私達の教育改革通信

   145  20109

 

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「最後に巡りくる曲」

古瀬麻美子

ふと思って「Nちゃんが最後に弾いた曲は何だったのかしら」と、Sさんに会ったときに聞いてみたのは、Nちゃんが亡くなってから2,3ヶ月経った頃だった。「子供のための組曲よ、国立(くにたち)で」、日本音楽集団の事務局に勤めているSさんはすぐに答えてくれた。あ、そう・・、と応じた私の声は小さくなっていて、胸の辺りにやっぱりそうなのか、こういうことって何なのだろう、という不思議な思いが大きく広がっていた。‘98年の冬のことだった。

長沢勝俊作曲「子供のための組曲」は箏(こと)、三味線、琵琶、尺八、打楽器という編成の5章から成る邦楽器のシンフォニーのような曲で、‘69に行われた第一回日本音楽集団夏期講習会の課題曲。北軽井沢に全国から集まった若者約100名が2泊3日の間、作曲者の長沢先生はじめ、初演をなさった先生たちのご指導の元に、朝から夕方まで楽器漬けのようになって練習した。長唄のNちゃんは三味線で、琴の私は低音楽器の十七弦箏琴で参加していた。ほぼ全員が初対面同志だったが、夜はコンサートや飲み会で盛り上がった。

そのエネルギーの波に乗った形で「子供のための組曲」をもっと勉強したいと、参加者のうち東京に住む約十名が月に一度集まって練習することになった。Nちゃんも私も参加した。松韻というグループ名で一年間続けた。翌年、日本音楽集団で研究生を募集することになり、松韻から6〜7名が受験、合格。Nちゃんも私も第一期研究生となった。音楽楽理出身のSさんもいた。プロとしての演奏を基準としての練習が始まった。そして2年後、新人演奏会を行い、そのまま日本音楽集団に入団、3年後に私は退団したがNちゃんは団員として活動を続け、定期演奏会、海外、地方公演の他に芸大卒業生による古典の会、お母様が日本舞踊の会主でいらしたからそちらの活動もあり、趣味で煎茶を習い、私生活では男の子と女の子を育て、50才の時‘97,6月末に「現代日本音楽の展開−多彩な合奏の競演−」という国立劇場大ホールでのコンサートに日本音楽集団の一員として「子供のための組曲」に出演し、この時が集団での最後の演奏となって、同じ年の10月に病のため亡くなった。

それより3年前の夏頃、築地のガンセンターの広い廊下を入院中の母の車椅子をゆっくり押して散歩をしていた時、右手前方より歩いて来た背の高い女性が私の横で立ち止まった。「・・まみちゃん」車椅子から視線を上げるとNちゃんがいた。彼女は母の方をちょっと見て、「お母さま?」「う、うん」と私。この数年間か付き合いが途絶えていて互いの事情を知らなかった。私は、Nちゃんはお見舞いに来たのだと思った。治療に来ていたのだと気づいたのは大分後のことだった。手短な会話でNちゃんが行ってしまうと、母はきれいな方ねえ、と私に振り返って言った。そうお?と応えつつ、その時初めてNちゃん美人ではないけれどいつも舞台に立っているせいか明るく華やかな雰囲気を持って持っていることに気がついた。「子供のための組曲」の三味線のソロが聞こえてくる。

母は大分県の杵築市で娘時代に江戸時代から続く当道会という古典ばかりを教える会の先生に箏を習い始め、十代後半にちちの故郷の秋田県本荘市に引っ越してから、伯母が教えていた女学校の箏曲部を受け継ぐ形で箏を教え始め、終戦後の20代前半に結婚し上京、新婚1ヶ月目の頃、近所に芸大で宮城道雄に師事された先生がいらしったので新しい曲を習いたいと思い入門し、以来45年以上師事し、支部として教室も長い間続けさせて頂き、‘94,春、先生の会の「創立50周年記念演奏会」が国立劇場小ホールで開かれた時に「八重衣」という古典を演奏し、約2ヶ月後に病気が分かり、4ヶ月ほど入院して亡くなった。

