私達の教育改革通信

   124  200812

 

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裁判員制度を考える

                    金澤 一輝

裁判員制度が、来年2009年5月より始まる。この大改革については、今月(08年11月)から最高裁判所が大々的な広報活動を始めた。マスコミも競って特集などで取り上げている。しかし、国民の理解はいまだ不十分で、戸惑いが強い。強硬な反対論もある。先般、工学部の学生たちに「企業社会と法」という連続講義をする機会があり、そこで裁判員制度についても触れたが、学生たちの反応は残念ながら鈍くネガティブであった。あらためて、この制度について考えてみたい。

 

@  裁判員制度と選任方法

「裁判員の参加する刑事事件に関する法律」(2004年成立)という正式名称からもわかるように、裁判員制度は、一部の重大刑事事件について、裁判官3名と国民の代表6名が共同して有罪か無罪かを判断する制度である。刑事事件のみを対象とし、民事や行政事件は行わない。また第一審(地方裁判所)のみ、控訴審(高裁)、上告審(最高裁)には適用しない。扱うのは一部の重大刑事事件、すなわち殺人、強盗致死傷、放火、強姦、危険運転致死、誘拐などまさに重い犯罪であり、有罪無罪の判断だけでなく、裁判員はその量刑決定にも加わる。市民の司法参加として画期的な制度だ。

全国地裁60か所での重大刑事事件の受理実績は年間3000件強。これを6名でみるため、全国で約2万人の裁判員が必要となるが、候補者はこの15倍、約30万人が選ばれる。来年分については、「くじ」で選ばれた候補者の名簿がすでに出来上がり、今後候補者本人に連絡される。来年夏以降さらに絞り込まれて、最終的には再び「くじ」で事件ごとの裁判員6名が確定する。辞退については、70歳以上、学生、重病、妊娠中、介護養育などに理由が限られ、よほどの事情がなければ、辞退は認められない。

A  裁判員の仕事――相当な負担とみるべき

裁判員の仕事については、最高裁はパンフで「法廷での審理を見たり聞いたりするだけで事件の内容がわかる」ため、「法律の知識は必要なく、日常生活でいろいろな情報をもとに事実かどうかを判断するのと同じ」と強調するが、そうだろうか。事前に争点や証拠を整理する審理方式や連日裁判開催などが導入されるため、大半の裁判員は1週間、2週間と家庭や職場を抜ける必要はないものの、「7割の事件は3日以内で済む」(広報パンフ)というのは、あまりに楽観的すぎる。容疑者否認の場合、平均9回強の裁判が行われる地裁審理の現状から考えて、慣れない裁判員が加わった審理では時間は相当かかると見たほうがいい。必要な書類を読み、居眠りせず証言をきちんと聞き、「この人はこの事件の犯人か否か」という心証を形成し、最後に裁判官らとの評議で、量刑も含めた判決に向け自分の意見を表明する。この一連の作業は、素人にとりラクな仕事ではない。加えて、死刑と裁定したときの精神的苦痛とケアの問題、容疑者サイドからの報復や脅迫などのトラブルの有無と保護の問題、事後ずっと求められる秘密保持の問題などの新たな負担の問題がある。最高裁はこれらの問題について、「裁判員は法律で保護される」と言うばかりだが、もっと明確な対応方針を示すべきではないか。国民が要らざる不安を持たないようという配慮からだろうが、「素人でも容易に参加できる」点を強調し過ぎている(筆者が聞く限り、弁護士など法曹関係者もおおむね楽観的だ)。容易かつ短時間ということと憲法第37条第1項の「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」という規定の整合性を指摘する向きもある。裁判の手抜きがあってはならないはずだ。後述のごとく、この制度の日本の社会に与える本質的影響と意義を考えると、裁判員の負担は負担として明確にし、かつ裁判の質は十分確保されることを保証したうえで、国民の協力、支持を求めるべきであると筆者は考える。

B  裁判員制度はなぜ導入されたのか

日本の戦後の裁判制度は、大筋において国民の支持を得て、ほぼ十全に機能している。これも、現憲法のもと法曹関係者の不断の努力の結果と評価していいだろう。そういう状況の中、なぜ今、裁判員制度が行われるのだろうか。特に刑事裁判で、どういう欠陥がこれまであったのか。実はこの点が、今も不透明である。にもかかわらず、政府も最高裁も十分な説明をしているとは思えない。そのことが、国民に対し、今回の新制度が切迫感をもって伝わらない最大の理由である。

振り返ってみると、今回の制度は、検討の入口と出口が違っていたという奇妙な経過がある。90年代に入り、世界的な規制緩和の波を迎え、法的紛争拡大懸念への対応として、経済界や学者の一部から法曹人の増大や養成、また「民事裁判」の迅速効率化などにつき強い要望が出された。前者は司法試験制度改革(合格者拡大)、法科大学院創設などの形で実現したが、後者は別の流れと結びつき、異質の展開を見ることとなる。別の流れ、それは戦後一貫して続く、一部の弁護士らによるわが国「刑事裁判」の自白重視主義、精密書面主義への根強い批判である。裁判制度改革の舵取りをする最高裁判所と法務省が、その改革について、当初の民事分野ではなく、刑事分野で、しかも裁判員制度という形で実現しようとしたのはなぜか。最高裁、法務省はこれまでの刑事裁判について非を認めたのか。そうではないと思うのだが、彼らが心変わりした真実は明らかにされていない。ともかくも最高裁、法務省、刑法学者、日弁連および民間有識者は、「司法の国民的基盤を確立するため、一般の国民が裁判官とともに責任を分担し、刑事裁判に主体的に関与できる新たな制度を導入するべき」(2001年6月)という司法制度改革審議会の最終答申を小泉内閣に提出し、入口と出口は異なったものの、すべての動きはここから始まった。かかる重大な新制度を国会がわずか3か月ほどで可決したこともあらためて驚く。

