私達の教育改革通信

   119  20087

 

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先事館制作室:進士多佳子〒1060032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910

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イチョウ          水木鈴子

吸い込まれそうな青空をバックに

神聖な場所にたたずむあなたは、

両手を広げてかたりかけてくれます。

「知識は五官的で外から来るもので消極的です」

「知恵は内からくるもので積極的で永遠ですよ!」

確かに心のずーっと奥深いところに誰もが持っている。

愛の泉・知恵の泉。

あふれているのに気づかないで、

おびただしい時が流れていきます。

あなたの大きな存在があればこそ、

気づきもあり感謝の心であふれます。

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「芸術」の美学(美学シリーズ2)

未来創庵 一色 宏

『人間の心の深奥へ光を送ること−これが芸術家の使命である』とシューマンは言った。ロマンロランは『芸術は“生命を百倍にし、より大きくよりよくすること”である』と言う。芸術作品は、芸術家と言う一人の個人によって生み出されたものであっても、その個人を超える射程を持っている。芸術家個人がなにを、いかに表現したかと言う事が問題なのではなく、わたしたちが『その作品から何を、いかに受け取るかが問題なのである。』とアンドレ・マルローは言った。彼の問題意識は、芸術作品を『価値づける文明の状態』にあった。彼の芸術論は、当然に文明論となった。マルローの世界においては、ゴヤの絵画も、シュメールの彫像や中世の浮き彫りと同じように無名の作家のものであっても構わない。アフリカの黒人彫刻や中世の浮き彫りと同じように無名の作家のものであっても構わない。アフリカの黒人彫刻が彼の興味を惹くのは、それが現代のわたしたちに何かを語りかけて来るからである。この何かを語りかけて来るものがすなわち『芸術』であって、それ以外のものは彼の興味の対象ではなかった。『西洋の没落』の予言的思想の影響を受けていたが、ある手紙の中に『エジプトの彫刻がエジプト人たちに語っていた言葉は、エジプト文化とともに失われてしまって、彫像たちはもはや永遠にその言葉を語らないと言ったシュペングララーは、きわめて正しかったのです』と述べている。しかしそれに直ぐ続けて、『しかしながら、それにも係わらずその彫刻たちがわれわれに語りかけていること、そしてわれわれはそれに耳を傾けざるを得ないと言うこと、それを忘れた点で彼は間違っていたのです』と断定している。

 かつて神であり、信仰の中心であったものが現代では彫刻となり、ギリシャ人が女神として信仰していたアフロデイテイは、今日では彫像として蘇って来る。実体は同じであっても、その意味は時代と共に変わる。これが、彼が『神々

の変貌』[metamorphose]と呼んだ。神々は変貌しても、なおわれわれに語りかける。それが彼の言う『空想の美術館』である。現代は、地球的な規模で、さまざまな文明が『芸術』を通じて、対話を交わしている。まさに現代は、諸文明の出会いの時代であると言える。裏返して言えば、文明の出会いは、つまり、人間の連帯性は、今や『芸術』に賭けられているということである。 マルローは『死が悲劇的であるのは、それが人生を運命に変えてしまうからだ』と言った。その『運命』に対抗するために、彼は人間の連帯性を求めた。『行動の人』マルローの『行動』は、まさにそのためのものであった。ユネスコにおける『人間と芸術文化』の講演で、彼は、『人間は、かつて個人によって腐敗させられたように、いまや集団によって腐敗させられている』と語っている。運命に対抗しうるものは、もはや『芸術』しかない。そして、過去の神々を地球的な規模において蘇らせた現代こそ、はじめて、人間がその『反革命』としての芸術に明確な自覚を持った時代になるのである。彼はフランス国会の演説で『文明とは、死の中においてもなお生命であるもの』と述べた。『空想美術館』は、マルロー個人の祈りにも似たものであった。  トルストイは言った、『芸術とは、人間がこころの中に高まる感情を最高、最善のものへ移行させる人間活動である』と・・・・。

 