しばらく経って、あの会が母の最後の舞台になったのだと改めて気づいた。市井のお琴の先生であった母にとっては望んでも得られるものではない最高の最後になったと思った。恩師のお祝いの会であること、古典の大曲を演奏できたこと、例年の他のホールで行う演奏会が国立劇場であったこと等、いろいろ良いことが重なっていた。本人は何も気づいた様子はなかったけれど、こういう良い巡り合わせがあるのだなと心に残った。

Nちゃんが亡くなった年の春、沢井箏曲院の演奏会へ行った。沢井忠夫・一恵ご夫妻が主催なさる箏曲院のお弟子さんの発表会である。私は何のご縁もなかったが、パンフレットを見て聞いてみたい曲があり一人で出かけた。何年か前にサントリー大ホールへ聞きに行って以来、二度目である。今回は芝のABCホールだった。客席中程の左側の席で聞いていると第一部最後の曲の前に女性のアナウンスがあり、闘病中の沢井忠夫が今日は弾いてみたくなったということで曲目を変更し宮城道雄作曲「水の変態」を夫妻で演奏します、という内容だった。その時初めて沢井氏が一昨年病に倒れられたことを知った。幕が上がると向かって左の箏の前に沢井氏が黒の和服に袴、濃い黒のサングラスを掛けて座っていた。右の箏には一恵氏が。演奏が始まるといつもと変わらぬ旋律が聞こえてきた、が余り思いがけない事が起こったので私は気そぞろで、目は沢井氏から離れなかった。真っ黒なサングラスが情況が普通でないことを告げていた。沢井氏は演奏家であり作曲家であり多くの委嘱された現代曲をお持ちだ。だが、この時、若き日にご夫妻で師事された宮城道雄の「水の変態」を選ばれ演奏されたことは感慨深く記憶に残った。それから二週間程して沢井氏の訃報を耳にした。享年60才だった。Nちゃんが亡くなった後、最後の曲は何?と思ったのだった。が、その後は何事もなく過ごし、そういう事は忘れていた。

‘05、10月にNHKホールで「日本音楽の祭典」が開かれた。卒業したNHK邦楽技能者育成会の50周年記念コンサートでもあるので慌ただしい日々の中、内容を良く見ずに聞きに行った。席に着いてプロをめくると合奏曲「六段」があり、出演は箏の合奏団と人間国宝三名、うち一名は藤江久仁江さんだ。あら、演奏していらっしゃるんだわ、良かった、と思った。かねてよりご病気であることは人伝にきいていたので十代のころよりの長年のファンである私は安心した。演奏は藤江氏がお一人で初段を三弦(三味線)で弾かれ、それから全員で初段から六段まで演奏した。終了後、インタヴユーを受ける為再登場する時、藤井氏は他の方達より遅れて出てこられ、ゆっくりと少し前屈みになって歩いていらした。…あァ、前とは違うんだわ、とその時変化を感じた。翌年10月、藤井氏は76才で亡くなられた。「六段」は箏を弾くための土台を作る基本の曲である。基本の中の基本といってもよい。数々の古典の演奏を拝聴してきて最後に出会った曲がこの「六段」だったことは箏を弾くものにとって象徴的と云おうか、これ以外にはない落ち着きどころだ、と思えた。

これらの経験をする毎に、以前は何故だか分からないけれど不思議な意味深いことと思っていたのだが、今は、自選であれ他選であれ人生の最後に与えられ流曲には目に見えない大いなる作用が働いているような気がしている。そして“曲”は他の様々なジャンルの“仕事”に置き換えられると思う。

 

科学と技術の関係 

–「科学・技術」か「科学技術」か--

         菅野礼司

 日本学術会議が、先日文部科学省に対して、科学と技術を一括りにした表現「科学技術」を止めて「科学・技術」とすべきだと勧告した。学術会議がわざわざこのような提言を行ったということは、科学と技術の関係が曖昧になり、科学・技術政策や科学教育にも悪影響があると判断したからだと思う。

 科学・技術の開発競争は熾烈を極め、それに勝つことは一国の運命を制するほどになった。今や科学・技術は政治・経済を動かす力を持つに至った。日本は10年ほど前に「科学技術立国」を国策として科学・技術基本法を制定した。しかし、その内容は技術偏重の傾向があるように思う。

