私達の教育改革通信
第 130号 2009/6
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先事館制作室:進士多佳子〒106−0032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910
発行人:西村秀美,先事館箕面 〒562-0023箕面市粟生間谷西3-15-12
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編集::先事館吉祥寺 海野和三郎180-0003武蔵野吉祥寺南4-15-12;
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先事館聖徳大学 茂木和行 165-0035 中野区白鷺2-13-3-409
地球環境改善・経済対策
としての森林再生
平井孝志
金融工学という「近代的・知的」操作で世界の中で「自己が一番」とする風潮が膨れあがって、遂に米国のリーマンブラザーズのサブプライムローン破綻となった。その爆風は世界を吹き荒れ、欧州、アジア、特に振興力を誇るインド・中国を巻き込んで経済成長至上主義の暴走にブレーキがかかった。各国がこの金融で金を儲ける「指先き族」からの転換を真剣に考えるに至った。
環境問題に向き合うには、経済対策同様或いはそれ以上に全体を見なければならない。何よりも、環境とは「生存条件」即ち、健全に人間が生きる為には沢山の生物群が健全に生活現象を行ってくれなくてはなりません。第一に呼吸です。10秒間も息もせずに、仕事も、食事も、排泄も出来ません。清浄な空気が遠くから移動してくれないと困ります。水が飲めなくては生きられません。その為には雨が降ってもらわねばなりませんし、その水は海や河川、土壌、生物すべてを循環しています。食べ物を作る役目もする光合成に必要な炭酸ガスは、直接火山から噴出するものもありますが、大部分は朽ちた植物、動物の呼吸や遺骸を微生物が分解して再生したものです。私達が正常に楽しく生き続けるためには、部分を究めて自然環境が分かった積りでは駄目で、広く全体を見なければなりません。
突然訪れた世界不況、失業者の続出、殆どが工業世界の組織・工場などの労働者たち、これは日本だけのことではありません。化学工業、電気・機械、自動車等々の製品・部品をつくる全ての工場が入っています。日本の場合、殆どは1950年頃、第2次対戦が終わった時には農村、漁村、山村で幼少期を過ごし、教育を受けて工場、商店などに就業したことで近代化のエネルギーを背負い、国の社会システムを創り上げてきた人たち、及びその子孫たちです。当時戦場から逃れた都市以外から日本の近代化に参加した人の血を引いて、現在、多くが都市かその近郊に住んでいる人たちではないでしょうか。この不況を、失職のままで過ごすことは本人にとっても、日本国にとっても多大な損失です。即ち、彼等の力を借りて、損傷を受けている農山漁村を正しく回復しなくてはならないでしょう。それも、出来る限り「人力」が多く配分される形で、所得の分配が広くに行きわたることを意図することが肝要でしょう。社会政策としては勿論、国策としても、人道上からも。
今日CO2の問題が叫ばれています。森林、山野共々環境改善の原点です。緑の山野を元に戻しながら改善(針葉樹林の何割かを早急に実をつける落葉紅葉樹や常緑広葉樹の混植にする)すれば、水の涵養は勿論、沿岸の漁業、海中植物の急速な発生を促すことに繋がること必定です。実は、樹木には根っ子が何十倍も伸びていて、それぞれの木にはそれぞれ特有のミネラル群と微生物が必要なんですねえ。クヌギにはクヌギの、栗には栗と仲良しのバクテリア群があることが善いのです。地上部分は、私達人間で言えば体躯です。内蔵は間違いなく根っ子でしょう。根っ子は途方もなく大きい数の微生物群という内蔵機能組織を養い、自分自身も養ってもらい、“宇宙生命”という「いのち」を生きているのですなあ!巨大な「生態系」という「生物の社会」を養うための凄い水量の清浄活性水を創り、小動物に実を提供して養う為に山に生えているのです。活性・ミネラル水の製造工場の一角ですなあ、一本一本が。動物の為に酸素を創ります。CO2を減らします。
