、地球温暖化ガスに対する理論的無知と、太陽磁場活動と水の惑星地球の作る超複雑系に対する無知とが重なっているのが現状である。しかし、このままでは多分、2,30年後には、人類にとってのPoint of No Return が来ると思われるので、その前に、平面鏡で作る非結像集光系を利用して、化石燃料より格段に安価な太陽エネルギー工法を確立する必要がある。つなぎに、原子力を活用する必要もあろうが、原子力とても将来に残すべき有限な資源であり、代替エネルギーとしても高々1000年が限度であろう。
最悪の予想は、来年、再来年の夏は更に暑くなり、4,5年は続き、台風その他異常気象がそれを緩和するために大型化するであろうことである。その5,6年の間にも、天然及び人力による植林などでCO2を減らす努力をする必要がある。いずれにしても、化石燃料依存の文明は不自然であり、2,30年しか保たない。65億を超えた人口が生きるためには、非結像集光などによる太陽エネルギーの有効利用以外にない。全人類的な合意が必要である。そのためには、まず事態の正確な理解が緊急に必要である。
複雑系科学における不確実性と
確率的予測について 菅野礼司
複雑系科学において、発展・進化の過程は不可逆であり、かつ一義的でなく不確実であって結果の予測は困難である、それゆえ、確率的予測とならざるをえないといわれている(I.プリゴジン『確実性の終焉』)。その不確実性の原因と確率法則の意味について考察する。不確実性と確率法則を強調しすぎると、不可知論に陥る危険性があるので、そのことを念頭に置いてこの問題を議論する必要があるだろう。
(I)複雑系の発展・進化過程の不確実性と予測不可能性の要因:
1)複雑系は構成要素が多く、多種相互作用が複雑にからんでいて、非線形相互作用が支配的である。
2)非平衡散逸開放系であり、不安定な臨界状態の近く−カオスの縁−にある。それゆえ、系の発展過程は境界条件(環境)の影響を受けやすい。
3)揺らぎがカオス的に増幅され易い不安定状態にある。非線形運動法則に従い、解が一義的でない。
4)新たな質や機能が創発されるが、創発の種類と形式は内部状態ばかりでなく、外部からの作用にも依存する。それゆえ、発展の予測が困難である、
5)初期条件(1次情報)のみでは発展過程は決まらず、創発形式は環境からの作用(2次情報、3次情報)にも依存する。
これらの原因が絡んで一層不確実性が増し、予測不可能になるといえる。
(II)相互作用の非線形性とカオス
i)決定論的方程式は積分可能である限り、初期条件を与えれば解は一義的に決まるから未来の状態を正確に予測できる。しかし、相互作用が複雑になると、非線形方程式などのように積分不可能になる。そのような場合は、解が一義的でないために予測が出来ない。
よく知られている例はポアンカレーの3体問題である。決定論的ニュートン力学でも、3体以上の系では2つ以上の天体が互いに同時に重力を及ぼし合うので相互作用が複雑になり、非線形方程式となって積分不可能である。この3体系の例では、特別な配置状態(3体が正三角形など)を除いて、積分できず一義的解は存在しないので未来の状態の予測は出来ない。したがって、決定論的理論でもカオス現象となり、遠い先の予測が不可能な場合がある。自然界では、一般的にこのような場合の方が多い。非線形方程式では、パラメータや初期条件を変えることで、解がドラスティックに変化したり、分岐解が生ずるのでどの分岐枝を取って進行するのか一般的に予測は困難である。
ii)複雑系は多体問題である上に、非平衡開放形であるから、絶えず境界(環境)からの作用の影響を受けつつ変化発展する。だから初期条件のみでは将来の状態は決まらない。とくに、カオスの縁にある不安定な非平衡状態は初期条件や境界条件に敏感に反応するので、予測は一層困難である。
開放系は内部状態と外部環境との相互作用(物質、エネルギー、エントロピーの出入)が絶えずあるので、系の発展方向は内部状態のみでは決まらない。初期条件を1次情報とすると、発展過程で創発される質や機能は2次的、3次的情報となり、それによって変化発展の方向が左右される。たとえば、生物個体の発生過程では成長はDNA(1次情報)のみでは決まらない。DNAの1次情報のみに支配されて発生が進むならば、細胞分裂では同じ細胞しかできないので組織分化は起こらない。細胞分裂による成長過程で細胞配置(内部や外部)や重力作用に差が生じ、それによって組織分化が起こるが、それらは2次的、3次的情報である。
