私達の教育改革通信

   116  2008/4

 

 

教育通信ホームページ

http://cert.kyokyo-u.ac.jp/oka-index.html

http://homepage2.nifty.com/jiyudaigaku/

先事館制作室:進士多佳子〒1060032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910

発行人:西村秀美,先事館箕面 562-0023箕面市粟生間谷西3-15-12

 

お願い:教育通信はオープンメデイアに移行しつつあります。A(購読)会員、運営に参画されるB(協力)会員及びC(編集)会員になって下さる方を歓迎します。B会員には自己負担でコピーと友人への配布、C会員にはそれに加えて編集を輪番でお願いします。私達の教育通信が今後どう発展するか、この皆で育てる新方式がよい日本文化に成長することが望まれます。

編集::先事館吉祥寺 海野和三郎180-0003武蔵野吉祥寺南4-15-12

先事館狭山、菅野礼司 589-0022 大阪狭山市西山台1245 

先事館近大理工総研 湯浅学・川東龍夫〒577-8502東大阪市小若江

先事館京都教育大 岡本正志〒612-8582京都市伏見区深草藤森町1

先事館聖徳大学 茂木和行 165-0035 中野区白鷺2-13-3-409

 


 


「いただきます」の心が世界を開く

―「食を通した子育て、人とのつながり」

長谷川きよみ

テレビのニュースでは、毎日、「有り得ない」という殺人事件が流れている。わが子を、親が手にかけるという状況は悲しすぎる。この家族はどんな食事をしてきたのだろうか。笑いながらご飯を食べたのだろうか。魚の骨を子どもに取って食べさせたことがあるのだろうか。おふくろの味が御袋の味に変わってから、子どもを取り巻く環境が変わったのではないだろうか。冷凍食品やレトルト食品を否定するわけでもないが、どれだけの愛情が表現できるのだろうか。

料理は人へ気持ちを伝えるものである。わが家は子どもが学校から帰ってきたとき、玄関を開けるなり、匂いで「ウワー、今日これが食べたかったんだ。お母さんどうしてわかったの。」という毎日であった。子どもの期待を裏切ったことが無い。これが私の自慢である。親が子どものことを思っているという愛情表現の手段のひとつである。給食の献立を頭に入れ、主人とこどもの体調を考慮して今日の献立を決める。食事は家族のきずなの接着剤ではなかろうか。

わが家のリビングにはテレビは無い。テレビを見ながら食事をするということは、人間が食べるために命を絶った野菜や魚、肉に失礼である。「いただきます。」は、それらの命を「いただきます。」であって、作った人に「いただきます。」ではない。子どもが好き嫌いをした時、「人参さんがお父さん、お母さん、さようなら。もう会えないからね。僕は人間に食べてもらうからね。さようなら。」と言って今日のご飯が出来たんだよ、いう話をした。それ以来、子どもたちは、好き嫌いを言わなくなった。嫌いでも魚さんありがとう、人参さんありがとうと言いながら食べていた。命の大切さ、人が生きることの意味も理解してくれたと思う。また、誰か一人でもテレビが見たかったら、その番組が終わるまで食事にはならない。ご飯を食べるか、ほかの人を待たしてでもテレビを見るかは決めてもらう。今は、録画という手段があるが、当時わが家にはビデオが無かったので、人に迷惑をかけても自分の欲求を満たすか考えさせる機会になった。社会人になった今でも、テレビはリビングにはない。今も、食事をしながら、会話が弾むことは続いている。

レトルト・冷凍商品が氾濫する世の中であるが、我が家はほとんどのものが手作りである。たとえば餃子を作るとする。粉をこねて、皮を作る。生地を丸め延ばす者、たまねぎの皮をむく者、刻む者、家族全員で年齢にあわせて作業をする。3時間もするとおいしい餃子ができる。形はいろいろあるが、誰が作ったかが判る。作った者の名前を言いながら美味しいとほめる。子供はほめて育てると言うことは誰しもわかっていることだが、ほめる材料に親は苦慮するらしい。子供と食事を作ることで、ほめる材料には事欠かなかった。

季節柄、進学・就職で家を出て一人暮らしが始まる。子どもがちゃんとご飯を食べているだろうか、と言う言葉を耳にする。自分で食べることを躾ていたら、そんな言葉は出ないだろう。息子が大学でゼミの合宿があり、教授と先に合宿所に行き、先輩が食料を調達して後から来ることになっていた。ところが、電車が遅れ食料が届かない。息子は山に入り山菜を取って来て料理をして教授に食べさせたと言う。これが縁で教授に気に入られ、先輩にもかわいがられ大学生活を過ごした。下の二人の娘も料理を通して、友人ができ大学生活を過ごした。私が子どもに残した財産、食を通して人と人を結びつけていることを子どもたちも引き継いでくれている。幼いころから料理・洗濯・掃除を子どもといっしょにして身につけさせる。これが家庭の教育であり社会人としての教育ではなかろうか。

