私達の教育改革通信

   129  20095

 

 

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世界の情勢が見えない日本政府

                                           菅野礼司

 最近の日本の世相はまたきな臭くなってきた。

 ソマリア沖の海賊対策としょうして、海上自衛隊を派遣する「海賊対処」法案を政府は国会に提出した。しかも法案可決前からすでに派遣に踏み切っている。、「海賊対処」なら、海上保安庁でもやれるはずとの声を無視して強行した。これは自衛隊の海外派遣を既成事実としていくこれまでの自民党政府のやり方である。       

  次は、北朝鮮のミサイル発射を連日大々的に宣伝して、迎撃ミサイルを配備して待ちかまえた。しかも、発射の誤報までした。北朝鮮のミサイルが日本に落下する可能性はほとんどないと政府自らも認めていたにもかかわらず、大騒ぎをしたのは意図的であろう。北朝鮮は世界中の多くの国の反対を押し切ってミサイル発射実験を強行するのだから、日本やアメリカに落ちるようなへまな実験をするとは思えない。だから、日本のこの騒ぎは国民の目をくらまして、北朝鮮ミサイル発射に便乗した戦闘訓練であるように思える。これらの動きは、まさに「何時かきた道」だろう。 

  もう一つ首をひねる事件は、民主党の小沢党首の秘書逮捕である。民主党に限らず、自民党の幹部も西松建設からこっそり資金をもらっていた。この種の政治資金調達は氷山の一角であることを、ほとんどの国民は感じている。小沢氏の弁明は不十分であるが、なぜ民主党党首の秘書だけ今突然逮捕されたかという疑問、批判も当然である。ある解説によると、アメリカは次の首相に小沢氏がなっては困るから、確証はないがアメリカからの裏の指金だろうという。昔ロッキード事件のときもアメリカが裏で先に動いたという。小沢氏は日本の海上警備はアメリカに頼らなくともよいようなことを発言し、またクリントン長官が来日したとき、小沢氏は面会をするしないで彼女に不快な思いをさせた。アメリカの言う通りにならぬ人間を首相にしたくないからというのは、なるほどと頷ける。小沢氏は、首相になってから発言すればよいものを早く言いすぎた、というわけである。まだ日本はアメリカに向かってものが言えぬ国なのか。

 これらの騒動で麻生内閣は少し息を吹き返したが、次の選挙では長すぎた自民党政権を交代しなければならないということに変わりはない。世界不況に対する経済政策でも有効な施策で打ち出せずにいる。基本的戦略のない目先の一時凌ぎの予算を組んでも赤字が増えるだけで、その割には効果はあがらない。日本は輸出主導型の経済構造をかえるべきだとの指摘を聞こうとしているようには思えない。すでに主導的な外国は基本的戦略をもって動き出している。それにひきかえ、日本では党利党略のために、いたずらに国会解散を引き延ばしている。直ちに解散して国民の真意を問うべきである。ここで政権交代がなければ、日本は腐敗が進んで自滅するだろう。

 他方では、オバマ大統領は次々に話し合い外交を打ち出し、ヨーロッパや中南米で歓迎されている。さらに、ブッシュ前政権の汚名を除くことに始動を始め、環境問題や核兵器問題にも積極的に取り組みだした。

  日本として特に注目すべきことは、唯一原爆を実戦で使用したアメリカの大統領が、初めて日本に謝罪したことである。そして、「核兵器廃絶」を提唱したことである。これは日本人にとっては大変喜ばしく、また人類にとっても大いに有意義なことである。これまで、日本の原爆被害者、被団協や原水爆廃絶運動の会などがアメリカで原爆展をやろうとしても、それすら拒否してきたアメリカである。原爆の惨さを知ろうとせず、「原爆でアメリカ兵士の多数の命が救われた」と信じている者が多い中で、今度のオバマ大統領の発言は勇気あることで、それだけに価値あることであろう。

 戦後、ラッセルーアインシュタイン声明やストックホルムアピールから始まった原水爆禁止・廃絶運動を、核抑止力を唱える一部の政治家や識者は空論・夢物語と嘲笑ったものである。しかし、根強い世界的運動によって不十分ながらも部分的核軍縮がなされ、最近ではいくつかの国の首脳が核廃絶を唱えるまでになった。原水爆禁止・廃絶のこの世界運動がなかったら、2番目、3番目の原爆・水爆が落とされていたかも知れない。やはり世論によって世界は変わると改めて思う。

 それにしても、オバマ発言に対して、日本政府・政治家は何の反応も示さず、むしろ政府は北朝鮮のミサイル発射を利用して国民の目をくらましている。唯一の被爆国日本は、オバマ発言を期に、先頭に立って核廃絶の運動を進めるべきなのに動こうとしない。湾岸戦争やイラク攻撃のときはいち早くアメリカに荷担して発言・行動したのに、まったく情けない思いである。アメリカが本気で核廃絶に踏み切るのを見極めるまで様子をみるつもりなのか、それともオバマ政権は長続きしないとみているのであろうか。これでは日本の政府はまた世界の冷笑を浴び、信頼を失うであろう。