初期状態の1次情報が十分に得られた場合でも、2次、3次情報による創発の状況が予測できないなら、複雑系の変化発展は予測できない。もし、1次および高次の情報を正確・精密に知りうるならば、決定論的法則に従う現象は予測可能なものもあるはずである。
(III) 確率的選択とその解釈
カオスの縁にある複雑系は、長期間後の結果の予測が困難で、かつ解が一義的でないためにその発展過程がどの分岐枝を取って進行するか不明である。それゆえ、系の進行はいかなる分岐枝を選ぶかの予測は確率的にならざるをえない。しかし、その選択法則が予測できないのは、必ずしも原理的に不可能というものばかりでないはずである。なかには系の状態が複雑であるために運動法則(運動方程式)が未知であるからであって、基本的には決まった法則が存在するものもあるだろう。
発展方程式が分かっているが、分岐枝の予測ができない例としてロジスティク写像をとろう。生物の個体数の世代変化に関する漸化式(ロジスティク写像)は
Xn+1 =αXn (1−Xn)
(ただし、 n= 0, 1, 2,・・.を世代番号とし、αは0<α<4のパラメータ)である。これも非線形方程式である。
パラメータαの値により、Xn(n→∞)の収斂する先の値Xが変わる。αが3以下では一定値に収束するが、3≤α≤3.56995の範囲では収斂値が2つに分岐してXはその間で振動し定まらない。さらに、3.56995<αではXnは4つの値の間を変動する。α=4附近では連続的な領域を激しく変動して全く定まらない。
αの値が大きい場合のこの現象は予測不可能な例とされる。このロジスティク写像は決定論的方程式である。αが3以下の場合はXの値の予測は完全に可能である。αが3を越えると、世代nが一つ変わるごとにXnは2つあるいは4つの値を不連続的に変動して収斂しないから、予測できないとされる。αが4附近では全く予測不可能という。しかし、写像式が確定しているゆえ、決まったn番目の世代のXnは計算できて、決まった値を得るのだから予測はできる。ただし、一定値に収斂しないので、nを決めないn→∞での値は予測不可能であり、どの値を取るかは確率的にしか予測できないというのである。それゆえ、このような現象は、全く予測不可能というわけではないことに留意すべきであろう。
ポアンカレーの3体問題のように決定論的運動法則に従うカオス現象は多い。カオス的現象は初期条件が微少だけずれても長時間の後には無限に異なる結果を生ずる。その場合にも初期条件を厳密に与えれば、その方程式を用いてその後の軌道を数値計算によって予測できる。よって決定論的法則の下でのカオス現象の予測不可能性は、初期条件や境界条件の不確実さによるといえる。
予測不可能性を生むもう一つの要因は「揺らぎ」である。閉鎖系でも開放系でも不安定な多体系には揺らぎがある。とくに、非平衡な複雑系がカオスの縁にあるとき、その揺らぎが大きく増幅されて系は不安定になり、系の変化の予測は不可能となる。このような場合は、その系の決定論的運動法則(運動方程式)を見出すことが困難であるから、予測は不可能なのである。
その典型的な例は気象予報である。気象現象は大気の気圧、温度、湿度などが絡み、かつ海と陸地が外的境界条件となる複雑系である。大気が不安定な状態にあるとき、カオス的に揺らぎが拡大される。これらの要因を取り入れた予報理論はまだ不完全であり、大気と外的条件に関する情報も十分でないために、天気予報の当たる確率はあまり高くない。だが近年、人工衛星など観測法の改良進歩と観測量の増加で、データ量の増大と精度の改善で、正確な情報量は飛躍的に増大した。また理論の進歩と大型コンピュータのお陰で、気象予報の当たる確率はかなり高くなった。この先、データと理論の改良でさらに改善進歩し、長期予報の精度も増して行くであろう。
(IV)確率的予測は原理的・不可避的とは限らない
いずれの場合も、複雑系の構成要素数が多く、かつ内部相互作用が複雑である場合は、非平衡・不安定のゆえに揺らぎが増幅されるために、厳密な方程式が発見できないことが不確実性と予測不可能性の主たる原因であろう。また、複雑系は初期条件や境界条件(2次、3次情報も含めて)に強く依存しやすいが、その情報を正確に捉えられないこともその原因である。
