私達の教育改革通信
第 101号 2007/1
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カルロス・バルガスさんとの懇談会の報告
(軍隊を捨てた国コスタリカの国際法律大学教授)
大江真道
[開催までの経過] 京都青年法律家協会の小笠原伸児氏と、京都宗教者平和協議会の大原光夫師との企画で来日中のコスタリカ国際法律大学教授のカルロス・バルガスさんとの懇談会が企画された。
発起人には檀王法林寺住職の信ヶ原雅文氏、本山修験宗の宗務総長、宮城泰年氏、龍谷大学名誉教授の田北亮介氏、龍谷大学法科大学院教授の澤野義一氏、青法協の岩佐英夫弁護士、同じく久米弘子弁護士、日本聖公会司祭の大江真道らが名を連ねて30人ほどに参加者を限定して「懇談会」を、2006年7月12日に京都パレスサイドホテルで午後6時半から開催した。発起人を代表して、宮城泰年氏がバルガス教授と通訳の星野弥生さんを介して対談することになった。
バルガスさんは日本において憲法9条の改悪をめざす動きが強まっていることを憂慮して「軍隊を持たず、人権の擁護、環境保護、民主主義や市民的自由を推進しているコスタリカで生きることの利点がどんなものであるかを理解してもらうために、日本にもっと積極的に関わるべきときがきたと思っている」との熱い思いの訪日希望メールを発信して、今回の企画が具体化されたわけである。すでに日本各地を巡回し、愛媛県からの京都入りとなったのである。当日の司会・進行は宗平協の出口玲子さんが担当し、開会挨拶は大江が行い、食事のときの乾杯の発声は田北氏がなされた。
[当日の発題と論議]
バルガス氏 中米のコスタリカは1821年(文政4年−明治維新の46年前)スペインから独立後、教育に力をいれてきた。1949年11月7日、コスタリカ共和国憲法を施行したが、憲法を変えようという圧力をはね返し、紛争の解決にはつねに対話を重視している。日本にきて多くのエネルギーにみちた人々と出会いを経験したが、この力をもって改憲勢力とたたかって欲しいと冒頭にバルガスさんがまず発言した。
宮城氏 教育を大切にしてきたことで民主主義が育ったという点について、学校教育と家庭教育のバランスを伺いたい。
バルガス氏 1821年の独立時からの積み重ねであるが、1862(文久2年−明治維新の6年前)から初等教育を無償にしたが、コスタリカでは1年生のときから平和・人権を教えていて、政治のこと、選挙のことも教えているが、その基礎は学校教育以前の家庭教育であること、家庭での情操教育は信仰(カトリック)の重要性を強調し、日本は全国土が爆撃で廃墟になったにもかかわらず見事に復興した。また歴史のうえでもモンゴル帝国からの襲撃を排除したが、神は日本を守ってきたし、日本は自然の恵みが豊かな国である。絶対的存在者への信仰と隣人への愛が欠落するなら崩壊してしまう、と述べて戦後の日本は神とか宗教心を教育から排除してしまっているのではないか。
宮城泰年氏 日本は自然が豊かな国であり、大陸からの宗教文化が入るまえから自然のなかに絶対的な存在を感じていた。仏教が伝えられたが、日本人は仏教者も日本の神々をみとめてきたこと、滝を拝み、日の出を拝む習慣があり、意識の深いところでは日本人も絶対的存在を保持していると思う。コスタリカというのはスペイン語で「豊かな海岸」という意味だと伺っていますが、自然の状況を国名にすることは大きな信仰からと思うが、コスタリカの人々のカトリック宣教以前の自然観についてお伺いしたい。
ガスパル氏 スペインの征服者がくるまえから、コスタリカは太平洋とカリブ海に囲まれた中米でも最も美しく豊かなところで、一年じゅう収穫が得られる環境です。北海道でアイヌ博物館へ行きましたが、この古い時代からの民族は自然から神を感受しており、コスタリカの原住民のように超自然的な神の恵のもとに平和に過ごしていたと思う。京都で仏教寺院を拝観したが感動した。仏教に限らず宗教を根幹にすえた教育思想が人間にとって必要なのではないだろうか。
宮城泰年氏 貴国でも平和憲法を制定するまえに、これに反対する動きがあったと聞いているが、日本はいま異常な反動的な勢力のなかで苦労している。貴国では兵隊の数だけ教師をということを進めたと聞いているが、そのような施策のノウハウを伺いたい。