 真善美 (はこやなぎ443より)   一丸節夫

6月20日の朝日新聞第三面に掲載された多田富雄さんの連載コラム『美しい日本 四つの特徴』は、達意の名文である。そこでは、人々の生活や芸能・文化に普遍の「自然崇拝、自然信仰」「豊かな象徴力」「あわれの美学」「匠の技」という四つの特徴が、日本の美しさの源流を形成すると解き明かされた。
 多田さんは、さらに上記の文章を補完する形で、翌6月21日の同コラムに『明晰さとあいまいさの間で』をものされた。そこでは、それら四つの特徴が、日本の美のみならず、日本人の行動の規範になっていると思うかたわら、それらには抜き難いあいまいさがつきまとっており、近代日本は、西欧文化の明晰さと日本のあいまいさとの二重構造の間で戦ってきたとの指摘がなされた。
 人間の理想としての普遍妥当な価値として、認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美をまとめ《真善美》という。科学の分野で、自然科学は“真”に関わり、社会科学は“善”をあつかい、人文科学は“美”を司るとみることができる。そして、明晰さとあいまいさの相克は、そのいずれの分野においても深甚な問題を提起している。
 例として、地球温暖化の問題をとりあげよう。自然科学の見地からすると、それはエネルギーの環流問題に他ならぬ。つまり、太陽から入射する光のエネルギー、地球の放射する熱エネルギー、それに化石燃料の使用で発生する熱エネルギーと二酸化炭素、それらすべてが、大気・海洋・動植物をふくむ地表系の動態と絡み合い、地球環境をどのように変転させるかという問題である。
 ここで基本量の役目を果すエネルギーは、物理学でいう保存量であり、極めてあいまいさが少なく、明晰な概念であることに、まず留意しよう。いいかえると、エネルギーは、その形態はさまざまに換わっても、総量は常に不変なのである。
 地球温暖化は社会科学上の問題でもある。経済上、政治上、さらには安全保障上の問題であるという人もいる。その分野での基本量は、“価値”という、あいまいさを多分にふくむ量である。
 昨今、世界経済を震撼させている原油先物価格の急騰に例をみるまでもなく、それは保存量とはほど遠いものだ。例のホリエモン氏が、株券多重細分法という物理屋顔負けの手だてを駆使し「時価総額世界一の会社」実現を指向したのは、まだ記憶の片隅に残るところだ。哀しいことに、この風潮は大学にまで蔓延して、はこやなぎ子がかつて在籍した大学の現総長など、「世界一というのは、あまり好きな言葉ではないが、共通目標として明確だ」と公言する始末だ。
 話を地球環境にもどすと、明晰さとあいまいさの相克に関わる問題の一つに炭素税がある。化石燃料の燃焼などにより大気中に排出される炭素量には一応明確な定義があり、あいまいさは少ない。しかし、排出量1トンにつき何ドルの炭素税を課すか(あるいは、課さないか)は、政策上の価値判断に依存し、地球環境の消長に重大なかかわりをもちそうだ。
 “明晰さ”と“あいまいさ”の相克は、自然科学自体の展開にも微妙な影を落とす。
 十年余り前、はこやなぎ子がアスペン物理学センターに深くかかわっていたころ、クォーク理論でノーベル賞をもらったマレー・ゲルマン博士が一般市民向けに《超弦理論(super-string theory)》の講話をしたことがある。それは、宇宙の現象に適用される相対性理論と、物質の在り方を根元から解き明かす素粒子論を統合し、〈万物の理論〉を導こうとする考えだ。彼はその講演をつぎの言葉で結んだ。「私はこの考えをおし進めれば〈万物の理論〉に至るものと信ずる。私がそう信ずる根拠は超弦理論のもつエレガンスにある」と。
 講演後の質疑に入った。年配のエレガントな女性が立ちあがった。「物理学は物理量で記述される学問です。あなたは超弦理論が真実を伝える証拠としてエレガンスをあげられました。ではそのエレガンスをどのように物理量で表わすのですか?」
 これは、物理学が指向する“真”の次元に、エレガンスが属する“美”の要素をいかに組み込むかという、すごい問いかけだ。
 真と美(さらに、善)の調和は、科学における永遠の課題やも知れぬ。
 

田中優 真実を知り、新しく楽しい生き方を!! 前号より続く    (隔月刊;虹140号より抜粋)

間違いだらけの原子力立国,日本

この章省略 (六ヶ所村の再処理工場から出る1日の放射能は、原子力発電所が1年間で出す量とほぼ同じといわれます。・・・以下・・・日本が進めている原子力立国によって出来る社会は、恐らくチェルノブイリのような社会になります。みんなが子供を育てて、こどもが大きくなると癌で死ぬ。子供から順に死んでいく社会、それが原子力社会になると思います。この原子力立国で、日本はピークオイルを乗り越えようとしているのです。) 原子力発電のあり方に対する警告の章である。

急激にすすむ地球温暖化とその真実 

さて、ここでもう一つの問題、地球温暖化の問題を紹介します。チベットやヒマラヤの高地には氷河があります。その氷河が今、急速に解けて、氷河湖ができつつあります。氷河湖のサイズはダムほどあり、すでに20個ほどが自然に壊れました。壊れた結果、下流の村は消えてなくなり、人の死体も見つかりません。そういう被害が起こるわけですが、この氷河湖が、これからの50年間に4997湖も新たにできました。しかし、これからの50年の間にこれらは全部決壊すると見られています。日本の中で「温暖化は大したことはない」と言っている人がいますが、日本のような安全なところでぬくぬくしながら主張しているのは、とても聞いていられません。 この氷河湖が解けてしまった後がさらに問題です。しかもこの地域は10倍も早く温暖化が進んでいますし、今日排出したCO2100年間地球に残りますから、この氷河が解けることはもう止まりそうにないのです。このチベット・ヒマラヤの氷河を水源にしているのがインダス川、メコン川、長江、黄河などなのです。すなわち、アジア全域の水源です。これがなくなると、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書によれば、地球上で2030億人が移住を余儀なくされるとありました。それはアメリカなどの圧力で、数億人に書き直されましたが、要は、ここに住んでいるひとたちが住めなくなるということです。そうすると、国境線を血に染めるという形での移住をせざるを得なくなるだろうと思います。昨年の11月、アメリカのシンクタンクは、「大量移住が国家安全保障の政策立案者にとって最も懸念する問題になるであろうと発表しています。