すべての現象において、部分系における構成要素間の短時間の素過程は、それぞれ定まった自然法則に従って運動しているはずである。それゆえ、将来、認識が進み、系の運動を支配する法則と初期条件・境界条件などの情報が正確に掴めるようになれば、それ相当の確実性を備えた法則が発見され、予測可能な複雑系が見出される可能性はあるように思える。その意味で、複雑系の予測不可能性と確率法則は原理的なものではないだろう。
ただし、初期条件や境界条件については、ハイゼンベルグの不確定性関係との関係を付言しておく必要があろう。この不確定性関係により、位置と運動量(速度)との積はプランク作用量子hを下限とする不確定性をもっている(Δx・Δp>h/2π)。それゆえ、力学的情報としての初期条件を厳密に決めることはできない。もし、カオスの縁にある複雑系の発展に、プランク定数hの程度の不確定性が問題になるほど微妙であるならば、初期条件や境界条件の不定性から来る不確実性は除去できない本質的なものとなる。
(V)まとめ
以上の考察から分かるように、マクロな複雑系の運動発展に関する予測不可能性や確率的法則性は量子力学の確率法則とは本質的に異なる。量子力学の理論体系は、物質系の状態を表す波動関数の運動を与えるシュレーディンガー方程式(あるいはハイゼンベルグの行列力学)と系の観測に関するボルンの確率解釈(波動関数の絶対値の2乗が状態の観測確率)とからなっている。シュレーディンガー方程式は波動関数の運動に関しては決定論的方程式である。この二つは全く質的に異なる独立な仮定であるから、量子力学は木に竹を接いだような論理体系になっている。ミクロ実体の粒子性と波動性から生ずる不確定性関係の示すように、量子力学の不確定性とボルンの確率解釈とは本質的・原理的なものである。
それに対して、複雑系科学における不確実性と予測の確率的法則は量子力学のそれとは質的に異なることに留意すべきである。将来、科学の進歩によって確実性を回復するものがないとは言えない。したがって、不確実性の内容を吟味して、その意味と条件を明らかにする必要もあろう。とくに、複雑系の不確実性からくる予測の確率法則は、原理的に不可避的なものなのか、それとも科学論理と観測技術が未発達のためなのか、あるいは両者を含むものなのかを明らかにすることは、複雑系科学において重要な課題であろう。
レ ア ア ー ス 雑 感 中條利一郎
今、話題になっているキーワードについて書いて見ようと思う。化学の時間に教わった周期表を思い出しながら読んで頂けると、分かりやすいと思う。ロシアの化学者、メンデレーフが元素を原子量(今日では原子番号)の順に並べてみると、周期的に性質の似ている元素があることに気付いた。これを周期律(periodic rule)という。このルールに従って、元素を横方向に並べて行って、性質の似たものが縦方向に並ぶように改行して、配列した表が周期表(periodic table)である。昔の教育を受けた人は周期律表と憶えているかも知れない。今日では、もとの英語に「律」に相当する語が入っていないので、周期表という。かつては、周期表の下の欄外にLa(ランタン)からLu(ルテシウム)まで15個の元素が並んでいた。Laは本表に入っていて、Ce(セリウム)からの14個が入っていたものもある。いずれにしても、これを稀土類と呼ぶと教わった筈である。英語のrare earthの直訳である。今は「稀」が常用漢字にないので、希土類と書く。希望はまれにしか実現しないから、漢字本来の意味から大きく逸脱している訳ではない。乃木大将の名前が希典で、これを「まれすけ」と読んだことを憶えていれば、もっと理解が速い。つまり、今、世間で話題になっているレアアースというのは希土類のことである。今の周期表では、希土類の列の下に、もう一つAc(アクチニウム)からLr(ローレンシウム)までの15個の元素が並んでいる。今は、これら欄外の両者を合わせて、希土類と言い、両者を区別する時は、それぞれを、ランタノイド、アクチノイドという。ランタンを除いた14個はランタニド、同じようにアクチニウムを除いたものはアクチニドという。話がかなり込み入って来た。文部科学省は「一家に一枚周期表」というキャンペーンを展開している。パソコンから簡単にダウンロード出来るから、手許に周期表のない方はそちらを見て欲しい。