 現代では、科学と技術の関係は極めて密接になり、その境界が薄れてきた。基礎科学の研究成果が技術として応用される期間が短縮されたばかりでなく、研究内容すら科学と技術の区別が曖昧になってきた。科学の基礎的知識(たとえばゲノムのデータ)さえ特許の対象にする時代である。この趨勢は物質的豊かさと便利さを限りなく追う今の人類社会では当然のことであろう。今後、大学と企業の研究はますます強く結びついていくだろう。理論と実学(技術)は相互に協同しつつ発展すべきものだから、そのこと自体は悪いことではない。

だが、教育・研究の現場では、科学者は労働者と化して、ひたすら論文や特許を増やすことに駆り立てられている。自らの研究の意義や社会的影響を考える余裕もなく、また考えようともせず、業績を上げて研究費を獲得するために励まざるをえないように追い込まれつつある。

このような現状では「科学と技術を分離して考えるのは非現実的である」との見方が大勢となりつつあるようだ。だが、その考え方はある意味で危険であり、同意できないものがある。 

 科学と技術に限らず、人間社会には境界の明瞭でないもの、境界が次第に薄れていくものは沢山ある。文化のジャンルにしろ、科学分野にしろ明確に境界線を引けなくなったものは増えている。人間の種々の営みは、みな相互に絡んでいて、程度の差はあれ分離することは困難である。それでも、それらの概念的区別は必要であり残すべきである。

 古代文明では科学と技術の区別は明確でなかったが、文明の発達とともに分離した。とくに近代科学成立以後は、実質的にも概念的にも独立した存在となった。

本来、科学は一種の文化であり、科学は二つの社会的役割を有する

  第一は精神文明への寄与:科学革命ごとに新哲学が誕生した、科学は自然観と哲学の形成に不可欠な要素であり、ひいては人生観に影響を及ぼしてきた。

  第二は物質文明への寄与:技術と結合して物質的生活を

豊にし、自然の脅威から身を守る役割を果たしてきた。

その科学と技術の連繋が再び密になり、結合しようとし

ているからと言って、科学本来の意義を消し去り「科学技

術」に解消すべきではない。 

現代のような科学・技術のあり方と研究状況は、決して好ましいものではない。科学と技術のこのような現状を是認して、「科学と技術を区別するのは非現実的」というのは、その趨勢を是認してそれに拍車を掛けることになる。この時流に棹さすことは止めるべきだと思う。それと同じく、本来の原則を軽視した現実主義の例は、憲法9条の拡張解釈にもみられる。それは、世界の実状に合うように憲法を改変せよという主張と底通するものであろう。

 このような社会の動向を批判し改めるには、科学と技術の歴史的発展を見る必要がある。そのためにも科学と技術を概念的に区別してその役割をきちんと考察すべきである。

日本は江戸末期から明治にかけて、西欧科学を熱心に取り入れたが、それは科学を「役に立つ有用な知識」つまり「科学技術」とみなしたからである。科学と技術の役を区別し、科学体系のベースにはその時代の自然観や哲学思想があること、そして自然認識としての科学の意義を真に理解しようとしなかった。だから、その「役に立つ知識」を利用して「富国強兵」、「西洋に追つけ」という政策を遂行してきた。その科学観が日本の科学教育と科学・技術政策に永く陰を落とし、日本人の思考法を歪めてきた。その結果が日本を駄目にしたことは改めて言う必要はないであろう。

戦後、科学と技術の結合が緊密になると、いち早く両者を結合した「科学技術」という言葉を作ったのは日本人である。当時日本の一部の科学論者はこれぞ日本の科学観であると賛成するものがいた。しかし、筆者は反対であった。欧米の知識人はその傾向に批判的であり、[Science and Technology] と、間に“and” をいれて「科学・技術」と表記するのを支持する意見を読んだことがある。

日本人には概して哲学がないとか、原則を軽視するとの批判をよく見聞きする。科学と技術のあり方や研究システムについても、このまま無批判に突き進むのは危険だろう。学術会議が「科学・技術」の記法を、今日わざわざ提言したのもこの現状を憂えてのことであると思う。

 