今、荒地を耕し、無農薬・化学肥料なしの野菜と花を育てている。四季があるように野菜にも四季があり旬がある。グルメを気取っているわけではないが、1年を通して、同じメニューが3回以上テーブルには並ばない。これは主人と子どもが他人に話す私へのほめ言葉である。食べることが楽しい。それは生きていることが楽しいとなってゆくのではと思う。野菜にはそれぞれの役目があり、季節の野菜を食べることにより体調を整えている。人もそれぞれが生きていることに価値があり、そして社会に貢献をしなければならない。健康な食事こそが健康な心と体を育てる。心穏やかだと、人と摩擦を起こすことなく、生きて行けるのではなかろうか。

 

 

アインシュタインが連署した三通の手紙:ルーズベルト、ニコライ、ラッセル

                                法橋登

1.はじめに

 「大学の物理教育]誌2007年11月号の書評「仁科芳雄往復書簡集」の中で原康夫氏は仁科が日米開戦前年に発表した論文から次の言葉を紹介している。「東亜の争闘と欧州の戦乱による金(経済力と人材)の米国集中は科学の隆盛と世界文化の発展のために慶賀すべきだがそれも米国民が健全であるという前提の下にである」。続いて原氏は仁科記念館を訪れたベルトマン教授の「アインシュタインがルーズベルトに手紙を書かなかったら原爆は日本の敗戦まで実現せず、広島、長崎の悲劇は起こらなかったろう」という発言を紹介している。米側の戦時資料は50年の守秘期間を経て先年公開されており、手紙のいきさつや米側からみた東亜の争闘や金の米国集中状況を日本の今日と比較してみた。また、第1次世界大戦(欧州の戦乱)開戦時にアインシュタインとニコライが連名で公開した「訴える書」と2次大戦後のラッセル・アインシュタイン宣言のつながりを考え、1922年のアインシュタインの京都講演にも触れた。

2.ルーズベルトへの手紙

 資料によるとハンガリーから米国に亡命したユダヤ人物理学者レオ・シラードの大統領あて信書に同じ亡命者のアインシュタインが連署したのは1939年で、このとき大統領は核兵器開発に関心を示さず、検討委員会をつくっただけだった。しかし1941年に英国のユダヤ系物理学者フリッシュとパイエルスが進言した爆縮型原爆のアイディアには高い実現性があると考え、独ソの先着を恐れた大統領は1942年6月に核開発を決意し、11月にボーア、フリッシュたちが参加する「マンハッタン計画」が始まった。シラードは1945年3月にドイツに進攻した米英連合軍が原爆計画の不在を確認すると計画の対日転用に反対したが、翌4月の大統領の死によって計画は新大統領に引き継がれ、7月16日に核実験に成功、8月6日にウラン爆弾が広島に投下、8日のソ連の対日参戦を経て9日にプルトニウム爆弾が長崎に投下された。プルトニウムの臨界量はファインマンが計算しオッペンハイマーが修正している。日本の降伏がスイスを通して米国に伝達されたのが11日、大阪大空襲は14日、第三国との調整を経た正式降伏日は8月15日になった。原爆を1民族による「反文明的発明」と考えたヒトラーは、「最終兵器」ロケットによるロンドン爆撃にこだわり、英国のレーダー開発と独技術を継承した戦後の米ソ宇宙開発競争を加速した。原爆投下の正否については米国の歴史学者の間でも議論が分かれているが、長崎は不要だったという点では大体一致している。原爆計画への通常の兵器開発を超える国家資金の投入については、文明転換の費用として容認している。資料によると4年間のマンハッタン計画には現在価値で200億ドル強、円換算で2兆円超、プルトニウム生産用カナダ原子炉には2000億円が投入された.マクマスター大学のブロックハウスはこの炉の中性子を使った物資構造解析でノーベル物理学賞を受けた。実験技術者にはクライン・仁科公式の実証実習が課せられた。ドイツも戦中にカナダ炉と同型の天然ウラン重水実証炉を作ったが、臨界に達しなかった。私は戦後IAEAフェローとしてカナダ炉に出会った。ちなみに米国立衛生研究所の今年度予算は3兆円超、その中から2007年12月に日米で基礎実験に成功した万能細胞の再生医療実用化に10年間で1000億円超が投入される。日本では5年間で100億円超の拠点研究が決まった。