いま最高裁は、制度をなぜ刑事事件に限ったのか、またその意義については言うことなく、ひたすら「裁判員制度では、国民の視点、感覚が裁判に反映され、国民の司法参加が真に実現される」と言う。これではほとんど何も言っていないに等しい。むしろ、日弁連のほうが「意義は現状の調書裁判、人質司法といわれる欠陥を大幅に是正すること」と正直だ(日弁連H/P)。しかし、日弁連にそう言われても、美点でもあった、丁寧なわが調書重視主義が、裁判員制度による公判中心主義に変わって、本当に今以上に「より良い刑事裁判」が実現されるのか、確信は誰も持っていない。専門家に任せてきたこれまでのやり方は、それほど欠陥があったのだろうか。大仰な言い方をすれば、そもそも市民が裁判官として司法に直接参加するということは、間接民主制から直接民主制へ、一部先祖がえりすることだ。そういう意味で「裁判員制度」は、民主主義下、複雑・高度に組織された現代の専門化社会にあっては例外的な復古行為になる。だとすれば、本来は審議する国会において、またマスコミ・学界も巻き込み、その本質的意味(=「裁判員制度は民主主義を今日的に強化する真の道なのか?」)が、トコトン議論されるべきであったのだ。折角の機会を逃したことをまことに残念に思うのである。

 C裁判員制度のわが国社会への本質的影響――「その功」を考える

先日の大学での講義のさい、工学部3年、4年100人余りに、裁判員制度の賛否を聞いた。60%が「拒否したい」、20%が「わからない」、20%が「やってみたい」と、まるで逃げ腰である。友人、知人たちに聞いても、この数字の感じに近い。

にもかかわらず、筆者は新制度がうまく運営され、民主主義的法廷が実現されれば、その「功」は大いにあり、我が国社会の成熟にとって決定的意味を持つとさえ考えている。筆者は数か月前、企業社会の第一線を退いた立場だが、関連して思うことは、ごく近年、企業社会が著しく「法化社会」化した事実である。その原動力の中心は、ここ3年の間に施行された「新会社法」と「独占禁止法改正」である。詳細は省くが、僅か2つの法律の成立によって、わが国の企業社会は深部から激変した。かって「タテマエとホンネの併存」が政治や社会一般と同じように経済社会にもあり、「日本は法の支配もいいとこ取りのつまみ食い」と揶揄される面もなくはなかった。しかし、いまなお浸透に速度差があるものの、企業社会における法の支配の徹底ぶりは、それこそ海外勤務を数年やって帰国した社員があまりの変わりように、ここは日本じゃないのかとうろたえたという笑い話があるほどだ。実態が法に追いつかない企業では、内部告発で不祥事が「発覚」させられてしまう例さえある。何がそうさせたのか。新しい法律が企業に求めた中身そのものであり、それを受け入れた企業人の法意識の転換であると言うしかない。もとより企業社会のこの変わり身の早さは、ビジネスの国際的同一規範性が根本にあり、問題を起こせば自壊するという危機感が背景にある。これまで幾度となく言われながら越せなかった壁が超えられたように思われる。そこには自由な競争、必要な開示と説明責任という新しい自己規律の世界があり、特に若いビジネスマンに「言いやすい、住みやすい世界になった」と歓迎されている。この変化、「法化社会の到来」は、企業社会にとってタテマエとホンネの一致として歓迎すべきであるし、それが世界標準への同期化でもあれば、後戻りはあり得ないとみた方がよい。そして、日本の社会で、その変化につき今なお分かりが悪いのは、良くも悪くも国内事情で一貫できる政治その他の分野である。しかし、春秋の筆法をもってすれば、下部構造は上部を規定する。政治も変わるしかない。

そして裁判員制度は、法化社会に向けてのわが国の地殻変動を決定づけると考える。裁判員制度が実施されれば、問題点も含め、判決の内容や裁判員のあり方について、新しい議論が起こるだろう。先のマスコミの事件報道とのちの素人裁判官たちの事件認識の異同は、格好の議論の種となろう。この制度の「そもそも論」もあらためて再燃する可能性が高い。それも良し。裁判所が一般社会のすぐそばにあるという感覚は、次第に国民の法意識を変えるであろう。何事も、法が基準になり、明確な説明責任が求められ、裁量社会の持つ不透明さが消える。そういう「法化社会」について、ゆるやかに理解と支持が進むのではないか。筆者はその点に新制度の本質的影響、あえて言えば「功」を感じ、期待している。そのためにも、最高裁や法務省には、制度の哲学も含む徹底的したPR、問題点や不安の解消のための施策について、さらなる努力をしてもらわなければならない。

