私達の教育改革通信

   112  2007/12

 

 

教育通信ホームページ

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先事館制作室:進士多佳子〒1060032港区六本木7-3-8ヒルプラザ910

発行人:西村秀美,先事館箕面 562-0023箕面市粟生間谷西3-15-12

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編集::先事館吉祥寺 海野和三郎180-0003武蔵野吉祥寺南4-15-12

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2007年秋、さまざまな時間 

The Times in Autumn, 2007

太田菜穂子

(クリエーティブ・ディレクター/プロデューサー/キュレーター)

 

今秋は例年になく振幅のある時間を過ごしています。圧倒的な地理的移動と異なるジャンルの仕事を通じ、スピード感のある仕事は“形骸化した意識のこだわり”を捨てさせるという事実を日々、体験しています。予想以上のスピードで事態が変容していく過程では、ゴールそのものの意味合いもその周辺に広がる景色も刻々と変わってゆき、当初は無関係に思えた点と点が次第に繋がり合い、最終段階では一枚の大きな風景へと導かれていくのです。

“量は質へと繋がる”という表現をかつての私は漠然とは理解できるものの、心からの共感は出来ませんでした。でも今は実感としてこの事実を深く受け入れることができるようになりました。移動距離の長さと出会いの量は、“本来、ゴールが持つべき意味”を悟らせ、その次に目指すべき新たな可能性への道筋をはっきりと指し示してくれるからです。

 

“考える力”を鍛える。

“思いやる心”を鍛える。

“伝える力”を鍛える。

“チームワーク力”を鍛える。

 

そして“ゴールをイメージし、そこに到達できることをひたすら願う力”を鍛える。鍛錬ということの意味を改めて噛みしめる2007年の秋、この場を借りて、私の周りで流れる時間の風景についてお話しさせてください。

 

T 旅の時間 

 

September in New York

成田から12時間余りの飛行時間、ニューヨークは多分東京発の旅人にとって最も厳しい時差と緊張感を与えるディスティネーションではないだろうか?毎年一回のペースで通っているこの都会に今年は数度足を運ぶことになった。入国時の指紋採取と顔写真の撮影を終え、空港建物の外に出る。普通の空気、冷たい外気に触れるとやっと頭の中のもやもやした半透明な塊、機内の空気を追い出すことができる。時差の関係上、過ごしたばかりの同じ一日をまたやり直すことになる地球の裏側の目的地。もう一度深呼吸し、タクシー乗り場へと急ぐ。15分もすると、車窓にマンハッタンの見慣れた風景、高層建築が林立する摩天楼を視界に捉える。ひときわ目をひく建物の中に、無意識にワールドトレードセンターの2本のタワーを探している自分に気がつく。あの2本のタワーが姿を消してからすでに4年が過ぎたというのに…。

地図を手にこの街を歩く時、旅人の私ですらいつもあのビルを方角の目印にしていた。ニューヨーカーたちにとって、あのビルの存在はどれほど大きなものだったのだろう?

“だった”という「過去形」になることは、ある存在を記憶し、その存在に変化が訪れ、新しい状況が上書きされる、つまりこういう過程、猶予期間を経てゆくことだ。人間の記憶はそんなプロセスを経て、そろそろと整理されてゆく。そうした作業も、情報量が増え、鮮度を失っていくことでいつしか曖昧になり、情報が混濁し、人々の記憶から事実が風化する。"忘れること”が当たり前のことであるからこそ、覚えておきたい過去があること、その事実を知っていたことに改めて感謝したい。

今回の旅の目的はアーティスト・平松尚樹の展覧会に向けての最終プレゼンテーション。平松は数年前に銀座でも高い評価を受けるギャラリー「銀座グラフィックギャラリー」で個展を開催した。展覧会は大成功に終わり、作品も売れた。“たったひとりのコメント”は別として、多くの来場者から諸手を挙げての賛辞が寄せられた。そして後片付けを終えた平松は、自分のことなど誰も知らないだろうニューヨークというアートの最激戦地での展覧会を次のゴールに定めた。縁あって、次ぎのゴールを歩む彼の道程を伴走することになり、この1年間共に着々と準備をしてきた。

平松の心に突き刺さった“たったひとりのコメント”、「退屈な展覧会だった」という一行。書いた本人はもうその事実すら忘れているかもしれない。しかし、この言葉が66歳・平松尚樹の心にスイッチを入れた。彼は今、新たなゴールに向かって懸命に走っている。

(私どもの下記のWebサイトをご参照下さい。平松尚樹氏の作品10点を楽しむことができます。同氏の簡単なプローフィールも掲載してあります)

www.klee.co.jp/art/rep/hiramatsuhisaki/works01.html

 

October in Paris

 