  日本政府は解散の時期ばかりが気になって、世界の動勢が見えないのであろうか。国民は生活苦にあえぎ、焦らされるばかりである。

 

数 学 と 理 科

中條利一郎

 今年(2009年)の大学入試センター試験もいつものように終わった。いつものようにというのは、全体としては無事に、しかし、詳細に見ればいつくかのトラブルを伴ってという意味である。1月18日の第2日の日程は、朝から順に理科(1)、数学(1)、数学(2)、理科(2)、理科(3)と並んでいる。そして、例えば、理科(3)のところに物理と記されている。数学とか理科というのは教科による分類であり、物理とか化学というのは科目による分類である。高校生の日常生活で、時間割表など、科目には親しみを感じても、教科の方は、受験案内などを除いては、それほど親近感はない筈である。にもかかわらず、律儀に教科まで明記してある。それは学問の分類に基づいたもので、重要だからである。

 ところが、非理科系の人間の間では数学も理科(或いは自然科学)の一部という誤解が根強い。昨年の暮れに鈴木光司の「エッジ」という上下2巻よりなるホラー小説が上梓された。著者自身が昨年のノーベル物理学賞とテーマが同じと書いている(1月6日、産経)ことでもあるので、読んでみた。ノーベル賞とそれほど関係があるとも思えなかったが、それは今日の主題ではない。天変地異が起こり、ワームホールというちくわの穴のようなものを通じて過去の世界へ通り抜けられたり、円周率の値があるところから0がずっと並んだりすることになっている。これが標題と関係する。ワームホールというのは1957年にホイーラーが名づけた物理学上の概念である。そこを通って過去の世界へ行けることなどまず考えられないが、その可能性は否定し切れない。物理学は自然科学の一分科であり、自然にはまだわからないことがいっぱいある。ひょっとしたら、あるかも知れない。それに反して、円周率の値があるところから0がずっと並ぶことはあり得ない。こちらは数学上の定義で、ユークリッド空間にある円の円周を直径で割った比であり、ユークリッド空間が現実の空間であるかどうかには無関係に人間が定義した空間での数値で、無理数とわかっている。コンピューターによる円周率の値の出力で、0の連続がひょっとしたらあるかも知れない。でも、それはコンピューターの誤作動か、天変地異のため、コンピューターという実在に何らかの異常が生じたために過ぎず、円周率の値そのものが変わったわけではない。著者の鈴木光司はなかなかの勉強家で、数学や理科(或いは自然科学)もよく理解しているが、残念ながらセンスまでは身につけていないための誤りである。

 ここで、一神教の予定説のように、センスは先天的なものだと言って、冷たく突き放すつもりはない。理科系の人間が生来センスに恵まれているのではなく、長年の努力の結果、会得したものである。非理科系の人にもこのセンスは是非身につけて欲しい。そのためには、入試時代に、教科で数学と理科が別れていたことをまず思い出して欲しい。

(追記)125号に先生の服装について書いたところ、大学の事務職員の方から「数名の先生方にこの文を読んでほしいと思いました。せめて入試のときぐらいはGパンやトレーナーを止めてもらいたいと思っているのですが」というコメントを頂いた。コメントを頂いたことに感謝するとともに、初等教育の現場だけの問題ではないことを付け加えておく。

 

「東洋の哲学U」中国の哲学(研究会講義資料) 

山岡萬之助

第一節 中国の歴史

@2500年頃、漢民族黄河流域に移住、夏・殷・周を経て、春秋時代(B.C.770-404)戦国時代(B.C.403-221)となり、秦に統一される。春秋戦国時代に、孔子(B.C.551-479)・孟子(孔子後200年)及び老子(孔子前数十年)・荘子(孟子と同時代)がでる。

A漢・唐時代(B.C.202-A.D.907)儒教が国教とされる(漢の武帝)。陰陽五行説も儒教と連関をもって現れる。後漢の明帝の時、仏教移入さる(紀元60年)。後漢末期、老荘思想を背景に張道稜が道教を立てる。三教の交渉ひんぱんとなる。B宋時代(960-1271)儒学の形而上的発展。易・中庸を足場とし、陰陽五行説・老荘・仏教の教理を取り入れ新儒学を立てた。儒教の質的転換である。古代と共に中国哲学の全盛時代である。C元・明・清時代(1271-1912)明代において朱子学にたいし王陽明学派が対抗す。D中華民国の成立から現代(1912- )アヘン戦争(1839)以来西欧思想の流入激しく、1912年中華民国が成立した。1919年、五四運動によって新たに社会主義思想が急速に移入。1927年以後、復古思想運動があったが、第二次大戦を契機に毛沢東の共産理論に支配さる。