今回「不都合な真実」という映画を作ったアル・ゴアとIPCCの人たちがノーベル平和賞を授賞しました。実はその同じ日に、イギリスの裁判所はこういう判決を下しています.「不都合な真実」は政治的に偏向し、部分的に誤りがあると、そして裁判官は「グリーンランドを覆う氷河が解けて、近い将来海面が7m上昇するかもしれないというくだりは、科学的な常識から逸脱している。この氷河が解けるには数千年かかる」と言いました。「本当かな?」と思って調べてみると昨年916日、北極海の氷の面積は410km2まで縮みました。実はIPCCでは2040年に540km22050年に450km2まで縮むという予測でした。だから現実の方がIPCCの報告よりも、50年先をいっているのです。海の上の氷が解けても海水面は上がりませんが、グリーンランドの上の氷が解けた時は水面が上がります。まだグリーンランドの上の氷は解けていませんが、これが数千年解けないということはあり得ません。常識を逸脱しているのはイギリスの裁判官のほうだと思います。

氷が解けていくと何が起こるか?海の氷に太陽の光が90%反射されて宇宙に戻って生きますが、海に当たると90%吸収されて海が暖まります。暖められた海がより氷を解かし、より反射されなくなってもっと解けるようになります。こういう悪循環(ポジテイブフィードバック)がスタートします。こういう悪循環があちこちで起こってくる可能性があるのです。悪循環が起こった後、人々が止めようと思っても、もう不可能です。まるで転げ落ちる雪球と同じです。転がる前だったら片手で止められても、いったん落ち始めたら人間にはどうすることもできません。だから、人間が滅びるのはたぶん数百年先だと思いますが、その将来を選択できる余地があるのは、悪循環が始まる前、この10年から30年の間だろうと思います。一番長く言っている人が30年、多くの人が10年、それ以外の人はもうすでに無理だと言っています。ぼく自身も、この10年だと思います。だから、「この10年で社会の仕組みが変えられなかったら、みんなで諦めるしかない」となると思います。さらに問題なのは、CO2を吸収している陸地の緑や海のうち、海のCO2の吸収量がどんどん減り続けているということです。現在、北大西洋、南太平洋は吸収していません。実は海がどんどん吸収し続けても地獄になります。吸収すると海水が炭酸水になり、珊瑚礁が溶けてしまうからです。カルシウムとCO2を溜めた珊瑚礁が融けてしまったら、海からCO2が噴出します。ですから海を当てにすることは、どちらにしてもアウトだと思うのです。このようなことが地球温暖化の中で地球に起こってきていて、今の時点でかなり深刻になってきています。

軍事がはき出す桁違いのCO2

この章省略(ピークオイル問題で、石油のあるイラクがアメリカに狙われた)

私たちの預貯金が人殺しに使われている

この章省略(アメリカの軍事費には、日本の郵貯、銀行預金が短期国債、そのお金でアメリカ国債の約4割を買った資金が使われている。未来バンク構想)

日本のCO2排出量の8割を占める発電・産業・車

この章省略(CO2排出の半分は167工場、1/451基の火力発電所。エネルギー効率を上げるには、使えば使うほど安くなる業務用電気料金単価の改訂が必要)

自然エネルギーに転換する仕組みづくり

この章アブストラクト:1.家庭電気製品四天王(エアコン、冷蔵庫、照明、テレビ)は省エネ製品に、住宅はエコハウスにすると経済的。2.太陽光発電とイーキャストという名前の蓄電器で、電力の自給自足が安くできる。3.三菱重工の風力発電、ホンダ自動車と昭和石油の新太陽光発電CIGSの世界トップの技術力。

私たち一人ひとりが握っている社会を変える力

 もう一つ、トリックを紹介しましょう。経済のグローバリゼーションです。例えば神戸から東京に荷物を運んだ場合とシンガポールから東京に荷物を運んだ場合、どちらが運賃が安いと思いますか?こう聞くくらいですから、神戸の方が高い。なぜシンガポールの方が安いか。ほとんど知られていませんが、国境線を越える燃料には税金がかかりません。非課税です。国内線の飛行機代、めちゃくちゃ高いでしょう。ところが、ハワイなど4泊6日でも4万8千円です。実は、国境線を越える燃料費は常に非課税です。その結果、中国の沿岸の農民は、国内で売るより輸出した方が儲かります。ですから、お互いに国内で動かすより、輸出した方が儲かるという仕組みになってしまいました。これが経済のグローバリゼーションをつくっているトリックの正体です。

 これ以外に、もともと石油が安くされていること、補助金がだされること、そして燃料にかかった費用は全部経費として税金を安くしてもらえるから、経済のグローバリゼーションが成り立ってしまったのです。燃料に国内と同じ税金をかけたならば、その日のうちに経済のグローバリゼーションはなくなります。ですから、経済学者は間違ったことを教えています。なぜ誤るか、彼らは実態を知らないからです。その結果、おもしろいことが起こります。地球温暖化の時に通常私たちが最もCO2排出量を減らせるのは、車を運転しないことです。往復8km乗らなければ1.7キロCO2を減らせます。しかし、もっと減らせるものがあるんです。ブルーベリー200g、今はアメリカから輸入して食べていますが、例えば長野県産をたべれば2.8キロもCO2が減るのです。なぜかというと、今のブルーベリーは飛行機で運ばれてきています。費用は税金をまけてもらえるわけですから、ただ同然ですが、CO2の方は莫大に出します。その結果、国産とアメリカからの空輸の差から、それ自体の重さの14倍もCO2を出すことになっていたんです。そこから意外な結論が出てきます。私たちのライフスタイルの中で最大の地球温暖化対策は、地産地消なのです。国内のものを食べること、地域の木材、食糧を地産地消することです。それをやってもらうだけで、CO2は莫大に減ります。これこそが、家庭でできるCO2に対する最大の貢献なのです。