バルガス氏 それは、1948年に軍隊を廃止してからのことではなく、1821年の独立以来、人権、主権在民、対話を重視してきた結果が、平和憲法として実ったのである。1948年に軍隊を廃止して、憲法12条をつくったが、反対する勢力はなかった。これは歴史を学ぶことから理解され、推進されてきたということが出来る。
澤野義一氏(大阪経済法科大学法学部教授)いまのことは国家レベルでは非武装中立、地域レベルでは無防備都市宣言という二つのレベルで推進されるべきである。
バルガス氏 すべてが対話で紛争を解決してきたので、国民は軍隊があると平和が損なわれることを知っていた。アメリカから軍隊をつくれという動きは、レーガン大統領はニカラグアとの関係でコスタリカに基地を作って派兵したかった。1982年83年ころには対米貿易が60%輸出で、投資(観光での)も多かった。しかし、圧力にもかかわらず軍隊廃止を変えることはしなかった。米国はそれ以上口うるさく言わなくなったのである。対話重視の方針で米国に対しては対等でやってきたが、このことを日本に対して売り込みたい。4億の人口と52万平方キロの国でできたのだから日本でもできる筈である。
ガルバス氏 北朝鮮との問題についての質問があったが、日本が憲法を変えるとしたら、日本への攻撃の正当な理由を提供することになろう。もし非武装の日本に対して攻撃をしかけたとしたら国際世論が許さないだろう。軍備を持てば世界の人々は太平洋戦争を思い出すだろう。北朝鮮が仕掛けてくる罠に陥ることなく、平和憲法を守りぬいて欲しい。
橘知紹氏(東本願寺派僧侶・京都宗平協)世界戦争当時のコスタリカの位置づけについてお伺いしたい。またコスタリカの子供たちはどんな地図を持たされていて、世界と自国の位置関係についてのような認識を持っているか伺いたい。
バルガス氏 コスタリカは小さい中米の国だから、世界の中の一つだということを教えている。ほんの小さな国なんだという認識ではなく、他の国々とは寛容の精神で交際すべきであると教えている。どの世界大戦にもコスタリカは参戦していない。ただ第二次大戦のときは日本がアジアへの侵略をしているということで、宣戦布告はしていた。
関根竜介氏(京都青法協・弁護士) 人権裁判所弁護士としてのバルガスさんの扱った事例を伺いたい。
バルガス氏 コスタリカの記者が虚偽の記事を掲載したということで訴えられたことがある。役人のことを悪く書くなという訴えだったが、報道は記者の自由だという「ことで、自由を保持した判決がでた。結果として人権裁判所は控訴が可能であることを証明した。その他大統領への裁判もあった。
このあと、1999年にコスタリカへ旅行して民宿に泊った婦人の旅行談とコスタリカへの旅行の企画などの発表があった。またコーヒーのことも話題になった。食事のあとも色々な質問もあり、バルガス氏は張り切って応対し、時間が延びても意に介せずという雰囲気のうちに弁護士の久米弘子氏が最後の挨拶をして懇談会は終了した。
グローバル時代の地球温暖化問題への視点
−環境問題には処方箋を− 矢吹萬壽
地球温暖化と植物
地球温暖化ガスとしては炭酸ガス、フロンガス、メタンガスなどがあげられ、特に炭酸ガス(CO2)が大量に空気中に含まれております。しかし、CO2濃度にしてどれくらいがよい温度になるのかよく判っているようではありません。
1789年にフランス革命が起きました。その起因は前年の1788年にフランス全土に大降雹があり、農作物に大被害を与えました。1789年に入るとパンの価格が高騰し、民衆は食料危機にさらされ、農民一揆や市民の暴動が各地に起こり、麦を買い占めていた商人,富豪、特権階級を襲ったのがフランス革命で、7月14日に成功しました。この1788年には日本でも「天明の大飢饉」が起った年で、東北地方には例外が起こり、1780年1792年の13年間に人口が111万人減少したという統計が残っております。又、ケネディ一家が米国に移住したのは、1846年アイルランドの大冷害により、ジャガイモが不作となり、この時の餓死者は100万人200万人とも言われ、100万人が米国へ移住したとのことです。