第二節 中国哲学

中国哲学の根底をなすものは、儒教と老荘の哲学である。T 儒教

B.C.500年頃、孔子によって唱えられる。詩経・書経を経典として古聖賢の教えを説いた。詩経は古代の民謡であり、書教は古代聖帝の詔勅・訓戒である。

孔子の仁とは、人と人とが互いにあい親しむことであり、天の道である。孔子の教えは曾子(孝経)・子思(中庸)・孟子(性善説:先天的良知良範)・荀子(性悪説:欲を制する礼を説く)によって継承された。告子は人性に本来善悪の分なしとする。

儒教の経典とされるものは前記の詩・書のほか、春秋・礼・楽を加えて五経といい、さらに易を加えて六経ともいうが、漢代(武帝)には楽経を除いた五経をもって儒教の経典とされた。なお、宋代には四書(大学・論語・孟子・中庸)がとりあげられ、新儒教が成立する。

U 老荘学派、

人間生活に仁義の道を説く儒教に対し、老荘学派は無為を主張する。老子は、宇宙の奥の絶対的な本体を道または無・一・大とし、有の世界はこの無限定の無から生ずとした。荘子は、個人の安心立命を問題とし人間の知識は相対的でしかない、知識の否定は死の賛美となる、無用・不在の者が無事に生き永らえることを説く。

V 漢・唐時代の思想

儒教は武帝の時国教となり、官吏となるために必要な教養となった。しかし、文学の解釈訓詁の研究はかえって学問を無気力にした。仏教の移入により、般若部の空思想は老荘の無の思想に迎えられた。三教鼎立の状態であり、互いに影響しあった。

W 宋学

新儒教ともいうべきものである。儒教が従来にとらわれず、経典の形而上学的解釈を行ったもので、性理学といわれる。すなわち、哲学研究から義理を説き、心性の説明をした。この学派は、周茂叔から二程子・朱子に連なる程朱の学と、陸象山から王陽明に至る陸王の学の二系統がある。宋代に入って諸家によって易と中庸とが深く読まれた結果であり、陰陽五行説の影響もある。すなわち、易に見られる太極や陰陽の宇宙論観、中庸にいう性・道・教の関係、誠の哲学等、さらにそれらが仏教や道教の哲学に刺激されて、いわゆる宋学として出現したのである。

ここで、中庸思想・易・および陰陽五行説について略述すれば次の通りである。

○ 中庸思想  「天命を性といい、命に率うのが道であり、道をおさめるのが教である。」という考え方が主旨である。人間の性の本質は誠である。天人合一の思想がある。

○ 易  易はもと卜筮の書で、儒家とは関係なかった。経と伝とからなる。伝に示された哲学的解釈・倫理的解釈が重要で、繋辞伝にある「太極から両儀(陰陽)→四象→八卦→万象への発展」を示す宇宙観が後世の哲学に影響したのである。

○ 陰陽五行説  陰陽説は二元、五行説は五元で、本来は相互関係がない。しかしこの二つは、人間界と自然界の相関を認める点で共通している。五行説のうち、五行相勝説(鄒衍)はB.C.4世紀に生まれ、土・木・金・火・水の相克しそうである。また、五行相生説(鄒爽)は木・火・土・金・水の生成思想である。

(1)程朱の学 (朱子学)

@ 周茂叔(1017-1073

道家の思想を取り入れた新理論の先駆者である。陰陽五行の生成を説き、人間道徳の原理を求めた。「無極にして太極、太極動いて陽を生ず。動極まれば静、静にして陰を生ず、静極まればまた動き・・・」と太極が二気五行に分かれて万物を生成すると説く。

A 張横梁(1020-1077

気の哲学であり、万物の生成を陰陽二気の集散によって説明した。

B 程明道(1031-1085

程明道の哲学もまた気の哲学であり、万物は陰陽二気の交感によって生成されるとした。性に善悪の区別なく、宇宙の真意を直覚することが善に向かうと説いた。

C 程伊川(1033-1107

彼の哲学は、理気の哲学であり、理によって易を説いた。易は社会の象とその根底をなす理の関係を示す書である。象は理の作用、理は象の本質であって、両者は不利の関係にある。これがかれの哲学の根本である。すなわち、万象は気によって作られるが、そこには気の存在、運動の因となる理が存在しなければならぬ。しかも、気と理はそのいずれが欠けても互いに存在できぬ。この意味で理気の両者は同時存在である。これは華厳の事理無礙法界の暗示である。

本体の理は一つであるが、万物はみなこの一理を受けて出来たもので、(理一分殊説)、人間も一理の一部分をうけて生まれた、我々は日々、一件、一件の事物の理を究明して進めば豁然と貫通する。

D 朱子(1130-1200

程伊川の哲学に次ぐものであり、彼は次のように説く。理の世界と気の世界とはまったくことなるが、理はつねに気と共に存在し、非感覚的存在であり、運動もせず作用もしない。ただ、観念的に把握されるものである。しかし、理は宇宙の原則なるゆえ、この理が失われては気の存在はない。人も宇宙の一物であるから、この理に従う。この法則性は人の自然的存在のみでなく、倫理的存在にまで考えられ、仁・義…礼・智のごとき徳も理にほかならない。理は万物に備わるから、事物の理を究めることが我が知識を拡充することである。そして、大学の「格物致知」もこの意味に解した。