 最大の地球温暖化対策として私たちにできることは、地産地消です。国内のものを使うこと、地域のものを使うこと、地域の木材、全ての物を国レベルの血産地消で良いですよ。これこそが家庭でできるCO2に対する貢献で、そうなっていくと、社会は変わっていきます。今現在は石油社会です。石油社会は、コンビナートがすべてのジャンルに石油を配っていきます。人々はその一番下のところで働かされるという形で位置しています。

さて、地産地消、自然エネルギーの発達と進んでいくと、社会はまるで変わっていきます。今現在は石油社会です。石油社会は、石油がピラミッドの上から入ってきて、コンビナートがすべてのジャンルに石油を配り、人々はその一番下のところではたらかされるという形で位置する社会です。上から下の、国から国民にいたるピラミッドです。ところが自然エネルギーの社会になると、この形が逆転するのです。太陽光発電は寝ていても発電します。日本の家庭は欧米の消費の3分の1、しかも省エネが進んでいますから簡単にその半分に下げられます。さらに省エネは進むので、ムダにしなければ、電気はやがて余ります。余ってしまったら、人々はその電気を使って、「もったいないから何かしよう」と考えるようになります。電気で車を走らせようとか、農業をやろうとか、みんな自分で好きなように働かざるを得なくなります。この時点では、社会のヒエラルキーは逆転しているわけです。従来、国から国民、上から下だった社会が、今度は下から上に作られる社会になるのです。石油を奪い合う必要がなければ戦争も必要ないですから、国家は大事じゃなくなります。むしろ地域こそが大事なものになるのです。実は何のエネルギーを使っているかによって、社会の形はきまっていたのです。今現在は石油の社会だから、今のような形になっている。この形が自然エネルギーの社会に変わる時、私たちの暮らし方も、まるっきり変わっていくことになります。そして地域が自立していくと、中央集権の仕組みが崩れます。電気は中央集権だから、電力会社がお金を奪うことができていました。金融だって中央集権、一人ひとりから1円を取っただけで、例えば中国だったら、12億円儲けることができる。詰まり、大きな輪にしているから、人から奪うことが可能なんです。ところが地方経済で社会が成り立つようになったら、彼らはそこから資産を奪うことができなくなります。だから、彼らが一番怖れているのがローカリゼーションです。地域化されること、地域の中で経済が成り立つこと、これをされると、彼らの利益が減るのです。だから、我々はそれを進めていけば良いと思う。お金は地域の中で使われ、外に回さないように使用。地域の中で自然エネルギーでやっていけるようににしてしまえば、そこで戦争なんかする必要がまったくなくなってしまう。ブッシュが「100万人殺したけれど、石油を奪ってきてやったよ」と言った時に、「私のところは自然エネルギーだからいらないんだ、帰って」と塩撒いて追い返すことができるんです。そういう社会をどのようにしたら、短い時間で実現できるか。その知恵が必要になるんじゃないかと思っています。こうした地域経済の仕組みの話をすると、「私は農業をやっていく」というようなかとを言い出す人が時々いらっしゃる。しかし必要なのは素人が農業をやり始めることではなく、農業をやっている人たちが食べていける仕組みを作ることのほうなのです。その人が夢中になれることが大事なのでではなく、今している人が背かつしていける仕組みを作ることがだいじなのです。原子力の六ヶ所再処理工場の話にもどりますが、そのお金は電力会社から出されています。総括原価方式という仕組みによって、電力会社が日本原燃などの赤字を負担し、それを私たちの電気料金の上に乗せられるためです。大口の企業は全体の31%を浪費していますが、料金は21%しか払っていません。一方で家庭は24%しか使っていないのに、30%の電気料金を払っています。なぜかというと、値段を高くすると大口の企業は他の国へ逃げていったり、自家発電を始めてしまうからです。そこで思うのですが、例えば「チームマイナス6%」、CO26%減らそうといういうものがありますが、マイナスなんて否定的な表現は止めて、減らしたことは自給したのと同じですから、自給率6%と呼んだほうが良い。家庭の電気消費は、省エネ製品に買い換えると59%減りますから、それで自給率50%。さらにみんなで、地域の学校のやねとか、幼稚園の屋根やお寺の屋根に太陽光発電を乗せ、その分をみんあに割り振りましょう。そうすると自給率がどんどん増えていきます。10年くらいで完全に自給できる見通しがつくようになってきます。

電力会社をそのままにして地球温暖化防止はできないんです。なぜならば国内から排出されるCO2の3割以上は電力会社が出しているんです。最終的に日本はマイナス70%にしなければなりません。電力会社は絶対に変らなければならないのです。「電力会社はもう発電所を作らなくても良い。小さな木の葉の先からこぼれる一滴の水が集まって大河ができるように、電力会社はそれぞれの風力発電や小さな太陽光発電からの電気を少しずつ集めて、みんなに供給できる会社になってもらいたい」「もしそうしてくれるなら、私たちは今後もずっと電力会社に協力して行きたい」と言うのが良いと思うのです。