さて、植物は光合成反応でCO2を吸収して成長し、生きるためのエネルギーは、呼吸により光合成した有機物を分解して得ています。光合成量と呼吸量との差が、従って、正味の生長量となりますが、植物は生長に応じて成長量が次第に減少します。成長が止まるのは植物の種類で異なり、日本の主要森林の照葉樹林は40-45年、熱帯多雨林は70-75年という事です。しかし、正味の光合成量は林の生長と共に変るので、実質の成長が止まる前に伐採し、直ちに植林する必要があります。ただ、日本の照葉樹林のような温帯多雨林の林床には芽生えが沢山ありますし、それに比べ、熱帯多雨林では葉層が五層にもなっていて芽生えに日光が届かないので、林が伐られると光を待っていた芽生えは1年に4m近くも成長します。一方、高緯度になりますと切り株から芽は出ません。従って植林をしなければ禿げ山か草原、砂漠などになります。直ちに植林をする必要がありますが、殆どの国は致しません。英国の森林率は国土面積の8%ということです。小生が米国コーネル大へ行った時、その辺一体は大草原でした。案内の教授によると、かつて肥料のなかった時代に木灰が肥料になることが判り、この辺一帯の大森林を伐って木灰をつくり、ヨーロッパへ輸出した結果そうげんになってしまったそうで、「バカなことをしたものだ」とのことでした。兎に角、森林はCO2固定をしておりますので、第1段階としては植林する事です。
次に、伐採した木をどの様に処理し利用するかですが、最低限成長に要した期間は利用するようにするべきです。留学したローザムステッド試験場の宿舎は試験場創設の荘園主の「館」でしたが、1212年建造とのことでした。ロビンフッドがシャーウッドの森で活躍していた頃で、英国に森林の有った最後の時代です。この頃から英国に森林がなくなり、ニューカッスル市民は暖房用の薪が無くなり、これを見かねたヘンリー2世が1239年より暖房を薪から石炭に転換しました。これと同時に、大気汚染が始まり、大都市ロンドンでは煤煙の被害が大きくなり、1273年ロンドンでの石炭燃焼を禁止する法律を出しております。
この様に、森林ではCO2固定が行われますが、伐採した木材を利用する段階において注意すべき大事な問題があります。かつて各都道府県にエネルギー有効利用をけんとうするためのエネルギー審議会が設置され、和歌山県での植物の間伐材の有効利用をテーマにしたことがありますが、間伐材利用自身は結構なことですが、何処でどう利用するかによっては、輸送するエネルギーとの関係があり、地元で家庭用又は薪としての利用が適当であったり、一般の木材でも同じですが、地元の水力利用の製材所で、出来るだけ使用に近い形まで製材した後、輸送するのが好ましいと思います。
こう考えると、地球大気のCO2量の増加を抑えるには植林以外に良法はなく、化石燃料を含む光合成生成物を出来るだけ長期利用するのがよいことになります。
日常生活と温暖化対策
一般市民の生活に関与する主なエネルギーは、電気及び石炭ガスですが、例えば堺市内に設置されてある200万kwの発電所では、1日にCO2を約2万トン放出しているとのことです。従って、市民としては出来るだけ電気の消費量を少なくするのが温暖化対策になります。ガスについても同様です。
私がローザムステッド試験場で実験を始めた最初の日のことです。午後3時(夏時間午後4時)頃天気が悪くなり、メスシリンダーの目盛りが見え難くなったので、実験室入り口のスイッチを入れ全室を明るくしたところ、研究員がやってきて、“我が国は電力が充分にはないので、全室を明るくしないで、この電気スタンドを使ってくれ”と言ってスタンドを差し出しました。英国は天気の悪い国で、所謂日本晴れのような日は一年に3日程しかない、とも言われています。そうした事もあってか、電力消費量を出来るだけ少なくするよう努力しています。街路照明にも、人間の感度の高い波長を選んで照明し、電力の消費を節減しているとのことでした。日本では昼間でも殆どのビルが電灯をつけておりますし、夜間でも日本は世界一明るいとのことです。
ここで特に述べたいのは勤務時間の問題です。試験所の勤務時間は午前9時から午後5時の8時間ですが、午後5時が来ると、所長以下全員が一秒も違わないと言ってよい程に、一斉に立ち上がって帰宅します。研究などの資料は机の上にそのまま置いて帰宅し、翌朝9時には、直ちに仕事にかかります。10時から15分コーヒータイム、午後3時から20分ティータイム、それ以外は雑談なしで仕事でした。ドイツでも同様な経験をしました。ゲッチンゲン大学で、さる教授と植物群落の光合成量測定方法に冠する問題を語り合っていたところ、突然その教授が「しまった」というので、何かと質ねると、「5時がすぎた」と言います。大急ぎで帰り支度をすると、何と、エレベーターは止まり、各階の出入り口にあるドアは全部鍵がかかっていました。ドアの鍵を開け閉めして一回におり外部に出なければなりませんでした。ある雑誌に、日本人の年間労働時間2,250時間に対しドイツ人は1,650時間で、仕事の能率は1対3だとかいてありましたが、勤務時間の厳守は消費電力を減少し、仕事の能率も高めることになります。疲労が少なく、回復が早く、翌日の仕事がすぐに出来るからです。