生態系破壊を伴う「開発」という衣を纏った文明化の途上での過ちを、坦々と膨大な国費で早急に回復することが、共存原理を取り戻すばかりか、人々の生存と心の環境に光を当てることになるのです。愚かにも、私たち人類は長く共生原理を忘れ、人間だけの繁栄を求め、自然のすべてを人間だけの、しかも特定の国家の繁栄を主眼としてきました。ローマ、ギリシャ、中国、インド、エジプト、アラブ諸国・・・と、どの国も森を切り倒し、多くの近隣諸国を奴隷にしてきました。現代では、河川湖沼の多くを人間だけの幸福のために利用してきました。生態学という分野、宇宙生命という分野についても今日ほどの探求が行われていなかったこともあって、山森の大木をむやみに切り取るばかりか、河川の水も、流れを変えてまで自分の国家戦略のため、人間の幸福(物質的豊かさ)のため利用を拡張してきました。そのため、河川に住む魚介類、それとの共生で生きている鳥類、水棲哺乳類や昆虫などのことは殆ど考えない横暴さについて、今日ようやく彼等の絶滅の危機に警鐘が打たれています。
「破壊が進み、汚染が多様に侵入した自然」の問題の解決が難しい理由は、多くの利害が衝突し、やり方が単純でなくなり、有効な方策が牙を削がれて「宇宙の裸の真実」が曲げられてしまうためです。宇宙からの司令を直感できる濁りない「般若の知恵」がありきたりの知性の作品にすり替わると、環境改善は、改善以前より一層厄介な状態になるのが普通です。洪水を防ぐということで、つぎつぎと堤防を積み高め、強固に構築する一方で、山間の山肌を崩してダムを造りつづけるのは、人間知性を第一とする自惚れの形を固定したようなことになるのです。私は、宮沢賢治先生の歌を再々、引き合いにだすのですが、「大曼陀羅を須弥」に生かさん・・と主張してきました。宇宙に賦存する大法則・摂理を訓みとって、この地上に正しく適用することこそ「喜」であります。間違いないのです。まだもっと科学的に考えれば合理的に構造化出来るはずだ、とするのも良いでしょうが、すべては限界の法則の内枠でのみ「優秀」であるわけです。こんな単純な宇宙的真実が認識できないようでは、多数の人々に役立つ生活の仕方をすることは無理でしょう、仮に、金儲けは上手にできても!
身近な宇宙的真実の顕れは「農業」です。或は、食料の採取です。生命現象という宇宙由来の真実を知らないと、本当の農作物は取れません。土を知らないと果樹の生育は難しいと言います。人間という生き物は文化の中でしか、精神的向上が果たし難いという宿命があり、宇宙の工夫を土に生かさないと大集団という社会をひとまとめにしていきるのは難しい訳ですから。根の働き、微生物の働きの宇宙生命としての真実については、前にも述べました。「環境」とは何か、の説明にも苦心しましたが、「環境とは生存条件の異名」と強く思うようになりました。今日の不況を乗り越えるのは、300年、3,000年かけて破壊し続けてきた森を復元し、緑の多様性と、そこを原生林のように深々とした諸動物、昆虫群の楽園に差し戻すことに巨額の投資と人的資源を投入することで、はじめて可能になると確信します。
宇宙の創源からの摂理の声を心耳で聞けば、こんにちのこの世界金融経済不況に発する経済・社会の総合不安は宇宙の叱責、人間の浅い自我欲に基づく文明・文化の誤謬に対する「お説教」に他なりません。樹木の「苗床」づくりを無限にすすめ、坦々と植林(多様性を科学的成果からと経験から学びつつ)を世界各国と手を携えて必死の知恵ですすめば、心も物も生活の中を濁す文明が、深い哲理を守ることを条件に、世界を真に働きの場とする空間になることでしょう。森・・本物の森を創造することを忘れず、人類の進化を心で見つめて行動することを続けることこそが「真理」ということではないでしょうか。多様な微生物の大群しか居なかった地表が、やがて、緑豊かな陸となり、草原−森となり、そこに依りかかって多様化した生物群の出現/進化があって、我々人類があるのだという真実を忘れず、その道に添うならば、人類は生き続けられるかもしれない。「文明の利器で宇宙の曼陀羅を何とかしよう、この地上で利口に振舞おうということは止めて」地球の目に見える進化のプロセスを辿って、自分達が破壊した地表を修復することから何事も・・と念じたい。私たちは空気も水も創れないのです。まして造山運動なんてことは、微塵もできないのです。ただ、私たちが本当に手を組み、心を合わせて行くなら、意識を覚明する事は全く可能なのです。私個人で出来ることは、宇宙意識に気づき、自己意識を革命して、それに呼応して生き抜くと決意し、そのとおり行動することしかないのです、本当に。幸運、世界の開運を祈り、終わります。