 

 おそらく裁判員制度は、淡々とした定着化の道を歩むことにはならないのではないか。きしみつつ、混乱しつつ、論議を再度巻き起こしつつ、歩むのではないか。関係者は大変だろうが、むしろそのほうが日本の司法と民主主義の

ためには幸いであると、筆者は考える。

 

小田川利嘉先生のいいお話(2)

 

(「白寿への健康法と心がまえ」より)

日暮里の朝倉彫塑館、五典の配石

 明治十六年生まれの朝倉文夫は、明治、大正、昭和にわたる日本彫刻界の開拓者で、この彫塑館に多くの名作を残しました。この塾では多くの弟子を育て、昭和三十九年、八十二才で亡くなりました。

 場所は国電(JR)日暮里駅西口下車、大通りを西に行き、和泉屋石材店の角を左に曲がった徒歩四分位のところです。

 面積は五百坪、正面に二階建ての洋館、裏に日本建築と立派な池があり、自分の設計で自分の好みで六年かかって昭和九年に完成したもので、その後三十年をここで過ごしました。

洋館の一階は生前のアトリエで、今は作品の展示会となり大隈重信の立像、犬飼毅の胸像などが展示されています。二階と三階は日本座敷で、中国人、その他の文化人との交流の場となり、中国の呉昌碩の書が掛けてあります。

裏の日本建築は、茶室から池を眺めて自分の後半生を送ったところで、日本建築の粋を集めています。池には五典の配石があり、生涯この配石を茶室から見て反省していたとの事です。

 「五典の配石」

仁も過ぎれば弱(じゃく)となる(仁の石は大きな石で、伊豆真鶴から取り寄せた)

義も過ぎれば頑(かたくな)となる

礼も過ぎれば諂(へつらい)となる

智も過ぎれば詐(いつわり)となる

信も過ぎれば損(そん)となる

朝倉文夫の雄大な精神力と緻密な頭脳の残した記念道とも言われるもので、平日を楽しく過ごしました。開館日は土、日、月の三日間。午前十時〜午後四時、入場料三百円、電話三八二一−四五四九、日本建築と池の配石はどなたにも参考になると思います。(昭和五十八年九月)

生八十年 (満80才)

日本人の寿命が延び、人生八十年と言われる時代となり、いつの間にか私も仲間入りしました。平素は年齢のことは忘れて、努めて若い人に接し、話を聞くようにしています。

幸いに今のところ大した故障もなく、平穏に暮らしていられるのは有り難いことで、ただ、風邪を引き易いので気をつけるようにいています。  (昭和五十七年九月) 

八味丸で若返りましょう (満八十一才)

人はいつの間にか年を取り、目がかすみ、腰が痛み、足が冷えて、あちこち故障が起こり、老化して来ます。ただし、決してあきらめることはありません。老化防止の妙薬八味丸で治ります。

老化防止のため、中国では四千年の昔から、不老若返りの研究が臨床的に人の体で試験され、漢方医療が発展してきました。北の不毛の地、黄河の流域ではハリ、灸が発達し、南の暖かな揚子江の流域では漢方薬が成功しました。

漢方薬の中でもその王様と言われるのが八味丸で、老人のためにつくられた不老若返りの妙薬です。白内障、高血圧、動脈硬化症、糖尿病、前立腺肥大、腎炎、腰の痛み足の冷え等々の頑固な老人病が一ヶ月か二ヶ月の連続服用でよく治ります。

八味丸は色々売り出されていますが、蜂蜜で練った「ウチダの八味丸」が副作用がなくて一番よいようです。私も永年少しずつ愛用しています。

十年前から漢方薬も保険で出せるようになりました。赤羽の「マエノ薬局」(電話03−3900−6521)に保険証を持参して、体調を説明すれば「ウチダの八味丸」が貰えます。あなたもどうか一度試して、八味丸の妙味を味わってみて下さい。(昭和五十八年九月)

 

歴史的現実から象徴詩へ

                    法橋登

 終戦の年1945年の4月、中学4〜5年修了者を対象にした予備士官学校生の臨時募集があったが、入校予定の8月に入って採用予定者に次のような心得が送られた。「諸君は皇土決戦の秋にあたり、健全な身体、旺盛な志気をもって全員無事着校し、有終の美を飾ることを切望する」。ここでいう決戦の秋は、米軍の本土上陸が予想された9月を指すが、京大哲学科で西田幾多郎の後任になった田辺元は、太平洋戦争開戦の前々年に岩波書店の支援で開かれた連続学内講演「歴史的現実」で、予期された「日本の秋」を「歴史的現実が永遠に接する時」と呼んだ。ポアンカレの「科学の価値」やプランクの「物理学的世界像の統一」の翻訳で知られる田辺は東大数学科を卒業後物理に移って量子力学の数学的基礎を研究し,著作「理論物理学の方法としての複素関数論とその位相学的性格」を残したが、量子世界の観測者としての人間の有限性に気づき、観測結果の偶然性を批判したアインシュタイン (神はサイコロを振らない)の突破を断念して哲学科に転科した。数編の物理論文を読んで科学の価値中立性を直観し、同郷の物理学者ボーアの少年期の思想形成に影響を与えた哲学者キェルケゴールを思い出す。キェルケゴールのいう「永遠のアトムとしての瞬間」は、遷移時間が限られた量子系中間状態の弱観測問題でよく引用される。田辺は前記講演で、時間が限られた個人の緊張は人種を超えた人類の文化的価値を生むと話した。西田は終戦の4ヵ月前、死の2ヵ月前に書き終えた最後の論文で「国家はその形成において宗教的であるが、真の宗教は超国家的でなければならない」として西洋の統合に果たしたキリスト教の役割を評価しながら「形相(形を与えるもの)を有 (実在)とし形成(形にすること)を善とする」西洋に対する戦後日本の超国家的「興国の原理」として「現実即絶対」を掲げる浄土真宗に望みを託した。  