キリスト者の禅

―― 門脇佳吉著「公案と聖書の身読」から―― 

小仲 宏

キリスト教も禅もわからない

大袈裟なタイトルを掲げましたが、私はキリスト教について語ることは勿論、禅について語るような知識を持ち合わせているわけではありません。

ただ明確に言えることは、私は世間一般で言うクリスチャンとして70年間を生きてきたし、自分の意識の中にも、キリストを神と信じて生きたいと思うので、その意味ではクリスチャンの分類に入ると思います。

他方、10数年前から禅寺に通って毎週欠かさず参禅し、満足している自分があることも事実です。参禅するだけでは飽き足らず、花園大学の大学院で禅学のゼミに参加して4年目になりますが、教室に通うことの楽しさは日に日に増しても禅仏教が分かるということには程遠いのが現実です。

70年もクリスチャンでありながら何故キリスト教が分からないのか、3年も禅を学びながらどうして禅思想が明確に説明できないのかいつも悩みますが、最近分かってきたのは、キリスト教や禅を学問的に知識で理解しようとしても無理ではないかと思うようになりました。知識で理解するためにはそれを体系的に一般化しないと客観性をもたないし、客観化したと勝手に思っても、さらに深く追求してみると、時間的・空間的な広がり、さらに自分の魂との触れ合いの中では、一つの点の捉え方に過ぎないと思い、常にそれが堂々巡りしているのが私の実態です。

聖書の「身読」

 さて、表題の主体は「禅」ですが、禅を一般化することは私には出来ないので、主体的に捉えた私にとっての禅を少し述べてみたいと思います。

キリスト者で禅に傾倒している人は数多くありますが、その中でもイエズス会の門脇佳吉神父(1926〜)は著作も多く、我々の先達として思想的にもキリスト者への影響が大きいので、大変参考になります。以下は門脇佳吉神父の著作「公

案と聖書の身読」(春秋社)から、私が共感した箇所を抜粋して、述べてみたいと思います。

 この本を手にしたとき、タイトルの「身読」という表現に興味を持ちました。

多読とか精読は一般によく使われますが、「身読」は初めて聞いたので一体どのような読み方をするのか調べてみました。これは日蓮上人から出たそうで、「法華経を余人の読み候は、口ばかり言葉ばかりは読めども心読まず。心は読めども身に読まず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。」とありました。

門脇佳吉神父の聖書講義を聴かなくても、「聖書の身読」という言葉を知っただけで今までの聖書に対する靄(もや)がす〜と晴れたような気持ちになりました。

聖書にたくさん出てくる奇跡物語や処女降誕物語、十字架と復活など現代科学では馬鹿らしいと思える話は、2000年前に、今ほど科学が発達していなかったときの、人々のある種の迷信に近い信仰だと思っていましたが、聖書の著者はもっと深いところを伝えたかったのではないかと思えてきました。

 教会での聖書の読み方は、伝統的にギリシャ思想の影響を受けた理性主義を基として、まず理性で考え、判断し、意志し、その後体を使って実行する、「理性から体へ」進む道であると神父は言っています。

これに反して、東洋ではインドのヨガをはじめとして、日蓮の題目や山岳の修験道などすべて修行が中心となっていると言います。

禅宗では経典を余り学習させないのが普通です。観念的な理解で頭でっかちになり、深い宗教体験に至るための障害になるからだそうです。

「シンシン」という語を辞書で引くとまず「心身」が出ます。「シンシン共に疲れたと聞くと心が疲れたという印象を強く受けます。しかし仏教では「身心」を使います。からだが先に来るというのです。仏教の経典は仏陀の心だけから生まれたものではなく、修行から生まれたと神父は言います。

さて、キリスト教でこの考えはどのようになっているか、神父は参禅するまでは聖書を頭や心で読んでいたといいます。キリストの言葉や行動は私に何を教えているのか、そ

れを知ろうとして読んでいた。そこでの主要な関心ごとは、教えや教義ないし模倣すべき生き方であった。聖書の中に神父が求めたものは、理性に光を与えてくれる真理の教えであり、心に訴えるキリストの模範であった。それが参禅するようになってから、聖書の読み方が全く変わってきたそうである。

パウロが言っている、生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです(ガラテヤ 2:20)

このことばを精神論的に「キリストが霊的にパンの中に現存する」と解するよりも、キリストの言葉をそのまま受け取るべきであると神父は主張しています。

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。・・・・「これは、あなたがたのためのわたしの体である。」(Tコリント 11:23)