 東亜の争闘に関して米側資料は、フィリピン、グァム領有(米西戦争1898)、対中門戸開放条約(1899)に続く米国の太平洋進出に対する日本の「帝国主義的幻想」による過剰反応への応戦が太平洋戦争だとしている。占領軍最高司令官として新憲法制定に関与したマッカーサーは、英露の代理戦争といわれた日露戦争時には日本側従軍武官だった父の副官をしていた。当時の米大統領はルーズベルトの父で新渡戸稲造を読む親日派だった。マッカーサー夫妻は帰国後イリノイ大学に基金をつくったが、オックスフォードで古代史を専攻したあと物理に移ったレゲットは、この基金でPD時代を京都、大阪で過ごし、イリノイの教授職についた。ノーベル賞の対象になったボーズ・アインシュタイン超流体での内部ジョセフソン効果の発見は、PD時代の指導教官恒藤敏彦との討論に負っている。レゲット夫人は日本人で、一人娘は日本の旧占領地である東南アジアで自然災害被災者救援NGOのリーダーをしている。

3.アインシュタイン・ニコライからラッセル・アインシュタインへ

 アインシュタインは改造社の招きで1922年に来日している。ノーベル賞受賞を知ったのは日本に向かう船中だった。京都の生物学者山本宣冶(山宣)は、仙台と東京で講演したあと京都入りしたアインシュタインをホテルに訪ねている。戦争の自然的・地政学的条件と既存観念が戦争に及ぼす影響を論じた生理学者ゲオルグ・ニコライの本の日本語版の序文を依頼するためである。 第一次世界大戦が始まった1914年にアインシュタインはベルリン大学私講師だったニコライらと連名で「ヨーロッパ人に訴える書」を発表したが、ニコライは翌1915年に「人類進化における生物学因子としての戦争」という演題の連続講演を準備していた。講演の直前にニコライは軍医として召集されたが、従軍を拒否してプロシア陸軍の要塞に拘束された。しかし講演の草稿は、支援者によって国外に持ち出され、独仏語で刊行された。山宣が序文を依頼したのは独語版で、山宣はニコライの承諾を得てすでに和訳を終えていた。この日本語版は京都の内外出版社から刊行されている。山宣とアインシュタインとの対談では、日独両国が平和と自由を取り戻すには知識階級の意識改革が先か(アインシュタイン)、無産階級との連帯が先か(山宣)で意見が分かれた。既存観念が戦争に及ぼす影響というテーマは、のちのラッセル・アインシュタイン宣言にある言葉「一つの集団に対して他の集団に対するよりも強く訴える言葉を使ってはならない」につながってくる。ここで「一つの集団」は一般に一つの文明を指している。私の父はバンクーバーのハイスクールで山宣と同じクラスだったが、当時現地の新聞でも報道された社会主義者幸徳秋水の大逆事件裁判に抗議する反日運動が米加のキリスト教徒から起ったことを知った山宣は、新聞に論文を連載し、近代科学がキリスト教、とくにバンクーバーで新渡戸稲造が属していた無教会派に与えた自由思想のインパクトを指摘した。山宣は法学者恒藤恭(敏彦のお父さん)たちと日本で最初の自由大学運動を起こしたが、山宣自身が予感していた‘白色テロ’の犠牲になった。

4.アインシュタインの京都講演

 アインシュタインは京都見物の一日をさいて京都大学で原稿なしの講演をしている。タイトルは哲学者西田幾多郎の注文で「私は如何にして相対論を創ったか」になった。この講演で、アインシュタインがマイケルソン・モーレイの実験に先立って地球とエーテルの相対運動を光学系と熱伝対を使って検出する実験を提案していたことが分かった。西田は、相対論の先駆になったマッハが創造的発想の源泉と考えた「純粋経験」を自身の哲学の出発点にした。純粋経験は、既存観念や文明から開放された自然の直観的・全体的把握を指す。ファラデーの電磁力線も少年時代のアインシュタインが直観した光の相対運動も湯川の素領域も物理学以前であり以後でもある純粋経験の産物だった。

 

 

本格的宇宙時代の幕開け

                                                        菅野礼司


 いよいよ本格的な宇宙時代が始まった。 宇宙空間に人工基地を建設して長期間人が住める国際宇宙ステーションを造る計画が動き出した。その手始めとして「エンデバー」に日本の宇宙実験室「きぼう」を取り付けるために土井隆雄さんが行き、16日間の飛行でその任務を果たして3月27日にケネディ宇宙センターに無事帰還した。この成功は日本にとって、また人類にとって記念すべき第一歩である。今後宇宙ステイションの建設は急速に進み、多くの人々が長期間そこに滞在するようになるであろう。すなわち、宇宙コロニーの世界が築かれるのもそう遠くないだろう。それにしても、宇宙開発技術が人類の平和と幸福のために使われなければ、とんでもない禍をもたらす危険性があるから、喜んでばかりいられない。