朱子の所説は二元論のごとくであるが、これは経験界のことを言ったのであり、理論上からすれば理気一元論といえる。朱子は、四書を表彰して道統を明らかにしたことが特色であるが(朱子の道統論)、四書の中でも「大学」を教育法として重要視した。

(2)陸王の学(陽明学)

@ 陸象山(1139-1192

陸象山は、朱子の理気論に対し理一元論を説いた。すなわち、「人皆この心あり、心皆この理を具す。心はすなわち理なり。」とし、迂中即我が心という主観的観念論から心即理説を説いた。理は先天的に人間の心にある。それは孟子の良知良能(良心)であって、収容はただ本心に復する工夫である。経書の穿鑿は必要でないとした。

A 王陽明(1472-1528

王陽明は、「格物」の語の意味を「理」を究めるという朱子学的な知的解釈でなく、心を正しくするという実践的意味に考え、主観・客観の同一、物心同体の道理を説いた。彼は知行同一を説いて、「知る」とは「行う」の目的であり、「行う」は「知る」の手段である。すなわち、「知って行なわざるは未だ知らざるなり」と説く。彼の良知説は、人間の深奥に厳存する先天的な天理としての内的良知を主体的に拡充実現することである。良知を明らかにすれば天下の事物は直覚的にわかる。良知は万人に備わるところから聖人・凡人の本質的平等感が生まれた。

要するに、朱子学と陽明学は新儒教として出現したが、朱子は理気の二元を説いて主客の対立を認め、王陽明は心即理に基づいて主客の対立を認めず、良知の工夫を説いた。

 

『NHKのプロジェクト番組「アジアの一等国」を見て』

 立石昭三

2009年4月5日、NHKは「挑戦者たち」に次ぐプロジェクト番組として「アジアの一等国」なる番組を放映した。これは日本の台湾に対する植民地政策について述べたものであり、番組放送前の惹句には、「近代日本のアジア関係の原点が台湾統治にあり、近年発見されたフィルム、写真、2万6千冊の及ぶ台湾総督府の公文書をも参考にした」という。そして日本統治の時代に生きた多くの台湾人の証言を交えて番組を編成していた。

この番組が多くの視聴者に賛否両論を呼び、週刊誌、月刊誌にまでその批判が相次いだ。

 

私、立石昭三は1935年台湾生まれの台湾育ちである。1945年815日の敗戦後も父が台湾に留まり、一家4人は1949年8月15日に台湾から長崎へ引き揚げてきた。妻、恭子も台湾育ちで、台湾では昭三と同じ聖公会教会に属し、戦後、一時、同じ輔仁小学校にも学んだ。戦後はまた京都で同じ聖公会、聖マリア教会に属し、同じ医学部で医学の道を歩んだのでこの番組に関する意見の解説を頼まれた時には、私どもはおこがましくもそれを引き受け、京都JCMAの例会と月曜会(教育と研究を考える会)などでこれを解説した。今や日本でも世代が変り、台湾がかつて日本に属した植民地であった事、1945年の敗戦により台湾在住の日本人30万余名は全ての財産を放棄し日本に引き揚げた事、彼らは帰国後「引揚者」と呼ばれていたことなどは知る人も少なくなりつつあるような気がする。

 

この年になると懐旧の情がいや増し、台湾時代の学校の同窓生、他校の方との付き合いも増え、台湾関係の文書の交換など盛んになってきた。私どもの会誌「榕樹文化」には引揚者である日本人のみならず政治的にやや不安定な立場にいる台湾人からの投稿、訪問も増えてきた。

 

台湾には戦後、2度、訪れた。小学校の同級生には毎年、生まれ故郷である台湾を訪れたり、時には同窓会を台湾で開き母校を訪問する事もあった。その時は海外の小学校の台湾人同級生も参加して案内して下さったりした。洋画家、楊三郎氏のお子さん、楊星朗氏が榕そうで、私も在米の彼の案内で、彼の父の台北市内の美術館を訪れた事がある。

 

(いつも台湾の方は親切であった。これは一つの偏見かも知れないが、台湾は日本と同じ島国で争いを避け妥協しないと周囲は海で逃げ場がない。大陸に連なる朝鮮、韓国はやはり大陸的な国民性があるのか妥協せずとも逃げ場があり自己主張ができる方が多いようである。つい同じ日本の植民地であった台湾、朝鮮の文化を比較したくなる)

 

多くの引揚者の間ではこのNHK番組は大変、不評であった。中には視聴者の公共料金で成り立っているNHKがこんな日本が一方的に悪者で台湾の人たちを苦しめたとも思わせる偏向番組を作るなら視聴料の支払いを拒否しょう、という感情的な意見もあった。