 田辺は戦後学内講演を継承した「種の論理の弁証法」(1947)、キリスト教の原罪観を暗示する「懺悔道としての哲学」(1948)、「ヴァレリイの芸術哲学」(1956)や前記「理論物理学の方法」(1957)を公にしている。1922年にドイツに留学して田辺と同じ数物出身の実存主義哲学者フッサールや道元の正法眼蔵時間論(有事)に注目するハイデガーと交流し、ハイデガーの生の存在論に死の弁証法を対峙させた田辺は「正法眼蔵の哲学私観](1937)の著者でもあるが、ハイデガーの退官記念論文集への寄与に対して1957年にフライブルク大学から名誉博士号を受けている。田辺は、前記ヴァレリイに影響を与えた象徴派の詩人マラルメのサイコロに関する覚書 (筑摩書房1961) の出版を最後に翌1962年、科学・哲学・宗教・芸術にわたる多産な研究生活を閉じた。

 

『色彩』の美学 (美学シリーズ7)

 

       未来創庵  一色 宏

 わたしたちの世界はさまざまな色に満ちている。空の青さ、夕陽の赤さ、木々の緑といった自然の色、さらに、衣服の色、信号の色、ネオンサインの色といった人工の色など実にさまざまな色に満ちている。そしてわたしたちは、自然物にせよ人工物にせよ、それらのものが固有の色を持っていることに疑いをはさむことはまずないであろう。ところが現代の色彩学や心理学はかならずしもこのような「常識」を支持しているわけではない。色彩化学の書物として定評のあるH・キュッツバースは、色彩とは観察者の感覚器官によって生じる「感覚」である、と言った。ニュートンの有名な言葉に『光線には色はない』と、彼によると、それは正式には「赤を作る」光線、「青を作る」光線という。この見方のきそになっているのは近代的自然観であった。色彩の存在を『救出』しようとした哲学者E.フッサールによれば「世界」、少なくとも「生活世界」のなかには色彩が存在している、と言って「射映」と「奥行」と言う概念を使って色彩の現象を取り上げている。

有名なゲーテの『色彩論』は色彩現象を生理的、物理的、そして化学的現象の三種類に分類し、それぞれの特徴を具体例を駆使して示している。ゲーテは色を生じさせる物理的条件の記述と統制に関してはニュートンにとてもおよばなかったが、色を見る際の主体的条件については、極めて優れた洞察を示している。特に、明順応、暗順応、色順応、残像、明るさ対比、色と感情などについては自分自身の体験を通して、すぐれた直観的な観察を行っている。このゲーテの「色彩論」はニュートンの色の研究とは全く違った面で、今日の色の科学の大事な土台となっている。いわば、ニュートンとゲーテは相補い合って、今日の色彩学の礎を作ってくれた恩人といえる。

絵画を制作するうえで、決定的に重要な契機となった体験をカンデイスキーは色彩であったという。自伝的「回想」のなかで、夕暮れに沈んでいくモスクワの姿を印象深く描写している。『太陽はすでに低く、太陽が一日を通じて捜し求め、一日中切望していた最高に充実した力をその手にしている。が、この光景は、長くは続かぬ。あと数分で落ちんとする。そしてその陽射しは緊張のあまりくれないに染まり、次第にその濃さが増してゆく、はじめは寒色、やがてしだいに暖色系に変わりつつ、太陽は全モスクワを一色に溶かしてしまう。まるで、内面全体、魂のすみずみまで震撼させる。あの狂おしいチューバの響きのようだ。否、この赤一色が最も美しい時間ではないのだ!それはそれぞれの色彩がその生命のかぎり輝き、全モスクワを大オーケストラの力強いフォルテイッシモのように響かせ、支配するシンフォニイーの終止和音にすぎぬ。バラ色、ライラック、黄色、白、青、浅緑の、深紅の家々や教会・・それぞれが自分達の歌を・・風にざわめく緑の芝生、低いバスでつぶやく樹々、あるいは千々の声で歌う白雪、葉の落ちた樹々の枝のアレグレット、それに無骨で無口なクレムリンの赤い壁の環。・・・このときを色彩で描くことこそ、芸術家 にとって至難の、だから至上の幸福である。』・・・

・・何と美しい「生きる」という色彩体験であろうか!!   