もう一つ、英国の長距離運送トラック運転手の勤務時間も興味深いものでした。小生は、昭和29年から34年まで、六甲山系の気象観測や特殊な水槽で模擬実験をして「六甲おろし」の研究をしましたが、山越気流と呼ばれるこのような風は世界各地にあり、英国のクロスフェル山にもあることが英国気象学会誌に出ていたので、ホテルの予約もせずに観察に出かけました。満員で、宿が取れず、Drivers
Innなら空いているというので、長距離トラック運転手の宿泊ホテルへ行きました。案内された部屋には四基のベッドがあり、午後50分頃1人の運転手が入ってきました。どちらに帰るのか尋ねたところ40km程のところですので、未だ明るいうちに帰れるのではないかと言いますと、長距離トラック運転手の勤務時間は午前6時から午後6時までで、午前30分車体点検してから運転に入る。午後0時から午後1時まで昼食、午後1時から30分車体点検、午後6時終業という規則だが、あと20-30分で帰れるが午後6時までには帰れないのでここに宿をとった、ということでした。運転手の疲労も少なく、夜間運転の事故も起こらないというわけです。一見華やかに見える彼らの生活ですが、かつては飢えと寒さに苦しんだ高緯度の国々は無駄のない生活を送っています。私も、1日50本も吸っていた煙草を、70過ぎた無愛想な婆さんから「煙草は身体に悪いから、10本しか売らない」と言われて、「仕事のエネルギー」である煙草をやめてから45年になります。
終わりに 汚染環境問題を50年やってきて思う事は、日本人は、とかく観念的で、観察力に乏しく、現場的でない人が多いことです。特に、地球温暖化のもんだいなどは、こうあるべきだ、と観念的に言うだけでは対策になりません。日本は風土が豊かで、森林率は68%もあり、水田稲作でかつては国産の食料も豊富で、自然も心も豊かで、原始宗教と言われる多神教の「神道」が今なお日本だけに存続しています。その様なことから、日本人は環境問題を余り深刻に考えないのではないでしょうか。
今日、京都議定書が盛んに議論されております。これは1997年に1990年のCO2発生量を基準とし、その量の何%をそれぞれの国が減少するか、と言う内容です。しかし、アメリカとロシアがこの議定書を承認しなかったので、発効しませんでしたが、今度ロシアが認めて発効しました。日本は1990年の発生量の6%を削減する事になっていましたが、この議定書が作成された1997年から現在8年経ち、このあいだにCO2発生量が8%増加し、14%削減しなければならないとか。それはともかく、如何なる方法で削減するか具体的な処方箋が必要です。単に減らせ、減らせと言うだけでは効果はありません。清く美しい地球を子孫にのこすには、日本国民の1人として各自の生活の中から、地球温暖化に対して挑戦すべきだと思います。かつて「グローバルに考え、ローカルで行動を」と言いましたが、先ずは「ローカルに考え個人で行動を」と考えるべきであると強調したいと思います。
ゾルゲ事件の尾崎秀実のこと
関本 肇
これは現代美術館の先駆けである。その理由は幾つもあるが、ここには西洋美術を代表する古代から現代までの作品が千点余りある、と言えば驚かれるであろう。造形芸術は、本来宗教的なものであった。それは日本の仏教寺院を考えれば理解される。それらは崇敬の対象であって、勿論門外不出である。それらがどのようにして現代の美術館のようになったかは、それほど難しい話ではないが、巨大な勢力が(例えば国家)、自国の支配下にある諸国から代表的な造形芸術を収集したり、模造したりすることによって、一箇所に展示してアレキサンドリアのムセイオンのような(図書館、博物館、美術館センター)施設が作られた。ヨーロッパ中世はキリスト教が支配していたので、美術品はもっぱら大聖堂や教会建築に置かれていたが、ルネサンス時代に入って、王侯・貴族が文芸の庇護者であることを競って誇示するようになり、絵画には高価な値段が付くことになる。しかし当初は国王によって膨大な造形芸術作品が占有されていたルーブル美術館は、フランス市民革命後、市民の手によって公開され、国民が共有するものになり、近代化の流れのなかで、図書館、博物館、美術館は、全体として市民の手の届くものになってきたのである。