番組では列強の植民地化が日本にも及ぼうとしたので台湾はそれに対抗して日本のアジア政策の砦とされようとした、との政府の意向は理解できない事もなかったが、台湾の植民地化は台湾人には迷惑をかけたと思うし、植民地という言葉に嫌悪感を感じる若い世代はこの番組にある種の平衡感を感じたかも知れない。台湾人も日本兵として出征し戦争の犠牲となられたことに対して日本政府は戦後処理として補償金も日本人同様に出して謝らねばならないし,皇民化教育をして宮城の方向に礼をさせたり、神社を作って参拝を強要したりしたのは、台湾人の心に踏み込んだ間違った教育だったという人の意見はクリスチャンとして理解できた。このような自虐的な番組とそれに対する反感が過度になると田母神防衛庁次官のような右翼的な作文が共感を得る風潮を招くのではないかと思う。

 

「台湾の声」というホームページにはこの番組に出演した台湾人の意見として、

「日本の台湾統治に対し50%のマイナス面と50%のプラス面を、略、公平に述べたのだがマイナスの面だけが放送された」という意見もあった。例えば日本人観光客に人気のある烏頭山ダムを作った八田与一氏の事など今、「八田来」という映画にもなって日本を巡回しているのにこの番組には一切出てこない。これらの背景を月曜会で発表したときには、冷静な理科系の方、法律関係の方は、「台湾で日本がヨーロッパの植民地政策とは違った善政を敷いた、と言ってもそれは日本のため、インフラを整備したといってもそれば在住する邦人の為で本国の利益の為というのが植民地主義というものです」とにべもない。これも一つのまともな意見でしょう。一般民衆としては先方の文化、風俗を尊重しその破壊や民族間の対立や殺し合いは避けねばならぬ、という事は自明の理であり事実、台湾の民族を愛した立石鉄臣氏の画集は台湾政府によって何冊も発行されているし、民話を収集した金関丈夫氏の本は何時までも台湾人にも愛されている。

このような政治問題を話題にする事はよほど気を付けねばならない、と思った事である。 終りに日本でも好まれている台湾の「ピータンの華」の写真とこれに関して私どもの従兄、速水敏彦司祭の書いたエッセイをご紹介する。

『パウロ 速水敏彦(産経新聞(2000.1.27、夕刊)より)  

「弁当・・・食文化の違いが結ぶ友情」

わたしは、台湾の中部にある彰化という町の小学校に、四年生から六年生の二学期半ばまで通いました。当時の記憶は薄れているのですが、陳家鎮(ちんかちん)という同級生の名前だけは今でもはっきりと心に残っています。

台中の明治小学校から転校してきた私は、言わば「よそ者」だったのですが、そんな私の最初の友達となってくれたのが陳君であり、そのきっかけを作ってくれたのが、毎日学校に持って行く「お弁当」だったのです。

学校給食の制度がなかった時代でしたので、「お弁当」は小学生にとって、教科書・ノート・筆箱などとともに大切な必需品だったのですが、同時にまたそれは大きな関心事でもありました。「今日のおかずは何だろう」「他の子のお弁当にはどんなおかずが入っているのだろう」と、昼休みには胸をわくわくさせて弁当箱のふたを開けたものです。

彰化の小学校から転校して間もないある昼食の時、隣の席の陳君のお弁当をちらっとのぞくと、黒ずんだ異様な卵のようなものが目に映り、思わず「それ何なの?」と聞いたのです。すると「食べてみる?」と言って彼はそれをわたしの弁当のごはんの上にのせてくれました。恐る恐る口にすると、それは初めて味わうとてもおいしいゆでたまごでした。そこでわたしは、「ぼくのたまご焼をたべてよ」と差し出すと、彼も直ぐに口に入れ、「うまい!」とさけんでにっこり笑ってくれたのです。

このとき以来、わたしたちは毎日弁当のおかずを一品ずつ交換するようになりました。たまごだけはでなく、同じ鶏肉や豚肉でもわたしの母が作ってくれたものと陳君の母親が料理したものではまったく違うのです。これに味をしめたわたしたちは弁当そのものを取り換えて楽しむ事もしばしばでした。

実は、このことが両方の母親の知るところとなり、わたしの母は陳君を意識して、また、陳君の母親は私を意識して弁当を作ってくれていたようです。陳君からの弁当は台湾料理に対する私の親近感の原点であると言えましょう。』

 

無信仰者にある「神的」なものの意味

栗村典男

1.ビュリダンのロバ

「質と量の全く等しい二つの枯れ草の束の真ん中に置かれたロバは、双方からの刺激が全く等しいために、どちらを食べるかを選択することができなくて餓死をするであろう」

フランスの宗教哲学者ビュリダン(Jean Buridan 1315-58)が、自由意志を否定して人間意識の心理学的決定を主張したときに引かれた例とされているものである。信仰者は、神の意思によって選択できるのであろうが、無信仰者は何によって(心理学的決定なるものの内容次第かもしれないが)選択することができるであろうか、或いは、しているのであろうか。

 

2.共同的思考の前提としての用語概念の共有のために

Gilbert Ryle(1900-72)「心の概念」より

「人々の中には、概念を用いてあれこれ語ることはできても、概念そのものについてあれこれ語ることはできないものが多い」(p2)