私たちはミサでご聖体を受けますが、そのとき、キリストの「からだ」が私たちの「からだ」と一つになると確信します。神父が禅から学んだこのような聖書の読み方は、カトリック的伝統にかなうものであると結論付けています。

公案と聖書の類似性

公案と聖書は構造上類似しています。新約聖書は師であるキリストが聞き手を弟子たらしめ、キリストの歩んだ道を歩ませるための使信であり、公案は老師が弟子に与える課題であるので似ていると言います。

第二の理由としてキリストの言葉は、時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコ 1:15)という実存転換への促しであり、公案の、顔や頭の向きを変えるにすぎないと言う意味の「回頭換面」(道元『正法眼蔵』)の問いであるのに呼応しています。

第三の理由として神父は、公案が非思量の思量底を表したものであるのに似て、神について語る聖書のことばは、常に「不可説なる神秘を指す」に過ぎないと言います。

第四に、聖書の使信は人間の自己了解へ導くものであるのに照応して、公案は己事究明のためのもの、本来の自己の悟りへ導くものである。

第五に公案が坐禅・参禅と切り離し得ないと同様に、聖書の正しい解釈のために、黙想と霊的指導・教会の教導が必要であると初代教会から主張されてきたと述べています。

聖書と公案は、内容上違っていますが構造上類似しているので、公案の解き方を聖書解釈に応用することは優れた方法である。坐禅による「からだ」の祈りが、これまでの黙想よりも優れた祈りであることが分かれば、今までの黙想方法の代わりに坐禅を取り入れたなら、より優れた聖書解釈が生まれるであると言っています。

キリスト者の禅

 キリスト教を説明するには使徒信経を説明すれば大きく外れることはないでしょう。ギリシャ正教を除く全てのカトリックとプロテスタントが洗礼式の誓約に用いています。

他方、禅は達磨大師が6世紀インドから中国に伝え、不立文字を原則とするため中心的経典を立てない。坐禅そのものは古くから仏教の基本的な修行形態であったが、坐禅を中心に行う仏教集団(禅宗)と呼称され始めたのは中国の唐代末期(9世紀)である。達磨のもたらした禅は部派仏教における禅とは異なる。中国に渡ってからは儒教や道教の影響を受けて変化し、さらに宋代になってからも変質している。

日本には13世紀(鎌倉時代)に伝えられたとされている。中国で成立した禅宗は、本質的に教義を否定する傾向にあったが、比叡山の影響の大きい日本の多くの禅の宗派は教義を展開する。

 このように「禅」を語るには時間と空間を特定した上でないと定義することはできない。

20世紀になって鈴木大拙によって禅がヨーロッパに紹介されてから、ヨーロッパの宗教であるキリスト教と融合するようになり、キリスト教の黙想のスタイルに坐禅が取り込まれるようになった。仏教の中で育まれてきた禅を「禅仏教」と称してきたように、20世紀のヨーロッパでキリスト教の中に育ちつつある禅を「禅キリスト教」と称する動きも出てきている。(禅キリスト教の誕生:佐藤研:岩波書店)

 10年ほど前にルーチ・アルジェンテというタイ仏教の僧侶を紹介してもらったことがあった。その僧侶と外国で偶然再会したとき、別れ際に[神様は貴方の体の中に住まわれています]という挨拶を送ってくれた。心の中とか雲の上ではない、からだの中という言葉がずっと引っ掛かっていたが、最近禅を知るようになって何となく解るようになった。

あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である。(Tコリント 6:19)

たまたま知った「聖書の身読」ということばを通して最近感じたことを述べました。(完)

 

「拝啓:アインシュタイン様」

海野和三郎

居候をしていた孫の書棚に「ヒトはなぜ戦争をするのか?」(アインシュタインとフロイトの往復書簡)養老孟司解説、があった。何でも、国連が1932年に、「人間にとって最も大事だと思われる問題をとりあげ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わして下さい」と、依頼した。取り上げた問題は、戦争。相手は、フロイトだった。21世紀は激動の時代である。100年近く前のアインシュタインの問いは、依然として生きている。しかし、それが何う変容したか、アインシュタインが好きだった日本の立場で、アインシュタインに問いかけてみたい。