(微生物環境技術研究所)
高齢化社会の教科書は初等教育
中條利一郎
昭和生まれで初の総理大臣になったという人物が、社会のある変動に困り果て、「教科書に書いてないんですヨネ」と弱音を吐いていたことがある。これはおかしい。民主主義国家は三権分立で、教科書をキーワードにすると、教科書を作るのが立法府、教科書に従って行動するのが行政府、教科書に従っているかどうかを判断するのが司法府ということになる。野党の党首の秘書が選挙直前に逮捕されるなど、司法府が独立しているのかどうか疑わしいところはあるが、こういう逮捕にマスコミが騒ぐなど、不充分ながらも、司法府は独立していると考えてよいのであろう。それに較べると、立法と行政の線引きは曖昧である。国会議員という立法府の人間が総理をはじめとする大臣になっていたり、行政府に属する役人が立法を取り仕切っていたりするからである。上に述べた人物が立法府に所属しているという自覚があれば、教科書に書いてないことに対処できることを喜ぶ筈である。
筆者が後期高齢者に属することは第128号に書いた。こんな高齢まで生きた人は身辺にいないし、筆者自身ここまで長生きをするとは思っていなかった。従って、教科書に書いてない人生を送っていることになる。筆者が昭和13年に舞鶴の明倫尋常高等小学校に入ったことは第125号に書いた。その時の担任のI先生には3年生の最後までお世話になった。この先生は理科が得意な先生で、今から20年前に同級生4人と一緒に、先生にお目にかかった。4人の内、二人は医学博士、一人は歯学博士だった。かく言う私は理学博士である。当時の小学校では理科は4年生から始まったので、私どもはI先生から理科の授業を受けた記憶はない。記憶にあるのは、先生が時々高学年の理科の授業担当のため、理科室のある棟の方へ白衣を着て歩いていらっしゃる姿くらいである。にもかかわらず、4人が4人とも理科系の学位を持っていたのは、先生の薫陶をどこかで受けていたためと思われる。
私が尋常科3年を終えた時、父の転勤に伴い、高槻へ転居した。この年、小学校は国民学校という名前に変わり、尋常科も初等科に名前が変わった。そのため、私は富田国民学校の初等科4年生になった。この時の担任のF先生は国史(大日本帝国の歴史の意で、今風に言えば日本史)が得意な先生で、例えば、考古学などという言葉はこの先生からはじめて聞いた。高槻のすぐ隣の茨木には宮内省(今の宮内庁)が継体天皇陵に比定している太田茶臼山古墳(アクセス不可)、高槻には本物の継体天皇陵と言われる今城塚古墳(アクセス可)などがあり、考古学の教材には事欠かない環境であった。
ここで話は平成4年に飛ぶ。この年、私は東京工業大学を定年退官になり、帝京科学大学に移った。スタッフもいない、予算も少ない環境で、他に競争者がいなくて、意義があって、それまでの経験が生かせるテーマとして、私が選んだのはNMR(核磁気共鳴)などの分析機器を使った考古学の対象になっているものの研究である。それは今まで続いている。小学校で教わった二人の先生が私の老後の教科書になったわけである。今の児童が大人になる頃、高齢化社会への対応の仕方には一般論としての答えは出ているであろう。反面、どんな難問が待っているか知れない。その時、小学校の教育がものを言う筈である。
地球温暖化「非CO2論」の虚妄
海野和三郎