 

「コモンズ」か、如来来迎あるか、地球の将来

 

 海野和三郎

産経新聞(11/3)「正論」:公文俊平「地球という『コモンズ』の将来」は、広い見識に裏打ちされた正論である。公文氏の所論をまとめると、1.地球が人類の誰もが利用できる「コモンズ(共有地)」となり、限界を越えた無制限な利用で資源枯渇、環境破壊が起りつつある。2.地球温暖化の今後について、不確実な点も多いが、エイズ対策、水・食料の確保、化石燃料枯渇対策、など緊急課題である。3.石油・石炭の節約をコモンズの管理として行う実行案を作る必要がある。4.世界政府が存在しないので、炭酸ガスの「排出権取引」に見られるような化石燃料や食料の使用権、「生殖権」など考えられるが、それには、ひとびとの価値観・ライフスタイルの転換が必要である。5.「車離れ、旅行離れ、酒離れ」の「ミニマムライフ」若者スタイルに希望がある、という。

日本の場合は、食料の問題があるが、工業力があり、少子化傾向と平和指向と治安の良さがあるので、ミニマムライフ価値観で、21世紀を乗り切れる可能性はある。ただ、世界全体となると、地球コモンズは不安定で水爆戦争まで行かなくてもテロの激化は避けられそうもない。昨今の金融危機に対しての地球コモンズの動揺振りからして、先ず、複雑系科学の体をなしていない政治経済学の立て直しをする政府機関をつくり、従来にない大振幅の経済変動に対応出来る研究体制を5年以内に作るべきである。次いで、エネルギー・地球環境・食料(人口)問題の三つ巴の危機に根本的に立ち向かう方策を10年くらいのうちに建てなければならない。その智慧の半ば以上は地球46億年の進化の中に隠れている。危機に際しての如来来迎と言ってもよいかも知れない。

海は、毎日毎日億年の進化の結果、対流が起りにくく、少し深いところで吸収された太陽エネルギーは千年以上もかけて外へ放出される。そのため、千メートル以上の深海水温は海流で平均化され、約3℃である。これを利用する一案としては、硫黄島地下千メートルのマグマと深海千メートルの冷海水の温度差を用いる地熱海洋発電があるが、現有の技術の範囲でも、(辻内式)非結像集光で10倍集光した(水冷)太陽電池パネルでの太陽光発電とその余熱も利用する(多賀式)粘性ソーラーポンドでの蒸気タービン発電との三者組み合わせた太陽エネルギー工学が利用出来る。石油火力よりはるかに安い電力を、使う場所で作る利点がある。葉緑素は太陽電池とほぼ同じ効率で太陽エネルギーを用いてバイオマスを生産し、森は打ち水の原理で葉の焼けるのを防ぎ、同時に光合成の余熱で水蒸気を蒸発させ、風を起こし、COを葉緑素に送る効率を何10倍も高める(矢吹効果)。海は、深層ほど塩分濃度を大きくして対流を起こりにくくし、その結果、太陽エネルギーを数千年にわたって保温する。その結果が、深海温度の3℃である。水が水である地球、生き物が住む地球、太陽光が照らし、森と海が守る地球、地球は正に如来来迎の地である。その地球が、人類のエネルギー使いすぎを契機に危機に陥っている。

三つの点を確認しておきたい。第一は、地球コモンズは化石燃料を未来の人のために極力温存すべきである。化石燃料だけでなく、すべての資源(水、COを含む)を再生可能にする。第二は、太陽エネルギー(地熱などの自然エネルギーを含む)を自然の営みよりも格段に効率のよい工法を開発する。(地熱発電・海洋発電を結合する。集光で、仕事効率を上げる、など。)第三は、100万年にわたる地球環境の永続を全人類が決意する。神を信ずる人は神を通じて、そうでない人も、聖霊(プネウマ)・如来のこころを心として、世界中の人が子孫に安住の地球を残す決意をする。今が、その最も大事な時である。

最後に、「地球のお医者さん」平井孝志さんの文章「森林微生物が琵琶湖を救う」の序文の一節を引用する。如来来迎は、人間社会だけでなく微生物の世界により多く見られるようである。

地球は、人間だけのものではありません。ヒトは地球の主役ではなく、主役は、微生物の大群です。地球の生態系とは、微生物のお陰でいきている動植物の一大システムのことであり、その真実を知ることが大事ではないでしょうか。河川湖沼も土壌もあらゆる生物の体液も微生物から離れて浄化や活性化は不可能でしょう。昔から、自然循環システムとして「森林が河川・湖沼を養う」「山を治めれば川が治まる」「森林が魚を育てる」などと言われてきました。具体的には、森から供給される腐食成分、微生物、ミネラルなどによって河川・湖沼が養われていたということですが、生命発生、進化のプロセスにおいてもその基本は同じです。この自然環境システムを真似ることが河川・湖沼の水質を改善させることになるのです。(平成20年度下水道環境フォーラム;彦根市、より)

 

花とはなす水木鈴子さんの詩

 

ハス           みずき すずこ

 水辺に際だって美しくほほえむ瞳には、

思わず知らず手を合わせてしまいます。

万物はあなたから生まれ、神も仏も蓮の台(うてな)に座して、

瞑想なされ活動を起こすと言われています。

蓮の開花とともにご誕生なされたお釈迦様も

「天上天下唯我独尊」と

第一声を発生されたと言われています。

神々しい幼児をやさしく温かく包み抱かれた「万物の母」。

あなたの慈愛の母性こそ「天上の花」とされ、

すべての人々の永遠のあこがれでございましょう。

 