そういう形で、私たちが自分のエネルギー、貯金などを徐々に変えていくことによって、今の仕組みを揺さぶることが可能です。たとえば日本の1400兆円あるといわれる資産も、実は人々の預貯金です。だから人々の側に、その力があるのです。私たちがそのお金をどこに預けるか、何を買うか、これは投票の1票と同じように効果があるのです。私たちには可能性があります。可能性を知ることは、真っ暗闇の中に一条の光が射すのと同じです。光が射せば、少なくともどちらに進めばよいかわかります。まずは人に可能性をつたえてください。そこから進めていくことが大事だと思うのです。

*田中優氏へのお問い合わせは虹ネットワーク(TEL042-381-9900,FAX042-386-0043)へ。

 

 随想: 映画「ルワンダの涙」所感
           信越化学工業(株) 木下清隆

【ルワンダの経済】
 地球環境問題の専門家であるレスター・ブラウンはルワンダ経済について、次のように述べている。
 「アフリカで最も人口密度の高いルワンダの経験は、土地不足が引き起こす潜在的に深刻な問題を浮き彫りにしている。1950〜1990年にかけてルワンダの人口は210万人から680万人へと3倍に増加し、その結果一人当たりの穀物作付け面積は0.03haまで落ち込んだ。90〜92年に農業環境相を努めたジェームズ・ガサナは、急激な人口増加が農地の細分化、土地劣化、森林破壊、飢餓をもたらしたとみている。こうしたストレスが民族紛争の底流となり1990年に内戦が勃発、その結果80万人が犠牲となった1994年の大量虐殺が起きた。ガサナは暴力行為は食糧供給が不十分な地域に集中していたと指摘する。」
 このレスター・ブラウンのレポートは、太陽エネルギーでしか生存を許されていない人々にとって、人口増加或いは打ち続く凶作等によって、そのエネルギーよる生産物の分配が最低限度を割ってしまうと、遂には民族淘汰が始まることを指摘している。この民族淘汰は基本的には餓死の形をとり、恨み・怨念といった感情問題とは無関係な地球
そのものが持つ、生物一般に及ぶ生理現象である。地球の掟とも云えるが、この掟に人類といえども逆らえないということである。ただ、ルワンダの場合は長い間のツチ族の圧政に苦しめられていたフツ族の怨念が、これに加味されたことで、虐殺の形を取った民族淘汰が起きたということである。
 また、我国外務省の発表によれば、ルワンダ経済の主要指標は次のようになっている。
(1)GNI:21億ドル(2005年 世銀)
(2)一人当たりGNI:230ドル(2005年 世銀)
(3)貿易総額:輸出 105百万ドル(2005年)
        輸入 364百万ドル(2005年)
(4)主要貿易品目:輸出 コーヒー、茶、錫、タングステン、皮革(主要相手国インドネシア・中国・独・                  マレーシア・米国) 輸入 資本財、半加工品、エネルギー財、消費財(主要相手国ケニア・独・ベルギー・                  ウガンダ・フランス)
(5)対日貿易:輸出 7百万円(コーヒー、茶)
        輸入 1454百万円(バス、トラック)
 この国には、錫とタングステン以外にめぼしい地下資源はない。要するに農業国家であるが、その多くが外貨獲得のためにコーヒー園・茶園となっているとみられる。国の体裁を保ち、国家としてのインフラ整備を進めるためには金が掛かる。飛行場は必要、当然飛行機も必要、エネルギー供給、金融システム、医療体制、教育システムの整備、農業振興、産業振興等々、列挙すればきりが無い。しかしこの国にはそのような整備に回せる金など殆ど無い。そのことは大幅な輸入超過の現状が良く示している。先進諸国からの支援なくしては立ち行かない国だということである。このような状況の中では国民に潤沢な食糧の供給などは期待できない。この国に残されている選択肢は、国民の教育を進め、民力を高めて先進国の企業を誘致するくらいしかない。太陽エネルギーしか利用できない国にとって、化石エネルギーを呼び込むためには、中国が進めたような開放経済による他国の富を呼び込むしかない。この国作りに失敗すればルワンダは、再び虐殺の悪夢が蘇ることになろう。 

【展望】 ルワンダの抱える問題は、世界的なエネルギー分配の偏りによってもたらされているといえるが、現在の世界経済が自由貿易を標榜する限り、この問題は現在の経済スキームによってしか解決することはできない。その意味でルワンダの一層の努力が求められることになる。
しかし、反対からみれば世界経済の中でその競争に負ければ、先進国といえども没落の道が待っているということである。更に化石エネルギー枯渇の時代を迎えるようになった場合、国家存立のために、どのような条件が必要となるのかは今のところ分からない。経済強国は一つの存立条件として有効ではないかと期待されるが、それも保証されているわけではない。今後展開されるであろう資源争奪戦は腕力の世界である。そうであれば軍事強国のみがその存立条件となる可能性は高い。
 そのような時代が今後数十年でやってくるはずである。そのときは、ルワンダのことなど、誰の口の端にも登らないことであろう。後進国にとって現在はモラトリアム期間である。今後数十年で経済的に自立できなければ、見捨てられる時代が来るということである。というより、先進国にその余裕がなくなるということである。資源の枯渇、特
にエネルギー資源の枯渇はそれほどのダメージを世界経済に与えるということである。(了)
『映画「ルワンダの涙」所感』は、下記からご覧頂けます。
(1)【1994年の虐殺】
http://www.vec.gr.jp/mag/129/index.html#zuisou1
(2)【ツチ族政府の樹立】
http://www.vec.gr.jp/mag/134/index.html#zuisou
(3)【ルワンダ小史】
http://www.vec.gr.jp/mag/138/index.html#zuisou