 宇宙空間への進出は、人類が15、6世紀の頃に大洋に乗り出した「大航海時代」に次ぐ第二の航海時代の始まりだといわれている。新世界、未知の世界への進出は人類の開拓精神は好奇心と共に人類の本能として否定できないから、宇宙空間への航海は進化の必然的過程である。

 近代科学の誕生と産業革命以後、科学・技術の進歩によって人類は地上に大小様々な人工的空間を次々に作りつつある。現代では巨大ビル、地下街など人工都市を作り、また、各種乗り物も人工空間の一種である。それに伴って、地表はセメントとコンクリートによって塗り固められ、自然の姿はどんどん消えている。先進国の都会の人間はこのような人工空間での生活に慣らされて、都会人種は大地から乖離し非自然化されつつある。居住空間に限らず食べ物も季節を無視した人工栽培のものに慣らされてしまった。地球の自然環境破壊はすさまじい勢いで進み、人類生存を脅かすまでになった。

 宇宙ステーションは人工空間の最たるものである。したがって、宇宙空間に住むにはこのような人工的空間や食物の生活に長年かけて慣れていなければ、いきなり宇宙基地での生活には肉体的にも精神的にも耐えられないであろう。人類はこれまで徐々に人工空間の生活に慣れてきたが、それは期せずして宇宙時代の準備をしていたことになる。

 宇宙ステーションでの生活は地上での常識を一つ一つ吟味し、反省することが迫られるだろう。それゆえ、これまでの人類の価値観や生き方を見直すための機会と情報・知識を与えてくれるかもしれない。同時に科学・技術の知識も再吟味せざるを得ない状況が起こるかもしれない。人知はまだまだ不完全・不十分であり、この複雑な自然界には人類の予測不可能なものがまだ無数にある。それゆえ、技術には必ず抜け穴があり、科学・技術の過信は危険であることを人類はこれまでに何度も経験している。無重力宇宙空間での現象には何が起こるか分からない、予期せぬものがまだあるだろう。

 宇宙空間での科学・技術の研究の意義についての議論のなかに、無重力状態は地上でも実現できるから、わざわざ巨費をかけて宇宙ステーションをつくって実験をする必要はないという意見もある。その指摘には一理あることは認められるが、一面的のように思える。短時間の無重力状態でできる実験はそれでもよいが、長時間の無重力状態では何が起こるかまだ予想できないことが沢山あるだろう。特に生命現象がそうである。予期せぬことが起こる可能性について思い出すのは、極低温での超伝導、超流動の発見である。極低温では分子・原子の運動が止まっていくから、当時の常識では温度を下げていっても何も新たな現象は起こらないだろうと思われていた。カマリン−オンネスが極低温での物質の性質を研究していたとき、そんなことを研究しても無駄だと批判されたそうでる。しかし、追求をやめなかった彼は、ついに超伝導、超流動という驚くべき現象を発見した。現代科学の力によって多くの予測が可能なことは素晴らしいことであるが、自然は無限に奥深く、人知はまだ浅い。 

 生物の発生、成長には重力がかなりの役割を担っている。細胞分裂によって同じ細胞ができるにもかかわらず、役割分化が起こり種々の組織に分化していくのは、発生途中の固体ないでの細胞の位置(内側と表面など)と重力の効果によるといわれている。それゆえ、生物固体の発生過程での重力の役割と影響を研究することは生命現象の解明に大いに寄与すると思う。

 宇宙ステーションでの面白い実験やアイデアを募集して実行してきたが、これからもその計画を継続してほしい。このような試みは科学研究としても価値あるものがでるだろうが、多くの人々に科学に興味を持たせることにも、また想像力ひいては創造力を育成するにも大変有効である。そこに夢をかけることは大変楽しいだろう。このような企画にもっと多くの青少年が参加することが望ましい。

 無重力あるいは弱重力下で生物の発育が可能ならば、将来宇宙ステーションで成長した人間の思考形式や感情・意志などが、地上の人間と異なるような事態が起こるかも知れない。もしそうならば、脳の機構の解明のヒントになるであろう。さらに、遠い将来には、それら新人類と地球上の人種との関係が問題となるであろう。