良い音色

 

市川櫻香

三味線の音色が皆さんの耳に届くのも、枯れ葉が、地面の落ち葉のクッションに落ち、その時のかすかな音を聞くのも、雨音や雪音

お湯の沸く音、まな板の菜を刻む音も、心をつけて感じることで詩のように聞こえる。

子供の時覚えた、「シュシュポポ」と口で言いながら、両手を車輪に体一杯に使って汽車になった、朝、鰹節を削る「シュシュ」、お米をとぐ「ジュウ ジュウ」、祖母が「この音が良い音だよ」とやって聞かせる、いい音の時が、お米も鰹節もおいしく出来た時、と教えてくれた。一生懸命、体と道具の関係を工夫し、良い音色がでるよう鰹を削り、お米をとぐ。工夫は、体でするから、耳をこらし、手の角度、体の重心のかけ方を、自然に駆使していた。小学校に上がる前でした。あの頃から長い年月がたちました。私にとっての良い音色は、私の体の中で聞こえる音、心をこめた祖母の音なのです。

祖母は、明治33年生まれ、8歳で常磐津を始め、17歳で弟子をとり、以後、亡くなるまで常磐津の師匠として明け暮れ、稽古に厳しい人だった。最晩年の新聞の取材記事の中に、祖母のこんな言葉があった「心から願うのは芸の中に生き残っていきたい」と。

今は亡き祖母に感謝をしたい。

 

視覚と時間に関する

哲学的ワークショップの試み

 

                    茂木和行

 秋の大学祭の場で、栃木県・那須町の「那須とりっくあーとぴあ」からトリックアートを借り出し、視覚と時間にからんだ二つの哲学的ワークショップを実施した。一つは、設営した「鏡の間」においてバークリーの視覚理論を体験的に感じること、もう一つは、「目隠しをして写真を撮る」試みである。

トリックアートは、遠近法や陰影法さらにはミケランジェロもシスティーナ礼拝堂で使った短縮法(天井の神の尻が、目線を追って動くように見える書き方)などを駆使して、「視覚の世界」を幻惑する独特のだまし絵空間である。「揺れる街並」「鏡の部屋」など6作品を、12メートル、奥行8mの大学教室(96u)に構成した。「鏡の部屋」に一歩入ると、不思議な気分に襲われる。手前の椅子も、壁にかかっている絵も、時計も、向こう側に映っているのに、自分の姿だけが鏡に映っていないのだ。部屋を出たり入ったりで首を傾げ、やがて鏡の面に恐る恐る手をあててみて鏡の不在に気づき、事の真相を理解する。鏡に映っていたと思っていた部屋の風景は、鏡像対称的に同じ物が配置された向かいのもう一つの部屋だったのである。

視覚が日常的に見ている三次元空間は、実はヴァーチャルなリアリティを持つに過ぎず、それらが平面でないことを我々が知るのは「触る」ことによることをバークリーは哲学的考察によって解明した。逆に言えば、視覚像は触らない限り、その真のリアリティを獲得できないのだ。目線を左右にずらすと描かれた街の風景の陰に隠れた部分が見えてくる「揺れる街並」も、バークリー理論の延長線上にある。ほとんど顔がぶつかるほど近付いて初めて、その絵が凹凸のある表面に描かれていることがわかる。でっぱっている部分に遠景が、へこんでいる部分に近景が描かれることによって、街並が視線によって変化する。凹凸に触れてみて、我々はようやくさきほどまで見ていたものが、ヴァーチャルなリアリティに過ぎなかったことを最終的に理解するのである。

目の不自由な人が撮影した写真を立体コピーと組み合わせてパネル展示をする「全国盲人写真展」が1985年から毎年開かれている。その写真集『見えないチカラ』を開いてみると、どれもとても目の不自由な人が撮影したとは思えないような出来栄えである。いったいどのように撮影したのだろうか。写真家の児島昭雄の解説によれば、「鋭い聴覚によって人の足音、話し声、息づかいなどの物音によって被写体の方向や距離を読んでカメラの向きやシャッターチャンスを決める」「指で触れて物の形を確認する」「肌で感じる温かさで太陽の方向を知って被写体の光線を判断する」「興味を引かれた対象(人や動物、鳥など)に反応する盲導犬の動作をハーネスの動きで感知してカメラを構える」など、「視覚以外の感覚をフルに働かせて」撮影するのだという。

では、目の見える我々が目隠しをして、音や気配を頼りに撮影したらどんな写真ができあがるだろうか。それが、「目隠し写真ワークショップ」である。視覚の性質とはどのようなものなのか、考えてみよう。「視線」「目線」の言葉が表しているように、視覚の特徴は何よりも一次元であることだ。視線は我々を前方へと引きずり、我々は三次元空間を視線に沿って一次元で移動する。それはあたかも、三次元空間で一筆書きをするようなもの、と言って良い。カメラで我々は見ているものを撮る。ファインダーの中に納まる対象や風景も、我々の眼の延長である以上、この一筆書きの線上に乗っている。何が言いたいかと言うと、我々は目線に乗ってこない膨大な存在を、ほとんど見ることなく看過している、ということだ。