桜井よし子さんだったか曾野綾子さんだったか忘れたが、世界有数の地球物理学者赤祖父俊一さんの説を引用して、「地球温暖化はCO2ではない」という議論を展開している。桜井さんにしろ曾野さんにしろ、日頃、中正の立派な評論を出しているので、誤った議論をすると影響が大きいから、その誤りを指摘しておきたい。赤祖父さんの論文は読んでいないので詳細は分からないが、桜井勝弘さんの「CO2で地球温度は何度上がるか?」(改訂版)という文書を、友人が転送してくれたので、それによると、氷河期(氷期?)(1400〜1800)からの回復と地球の準周期変動が大部分で、CO2増加による温室効果の影響は約1/6程度であろう、ということである。中緯度の平均気温が500年前に0℃、現在15℃とすると、100年で3°、1/6 とすると、10年で0.5°がCO2の人為増加の影響ということになる。しかし、気温変動には知られているものだけでも、億年、万年、百年、22年、11年、2年、1年、1日、等の周期、準周期変動があるが、太陽黒点周期の22年以下の短周期変動より長い準周期変動の定量的理論的説明はない。第2の問題点は、水H2Oや二酸化炭素CO2などの温室効果と地球温暖化との混同である。第3の問題は、非線形モード(地球環境の非可逆進化)であるが、それを議論できる知識は自分にはない。
桜井さんは、“もんじゅ”の炉心熱流力設計を担当された方で、詳細な解析とともに、簡易モデルをつくりグローバルな物理特性を理解し、修正していくという方法をとっていたという。そこで、地表温度の簡易モデルとして、地表に入射する太陽エネルギーと全地表から大気外へ放射されるエネルギーとをバランスさせて決まる温度と地表平均温度との差を水H2Oと二酸化炭素CO2との温室効果による温暖化と解釈するモデルを考える。地表に入射する太陽光強度は、大気外での強度(太陽定数)1.37kW/m2に(1−A)(A:アルベド、太陽からの光を地球が反射する割合(反射能)のこと、通常0.3とする)を掛けた値を採用すると、太陽光を垂直に受けて再放射する黒体輻射温度は100℃くらいであるが、太陽光を受ける地表面積は全地表面積の四分の一なので、受けた太陽エネルギーを地表全体の面積で再放射する黒体輻射温度は−18℃となる。これと平均気温15℃との差を水蒸気と二酸化炭素の分子数に比例させた温室効果と解釈するのが簡易モデルで、その簡易モデルを更に最近の地球温暖化に当てはめて、人為による二酸化炭素の増加が何年後には何度の温暖化になるかを予想することが、桜井さんの一連の筋書きのようである。
ここで、特に問題なのは、アルベド:Aという量の曖昧さもさることながら、地表が受けた太陽エネルギーを地表に一様な温度の放射として再放射することで、地表が熱の超伝導体として扱われていることである。地表が受ける太陽エネルギーは、昼と夜、季節、緯度により桁違いで、これを平均化する機構は存在しない。つまり、−18℃という値は殆ど意味のない数字である。唯一つ、それに代るよい方法がある。それは、地表平均温度として、1000m以上の深海温度3℃(276°K)を採用することである。3℃という温度は、地熱を海面へ伝導するのに必要な北極海底温度で、海洋大循環が北極海を源流として、北大西洋の東西海底の水温による圧力勾配と地球自転による転向力との釣り合いで、北米大陸側を赤道を越えて南下するモデルで説明される。また、更にアフリカ側を南下、喜望峰を超えて東漸、太平洋を北上、アリューシャン沖を南下、日本列島沖、台湾・フィリピン・インドネシア沖を通過して喜望峰沖を西に回りアフリカ沖を北上、表層流となって、アメリカ側赤道を越えて東漸、ヨーロッパ沖を北上し、塩度を増して、グリーンランド沖を沈み込む大循環モデルを考えると、1000m程度の乱流渦の渦粘性を仮定して、動径方向の圧力勾配との釣り合いからも、海洋大循環周期の観測値約1500年が説明できる。しかし、深海温度が一定している理由はそれだけではない。更に、重要なことは、海が持つ保温の良さである。直射太陽光の1割程度は、水深100m程度、“てんぐさ”など赤い藻が生える深さまで届く。そのエネルギーは、夜分或いは冬季、外が低温になると海面から外へ放出されるかというと、約3000年かからないと熱伝導で外へ出られない。その理由は、海は“塩の指不安定性”といった(温度と温度の)二重拡散対流不安定性が働いた億年の進化の結果、深い所ほど塩度が高く比重が高いので、少々の温度勾配では対流が起こらない仕掛けになっており、遠赤外線を透さない水の中を分子衝突で温度を伝える熱伝導では100mを伝導するのに3000年もかかるというわけである。その間に、海流がならし、一様化するが、その代表が海洋大循環ということになる。