大塚国際美術館は陶板美術館であるが、特色の一つとしてすべての絵画は原寸で展示されている。ルーブルでは、特別の部屋で、みんなに良く見えるために高いところに、特別に赤い枠の中に入れられて展示されている「モナリザ」は、平日でも沢山の見物人が列を成している。停滞すると守衛のような人が「立ち止まらないように」と注意する。それでも多くの人々は何とかして写真に取ろうとして立ち止まる。誰もレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を鑑賞などとは考えていない。大塚美術館では、ある部屋に入ると、ちょうどわれわれの眼の高さにモナリザさんがいる。守衛はいない。わたしはなんとなく懐かしい気分で彼女の前まで近よって、手を出して頬に触ってみた。フィレンツェの貴婦人には失礼なことであったが、この頬の感触と頭髪のそれとは見た目は大いに違うのであるが、触ってみると期待していたわたしの指先は、陶板のザラつきを感じただけであった。わたしは美術館でしてはならないことをしたのであろうか。そうではない。この美術館は、写真取ること、触ること自由を標榜しているのだ。ある時に、参観者のグループの中に目の見えない人がおられて、わたしに案内を頼まれたことがあるが、ちょうど、ゴッホのヒマワリの前だったので、その方の手を取って、ヒマワリの花弁の一枚一枚に触れながらこれは黄色の花弁、これはオレンジ色、そしてこれは濃いみどりの茎と言って説明していたときに、その方が「見えます、見えます」と言われるのを聞いて感動したことがある。ここにはミレーの晩鐘もある。わたしの恩師である植田寿蔵先生は、大きな複製を講義の中で見せながら、ルーブルのこれには烏が十五羽半飛んでいるが、複製のいいものでも十二羽くらいまでしか描かれていないと言っておられた。わたしは大塚美術館のそれを数えたが数羽しか数えられなかった。
しかし、日本においては一般の美術館で、ミレーの烏を数えたり、ゴッホのヒマワリの花弁に触ったりなどと言うことは考えられないことである。もちろんゴッホでもミレーでも、購入しようとするなら何千万、あるいは億単位の買い物であるから、どうしても厳重な監視下に置かれ、展覧会などで外国の美術館から借りる場合には、作品の取り扱いには大変な注意が要るし、作品を傷めないために光線を弱くしたりすると鑑賞者には良く見えないこともある。わたしは日本の美術館は好きでない。この厳重注意が、何となく権威主義的で、時としてそれが作品自身が威張っているように感じられるのである。たしかに、ルネサンス以降の絵画は天才であるから、そこから来る威圧感もあろう。わたしは始めてこの美術館へ来たとき、学芸員の方と話をしたりして余り多くを見る時間がなかったのであるが、閉館時間までの小一時間でざっと見物した。ところがそのとき感じたのは、疲れないということであった。そしてこれはその後何度か鑑賞に行く際にも同じである。だいたい美術館と言うのは「疲れる」と考えていたので、これは発見であった。なぜ、ここでは疲れないのか。その後、この美術館の作品を制作している「近江陶器」と言う大塚の製作所に案内してもらい、驚くような発見があるのであるが、その中で、わたしの疑問に答えが出てきたのである。それは陶板というのは、陶器であるという発見を近江陶器で気付いたことである。ここでの詳細を語るほどの資料はないので、見たときの印象しか話せないが、とにかく、ここでは、ダ・ヴィンチの最後の晩餐を焼き上げているのである。この釜のありようは驚くばかりであるが、ここでは数十メートルに及ぶコントローラーの移動式の窯で、数時間のプロセスで出来上がるとだけ言っておこう。