宗教、神、そして信仰の概念は、表現者による理解の内容に差異があり、その差異故にG.ライルのいうような理由から議論がかみ合わないことが少なくない。ここでは、信仰者であるか否かに関わらず最も一般的に理解されている理論として、L.A.フォイエルバッハの宗教、神、信仰概念を前提的共通項とし、更に「アンチクリスト」などの著書で信仰批判的姿勢を持つと一般的に理解されているF.W.ニーチェを絡ませ、それをも一つの土台としてテーマについて考えてみたい。

1) Ludwig Andraes Feuerbach(1804-72)「キリスト教の本質」より

19章「キリスト教の遠国、または人格の不死」

「神は自然のあらゆる制限を逃れているところの純粋で絶対的な人格性である。神は端的に、人間的個体が単にあるべきでありまたあるだろうところのものに、現実になっているのである。それ故に神に対する信仰は自分自身の本質の無限性と真実性とに対する人間の信仰である。神的な存在者は人間的な存在者‥‥そしてもとより主観的に人間的存在者‥‥が絶対的に自由であり且つ絶対的に制限されていない姿である。・・・・・われわれは神が世界の外に持っている自分の本質・神の超自然的な本質・神の超人間的な本質を人間的本質の成分へ還元した。人間の本質的成分は神の本質の根本成分なのである。われわれは結論において再び始めへ帰ってきた。人間は宗教の始めであり、宗教の中天であり、終わりである。」p369

2) Friedrich Wilhelm Nietzsche(1844-1900)「アンチクリスト」より

「キリスト教の神概念を批判してみても、‥‥およそ民族は、未だ自分自身を信じている限り、その固有の神を信じているものである。この神においてその民族が崇めるものは、自分たちが上位にある所以の諸条件、彼らの諸々の徳に他ならない‥‥その民族は、自分自身に対する快感、その権力感を、或る本体に投影するのであり、彼らはこの本体に対しその感謝を捧げ得るのである。富める者は与えようとする。誇りある民族は、犠牲を捧げんがために神を必要とする。‥‥このような前提の範囲内においては、宗教は感謝の一形式なのである。人間は自己自身に対して感謝に満ちている、そのためにこそ神を要するのだ。」p28-29

「信仰の人、あらゆる種類の『信心家』は、必然的に依存的な人間である、・・・自己を目的として設定し得ない、総じて自分から目的を立て得ない人種である。『信心家』は自己に属していない、彼は手段たり得るのみである。・・・・・信仰者にとっては、およそ『信』及び『信ならず』という問題に対して良心を持つなどということは、意のままにならぬことである。この箇所で正直であることは、直ちに彼の没落であろう。・・・人類は道理に耳を傾けるよりも、身振りを見ることの方を好むのだ‥‥」 p99-101

 

3. 「無」信仰と「不・非」信仰との違いについて

対象となる存在を認めない、という意味での「無」と、対象を認めた上でのその存在を拒否、否定する、という意味を持つ「不」、「非」とは本質部分において異質と考えられる。M.ルター的信仰理解では、信仰というものを、「懐疑」「批判(異論)」を否定することによって、即ち、理性的主体的本質追求を放棄した絶対的依存によって精神的安定が得られる、という思想との関連で成立させようとしている。それは、信仰の場での「無」も「不」や「非」も全て信仰を阻害するものとして区別していないように見える。然し、この「無」と「不」や「非」は、対象の存在を認めるか否かという根源的意味において、更には、建設的関係展開のためには重要な違いがあると考えると考えたい。

但し、無信仰者は、「信仰」なる精神機能を自身は持たない、としているだけで信仰者が信仰の対象としているものの根源にある「何か(信仰者にとっては神など)」の存在を否定しているのではないということには留意しておきたい。

 