食料輸送フードマイレージとハウス栽培

菅野礼司                       日本の食料自給率が4割以下であること、そしてこの状態は異常であるから自給率を高めるべきだとの警告がしきりになされている。私たちは食料のほとんどを外国からの輸入に頼っているわけである。ここには地球環境の問題も絡んでいる。
 
人件費と物価の安い外国から輸入すれば、低廉価の食品を手に入れることはできる。しかし、多量の食料を遠い生産地から輸送する労力とエネルギーは相当なもので、地球環境を破壊する要因のひとつである。そこで提案されたのが、その地でできたものをその地で消費するという「地産地消」運動である。地産地消でなくとも、せめてできるだけ近くの生産地の物を使えというわけである。これは大変有意義な提案である。
 生産地から消費者までの食料輸送にかんする指標として「フードマイレージ(Food mileage)」というものがある。それは輸入食料の重量および輸送距離を総合的、定量的に把握するために、イギリスの市民運動家ティム・ラング氏によって考案された指標だそうである。その計算式は
フードマイレージ=(輸送された食糧の重量)(輸出ー輸入国直線距離)(単位:t・km)
 ちなみに、2001年の日本のフードマイレージ(国内のものを含めた値か不明)は約、9,000億t・km(農林水産省)だそうである。地球一周の距離は約4万kmであるから、この数値は約1/4億トンの物を地球1周り運んだことに相当する。このエネルギーを石油に換算するとどれくらいの量になるだろうか?計算して教えてください。
 食料だけでなく、水の輸入も相当な量になるそうだ。日本は水に恵まれ水に困らないが、干魃や水不足で困っている国は多い。輸入する水は飲み水だけでなく、輸入食料の生産に必要な水を考慮すべきである。食品を輸入するとその生産に使用された水を輸出国から奪ったことになるからである。だから
輸入食料の中に含まれるこの水量も積算して、産地からの消費地までの移動距離を評価するのが「ウオーターマイレージ(Water mileage)」である。
 日本では飲料水として、水道水でなく、わざわざミネラルウオーターを買って飲む人がふえている。これは国内でのウオーターマイレージを増やしていることになる。最近の水道水は、浄化技術の進歩により質がよくなったから、飲み水を買う必要はないのにである。
 食料、水ともにマイレージを増やすことは、エネルギー消費であり、地球環境を悪くする要因であるから、この種の指標をつくり啓蒙することは大いに必要なことである。だが、これにつけても思うのは、ハウス栽培のことである。
近年、季節はずれの野菜、果樹を一年中栽培したり、一時でも早く栽培し出荷するために、いわゆる「ハウス栽培」が盛んである。キュウリ、トマト、ナス、青菜など年中いつでも食べられる。消費者にとっては便利でありがたいことだが、喜んではいられないいろいろ問題を含んでいる。
 まず、
ハウス栽培には非常に多くの資材と石油・電気が使われていることである。せっかく「地産地消」を唱えても、ハウス栽培の食品を食べているのでは、省エネルギー運動としては矛盾である。もう一つは、春夏秋冬の季節感がなくなり、野菜・果物本来の味が忘れられ、その結果、私たちの生活はますます自然から乖離してしまったことである。それは健康にも悪影響があるだろう。四季の季節感が薄れることは、人間性が薄れ感性の豊かさも失われる。
 フード・ウオーターマイレージを研究・調査している方にお願いしたいのは、
ハウス栽培についてエネルギー消費の指標となるものを考案し、「マイレージ」指標と比較できるようにしてもらいたい。そして、国内の総量を調べて欲しい。この問題を放置すれば、ますますハウス栽培のような農法が増大するであろうからである。
 私たちは便利さを追うのでなく、もっと自然に触れた生活を取り戻すべきであろう。

 

 

神田自由塾を提案する      海野和三郎

先月の118号、青木亮三氏の教育論にも、「塾を見直せ」の議論がありましたが、江東区か杉並区の中学であったか、藤原前校長の主導で、町と塾と中学が一体となって、新しいタイプの塾教育を中学校舎で行って、話題となっていました。それらをヒントに、NPO東京自由大学では、近々少し大きな部屋への移転を契機として、「神田自由塾」を考えてみたいと考えています。

自由塾は、日曜(又は、土曜)10時〜14時、塾費は小中学生2時間500円、高校生2時間750円、大学生以上一般2時間1000円、(昼食付き?)。10時〜10時半、歌による英語学習。10時半〜11時,インド式九九の学習。11時〜11時半、文語体の小学唱歌・いろはかるた・百人一首・平家物語での国語学習、11時半〜12時、ハングル、漢詩、独、仏、歌による語学学習。12時〜13時,(食事しながら)小中学生質問討論、13時〜14時,高校生以上質問討論。午後の部は、だれでも討論参加、答えられる人が答える、調べる宿題も出る。

英語を教える所は、国際化の潮流にのって、すこしづつ増えているが、学力低下の問題もあり、公立の学校で教えるのは少し無理がある。一方、外国語の習得は、精神的負担にならなければ、年齢が低いほど容易である。わけも分からず子供の時に歌で覚えた言葉は、大人になって必ず役に立つ。尤も、それは英語に限らず国語でも韓国語でも同じである。昔の中学での主要科目は、英数国漢であったから、同じ流儀を算数にも当てはめようと言うのが、10時半からのインド式九九である。インドのIT(コンピュータソフト)産業は、インド式九九の上に築かれているらしい。