詳しくは、原文を読んでもらうしかないが、アインシュタインの主張は一言でいうならば、戦争は人為の業であるから、これをやらないで済むようにならないか、「法」に「権力」を持たせ、「国家」より上位の機関がその「法」による裁判をするようにできないか、という問いである。問題を国家間の戦争に限定したのは、個人対個人、個人対社会、部族対部族などいくらでも問題を複雑にしないためであるが、しかし、裁判という「人為」には、どの場合でも、権力欲が妨げになるので、「司法」「立法」には高度の教育が必要である。その辺りを、フロイトのお知恵拝借という趣旨のようである。複雑系という考え方は、あまり意識していないか、出来るだけ単純系で考えたいようである。

それに対し、フロイトは心理学者なので、初めから、「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」と諦めて居り、人と人との間の利害の対立は、本来暴力で解決するものであったが、それが武器使用、あるいは集団の力に依存するようになり、やがて、国家間の戦争にまで達する。戦争には良い影響もある。ローマ人の行った征服は、地中海の国々に見事な「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)をもたらした。人々があこがれてやまない「永遠の平和」を達成するのに、戦争は不適切な手段とは言えない。しかし、現実にはそうはならない。―――このあと、愛と憎しみの話、人間の行動は愛と破壊活動が結びついてできる衝動によること、人間の攻撃性を戦争という形でない別のはけ口を見つけることが必要、等の議論があり、「私達、平和主義者は何故戦争に強い憤りを覚えるのか?」という質問がフロイトから逆に提出された。彼自身の答えは、「どんな人間でも自分の命を守る権利を持つ」「各個人の人間の希望に満ちた人生を打ち砕く」「人間の尊厳を失わせる」「望んでもいない人の手を血で汚す」などがあげられている。最後に、文化の発展が生み出した心のあり方と、将来の戦争(当時の原子爆弾の予想?)がもたらすとてつもない惨禍への不安:この二つのものが近い将来戦争を無くす方向に人間を動かしていくと期待される、とある。

ユダヤ系碩学二人の論理の立て方を見ると、我々にない論理性とその積極性があり、非常に感心する。悪くいえば、一神教の神による「最後の審判」の陰におびえているみたいでもある。「法」という言葉がしばしば出てくる。正しい法が、万人に平等に行われる文化的社会が理想である。故玉城康四郎先生に聞いた話では、うろ覚えであるが、「法」は「プネウマ」「聖霊」であり、直訳すると「気」で、一神教では場合によって天使とも悪魔ともなる、知恵のリンゴをイブに食べさせたルシフェルもこれだという。仏教では、サンスクリットで「タータガータ」、日本語訳は「如来」であると聞いた。アインシュタインの「法」は、すべて、「如来心」と書き直すと、人為的な「法」のイメージが消えて、宇宙の中の類い希な惑星「地球」に生命をつなぐ人類生存の意味が実感できる。それが日本人にとっては、自ら戦争をしない国の支えとなっている。10年ほど前であろうか、インドでの学会に出席して、これからの世界のリーダーはアメリカでなく日本だ、といわれて驚いたことがあったが、その意味は、どうやら「タータガータ」の共有にあったようである。

第2に、アインシュタインへの質問は、“人類のことばかりでなく、地球全体生物全体の「いのち」も考えないと人のいのちだけでは、うまく行かない、それをどう思うか、ということ。第3に、エネルギー・地球環境・食料問題の3者混沌による21世紀人類生存の危機は、新しい人類進化の好機として活用しなくてはならないことである。混沌の創造性は、老荘に顕著であるが、西欧の文化は「人為」に主眼がある。21世紀混沌のマイナスをプラスに転ずる方策は多様であるが、例えば、海と森が数十億年かけて作り上げた地球環境とその上に、人類の叡智を加えれば、老子の「3から万物」の理によって、現有の工学技術の組み合わせで、化石燃料より格段に安価に電力を太陽エネルギーから得ることが可能であると考えられる。その原理は、太陽光発電パネルが利用できなかった残りの8割以上の太陽(熱)エネルギーを沸騰水を作る予備加熱に用いること、予備加熱した温水を、対流を阻止するスポンジ状のポーラス・ソーラーポンドに導き、集光した太陽エネルギーで、短時間に沸騰水をつくり、太陽熱発電をする。太陽光発電と太陽熱発電との和が、同一発電量の石油火力発電より格段に安価であるためには、家庭規模では、極軸のまわりに1日半回転するシーロスタット式の第1鏡を平面鏡で組み立てて焦点を持たない非結像集光方式にするとよい。第2鏡は、固定で、径は第1鏡の半分程度でよい。第1鏡(近似的)直径2mでは、約4kWを受光し、集光度約40倍程度になる。問題は、ソーラーポット最下部の太陽電池パネルの冷却であるが、冷却水で上下の表面を常温にまで冷却してもパネル内部の温度は数100℃になるであろうから、耐熱性のペルチエ素子などを使う必要があろう。