4.信仰、神についての一つの考え方

L.A.フォイエルバッハ的に理解するならば、人間にないものを神が持っている(と人間が想定している)ために自己の能力以上の能力とその具現を自己の外なる神に求め、神を信仰するということになる。自己能力の発展、拡大可能性を神に依存するという限りでは、信仰は、自己疎外的であり、希求、期待、願望なども、自力努力的ではなく他力(外部)依存的といえよう。それ故、信仰者自身の思考や判断の根底部分、根拠(基準)を外(神など)に、更には、その存在の根源さえも外なる宗教に求め、その思考や存在の根源となるものを、思考停止(M.ルターが信仰に求めるような、無批判、批判拒否、懐疑拒否)的に受け入れている姿勢ともいえよう。無信仰者にあっても、その思考や判断に関わる諸概念が理論的追究の極限に至ったときに持ち得るものを、例えば、論理、分析的追究の極限としての、九鬼周造などがいう「原始偶然」などというようなものを、無条件的コミュニケーション手段、約束事として共有し、それを大前提として理論的思考や判断をしているが、その大前提は、信仰者、信念者が持つ大前提のように、絶対不動のものとして永久に疑念の対象とすることを拒否するようなことはない。無信仰者は、自らが持つ大前提に対しても、論理的思考、特に社会関係、人間関係、即ち意志、感情の疎通状況で支障(対立、葛藤など)が生じた時点で、更には新たな思想を得て、それによる思考、行動に新たな価値を見出した時点で、再検討し、可能な限り共通理解ができるような、そして共有できるような大前提としようと努める柔軟な思考姿勢を持っている。それは、真理追究過程にあって、論理性を欠いた信念などに固執することは、必然的に真理への接近を阻害することになるために、理性的、合理的思考を越えたような信念的思考姿勢は、真理追究者としての最大欠陥として理解している科学者の姿勢に似ている。それ故に、科学者は、少なくとも科学的研究段階、研究対象に向かっている段階にあっては、信仰的、信念的であることを戒める姿勢を持たざるを得ない。但し、課題追究段階での研究過程は仮説設定から始まる仮説確認・立証的行為であるために、自身の立てた仮説に対しては一定の結果が得られるまでは信念的であるのは止むを得ない、というより、むしろ信念的でなければならないといえる。この自身の仮説信念的姿勢は、仮説確認・立証的研究過程にある限り、自身の仮説以外の仮説などに惑わされることの価値は低く(自己の仮説に対する一定の結果を見ない段階で、別の仮説を追究するという並行的思考、研究はないことはないであろうが、少なくとも研究効率の上では高いものになり難いであろう)、それ故に、自己の仮説に執着することになる。その限りでは、自己の仮説に対して信念的であり、その姿勢は信仰的姿勢に近似しているといえなくはないかも知れない。とはいえ、やはり無信仰者が持つ大前提は、学習、研究の深まりと展開によって質的に変化した懐疑、批判の対象となり得、そして発展的変更、修正の可能性の高まりを必然のこととしているといるために、懐疑、批判を或る意味で最大限度に尊重しているといえる。

この過程的な思考停止的大前提を人間の自由意志によるものとして共通理解し、共有していると考えるか、それとも過程的変異性を否定した固定、絶対的なものとして、人間の能力、意思を超越した神的な存在者の意思の発現と考えるか、という点が無信仰者と信仰者の分岐点となっている要素の一つかもしれない。根源的に、無信仰者は、主体的な自己存在や生活(活動)の追究過程にあっても、それが過程的なものであるが故に、生きている限りは完結、完成はあり得ないと考え(これも一つの信念的大前提?)、固定的、静止的安定よりも、生命体の本質的特質としての変化対応的変化によって得られる活動的、発展的安定というものを受け入れているともいえる。

5.一つの視点

人間の主体的自由意思にあっても、理性的、或いは合理的判断を超えた判断根拠に対しても、理性者は、理性的理論展開を求める。現実においては当然、理論的にも、超理性的・絶対的・思考停止的ともいえる大前提は、人間の精神活動には不可避、必要不可欠な要素である。だが、それをどこまで超理性的なものとして意識して、現実の精神的安定に資そうとするか、その時に、宗教、信仰、或いは信念を持つ者と、それを持つことを拒否する者、或いはそれを持つことができない者とが分かれるのは、現実としての事実である。

信仰と宗教の究極には、求めに応えられることによって、或いは半ば諦観的で現実受容的肯定的想念としての感謝などによる精神的安らぎを獲得しようとすること、などが考えられる。別言すれば、そこには、迷いや不安の消失、悩みの緩和、解消などを求めるという根源的な目的があると一般的には共通理解されていると考えられる。然し、全ての人が、その根源的目的を共通理解、共有することはできる(できている?)ならば、そして、個々人、集団の特性や文化などの背景的多様性を認め、それを背景とした目的接近、到達、実現の手段、方法の差異を相互で承認、受容することができれば、それらの手段、方法の差異は対立、葛藤などの本質的な問題とはなり得ず、更に、その差異性の根源的意味を理解したならば、社会的安定、平穏を得ることが可能となると考えられる。

論点はテーマより外れるが、何時の時代でも、人間の社会生活にあっては、個人的、社会(集団)的対立や葛藤などという現実的現象があり、昨今は、それの平和的、民主的解決方法として「対話」を求めることが多い。然し、その対話が対等な関係を維持したままでの解決を期待するならば、対話者自身の独自性主張の根底に持つ大前提を、理性的追究の極限にある大前提、それこそ、「原始偶然」的なるものを対話の対象とし、共通理解、或いは再構築して共有することが必要であろう。それは、G.ライルの、哲学的混乱(一般的対話時の根源的混乱も同質?)は概念上の混乱にある、という理解、発想を共有して対話などの関係を展開することであるが、この思想の実践は、問題としているものの大半を解消するという現実的効果を高めることになるのではあるまいか。

 