次に、問題なのは、水の影響であるが、遠赤外での水蒸気による温室効果もあるが、雲になり、霧や靄になり、地上に達する太陽光を散乱吸収する効果、雪や氷となりアルベドを大にする寒冷化効果もあって、昼と夜でも地上温度に対する作用が逆になり、或いはその地の温度によっても効果は変わる。地表にある水の総量は海が地表の2/3を占め、陸上では森林や陸水、水田などが海と似た役割をするから、水蒸気の温室効果は二酸化炭素より大きいからといっても、地球温暖化に対する影響は第一近似では無視すべきである。それでは、(1400年〜1800年)の寒冷期からの回復というもう一つの温暖化の解釈をどう考えるべきか、と言うと、この寒冷期は太陽黒点のマウンダー極小期を含む4つの極小期に相当し、日本では寛永から享保、天明、天保の飢饉の時期であり、フランス革命もその頃の事であったらしいが、1950年には完全に回復し、かなりレギュラーな11年周期変動になっている(日江井栄二郎、「太陽」学士会会報2008-V)。太陽エネルギーの一部が、太陽磁場活動に転化して11年周期や100年程度の変動として、表面に現れると考えると、太陽黒点の消長と地球環境との相関は説明できる。このところ、太陽黒点は極少期に近く、今年は黒点の姿が見えないというから、北極海の氷やグリーンランドの氷河が融けているのは、CO2による温暖化かアルベドの減少やカーボン・ハイドレートの湧出という二次効果によると考えるべきであろう。黒点極少期の寒冷からの回復という温暖化の筋書きは今後どうなるのか、吉村宏和さんあたりに聞いてみるか、“ひので”の観測結果をもとに常田佐久さんあたりに予報して貰うしかないが、今のところその筋書きは除外して、水蒸気と二酸化炭素による温室効果、それも夜間だけに限って適用したモデルを簡易モデルとするのが適当であろう。夜間に限る理由は、昼間は地表近くは対流圏で、大気中の温度勾配はほぼ断熱温度勾配であり、遠赤外放射に働く温室効果は殆ど影響ないからである。
次に、温室効果の評価であるが、輻射平衡にある大気の温度成層は、地球大気の場合、遠赤外域の平均吸収係数による光学的深さの関数として求まるので、その平均吸収係数に対する吸収線の寄与の大きさが水蒸気や二酸化炭素の温室効果である。平均吸収係数は、各波長域の吸収係数をその波長域の(外向きの)輻射流量で重みをつけた平均をとるので、強い吸収線を少数持つ分子よりも弱い吸収線を多数持つ分子の方が平均吸収係数により大きく寄与する。また、強い吸収線を持つ分子が増減しても殆ど温室効果に影響しないが、中程度以下の吸収線の分子数の増減はそのまま温室効果に影響する。地球大気の場合、水蒸気分子はその温室効果で確かに大気の平均気温を上昇させているが、その上昇は一定しており、前記の二つの理由で、いわゆる温暖化にはつながらない。一方、二酸化炭素は、遠赤外域に強弱多くの分子の振動・回転モードの吸収線を持ち、分子数の増減は比例的とまでは行かなくとも、ほぼそのまま、温暖化につながる。メタンハイドレートなどでは、吸収が飽和に達していないであろうから、温暖化で分子数が増えると、温暖化が更なる温暖化を呼ぶおそれがある。
一方、水の影響としては、雲や氷雪としてアルベドへの影響があり、太陽磁場の消長が地球環境に与える影響と共に重要であるが、その辺りは専門家の検討に委ねたい。かつて、松島訓さんの愛弟子であったジェイムス・ハンセンがA.レイシスと共に吸収線の大気構造への影響を研究していた私の所へ武者修行に来ていたことがあるが、彼らは今やIPCCの中心的存在であり、水や太陽磁場の影響なども含めて、CO2などによる地球温暖化の研究のリーダーとなっている。たしか、複数の日本人女性の共著者がある彼らの論文を見たことがある。ジムが、宇宙飛行士の毛利さんとテレビ対談をしていたのも見たことがある。関心のある方は、インターネットで検索してみて下さい。