焼き物の窯を知っておられると思うが、登り窯などはもう街中では見られない。電気窯やガス窯が一般であろうか。わたしはかつて、泥遊びをしたことがある。重さ1トンもある電気釜をはじめ、陶芸製作の一式を揃えて、当初は手ひねりの茶碗からはじめた。途中のプロセスは飛ばすが、難しいのは焼成である。とにかく形ができたら乾燥さす。それを先ず素焼きにする。そういえば簡単そうだが、電気釜に入れてスイッチを入れるだけではない。大概、夜に始めるが、窯の中の熱線は上中下に分かれている。先ず蓋を開けたまま上と下を弱火で暖める。そうしておいて次の日の朝に蓋を閉めて上中下の火を入れる(熱を入れる)。急に熱が上がらぬようにして徐々に300度までにする。電気釜はそうした操作はし易いようできている。それから上中下のすべてを強にして、550度から600度にし、急激な上昇にならぬようにして800度まで上げる。これが楽焼の温度である。そして10分から20分して電気を止める。こうして一昼夜おいてから、蓋を少し開けて、ゆっくり200度くらいまで下げ、その後100度になったら蓋を開けると素焼きが仕上がるのだ。そうしておけば腐りも壊れもしないから、数が揃うまで次々に置いておけばいい。本焼きの前には釉薬(うわぐすり)をかけて乾燥する。釉薬の種類によって焼き上がりの温度が違うので、一気に仕上げることはできないが詳しくは言わず、また下絵付け、透明釉かけなど、様々の手順もあるがすべて省略して、それらの準備ができれば、注意して窯に入れる。次に窯を開けるときは仕上がりだから、うっかりした間違いはできない。そして素焼きとの時と同様の手順で火を入れるのであるが透明釉の種類によって温度が違う。基本的に石灰系透明釉薬であれば1200度から1250度まで焼き上げる。物の性質は800度前後で変わると言われるが、火入れの初めと、この頃が大切で、のぞき穴から見ていると、茶碗が生き物のように真っ赤になって揺らめいているのが見える。この温度を過ぎると、窯全体を強にして1200度くらいまで一気に上げる。このプロセスはどうしても二昼夜はかかるが、登り窯では火入れが人の手であるから、さらに長時間かかるのであろう。とにかく、焼きあがったら素焼きのときの要領で少しずつ温度を下げる。その頃には早く仕上がりを見たくてうずうずするが、勿論、せいては仕損ずる。200度まで下がったところで少しふたを開けて熱気を外に出し、100度になったら蓋を開ける。窯明けの楽しみと喜び、しばしばの失望は特別である。それはやはり自然に任せた陶芸の醍醐味であろう。長々と話したが、それは陶芸は人の手の業であるより、自然と火の仕事であることを感じてもらいたかったからである。何よりも素材は大地であり、土である。神様もアダム(人)をアダマ(土)で造り、それに命の息を吹き入れられたのであった。
これで、やっと私に言いたいことがいえる準備が済んだ。大塚美術館で、この千点以上の作品を見て、疲れないのは何かという問いに答えたいのである。その答えは、ここには「土と火」で作られた神の手の作品が生きているからである。信楽はしばしば陶芸の森とよばれる。この美術館もまた、数々の人間的な手続きの最後に、自然の土と火にすべてを託した自然の作品、神の手の業が備えられているのである。ここの作品はここでは威張らない、威張れないのだ。そう思うと、システィーナチャペルの「最後の審判」の真ん中で威張っているイエスの裸像も許容される。ここの作品のすべてが自己主張をやめて威張らなくなる、と言うより、すべてを自然にゆだね神の手に任せているのだ。千点余の、圧倒的な作品群に囲まれながら、われわれは陶芸の森に憩うのである。だからわれわれも、ここ大塚美術館では作品に近寄り、手で触れながら、美なるものと出会いたいのである。
ナイロビCOP12・MOP2会議に出席して
大木 浩
11月6日から17日にかけて、ケニアの首都ナイロビに於いて、気候変動に関するCOP12・MOP2会議が開催されました。私も会議の後半環境大臣の顧問として出席しました。
COP・MOPの合同会議は昨年のカナダ、モントリオールで開かれた第一回に続いて二回目になります。開発途上国で治安もあまり良くないと云われるケニアでの開催には、果して無事に会議を終えることが出来るかという危惧もあった様ですが、何とか17日の夜までに予定された議事を全部終了して閉幕となりました。
今回の会議を簡潔に総括すれば、今や地球温暖化の危険が目に見える現実として受け止められ、大部分の議論もそれを前提として行われたために、ポスト京都へ向けての交渉につながる形で会議を締めくくることが出来たのが最大の収穫であったと云えましょう。他方、開発途上地域の中でも最も多くの最貧途上国を抱えるサハラ以南のアフリカで会議が開催されたことは、地球温暖化問題の中核に南北問題が存在することを、更めて認識させることとなりました。
もう一つ、今回の会議の特色として、地球温暖化は国際社会にとって最も危険な天然現象であるばかりでなく、最も重大な経済問題であるとの発言が相次ぎ増したが、その際しばしば引用されたのが、英国政府が世界銀行の元チーフ・エコノミスト、ニコラス・スターン卿(Sir Nicholas