「何で目隠しをして写真を撮るのですか」との来館者の質問には、次のように答えた。「たとえばこの空間の中で私たちが写真をとろうとしたら、ほとんどの人が同じような対象をさほど変わらないアングルで撮影するでしょう。これは、私たちが日常見ている周囲の空間についても実は同じなのです。同じような目線で、同じようにしか見ない。見えていない膨大な世界を、私たちは見ないままで過ごしているのですね。目隠しして写真を撮ると、とんでもないアングルやとんでもない方向での写真が撮れてくる。それはあなたが日常では絶対に見ない風景なのです。思いもかけない違った世界が、まわりにはいくらでもあることに気づいてもらうのが、この目隠し写真の狙いなのです」。

こう説明すると、わざわざ訪れてくれた外部の男子学生も、「深い、深いですね」と、感心したように声を上げてくれる。実際、100枚を越えた目隠し写真の多くは、さまざまな“視線のずれ”を起こしている。

これから始まる目隠し写真の分析によって、どのような違った世界が開かれてくるのか楽しみなところだが、このワークショップにはもう一つ、「時間」の本質を考える狙いがあることを付け加えておこう。七十を越えたボルヘスが出した五番目の詩集『闇を讃えて』の作品群は、ほかの多くの作品と同じように「時間」が隠れた主人公になっている。なかでも、詩「ヘラクレイトス」に書かれた次の箇所は、我々の目隠し写真のワークショップに大いにつながると考えている。

 

わたしを運び去るこの河はわたしそのものだ。

脆くはかない素材でーあいまいな<時>でわたしは造られた。

源は多分わたしのなかにある。

多分わたしの闇から不可避にして見せかけの日日が生まれるのだ。

 

 いうまでもなく「この河」とは、ヘラクレイトスの箴言「同じ河には二度入れない」を念頭において、それを「時間」に例えたものだ。盲人になってしまったボルヘスは、深い闇の中にいる。その闇の中に「時の源」があることをボルヘスは感じている。闇は我々から、すべての時間を奪い、原点へと戻す。目隠しをして写真を撮ろうとすると、そのことがよく分かる。目隠し写真は、シャッターを押す行為がすべての始まりであり、指をカメラにおいていつシャッターを押すべきか、と逡巡している間は、あたかもビッグバンを胚胎しながらスイッチの入らない宇宙のようなものだ。ビッグバン以前の宇宙が、空間だけでなく時間も存在しなかったように、シャッターを押すまでの間、暗闇の中で時間は止まっている。シャッターを押した瞬間に時間が動き出し、一つの世界(宇宙)が出現する。目隠し写真は、我々に「時の源」体験を与え、眼を開けていたのでは見ることの決してない全く別の小宇宙を我々に提示してくれるのである。

 

「土着科学」は風前の灯火か

 

                     佐々木聖

カエルの解剖は何のため?

 今の小中学校では、解剖実習というのをあまりやらないようだ。いつからそうなったのか。

 もう10年以上前、中学生向けの「夏休み自由研究キット」教材のマニュアルを編集したとき、こんなことがあった。付属の試薬とルーペを使ってできる実験・観察の事例をいくつか紹介するテキストなのだが、「チョウの鱗粉の観察」というテーマを提案したら、版元からNGが出た。

 都会ではチョウをつかまえるのが難しいからというより、チョウの翅をむしるのは残酷だからとか、毒があると危険だからというのが主な理由だったと思う。

 たぶんその時点で、カエルの解剖などはすでに学校で行われなくなっていたのだろう。

 確か小学校の理科の授業でフナの解剖をしたことがある。そのとき、クラスのガキ大将がふざけてフナの心臓を放り投げ、それが頬に「ぺちゃっ」とくっついた。生臭さがなかなかとれず、しばらく魚を食べられなくなった。

 まさか、そんな悪ふざけがあちこちの学校で頻発するので解剖をやらなくなったわけでもあるまいが、いろいろと問題が起こりそうなことは避けて通るメンタリティがはたらいてきたことは想像に難くない。

 けれども、国立教育政策研究所の平成19年の調査によれば、「解剖実習は生命の大切さを実感させ生命尊重の態度を育成するために必要」と考える中学校の理科教師、高校の生物教師は多い。子どものころ小動物の生死に関する実体験が身近にないと、「ナイフで人を刺せば死ぬかもしれない」ことすら実感できない大人ができあがるおそれがある、というのもよく指摘されることだ。

 子どものころ暮らした東京郊外には、まだかろうじて雑木林や原っぱが残っていた。思い返せば確かに、早起きしてカブトムシをつかまえたり、カナブンにおしっこをひっかけられたりする一方で、アリの巣を水没させたり、カマキリの腹をふんづけたり、およそ残酷なことをしながら、生命のはかなさを実感していたといえなくもない。

 そうした経験ができない今の子どもたちにとって、実のところ解剖実習は貴重な機会なのかもしれない。

 だが、この件に関しては、ちょっと別の切り口から考えてみることもできる。

 

「なんだかいやな感じ」に宿る自然観

 カエルの解剖が心底楽しい、という子どもは昔も今もあまりいないだろう。教師だってそうだ。できることならやりたくない。そう思うのがたぶん普通で、きっと解剖実習があまり行われなくなった理由としては、そういう素直な心情が反映していることも大きいのではないか。