結論として、21世紀人類生存の危機を左右しかねない地球温暖化の今後10年間の動向を決めているのは、人為による二酸化炭素の排出量であるとしてほぼ間違いはない。ただ、それ以外の要因が加わる可能性もあり、特に、非線形効果が少なからずあるので、10年より長い未来にわたっての予報は困難である。また、唯一つ確実に言えることは、温暖化の問題の有無に関わらず、石油などの化石燃料は未来のために温存すべきで、現代人が浪費することは許されない、ということである。
水木鈴子詩画集
「はじめまして息子よ!」
菅野礼司
この「教育改革通信」にこれまで度々「花の詩」
を寄稿して頂いた水木鈴子さんから、先日、お手紙と2編の詩画集『はじめまして息子よ!』と『不思議な絵本:幸福あげます』が贈られてきました。「教育改革通信128号」に掲載した私の記事「みんなちがって みんないい」に共感して下さったからだそうです。水木さんも金子みすずの詩「私と小鳥と鈴と」が大好きとのこと。
「教育改革通信」に掲載された水木さんの花の詩を、私は心和む思いで何時も愛読していました。
詩画集『はじめまして息子よ!』は、生まれてきた息子との初対面の母の喜びと、溢れる愛が詠われている。そして、それぞれに優しい花の絵が添えられています。その一部をここに紹介します。
はじめに
人間は光輝くような美しい姿、純粋無垢なる魂として、母の胎内から無一物でこの世に生を受けます。その環境に応じた種々な知識、日常的なるもの教育的なるもの・・・人間向上に役立つ学習を受けながら成長してゆきます。
そして新しい生命を自ら宿した時、久しく忘れていた純粋無垢な精神(こころ)を新しい生命から発見させられます。天使のほほえみに励まされて新鮮な感動を味わい、新しい体験に出会います。
子育てという無償の愛の実践は無条件のやさしさであり母性そのものでありましょう。
そのような素晴らしい心の糧、貴い使命を放棄しようとする若い女性が増えているようで残念でなりません。
子育てという大ロマン、母なる重さの貴さに気づいて欲しいという願いから花の詩・画が生まれました。(以下略)
調和
空にはのんびりと 雲たちが遊び
地上には花たちがほほえみ
海には魚たちが群れ泳ぎ 平和ですね
目立たないけれど
我が家にはあなたがいます
花のぬくもりを ぜーんぶあげたい!
素敵な天使がいます
無
無心で純粋で 何の野心もなく
宇宙の法則に さからわない
あなたの瞳は 美しく澄んで
母さんに やる気を起こさせる
不思議なエネルギーを 秘めています/
こんな素晴らしいお母さんに育まれる息子さんはどんなにか幸せだろう。そしてすべての子供たちがこのように育てられたら、この社会は今のようにぎすぎすしたものではなく、平和でもっと住み良い社会になるだろうと思いつつ読みました。
『幸福上げます』は、花の絵とそれに相応しい誌が添えられた詩画集です。読めば心が和むでしょう。
水木さんは山梨県小渕沢町に「八ヶ岳高原水木鈴子花の美術館」を開設し、その活動は日本の心の文化として、高い関心が国内外から寄せられているそうです。
「脱線」は「科学魂」の発露
中 條 利 一 郎
学校の授業には「脱線」と言うのがある。これには二種類ある。一つは教室の雰囲気がだれている時、生徒の気持ちを一点に集約するため、授業の内容とは無関係に生徒が興味を持ちそうな話をするものである。今一つは授業の内容を敷衍するため、授業の内容と関係はあるが、教科書からは逸脱した話をする場合である。今回のテーマは後者の方である。
筆者が大阪府立茨木中学校(旧制)に入学したのは昭和19年のことで、入学早々「物象」という名前の科目があった。戦時中のことで、それまで「物理」と「化学」と呼ばれていた科目が統合されたものであった。物象担当のS先生が、ある日、湯川秀樹先生という偉い先生が原子核の中で陽子(プラスに帯電している)と中性子(電気的に中性)を結合させるためにはユーコロンという粒子があるという理論を作られたという話を熱情を込めて、しかも訥々と話をされた。5年後に湯川先生がノーベル賞を受賞された時の新聞記事では中間子、あるいはメソンと書かれており、今ユーコロンという言葉を耳にすることはないが、内容はよく知られた話である。S先生は阪大にも籍をおかれていて、湯川先生は阪大でこの理論をお作りになり、今は京大に戻っていらっしゃるということまで教えて頂いた。茨木から大阪までは省線電車(今のJR)でも新京阪(今の阪急)でも30分足らずで行けるし、京都でも30分と少々で行ける。そんな近くにそんな偉い先生がいらっしゃるということの方が中身よりは当時の中学生だった私には重要で、このS先生の脱線は、先生の意図とは別のところで少年の琴線を刺戟し、この少年は大学の物理学科に進学することになった。