Stern)に委嘱して作成したいわゆるスターン・レポートでした。実は、2005年グレン・イーグルズG8首脳会議の際に、英国政府がポスト京都へ向けて米国の復帰を促すと同時に、将来中国、インドなど途上国の温室効果ガス大量排出国の排出抑制へ向けての第一歩を作る苦心の作として立ち上げた、「気候変動・クリーンエネルギー及び持続可能な開発に関する閣僚級対話」という長い名前の会議があり、第2回会合が、本年十月初旬にメキシコのモンテレー市で、先進国、途上国双方の18ヵ国代表を招いて開かれました。この会議で既にレポートの概要が明らかにされていましたが、600ページに及ぶ全文は英国政府の公式決定を経て十月末に発表されたばかりです。英国政府は早速その概要を世界の主要語(日本語を含む)に翻訳してナイロビの会議に持参しました。公式会議の他、一般参加者、NGOなどを対象とするサイド・イベントの場にもミリバンド環境大臣、ウッド駐ケニア高等弁務官(英連邦各国駐在の英国大使)及びレポートを作成したニコラス卿以下チームの数名の代表が出席して、レポート作成の趣旨及び内容を説明し、その精力的な広報活動振りが印象的でした。(なおニコラス卿は11月28日に訪日し、国連大学で地球温暖化をめぐるパネル・ディスカッションに参加しました。)
この他今回の会議で具体的な課題として関心をあつめたのが、「適応」(adaptation)と「クリーン・開発メカニズム」(CDM=clean development
mechanism)の二つです。
京都議定書はその中長期的目標として、地球大気中の温室効果ガスの濃度を一定レベルで安定させることを掲げていますが、もう一つ緊急課題として、現在すでに大気の温度上昇は始まっており、その影響で風水害の多発、海水面の上昇などが進行しているので、その被害を最小限に抑えるための措置を講ずる必要がある----これが「適応」の概念です。南太平洋の小島嶼国が海水面の上昇によって水没の危険にさらされているのでどう対処するかとか、旱魃、砂漠化の影響によって水の確保の出来ない地域の住民にたいして、どの様な方法で水を供給するかといった類の問題です。
もう一つのCDMは、途上国の温暖化防止プロジェクトを実施するために先進国が資金・技術の援助を行う方式で、開発途上国にとってはこのメカニズムが多く活用されればそれだけ自国への資金・技術供与が大きくなりますから望ましい制度ですが、開発途上国特にアフリカ諸国にとっては、CDMの対象国として先進国が選ぶのが中南米やアジア(中国を含む)などの特定国に偏っていて、もっとも資金の乏しい国には話が回ってこないという不満があるのです。一方先進国側から見れば、工業化の進んでいない最貧途上国(その多くはアフリカ)では削減の対象となる温室効果ガス排出プロジェクトも殆ど無く、CDMを活用することが難しいということになります。ナイロビの会議では、アフリカにおいてもCO2の吸収力を高める森林の増殖などCDMの対象となり得るプロジェクトがあることを出来るだけ広くPRするなどの方法が議論されたようですが、アフリカ諸国でのCDM活用を一挙に高める様な具体案は仲々見つからないのが現実です。
以上の様なナイロビ会議の全般を通じて、日本代表団はどの様に活動したか、一言で云えば真面目に諸会合に出席して着実に任務を果たしたという事かと思います。
会議の閣僚セグメント二日目(11月16日)のトップバッターとして行われた若林環境大臣の演説も、地球温暖化防止へ向けての国際社会の動きをバランス良く捉え、日本としてた着実に京都議定書の目標達成へ向けて努力すると共にポスト京都へ向けても世界と共に進むことを強調した内容で、1人3分間の演説としてはあれ以上付け加えることは難しかったと思います。しかし、初日に演説したスイス大統領が、世界中の地球市民と企業に向かって環境税の負担をうったえることによって、温暖化が全人類の課題であることを強調し、あるいは英国のミリバンド環境相の様に、ケニアの農民の実状に触れることによって、アフリカの住民の生活を十分念頭においた演説であることを示すような工夫があれば、もっと良かったのではないかと思いました。ケニアへ来てみると、この国が東アフリカのりーだーとしてこれから飛躍したいと考えていることは、いろいろな文書やポスターを見てもよく分かります。日本では駅伝やマラソンの季節になるとケニアの選手が大活躍するニュースが毎回伝えられています。ケニアのPRをしながら地球温暖化防止の重要性を説く作戦は無いものか。是非皆さんも考えてみて下さい。