かつて、気候変動に耐えかねて、衣食住を発明し、猿人から100万年掛けて進化した現代人も、急激なエネルギー・地球環境・人口問題をこの数十年で解決し、千年万年の未来世代に「いのち」をつながなくてはならない。「核兵器廃絶」など勿論であるが、土地も狭く、資源も少ない日本でも、如来心の知恵を加えて何とか「進化」に成功し、アインシュタインにも満足してもらいたいものである。

 

ペーパーレス社会の実現に協力しよう

中條 利一郎

 「私達の教育改革通信」を、いつも、S教授からのメールの添付書類で読ませて頂いている。144号(2010年8月号)もいつものように送って頂き、いつもより増ページの各氏の主張を興味深く読んだ。それらの批評がこの稿の目的ではない。数日後、また送られて来た。docxで送ったところ、読めないという苦情が寄せられた由で、doc版をS教授経由で、改めて、配布を受けたためである。いろんなことが考えられる。これが拙稿を執筆する気にさせた動機である。すぐ苦情が寄せられたということはチャンと読んでいる読者が、私以外にも、いらっしゃるということでご

同慶の至りである。それ以外にも考えさせられることがある。

1 ペーパーレス化社会と言われるようになって久しい。本誌が添付書類で送られて来るのもその一つの具体例である。一方、ペーパーレスを心がけても、紙の使用量は減らないどころか、増えているということである。私にも思いあたるフシがある。かつては、学生が手書きの卒業論文や修士論文のドラフトを持って来た際、大幅に書き換えさせたいと思っても、ページまでずれるように書き改めさせるのは大変だと思い、最小限の手直しで妥協していた。ところが、パソコンで出力したものを持って来るようになると、大幅にレイアウトの変更が必要になる場合でも、それをやるのはパソコンで、つまり、学生の労力なしで変更可能になった。書き改めを気軽に指示できるようになった。その所為で、論文のための紙の使用量が大幅に増えた。そのことは自戒している(勿論、論文の質が良くなったというメリットはあるが、それはここで主張したいことではない)。その上で、本誌のレイアウトを考えてみる。二段組みなので、プリントアウトしさへすれば、読みやすい。しかし、ディスプレイから直接読もうとすると、1ページ全体が読める大きさの画面にすると、老眼の身にこたえるので、部分表示の大きさにし、左欄をカーソルで下へ下げながら読んで行き、左欄が終わったところで、右欄へ移るため、カーソルで上に戻る。その繰り返しがページ数だけ生じる。こういう不便さが、読者にプリントアウトによる紙の消費を強いている可能性がある。例えば、2段組みの原稿の紙面を横長にして、1ページ全部を表示しても読めるようにするというのはどうだろう。他にももっといい方法があるかも知れない。まずは隗より始めよである。

2 現代のロゼッタストーンを無くしたい。docxで読めなくて、docなら読めるというのはロゼッタストーンの現代版である。今のところ、docxが装備されていれば、doc版でも読めるが、近い将来、doc版は読めなくなるという、今回と反対の事態も生じるかも知れない。まずは、常に、最新版のバージョンへの変更を怠らないことであろう。それ以上は、コンピューターのソフトウェアに詳しくない私には具体的な提案は出来ない。問題の提起にとどめ、識者による解決を待ちたい。

 