 いずれにせよ、無重力状態での生命の誕生は急速な進化(あるいは退化)が起こるであろう。古代に海から陸に生物が上陸したことで急激な生物進化が起こったように、環境の急激な変化は新種生物の発生に強い進化圧となる。

 人類の本能として無限の可能性を求めて宇宙空間へ進出することは必然的であるし、素晴らしいことである。人類がこの宇宙でどこまで進展できるか、そのこと自体がこの宇宙の進化にとって一大実験でもある。しかし、地球環境を破壊して住みにくくなったから地球外に脱出するというのであれば、「地球の使い捨て」である。そのような考えで宇宙へ進出してはならない。人類の母体は地球の大地であることを忘れてはならない。人類は将来、「地球の使い捨て」の思想で宇宙に出るのであれば、他の天体に次々にコロニーを造り、それらの天体を荒らしてまた使い捨てることになる。それでは人類は宇宙のガン細胞的存在となる。宇宙を汚さぬように細心の注意が必要である。

 

 

東京自由大学10周年によせて          

海野和三郎

 

NPO法人東京自由大学は、大学という名前は着いていますが、とてもおかしなところです。ここへ来る人はおかしな人が多く、みんな自分の知らないことを一生懸命しゃべっています。その点だけはソクラテス(無知の知)と同じです。以前、「知る、分かる、悟る」という文章を書いたことがあります。養老孟司さんが、「知る」とは知る前と後とで自分が変わることだ、とテレビで言っていたのがヒントになりました。「分かる」とは、自分で知識を再構成できることである、科学は誰でもが原理的には再構成できる知識として「分かる」ものでなくてはならない、と友人のF目信三さんから聞きました。しかし、「知る」と「分かる」だけでは、未来に希望を見出しにくくなった21世紀にあって新知識の発展性に乏しいような気がするので、人知のカオス的発展性をもたらすものは何か考えてみたくなりました。老子に、「道、一を生じ、一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず。」、とありますので、万物混沌の世の中を根元的に知るには、「知る」「分かる」の他に何かもう一つ欲しいわけです。カントの「純粋理性批判」には、理性と並べて「感性」と「悟性」があったようですが、感性を働かせて知った上で、理性を働かせて分かるのであれば、その知識の奥にある根源を深い思索か瞑想によって「悟る」のが人知を拓く道でしょうか。

東京自由大学は「知る、分かる、悟る」を研修する場です。地球が億年かけて埋蔵した化石燃料を人類が100年で浪費したのが原因となって、21世紀は未来に希望の見えにくい混沌の世の中になりました。東京自由大学で「知る、分かる、悟る」を会得して、明るい未来を建設する「道」を発見して下さい。


 

地球温暖化――宇宙からの視点

銀河系1011個の星の周りに水が液体の水として存在する惑星が一体何個あるか誰も知らない。海は、塩分濃度勾配を使って対流による熱拡散を阻止して保温し、海洋大循環が全深海温度をほぼ3℃に一様化している。森は、水を大量に蒸発し、森の上空に対流を起こし、風を起こし、その風に乗ってCOが乱流拡散で葉緑素にもたらされる(矢吹機構)。COが減って地球が寒くなるかと思いきや、太陽が増光して何億年もの間、生き物が進化発展してきた奇蹟の惑星、地球。その地球が億年かけて貯めた化石燃料を人類が100年で使い尽くそうとしている。その影響がエネルギー・地球環境・人口問題となり、人類の未来を不透明にしている。宇宙からの視点が必要である。

 大気中CO増加による1次効果は、疑いもなくその温室効果による地球温暖化である。しかし、地球には速い自転があり、氷・雪・靄・水・雲・水蒸気・結晶水などの7変化が、2次効果として、台風・竜巻・エルニーニョの激化、極氷・氷河の融解、カーボンハイドレートの気化、3次効果として海洋大循環や地殻変動などとの相互作用も考えられ何が起こるか分からない。6月7日、小柴ホールでのシンポジウムが、未来を明くするのに役立つことを切に祈願する次第です。

「フレーミング」について

「フレーミング」とは、メーリングリストなどの自由討論の場に於いて、誰かが挑発的な
言葉を投げかけ、相手もまた、それに対して「応じてしまう」ことによって生起する多くの場合不毛の燃え上がり現象のことと、魚川祐司さんから教わりました。魚川さんは21世紀に玉城康四郎の衣鉢を継ぐ人として、われわれ東京自由大学で期待している東大博士課程の仏教研究者で、目下「大乗起信論」を根底から読解するゼミを主宰しています。