今回COP・MOP会議で採択された決議文の多くは、2008年頃迄に方向を決めよう、具体的なシステムを作ろうという内容になっています。2008年には、日本で先進国首脳会議、いわゆるG8会議が開かれます。この会議でも温暖化を含む地球環境問題が取り上げられることは間違いありません。そしてこの首脳会議の議長は開催国である日本の安倍晋三首相が務めることになります。安倍首相にとっては首相就任後最初の主要国会議議長の仕事になる筈です。安倍さんに良い仕事をしてもらう為にも、日本の知恵と力を結集して、温暖化防止体制を2008年迄に出来るだけしっかりしたものにしたいと念じています。
ナイロビ会議と地球システム倫理
海野和三郎
京都議定書の大木浩さんのナイロビ会議報告と12月3日東洋大学で行われた地球システム・倫理学会とは国内・国際の違いはあるものの、地球環境問題のただならぬ危機感にあふれていた点で多く共通するものであった。大木さんの“ナイロビCOP12・MOP2会議に出席して”と題する報告書は一見淡々たる報告書に見えるが、その裏には次期G8先進国首脳会議の議長国である日本の苦悩がにじみでていて、我々一般人も地球環境問題に傍観者でいられないものを感じさせられた。その意味で、地球システム倫理学会は時宜を得た企画であったと云える。
大木報告書の要点の一つは、地球温暖化の危険が目に見える現実として受け止められていることである。イギリスでは、かつての大英帝国の範図を偲ばせる世界戦略で、地球温暖化問題とエネルギー問題・南北問題を組み合わせて国家の総力をあげて取り組む姿勢を示している。具体的な方策としては、対温暖化メカニズム(clean-development
mechanism)の開発であるが、工学的技術的なものだけでなく、環境税なども広い意味ではその一翼を担うものと考えられる。ねらいは、アメリカの京都議定書への復帰、ロシアの資源抱え込み政策の抑制や中国・インドなどのCO2大量排出抑制にあると思われる。これに対し、日本は、先進8ヵ国首脳会議の議長国であるにも拘わらず、殆ど具体的な対策を示して居らず、イギリスやドイツ、北欧諸国などの勤務時間厳守による夜間電力の徹底的な節約も行われず、環境税も未だ施行されず、それのみか、CO2排出量は石油業界や経済産業省の圧力もあり削減どころか未だ増加の一途をたどっている。
とはいえ、日本には他国に勝るいくつかの利点もあり、工業力,経済力,技術力,知的生産力の他に、水と森に育まれたアニミズム的な文化と儒教,道教,仏教などの自然と生命との一体感をもつ東洋思想がある。地球システム倫理学会もその一つの表れと見ることが出来る。伊東俊太郎会長の「地球文明の未来」には、文明システムの「原理」として、アヒンサー(ahimsa,殺すなかれ)、コヴィヴェンス(co-vivence,共生)、エクイタビリティ(equitability,衡平)が挙げられていた。実は、私も、教育通信99号で、教育基本法改正のアピールで、未来との「共育」を訴えたところだったので、大いに我が意を得た。会議は、午前中の個人研究発表と午後のパネルディスカッションに分かれ、前者は長菅裕一(兵庫県立大)、北村治(関東学院)、相良邦夫(科学ジャーナリスト)、小林節子(環境イーハトーブの会)、半田栄一(喜悦大)、竹村牧夫(東洋大)、吉田收(東洋大)、後者のパネリストは松井孝典(東大)、加藤尚武(元鳥取環境大)服部英二(ユネスコ)、島薗進(東大)の諸氏の熱のこもった討議が行われた。会場には、私立大学文科系の方々も多く、地球環境問題が教育の最前線となりつつあることが実感された。今後の課題としては、吉田宏哲副会長の「宗教文化と地球平和」(第一回地球システム・倫理学会講演)にあるように、1.地球資源の有限性,2.地球環境問題,3.世代間倫理の確立に対する具体的な実践への提言であろう。
前に、東京自由大学でも、太陽エネルギー・公開シンポジュームを開き、「水星と海と森の太陽エネルギー工学」と称して、10倍集光により石油火力より安価に太陽エネルギーで電力を得る原理を提案したが、具体化を目指して第2のシンポジュームを計画している。 (101号編集 湯浅・川東)