 この「なんとなくいやだ」という感覚に、「異文化としての西洋科学」とは別の文脈の「土着科学」とでもいうべき「世界了解のしかた」が胚胎している、と指摘するのは神戸大の小川正賢教授(科学教育論)だ。

 小川教授によれば、西洋科学の枠組みでは、いったん解剖台の上に置かれたカエルはすでに「科学的観察の対象」であり、ちょっと前までゲコゲコいっていた「ともに生きている世界の一員としてのカエル」ではない。しかし、われわれとしてはそう簡単には割り切れない。動かなくなってもカエルはカエル。切り刻むのは、なんとなくいやだ。だから解剖した後にみんなでカエルのお墓をつくり、供養してあげたりする。そこまで含めて理科の授業だ。

 解剖した実験動物を埋葬し供養するのは西洋科学の文脈を逸脱している。日本の「理科」という教科は明治の創設以来、イコール「science」ではないと小川教授はいう。「理科」は、「自然に対峙しつつ」ではなく「自然と同化しつつ」自然に親しみ、自然を愛するという独特な自然への向き合い方、つまり伝統的な自然観をその内部に抱合した、世界的にも特殊な構造をもつ教科なのだという。

 ふつう、欧米以外の文化圏では、こうした「土着科学」的な世界了解のしかたは、たとえば「徳目」や「自然」といった別の枠組みを立てて教科化するのだが、「西洋科学」と「土着科学」の間に優劣の関係はなく、世界を見るメガネの違いだけなのだということをすんなり納得させるのは容易ではない。その二つを一つの教科の中で扱うことによって、(教える側がそのことに自覚的かどうかは別にして)はからずも違和感なく折り合いをつけている「理科」という教科は、ひょっとしたら21世紀型の科学教育のモデルになりうるかもしれない、と小川教授は指摘する。

 

ペットと栽培植物以外の「生きもの」

 さてそこで問題は元に戻る。われわれの祖先は確かに「自然と同化しつつ」自然に親しみ、自然を愛していたかもしれない。そしてその伝統的な自然観は、確かに「理科」という教科にも脈々と息づいているにちがいない。

 だが、たとえばとっさに「身近な生きもの」と言われてペットと観葉植物くらいしか思い浮かばない現代の都市生活者の身に、こうした「土着科学」は違和感なく染み込んでいるだろうか。かなり怪しいといわざるをえない。ましてや、子どものころにクワガタを飼ったりトンボの翅をちぎったり、学校で野生生物を解剖し埋葬した経験もない世代が大多数を占めるにいたっては、なおさらである。

 「メダカの学校は川の中……」と今でも学校で歌われているのかもしれないが、メダカはもはや絶滅危惧種だからそこらへんで実物を見ることはできない。それにともなってかどうか、「日本の動植物の研究者は激減している」と東大保全生態学研究室の鷲谷いづみ教授(生圏システム学)は危機感をつのらせる。日本の学校現場では、ここ数十年、ナチュラル・ヒストリーの教育は無きに等しいと鷲谷教授は指摘する。だから研究者も育たないし、一見「緑豊かな」景色だが、その緑はほとんど在来種ではなく外来種といういびつな生態系が日本全国に広がっていることを認識できるだけのリテラシーがわれわれにはない。

 「土着科学」は危機に瀕している。いつ、どのクヌギの木のどこを探せばカブトムシがつかまえられるか、誰に教えられたわけでもないのに遊んでいるうちにわかってしまったガキ大将は、たとえ解剖実習でフナの心臓を放り投げて先生に叱られようが、断固としてヒーローであり、クラスの男の子の憧れの的だった。そんな「土着科学」の身に染みた子どもが長じて理科の教壇に立つことのできた時代は過ぎ去った。小学校理科学習指導要領の目標のひとつに掲げられた「自然に親しみ、自然を愛する」の実践をほんとうに指導できる教師が今どれだけいるのか。

 

歩いて楽しい街づくりから

 だが希望の芽はある。たとえば東京という都市は明治初期まで、空には野鳥が飛び交い、掘割には多種の魚が泳ぐ、外国人が驚くほどの生物多様性が豊かな都市だった。その名残は今もまだある、と鷲谷教授は指摘する。皇居を中心として、たとえば新宿御苑など大規模な緑地が散在し、しかもそれが時間的な連続性を保って存続しているからだ。

 散歩が好きだからあちこち足をのばすが、東京は緑が多く歩いて楽しい街だと思う。山手線の外側であれば、小さな商店街と公園と緑道をたどりながら、クルマの行き交う幹線道路を避けてウォーキングすることも可能だ。

 野良猫をかまったりはするが、小さな都市の生態系に目を向けることは今まであまりなかった。コンクリートだらけの街でもがんばって生きている鳥や昆虫たちはいる。ペットや観葉植物だけが都市の生きものではない。

 少なからぬ地方都市でも、中心商店街の再活性化を目指して、クルマ主体の街づくりから、鉄道の駅を起点とした「歩ける街づくり」への転換が進みつつある。

 「土着科学」の再生は、そんなところから少しずつ始めていくしかないのだろう。

                   (編集 茂木)