妄言:「円高株安の対策」        海野和三郎

山岡文化財団「宇宙」編集の友人、高山卓夫さんと教育通信原稿の相談をしていたら、株安円高で日本経済が苦しんでいる話が出た。高山さんは、円を売ってドルを買えば、需要と供給の原則で円高が止まるという。今日(8/29)産経新聞にも、「戦略的円売り介入を提案する」とある。ところで、最近聞いた話では、何でもイタリー人は、自分が豊かに暮らすために自分の財産は自分の代で使い切ることを考えるという。一方、私たち大正生まれの老人の理想は二宮金次郎で、「柴刈り、縄ない、草鞋をつくり、夜なべ済まして、手習い読書、忙しい中にも、たゆまず学ぶ、手本は二宮金次郎!」と歌って、教育を受けた経験がある。会津藩の食料備蓄は飢饉の際にも餓死者は出さず、他方長岡藩の「米百俵」の精神は金治郎精神そのものでもある。経済のような複雑系に対する対策としては、イタリー流がよいか金治郎流がよいか、又は第3の流儀がよいかは、時間尺度が1年乃至3年の事象に対する対策、10年程度の事象に対する対策、100年程度以上の事象に対する対策を分けて論ずる必要があり、また、その実行案も1乃至3年案と10年案と100年案とをそれぞれに作る必要があろう。

10年、100年のエネルギー・地球環境・人口問題の結合は、人類全体にとって最も重要な問題であるが、この1年〜10年の問題としては、円高・株安もそれに劣らぬ緊急問題である。対策として、金次郎流をとるとすると、百年続いた郵政が交通手段や通信技術の発達のため制度的に不合理となり民営化を余儀なくされたと同様に、社会保障や学校教育などが昔よりかなり整備された現在、自己防衛的な預貯金の必要性は軽くなり、イタリー流に近づくことが合理的になってきたと考えられる。(ただし、現在の郵政民営化は旧制度の長所も多く失った。)一方、「米百俵」の精神は、エネルギー・地球環境問題に対する緊急不可欠の課題であり、「金次郎」は今や人類全体を守る「如来」となってきた。

以上を総合すると、差し当たっての株安円高に対する高齢者の心得は、預貯金を或程度はたいて、生産業の株を買うことが推奨される。同時に、エネルギー・環境問題への投資も考慮すべきである。「損得」をあまり考えなくても結果は悪くないと「尊徳」さんが保証している。 妄言多謝

 

新作歌舞伎「天の探女」について          菅野礼司

 市川櫻香さんの主催する「むすめ歌舞伎」の新作を紹介し、声援を送りたい。

 

また一つ、伝統芸能が新たな衣を纏って現れた。古典謡曲「岩船」を現代世相に合わせて歌舞伎として脚色した「天の探女」は、形式・内容ともに人々の心を引く試みでしょう。女性が主役の「むすめ歌舞伎」は伝統芸能を守り育てようと、新たな試みを重ねてきました。

 

 あらすじ:皇后の使いで巫女みぬめは、住吉の山に美しく光る岩船を見る。それを国の宝として持ち帰ろうとする。 土地の老人は「自然にあるものを手に持ち帰ることはならぬ」という。そこに現れた童子は、願いのかなう如意宝珠をみぬめに与える。みぬめは岩船を手に入れたいと願うと、岩船は手に入る。すると、天地が轟き、天変地異が起こって地獄絵と化す。みぬめは恐れ悔いて、もう一度如意宝珠に願い、岩船を元の山にもどして以前の美しい国にもどしてもらう。童子は「天の探女」の化身であると告げて去る。龍神が天の宝を乗せた「岩船」のとも綱を引いて天から降りてきて、国は目出度く栄える。

 

この筋書きを現代社会に照らして、いろいろなことを連想するでしょう。ある人は、限りない欲望によって自然を支配しようとして環境を破壊した人類をそこに見るであろうし、あるいはまた天変地異を原水爆戦争の悪夢と思う人もいるでしょう。

さらに、童子が雲の波となって天の探女の乗る岩舟を伴い来るのは、女性と子供は世界を救うためにあるという作者の思いを見ることもできるでしょう。

 

「天の探女」は、今こそ立ち止まって人類の生き方を考えようと訴えるています。その思いは、市川櫻香さんの伝統芸能への熱い情熱を通して、現代の私たちの心に伝わるでしょう。(公演のプログラムは「教育改革通信144号」にあります。)

 

編集 湯浅・川東