午後の質問・討論は、参加者各人の持ち込んだ質問・テーマを討論するほか、時間の許す限り、まとまったテーマについて話し合う。一つは、かつて、宇宙研の研究教育集会で一人の中学生の発した質問:「地球はだんだん住めないようになると言います。その時、私はどうしたらいいでしょう!」に、答えることである。石油ピークと地球温暖化と食料又は人工問題と3者が結合して、未来を暗くしている。第二は、自由大から遠くない秋葉原の事件が起きた原因である。6月30日、産経新聞「正論」には、加藤尚武氏の「高校教育の陥穽」「『自尊心』を欠く犯罪」、曾野綾子氏の『透明な歳月の光293』「学ばなかった人間関係の築き方」があり、7月8日朝日新聞『文化』欄には、赤城智弘氏の「『自力で』とは言えぬ社会」、宮台真司氏「個人が疎外されぬ『場』を」、なだいなだ氏の「常識自体を見直すべきだ」がある。それぞれ傾倒すべき見解であるが、犯人のような考えの人々の救済になるかどうか分からない。この件に関しては、後の頁に稿を改めて論ずることにしたい。

自由大のある千代田区では、2008年、地球環境保護条例を発布し、千代田区民のみならず世界市民に対し、一致して現今の急激な地球温暖化に伴う地球環境悪化に対処することを要請した。国・自治体・個人夫々に為すべき役割があるが、中でも、緊急に改善すべき重要事の一つに、未来を背負う青少年の教育がある。その趣旨に賛同して奉仕を買って出る有識経験者、高齢者、千代田区・東京・全国・世界の教育者・科学者・技術者を教師として、小中学生・高校生を主体に対象とし、一般の人々も自由参加する飛び切り面白くて有意義な講義・講習を行う神田自由塾にしたいものである。しかし、ここまで手を広げると、週4時間の自由塾プログラムでは、対応しきれない。もっと拡大した講習が必要になるかもしれない。

講習内容

宇宙,生命,地球環境とは何か、その根源の原理を中学生が会得するように講習する。一例を挙げれば、村上和雄さんがサムシング・グレートと呼び、ダライラマが共鳴した分子生物学の神秘を、茂木和行さん(聖徳大学)に、(生命の)時間とは何か、最近の携帯電話の普及に伴い時間が折りたたまって記憶に入り、時に子供同士が殺し合いする悲劇をよんだ例などを挙げて説明してもらう。その他、講習をお願いしたい講師としては、京都議定書の生みの親である大木浩さん、ノーベル賞物理学者の小柴さん、地球環境学者の小宮山東大総長、トルコの環境工学のセルカンさん(現東大工学部)、神道ソングライターの鎌田東二さん(東京自由大学,京大・京都造形大教授)、天文学者の小平桂一さん(総合大学院大学学長)などなど。有意義な無料奉仕の仕事であればやってくれそうな人はいくらでもいる。私自身は、(いのちを生む)地球の魔法、森の魔法、海の魔法、を利用して石油火力より10倍安く電力を作る「水星と海と森の太陽エネルギー工学」(後述)を子供達に伝授する。

芸術と学習の連携

ゆとり教育で反省されたことは、学習時間の短縮による国語力などの学力低下であるが、一方、環境問題など国際化に伴う外国語(英語)教育の小中学校公教育への導入の問題がある。こうした一見矛盾した要求を同時に解決する方策が不可欠であるが、神田自由塾では、日本人の得意とする芸術と学習を連携させる奥の手を使いたい。

古来、百人一首やいろはかるたなどは、知らず知らずに国語力を着ける役割をした。その流儀で、英語の歌や文語体の小学唱歌などを幼稚園児の頃から歌わせるとよい。意味の理解は,初めからは必要ない。絵画・陶芸も理学の学習と連携させると真善美の立体的な教育となる。お手玉・凧・竹とんぼの自作から始めると良いかも知れない。普通教育は、この道一筋というやりかたよりは、多次元的に幾つかの側面が協力体制をとるやり方のほうが効果がある。老子に「三から万物」とあるように創造のためには三つ以上の要素を組み合わせて、心技体の教育に絵画・音楽・文学を組み合わせた学習法が適当だろう。

進学指導:高齢元教育者などの奉仕活動として、小中高生進学指導教育の理想的な形態を探索したい。

趣味の教室:フェルマーの最終定理の中学生証明。インターネットで、人工衛星による宇宙観測のデータを取り込む。

集光型海と森の太陽エネルギー工学の講習 :

(辻内式)非結像集光の原理を応用した簡単な集光装置で太陽光を10倍(100倍集光すると集光装置が太陽電池より高くつく?)集光し、その下に海(ソーラーポンド)と森(矢吹機構、太陽電池)を置けば、石油火力より10倍ほど安く、家庭規模(使う場所で作る)で発電可能である。