ここで、話がスウェーデンに飛ぶ。ストックホルムの郊外にイッテルビー(Ytterby)という村がある。スウェーデン語で「郊外」の意だが、日本の感覚で考えた郊外とは趣きの異なる寒村である。イッテルビーと、希土類元素の一つ、Yb(イッテルビウム)との類似に気付かれたであろう。有田焼がヨーロッパで珍重されるようになり、しかるべき陶土を探していたところ、イッテルビーで新しい元素が見つかり、それをイッテルビウムと名付けたためである。希土類元素は、皆、性質が似ており、単離が難しい。ということは、他の希土類元素も同じ鉱床から見つかるかも知れない。事実、合計6つの元素が、新たに、見つかっている。Ytterbyの最初の「Yt」を取り去って命名されたのがTb(テルビウム、Terbium)である。さらに、「T」を取ると、Er(エルビウム、Erbium)となる。今度は、もとに戻って、中ほどの「e」と語尾の「by」をとって、Y(イットリウム、Yttrium)となる。この辺で、イッテルビーにもとづいた命名は限界である。そこでストックホルム(Stockholm)の語尾から命名したのがHo(ホルミウム、Holmium)である。スウェーデンはスカンディナヴィア(Scandinavia)半島にある。最後のものはこれに因んでSc(スカンジウム、Scandium)という。有田焼が、思わぬところで、レアアースと関係していることがお分かりと思うが、勿論、ここで言いたいことではない。筆者が彼地を訪れた時、村の中の道路の標識で「Terbium wej」などと書かれていたのを思い出す。「wej」は英語の「way」と同根の言葉である。思い出はそこまでで、イットリウム大福とか、イッテルビウム煎餅などは、どこにも売っていなかったことを付言しておく。
ここで不思議に思われることがあるかも知れない。「Sc」や「Y」は希土類の欄には載っていない! 希土類は、もともと、3族に入るべきところ、はみ出したもので、「Sc」や「Y」は3族に属する。従って、これらは、皆、似たもの同士である。そこで、3族も含めて(広義の)希土類と呼ぶこともあるが、漢字と仮名両方の表記が出来るわが国では、広義のものをレアアースと呼ぶことにして、区別するのが普通である。中学校や高等学校で、レアアースなど教わったことがない、これは一体何だ? と訝っていらっしゃる方があるかも知れない。ナ〜ンダと安心されたことと思う。
今度は、話が中国に飛ぶ。彼国では、地方行政単位の最も大きいものが省(それと同等で市とか自治区と呼ばれるものもある)で、その数は約30ある。「約」と書いたのは、北京政府と台北政府で数え方が異なるためである。それらの一つに青海省と言うのがある。かなり、西の方で、世界地図レベルの縮尺でも掲載されている青海と呼ばれる大きい湖(多少はNaが入っているが)があるところと言えば、お分かりであろう。肥料には三大元素と言うのがある。N(窒素)、P(リン)、K(カリウム)の三つである。他にも重要な元素はあるが、それらは自然界に充分にあるので、上の三つを、特に、三大元素と言い、これらのどれが欠けても、植物は成育しない。中国の固有の領土では、それらの内、カリウムが決定的に不足している。そこで、チベット王国を中国領に組み入れた際、将来、チベットが独立するようなことがあっても、カリウムを産出する地域は中国領として残るよう、チベット自治区と区別して作ったのが青海省である。つまり、中国にとっては、かつてのチベット王国の内、手放したくなかったのが青海省、イザとなれば、独立しても止むを得ないと思っていたのがチベット自治区ということになる。ところが、チベット自治区からレアアースが出たのである。他に、内モンゴル自治区、つまり、ヤルタ協定で、ソ連とモンゴルを二分した際、中国領となったところからも出る。更に、かつての満洲国だったところからも出る。固有の領土からはレアアースは産出していない。
尖閣諸島への中国漁船の領海侵犯以来、急にキナ臭くなって来た。レアアースを外交カードにしないと言いながら、外交カードにしているのが中国である。
1990年代にソ連が崩壊して、15の国に分かれた。そのことを最も気にしているのが、中国共産党で、どうすれば、ソ連の二の舞を踏むことなく、現体制を維持できるかと躍起になっている。しかし、早晩、ソ連の二の舞を踏むだろう。これら抑圧された民族が早く独立すれば、中国のみからでなく、独立した諸国からレアアースを安定的に輸入できるようになると思うのですが。それには年月がかかり過ぎます。代替物質を作る技術開発なども必要でしょう。皆さんはいかが思われますか?
(編集 菅野)