少し、「フレーミング」を拡大解釈すれば、国際間にはその例が多く、イラク戦争などは典型的で、最近の中国・チベット間の紛争にもあてはまる部分があります。国内では、ガソリン国会や日銀総裁問題でも日本の政界の「フレーミング」体質が露呈しています。しかし、東京自由大学には失うものは殆どないので、「フレーミング」はむしろ歓迎したい気がします。つまり、「フレーミング」にも善し悪し、レベルの高いもの低いもの、次元の高いもの低いものがありそうですので、老子の言う「三から万物」のように、「混沌」のエネルギーでの創造性に期待したいわけです。

21世紀に入り、10年前までは殆どの人が無頓着であり、50年前には誰も考慮しなかった、エネルギー問題、環境問題、人口問題の結合した混沌の中を、どうやって地球人類は生き抜くのかについて、精神面においては、玉城流に言うと、「対象的思惟」と「全人格的思惟」の中に「いのちのながれ」という如来思想を満たすことが最も重要です。如来は、法であり、ダンマ、プネウマ、聖霊、気、「道」であると思われますが、玉城式如来は分子生物学・宇宙科学の神秘から入るのが現代に於いては最も身近に直感できます。一方、様々な体験をもつ多様な玉城仏道を学ぶ人達が、それを「知り、分かり、悟る」には、少なくとも一時的には、「混沌たるフレーミング」を経験する必要があるように思います。千に一つの混沌の創造性に期待するわけです。そのようにして「いのちのながれ」は、何十億年の生命進化をし、数百万年かけて人類は地球環境と共に育ち、今、「業塾体」として地球と共に苦難の道を切り開く「道」を探しているのです。

減税は増税より国庫にプラス

日本経済は政財界の「フレーミング」を恐れるあまり、極端な低成長政策をとり世界経済の発展から取り残されつつあるという話を最近「未来構想フォーラム:日本経済再生の道」で聞きました。サブプライム問題にも一端を持つ不況は、日本の経済政策の誤りによるもので、日本は多少の借金はあるが貸し金はその何倍もあり、アメリカはその逆であるのに、国庫が多額のドルを発行してインフレ政策により景気を刺激しているとのことでした。複雑系としての国家経済を知らずに、権力志向に走る二代目三代目政治家とマスコミが作る低次元の「フレーミング」をもっと高次元にしないと、この国の将来が危ない。

「未来構想フォーラム:日本経済再生の道」で、減税すると景気が良くなり、国庫が潤うということを聞きました。日銀がお札を大量に刷ったり国債をどんどん買ったりすると、つまり国庫の借金が増える赤字財政をとると、景気が良くなり経済成長が良くなる、という。つまり、増税して国庫の増収を図る代わりに減税する方がよい、ということらしい。多分、そのための条件もあるだろうが、日本の産業界はハイテク産業などで、その条件を満たしているのであろう。日本経済という怪物は、多くの政治家などが考えている常識とは全く異なり、高度の弾性体で、しかも、押した力よりもはね返す力の方が大きくなる過剰減衰(overdamping)の弾性体のようでもある。ただし、押せば引っ込む可塑性もあり、押す方向にもよるのかもしれない。

産経新聞(3/24)に「ガソリン税は緑化の財源に」(岡田由香)という立派な投書が掲載されていた。「14日付け談話室『道路特定財源制度は廃止を』を読みました。私はガソリンなどへの課税を撤廃することには反対です。自動車が排出するCO2による地球温暖化は深刻な問題です。――道路特定財源制度にも反対です。ですから、ガソリン税は廃止するのではなく、緑化のための特定財源とすべきだと思います。――」長距離輸送に対する鉄道利用の提案もあり、投書という字数制限下での見事な提言である。更に、付け加えるならば、日本人が不得意な権謀術数的策略も考えてはどうだろうか。例えば、CO2排出権の取引は、欧米先進国の利権保護を発展途上国の植林事業などへの援助として、世界中の国々が合意しやすい形で行う策略と考えられる。ガソリン税の場合も、地方との格差解消のために必要な道路建設もあるが、完全に不要不急な道路というものはあり得ないので、CO2排出権の取引と同様な形で、建設業界が健全な発展をする別の計画乃至投資(技術開発、発展途上国への技術援助計画など)と抱き合わせるような政策も必要ではないだろうか。

日本経済は、単に弾性体であるばかりでなく、回転体でもあり、高次元回転弾性楕円体であるようです。その力学的特性は、マルクス経済学やケインズ経済学のような運動学的モデルでなく、高次元回転電磁流体力学的モデルとでもいった複雑系としてとらえる必要があります。「未来構想フォーラム:日本経済再生の道」の講師の一人であった(首相とは福田違いの)福田一夫さんに複雑系経済解析の研究を期待します。