森と太陽電池は、太陽エネルギーの2割弱を光合成、発電に使い、さらに水を使って(葉が枯れないように、発電効率が落ちないように)葉(装置)を冷却する。8割以上の余熱エネルギーは、森の場合は水蒸気で対流を促進して風を起こし、葉緑素へCO2を運ぶ効率を10倍以上も上げる(矢吹機構)。太陽電池の場合は、温まった冷却水を上(又は横)の(多賀式)粘性型ソーラーポンドに導き、更に太陽エネルギーで加熱すれば、1時間で沸騰水が得られる。海は、億年の(水と塩分との)二重拡散対流の結果、塩度が下ほど高い塩度勾配型ソーラーポンドとなり、対流を防止し、水面下100mで吸収された太陽エネルギーは表面まで熱伝導で出るには3000年もかかる。その保温の良さが、海流によって一様化され、1000mより深い深海水温度は、世界中約3℃であるという。これが、地球環境を護る海の原理に他ならない。それを20cmほどの粘性型ソーラーポンドで実現するには、ポンドを透明スポンジで満たせばよい。イスラエルの塩度勾配型ソーラーポンド発電は、大規模すぎて集光が難しいので、石油火力に負けたようだが、10倍集光で、家庭規模の水星環境をつくり、「水星と海と森の太陽エネルギー工学」を、高校生以上関心のある方はグループで自作してみるとよい。みんなで知恵を出し合ってやれば、1,2万円で小型実験装置が作れるでしょう。神田紺屋町でも稲垣さん他、計画中です。世界中の人が自作し、協力しあって欲しいものす。

 

秋葉原の通り魔殺人:その意味は何か                海野和三郎

6月30日、産経新聞「正論」には、加藤尚武氏の「高校教育の陥穽」「『自尊心』を欠く犯罪」、曾野綾子氏の『透明な歳月の光293』「学ばなかった人間関係の築き方」があり、教育の問題としての見解が述べられている。加藤氏は、自分を破滅させる行為は、「自尊心」の欠如で、男女共学の普通制高校の並立で、AクラスからEクラスとレッテルを貼られ「共同選果場」化した高校へ入試でDクラスかEクラスに選別された、屈辱感に原因の一つがあるとした。秋葉原の殺人犯は、絶対に落ちてはならないコンベヤーベルトから落ちた。高校の「共同選果場」体制を解消するのが、課題である、と言う。曾野氏は、「人間関係」を築き得なかった犯人の心情について、「今、彼は警察にいて、連日取り調べを受けている。これほど彼にとって幸せな日々はないだろう。みんなが時間をかけて、身の上から,心の中までも細かく聞いてくれる。こんなぜいたくを味わうひとはめったにいない。今、犯人が受けている処遇はまさしく彼が望んでいたものだから、彼は幸福の絶頂にいるだろう。」という。チャットだの、ブログだの、2チャンネルだので、大勢の人と繋がっているように見える虚構の世界で生身の人とのつながりを求めた。ケイタイ時代に対応できない教育の盲点であルト言う。

7月8日朝日新聞『文化』欄には、赤城智弘氏の「『自力で』とは言えぬ社会」、宮台真司氏「個人が疎外されぬ『場』を」、なだいなだ氏の「常識自体を見直すべきだ」がある。赤城氏は、資本の自己中心的利益が先行する社会では、フリーターの境遇の人が自立の社会的承認を得る機会は殆どなく、逆に、現代社会は無差別殺人に対し「自力で」自己制御せよと云えるだけの制度になっていない、という。しかし、一神教では「人を殺すなかれ」が神の与えた基本的ルールであり、東洋では、将来世代にいのちを伝える生き物の自然の法則が擬人化されて、如来・観音となり、人々のいのちを護る。東洋でも、中華思想の強い中国では、革命や内戦、政権交代が起こりやすいが、日本でも、自己中心的利益が先行する資本中心グローバリゼーションの社会となり、如来の影が消えてしまったのであろう。赤城氏の議論は否定形で迫力があるが、建設的な肯定形提案に直す必要がある。

宮台氏は、「個人は一人でメデイアに立ち向かわずに、友人とネットワークを持ちながら情報にふれると、その影響が間接化される」、「格差が広がっても人生はどうにかなる」、「家族や社会の包摂機能が低下しているから、家族的に包摂するつながりを家族として扱う様な、社会に相互扶助の仕組み、個人が疎外されない『場』を生み出そう」、と言う。グローバル資本主義の陥穽へ落ちる前に、神と再契約しようとする知恵であろうか。新時代の如来の来迎か宮台氏にみえてきたのであろうか。

なだいなだ氏は、「人間は戦争もし、原爆やクラスター爆弾をつくり人殺しをする凶暴な想像力を持つ。他方、その凶暴性にブレーキをかける常識がある」、「未来への暗い閉塞感を持つワーキングプアーのような人が、その苦悩を無視され続けて、『皆がこの社会の常識に守られているが、私は守られていない』と苦痛を感じたとき、常識を楯に、その人を無視したり排除したりすべきではない。常識を大切にする立場から、常識自体の中身を見直すべきだ。人々が人間的な連帯感で結ばれる瞬間にこそ、人が不幸を幸福に転ずるチャンスが訪れる、という。なだいなだ氏は、精神科医でもある。ただ、経済格差で、ワーキングプアーが疎外されて連帯感を持ち得ないような現在の社会常識の何処をどう見直すべきか、明確にしなくてはならない。自暴自棄の殺人「誰でもいい」殺人の連鎖を止めるには、人類百万年の歴史の再認識と人類危機の新時代への対応への模索が必要である。未来に生命をつなぐことを最も重要な自然の摂理とする地球人類が未曾有の正念場を迎えているのである。                   (編集:海野)