小学校での英語教育

海野和三郎

産経新聞(21/4/17)、藤原正彦氏「母国語しっかり学ぶ時期」、浮島とも子氏「楽しんで苦手意識なくす」に対し、第3の意見を述べる。エネルギー・地球環境・食料問題に対するグローバルな意識革命を進行させる情報の担い手としての言語、その教育として、義務教育である小学校における英語教育の導入がホットな議論となっている。すでに、私立の小学校などでは、英語を教えている所もあるであろうから、問題点を整理すると、@義務教育の必修科目とするかどうかA何年生の授業とするかBどんなことをどう教えるか、である。藤原氏の反対論は、@小学校は母国語で読み、書き、そろばん、を教えて有為な人間としての基礎をつけるところで英語を取り入れる時間はないA中学で周3〜5時間、高校で選択科目とするB内容としての教養と手段としての英語を身につけるのはほんの一部の人でよい、それ以上の全員への英語必修教育はマイナスが多すぎる、ということである。浮島氏は、@家庭で英語になじむ機会がない以上、小学校で英語を耳にし、慣れ親しんでおくことが必要A音楽を聴く感じで、中学高校の外国語学習につなげる。日本文化を理解できるようになる5年生からでいい。B英語の時間とともに国語の時間も増やし、英語に親しむことで日本語の素晴らしさを理解する、という。私の意見は、前にもどこかで述べたが、@義務教育の必修にはしない。土曜日あたりのお好み時間を使う。A低学年、出来れば幼稚園児から始める。B英語の童謡などを歌う。意味など分からないままでもよい。昔の文語体小学唱歌と一緒に歌う。フォスターの歌もよい。中学・高校になれば、小公子・小公女、赤毛のアン、ルイスのナルニア物語などを一冊読むのもよい。主義主張としては藤原氏に賛成、楽しんで英語をものにするという点では浮島氏に賛成である。要するに、この問題は、制度改革として一元論乃至二元論的な視点で取り扱うべき問題ではなく、少なくとも多次元複雑系としての語学教育であることに留意しなければならない。

 

 

                         水木鈴子

富士山・南アルプス・八ヶ岳も、

真っ白な雪におおわれています。

 透き通った冷たい空気の中で、

あなたのまぶしい若さが輝いています。

おや? あなたの足元には、

ニョキニョキ土筆(つくし)の坊やが・・。

 よく見ればノカンゾウさんも、ヨモギさんも、

ノビルさんも、フキノトウさんも・・・。

長い寒さに耐えた生命のよみがえりです。

「おかえりなさい」

みんな共に

地球母さんに

生かしていただいているのですね!

 

歌舞伎「市川櫻香の会」上演に際して

市川櫻香

昔から歌舞伎も、お能も、お狂言も、男性により上演されてきました。私たちは、それを女性も演じようと「むすめ歌舞伎」としてスタートし、長年の努力の結果「櫻香の会」に成長することができました。この会は、伝えられてきた日本の古典を大切に、かつ新たにしようと、歌舞伎以前の伝統芸能、能、狂言の形(演出)から学び、歌舞伎のエネルギーを根底に人物をクローズアップいたします。

昔からくり返し上演されて参りました日本の古典を、現代に生きる女性の一人としてこんなふうに感じ、こんなふうに思うという視点で想像した新作三作品を「平家物語」から脚色、取材致しました。今回は、その中の「海道下り」、「千手」を皆さんに是非ご覧頂きたいと思います。

また、この度は、特別公演として「市川團十郎師」初脚本の<黒谷>を上演致します。

これは團十郎師が、白血病との戦いを完治まで99%というときに書き始められた脚本です。その戦場から帰還できた人だからこそこの<黒谷>が出来上がったと思います。

生きるって何?」と、この厳しい時代に思いを巡らす人達は多いと思います。人生の真ん中に立ち、振り返り、またこの先を睨む、そんな方々に見て頂きたい舞台です。

「海道下り」は、誰もがふと実感するようなアンニュイな心地の何とも言えない感慨を・・。思えば遠くに来たと旅を振り返る、または年齢を重ねて、ちょっと人生振り返ったら思わず過ごした年月を愛おしく思うこんなことってありませんか?キュンとして、懐かしくなることを、大切にしたいと感じて戴ければ嬉しく思います。

「千手」は平家物語の中の「千手」と「平重衡」を取り上げ、淡い恋が生涯の宝物として・・。千手の前という東国の女の子が京の都の公達(男の子)に恋をする。彼の命は源平の戦の中で、今まさに死と向き合っていた。処刑後、千手は彼の魂がおだやかにあることを願い処刑の場とされた河原に赴く。彼を思い舞ううち、いつしか亡き重衡と一緒に舞う千手。この恋を生涯の宝として、余生を生きたいと願う千手は尼となる。喜びいさんで帰る千手であった。

「黒谷」は、市川團十郎師が、初脚本の作品です。私はこの本を読んで芥川竜之介の「藪の中」を想像しました。自己と向き合うことを、こんな感じでクローズアップした作品は歌舞伎にはありません。モノクロのフランス映画のようで、しかし太棹の豪快な音色が<歌舞伎>なのです。

(公演にご興味のある方は、以下ご参考まで。 菅野礼司)

第二回市川櫻香の会   会場:名古屋能楽堂 

公演日:6月27日 午後5時開演・一回公演

特別出演:市川團十郎   上演演目:「海道下り」「千手」「黒谷」

編集 湯浅・川東