寺田寅彦の文に「教科書や講義のノートの内容そのものよりも、むしろそれを教わった先生方から鼓吹された『科学魂』」という表現がある。上に書いた私の経験は私の新発見ではなく、寺田寅彦により夙に明らかにされていた「科学魂」を、ただ私の経験、「脱線」を通じて語ったに過ぎない。わが国では、文中に自分の経験を書く場合、「私事ながら」などと言い訳をするのが普通である。しかし、私はこの「通信」で、そういう言い訳をしない。個人的な経験こそが生徒の琴線を刺戟すると考えるからである。「脱線」は先生にとって得意な内容であるため、琴線を刺戟する確率が大きい。しかも個性的である。私の琴線を刺戟した脱線は他の級友の琴線を刺戟してはいない。反対に、級友の琴線を刺戟しながら、私の琴線を刺戟せず、そのため私の記憶にすら残っていない脱線も多数あった筈である。つまり、教科書という画一化された媒体を使った授業を受けていても、「脱線」や「科学魂」が生徒の個性を生むのである。
私は小学校に入学する前から大学教授になることを夢見ていた。ヒト様に教えることが好きだったらしく、同じ教えるのなら難しいことを教えた方がカッコいいと思っていたようである。つまり、教育者としてカッコいい職業につこうとしていたのであって、大学教授が研究者でもあることまでは思いいたらなかった。S先生の「脱線」から、大学教授というのは研究も出来る素晴らしい職業であると思ったのは言うまでもない。生涯、教育にも研究にも携われたのは幸せの限りであり、S先生の学恩には感謝の二字あるのみである。
絹谷幸二の「アートな匙加減」進化論
海野和三郎
「長谷川等伯が描いた手長猿が、描いた作者より優れているとは夢にも思わなかった。(産経4/22)」を読んで、はじめ、何のことか分らなかった。同じ紙面に、偶然、毒カレー事件の真須美被告死刑確定の記事が載っていた。個人と社会または種と、人と生物または自然との価値観の違い、乃至は、知性または進化の問題があり、画家である絹谷氏が『美』を通じて、根元的な進化論を再構築していることを知った。21世紀の地球人類は、エネルギーや地球環境問題を通じて、これまでと違った新人類へ進化せざるを得ない状況にあり、絹谷進化論は「美」がその鍵であることを示唆しているものと思われる。
「ビキニ環礁で、サメに素手で餌を与え、南海の開放感に夢うつつとなった時、『人間が動植物の先端にいるというダーウィンの進化論は誤りではないか、等伯の手長猿の優美な形、毛並み、艶やかで屈託のない姿を思い出すと、この美しいサンゴ礁を破壊した叡智の結晶、核を操る人間はサルから進化したのか退化したのか?』と衝撃に見舞われた。」「鳥も花も魚も猿も、実は自身の体を支持体とし、そこに見事な絵を描いているアーテイストだ。黒々と見えるカラスの羽の艶やかさも、気味悪げなクモの四肢やネットも、幾何学的なバランスの上に成立っているアートだ。花は一瞬のうちに枯れてしまうが、命の限り美しい色彩と形のパフォーマンスをその身に描く、その美しさは形や色彩ばかりでなく、生命を引き継ごうとする切なる願いの姿であり、その行為そのものが美しい。」「進化に疑問を抱き、生命のコア(核)を探す。衝撃が全身に走り、人間だけが画を描くのだという思い上がりに寒気が走った。」
真須美被告の場合は、その容貌に見られる温和さと意志の強さからして、社会生活や道徳などに対する極端な無知が自己中心的判断となったことが主たる原因と思われる。しかし、それと同様なことは、テロや内戦、戦争といった国家間レベルでは、世界では通常のことであり、その程度に差はあるが、そうでない国を探す方が困難である。したがって、国家というものが未だ進化の過程にあるものだとすると、21世紀、エネルギー・地球環境・食料問題を抱えた人類絶滅の危機はその進化を遂げるべき好機であると考えられる。
人類が進化の最上位にあるとする自己中心性オンリーの進化論でなく、『美』が、その進化の価値判断の基準であるとする絹谷進化論は、けだし、卓見であろう。