 

 

主張:「日本人は一億総白痴化か」       

入野守男

18年前のバブル崩壊以来、日本経済は停滞したままだ。当時450兆円あったGDPは、現在500兆円だ。米国は600兆円を1600兆円に伸ばした。我が国は「経済成長なくて良い。これ以上、環境を破壊するな」の思考停止。

日本は世界一の環境先進国で、国別CO2の排出量は世界の4.6%、米国は21.8%、中国は17.8%、ECは14.6%、米中欧が京都議定書以後の11年間で、CO2を激増させているのに、我が国だけが言われっ放しで、省エネ技術も無償で与え、削減した分を排出権取引で買うというのである。日本の経済成長の足を引っ張り、バブル崩壊から脱出するべき財政政策を当時、強硬に反対したのが、FRB現バーナンキ議長だ。米国は借金で経済発展し、数千兆円の借財がある。その金で世界中の優秀な頭脳を集め、技術を開発している。また我が国の優良企業にも投資している。例えば、日立の株式は40%を握っている。代表的な優良企業の多くは30%が外資である。国内株式取引の70%も外資の独壇場だ。

 米国は日本の財政政策をストップさせて不況にし、金利を上げられぬ状態に置き、2千兆円の我々の金を借り上げた結果が1600兆円のGDPである。現在、日本は千兆円以上米国に貸している。この金の抵当権はない。担保ゼロである。担保するには財政政策で我々の金を日本政府が借り上げて経済成長を図ることである。活性化すれば、自ずと金利は上昇するので、海外から資金が流入し、まさかの時に相殺できる。集まった莫大な資金を日本の優秀な技術・エネルギー・バイオ・微細化等々に投入すれば、必ずや世界中の人々に貢献でき、素晴らしい技術が開発されるのである。サブプライム高金利ローン、住宅バブルの崩落で世界中の金融機関は大損害を被っている。

 バーナンキ議長は景気刺激のため、5.25%を3%に利下げしたが、焼け石に水だ。金融機関の資金不足は埋まらない。同議長はブッシュ大統領に、我が国には否定した財政政策の必要性を訴えた。とりあえず16兆円の減税が実現する。IMF通貨基金も、我が国やシンガポール、タイの金融危機に財政政策が唯一の処方箋だと、混乱を深めさせ、欧米が売り抜け、利益を確保したが、今回は財政政策だと、恥も外聞もなく主張する。しかし我が国のマスコミは政策転換を報道しない。昨今までの報道が欧米一辺倒であったことを恥じてだろうか。隠すためだろうか。バブル崩壊でバランスシートが壊れ、資金ショートしている経済は、財政出動なければ資金不足は解消しない。この真実をあえて否定してきた学者・マスコミ・官僚は万死に値する。既にドイツは公的資金を産業銀行に投入した。英国も住宅専門の銀行を国有化する。IMFのお墨付きもあるので、やがて米国も公的資金を金融機関に投入するであろう。国連(IMF)は欧米のために存在する。(稲毛新聞138号より)

 

「糞尿=人粕」が人類の未来を変える?

                 

茂木和行

 『陰陽師』に、人魚の肉をそれとは知らずに父から食べさせられ、少女のままで歳をとらない不老不死の身体を得てしまう白比丘尼の話が出ている。不死と言っても、人々とかかわって生きているとその身に禍蛇という不純な生命力がたまってしまう。この禍蛇を30年ごとに祓わないと、比丘尼自身が鬼になってしまう、という運命をもっている。

 一種のイニシエーションの物語として、河合隼雄著の『心理療法』のなかに出てくるこの話は、どうも地球環境問題への警告物語として考えたくなってくる。一つの「オリ」であり、「汚染物」である「禍蛇」を、我々の生息圏に蓄積されていくさまざまな「環境破壊物」と見立ててみることにしよう。加速する温暖化に象徴される地球環境の危機的状況は、人類が人類としてあり続けるためのまさに限界点Xに近づいていることを示している。いまこの「禍蛇」を取り除かない限り、我々は「鬼」になると考えるのである。巨大化したオゾンホールからあふれるように降り注ぐ紫外線を平気で浴びながら、高温化した高濃度のCO2大気のなかで生息する生物、それが人類の変容した「鬼」である。いったいそれは、いかなるたぐいの“鬼”なのだろうか。想像するだに恐ろしいではないか。

生きている以上さまざまな不純物が、我々の身体にたまってくる。それは身体諸活動の結果、諸々のエネルギーを消費したあとの残債物であり、身体外に放出されたものを糞と呼ぶ。口や鼻から放出される炭酸ガスも、尻から放出されるおならも、広義の“糞”となろう。実際、目や鼻や、耳からの対外排出物はいずれも「目糞」「鼻糞」「耳糞」と、糞がついている。糞を溜まったままにしておけば、身体にはさぞかし悪い影響が出るだろうことは間違いない。身体にとってみれば、一種の「禍蛇」であろう。

アメリカは2015年までにおよそ2年かかる有人の火星探査を計画している。6人のクルーが搭乗した場合、排泄する糞尿は約6トンにのぼるという。スペースシャトルや宇宙ステーションレベルならば、地球への持ち帰りで済んでいるが、火星行のようなロングレンジ・ミッションでは増える一方の糞尿は、宇宙船地球号のミニ板である。Space.com掲載の記事(2004)によれば、新種の微生物を使って、糞尿を水や電気に変えるリサイクル・システムがノースウエスタン大学のリットマン教授のもとで研究されているそうだ。「バクテリア燃料電池」とでも名づけられるこの研究が実用化すれば、地上で排泄される膨大な人間糞尿が、やっかいなゴミの一部である「排泄物」から、逆に貴重なエネルギー資源になる可能性がある。

 人は一日、500グラムの糞便と1500グラムの尿、計2000グラム=2キログラムを排泄するという。中国では一日3000トンの糞尿が鉄道から線路に捨てられ、「黄害」だと問題になっているそうだが、これはむしろ線路周辺の土を潤し、野草のためになっていると考えるべきなのではないだろうか。我々のように水洗トイレで流してしまっているほうが、魚の餌にもならず、それこそ処理するための化石燃料の無駄遣いなのかもしれない。地球の人口は65億人、2050年には90億人に達すると推計されている。現時点で、世界における糞尿算出量は、単純計算しても1日130億キログラム、つまり1300万トンにものぼることになる。

「酒粕」のことを考えてみよう。「粕」は「滓」「糟」に通じ「液体をこしたあとに残ったり、液体を入れた容器の底に沈殿したりしたもの。おり」であり、そこから「よい所、必要な部分を取り去ったあとの残り」(→食べかす)となり、ひいては「役に立たないつまらないもの。最も下等なもの。くず」(→人間のくず)にまで、その意味は落ちていく。                                   もちろん、この「不要性」は相対的なものだから、酒(アルコール)をとることが目的の故に「酒粕」は「かす」に過ぎない。

しかし、酒と酒粕の100グラムあたりの栄養価を比べてみると、エネルギー(103/203 kcal)、たんぱく質(0.4/14.5g)、脂質(tr/1.5 g)、炭水化物(3.6/25.0 mg)、ビタミンB1(tr/0.27 g)、ビタミンB2(0/0.14 g)、など、栄養面からすればはるかに酒粕のほうが優っている。ほかの食品と比べてみても、酒粕100gの栄養価は、たんぱく質でたまご2個分、ビタミンB1はリンゴ5個分に相当するのである(trはtrivial の略)。発酵によるペレット状の固形栄養物を最初から目的とすれば、「酒」のほうがむしろ「かす」「くず」なのである。

「廃棄物」の一覧表を眺めていると、一般廃棄物に「生ゴミ」「紙ゴミ」「空きビン」などと並んで「し尿」が、「産業廃棄物」には「廃油」「廃プラスチック」「金属くず」などと並んで「動物の糞尿」のカテゴリーがある。日本における2004年度の産業廃棄物総排出量は、約4億1700万トン、最も多いのが汚泥の1億8800万トン(45.1%)、それに次ぐのが動物の糞尿で、21%にあたる約8700万トンにのぼっている。1日当たり、約           24万トンだから、日本人の場合は、人間と動物の糞尿排出量は奇しくも同じということになる。

廃油や廃プラスチック、レアメタルなどの廃金属…リサイクルが次第に進むなかで、「糞尿部門」のリサイクルが積極的に進められているようには見えない。本来、動物が排出する二酸化炭素と糞尿を植物が「食べ」、植物の排出物である酸素を動物が費消するサイクルが、大自然の循環である。火星への有人飛行が契機になって、バクテリアによる糞尿再生システムが構築されれば、糞尿は「人粕」として大きな価値を我々だけでなく地球そのものにももたらすだろう。地球規模の「禍蛇」による不気味な人類進化に歯止めをかけるカギは、糞尿問題の発展的解消にある、と思えてくるのである。

★データ関係は、以下のサイトを参考にしました。


http://eco.goo.ne.jp/word/recycle/S00035_kaisetsu.html

http://sakemuseum.com/

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802/002.htm 

  

(編集 茂木)