高度の輸出入依存構造から脱出して
自立の経済体質を 菅野礼司
サブプライム破綻に始まるアメリカ発の金融危機は、世界を未曾有の経済恐慌に陥れ、混乱に巻き込んだ。
最初、日本は金融危機の直接被害をあまり受けないので大丈夫だと政府や経済関係者は言っていた。ところが予想に反して、世界を巻き込んだ経済危機が進行するや、輸出貿易に強く依存する日本はたちまちその渦中に巻き込まれた。押し寄せた津波に周章てた企業はいち早くリストラで、首切り・派遣切り、採用内定取り消しを強行した。職と家を失って路頭に迷う人が続出して、そのニュースを見聞きする度に心が痛んだ。
金融危機の被害は少ないどころか、逆に日本の被害は先進国ではむしろ最大だと言われ、国内の混乱はひどい。この世界恐慌で、日本の経済構造はいかに脆弱な体質であるかを思い知らされた。
輸出産業に高度に依存する経済構造を改め、内需を拡大して自立的経済体質に改変しなければならないと、これまでに警告してきた経済学者や評論家がいた。しかし、政府と財界は政治・経済の構造をその方向に一向に改めようとせず、むしろアメリカの新自由主義と小泉構造改革に乗って逆の方向に進んできたように思える。
工業製品の輸出に依存する日本経済は、食料の国内自給率を極度に減少させた。輸出入の不均衡による貿易摩擦を減らすために、工業製品の輸出の見返りとして、食料や雑貨を多量に輸入せねばならないからである。そのために、米、麦、大豆などの穀物を外国に頼るようになり、その上要らない不良品米まで輸入しなければならないところまできた。そのために農水省は国内では減反政策を農家に押しつけて、多くの農地を荒廃させた。その結果、穀物から野菜・魚まで大半を輸入し、食料自給率は40%代にまで落ちた。この食料自給率も先進国では一番低いそうである。
これから先の近い将来には、新興国の経済力が伸びて、食料の絶対量が不足する時期が来るだろう。そうなってから周章てても間に合わない。食料自給率を高めないと、日本は食料難に陥る危険性がある。すでに世界の人口は地球の収容能力を超えているそうである。
エネルギーをはじめ、各種資源の少ない日本は、加工産業によって輸出に依存せざるをえないだろうが、それにも程度がある。内需を増やすように、安定した労働組織と賃金体系を作り実行する必要がある。極度に増大した派遣労働者をなくし、貧富の極端な格差を是正して、内需を拡大した自立度の高い経済構造を築くべきである。そのためには、企業は株主優遇策をやめて適正な賃金配分を行い、労働者を人間として処遇すべきである。
極度の工業製品の輸出依存構造と食料の低自給率は密接に関係している。今度の経済危機で、日本の経済構造の弱点が顕わになった。この教訓を生かして、何処をどのように改革すべきか真剣に検討し取り組む好機でもある。そうすれば禍転じて福となすことができる。
今の日本は、平和憲法の9条は実質的に空洞化され、憲法25条の保証する生存権が脅かされている人たちが溢れている。民主主義の根幹である三権分立も形骸化されている。現状の体質を改めねば、また何時か思わぬところで別の危機を招くかも知れない。
しかし、日本政府と財界はこの歪んだ不安定構造を根本的に改革しようとせず、目先のことの対応に追われていることは、経済の素人の目にもわかる。政府が長期的展望をもった政策を立てて実行ないと、同じような困った事態を繰り返すであろう。
グローバル化時代の現代は社会変化の規模と速度が昔に較べて格段に大きくなっているから、この状態を続けていれば「百年に一度の危機」のようなことが50年後いや20年後に起こるかも知れない。
現在、麻生政権は経済対策が最優先といって、大型の補正予算を組み、国家の赤字を大幅に拡大する道を選んだ。だが対処療法的予算なのでその効果は疑問視されている。しかも、それによって国民総生産に対する財政赤字の比率は益々膨れあがり、国家は800兆円の累積赤字を抱えることになる。これまた先進国では最大の借金国となるという。その付けは数年後の大増税、高率消費税として国民にのしかかってくるだろう。それでも足りず、大量の借金は子孫に残されるだろう。日本国家の破産も起こりうるとの警告もなされている。 (編集 菅野)