エッフェル塔に大きなラクビーボールが吊るされている。ラクビーのワールドカップが開催されているパリ、今回はどこに行ってもラクビーボールとワールドカップ・フラッグが目につく。それにしてもフランス人のお祭り至上主義には感嘆と共に呆れかえる。他人が思いもつかないことを考えつく能力に敬意を払う彼らの国民性はファッションに限らず、あらゆる分野で発揮される。しかも、その探究心は堅固な美的見識に支えられ、見事に結実していることにはやはり敬服せざるを得ない。

さて今回はそんなラクビー尽くしのパリで、タイトなアポイントメントをやりくりしなければならなかった。時間を遵守し、円滑にA地点からB地点に移動するには、その街の土地勘と交通網への基本情報の学習が求められる。パリの街を移動する交通手段はなんと言ってもメトロが筆頭にあげられる。今日も30年にわたって修得してきたメトロのルールが確実に生かされる。私が始めて訪れた1970年以来、パリのメトロの基本的な乗車ルールは変わることなく、しずしずと継承されてきた。均一料金、各線の終点駅を原則とする路線・乗り換え案内、乗車券の無回収、各駅停車での運行。しかし、このシンプルで効率のよいルールは他の都市では見られない。料金は走行距離に比例、行き先は終点駅の他にもさまざま、乗り換えはきわめて複雑、切符に至っては今やカードや携帯電話にとって替わられ、“切符という存在理由”すら危うい状況に立ち至っている東京とは天と地の開きがある。

“変わっていること”、“変えること”が大好きな国民が、一方では一度決めたシステムには徹底的に順ずるという律儀で頑固な側面も持っている。20世紀から21世紀になり、100年以上も走り続けてきたメトロ、駅の全面改装や地下通路の整備の話など、今もって聞かれない。しかしパリの地上ではある変化が起きている。貸し自転車システム、「Velib(ヴェリブ)」の施行だ。市内の至るところに駐輪場が設置され、旅行者も市民も簡単に利用できる。思い立った場所から目的地まで風を切りながらパリの街を“人力”で、エコに移動する。今世紀に入り、あらゆるシーンで既存のシステムの軋みが目につく。エネルギー問題、地球環境問題、利便性と効率を求める解決方法に限界が生じていることに今や全ての人が気付いている。そして、この問題を解く鍵が自分たちのライフスタイルを変えることにあることも。200年前からそこにあるルーブルの中庭で乗り心地のいい自転車のサドルに手をかけると、今年の東京の街の異常なまでの変貌ぶりへの疑問がよぎった。

 (私どもの下記のブログをご参照下さい。この自転車の写真を掲載しています)

http://www.klee.co.jp/blog/ecobeing/2007/10/velib.html

 

November in Paris

 

2週間前に訪れた場所なのに、今回はまるで別の街。石の街特有の質感のある寒さだ。パリの緯度が樺太より北に位置することを思い出させるのはこんな瞬間だ。空港のあるロワシー周辺はひたすら見晴らしのいい平原、そこを一直線に北風が吹き抜ける。勢いのある冬がすでに到来している。

今回のパリは3泊5日の弾丸ツアー。朝のアポはホテルのロビー、午後はアトリエ、そして夜はシャンゼリゼにほど近い豪華なレセプション会場で、同じ人と打ち合せを重ねながら、企画書の言葉が次第に形として立ち上がってゆく様をリアルタイムで体験する。そして目の前の現実は、いい意味でも悪い意味でも私の浅薄なイマジネーションを徹底的に打ち砕く。パリでは、「最高」と「最低」の落差が極端に大きい。今回はいい意味で展開をし、脳は大いに刺激を受け、ぐっと想像力の間口が引き開けられた。“西洋文化”の奥深さに改めて脱帽する。“百聞は一見に及ばず”、まさに見ることは信じること(“Seeing is believing”)だ。グローバリゼーションが声高に叫ばれる現代、“西洋文化”という言葉はもはや死語のような観もあるが、やはり“西洋”と“東洋”の間には異なる美意識と文化に支えられてきた匠の技と精神性が存在する。だからこそ、同じゴールを目指すと、お互いの方法論や価値観の差に気付かされる。同じ方向を向き、パートナーの陣地に入ってみて、やっと彼らが普段見ている景色を見ることができる。向かい合うだけでなく、横に並び、後ろに寄り添い、視界や状況を共有することでやっと理解できる事情は多い。実際に自分の身体を動かしながら感じること、考え続けることは、石頭化予防に効くホルモン分泌を活性化させるようだ。

 

U 仕事の時間

 

ロータリークラブ ポール・ハリスという人物

 

1 真実かどうか        Is it the TRUTH?

2 みんなに公平か       Is it FAIR to all concerned?

3 好意と友情を深めるか     Will it build GOODWILL and BETTER FRIENDSHIPS?

4 みんなのためになるかどうか  Will it be BENEFICIAL to all concerned?

 

ロータリークラブが掲げる4つのテストだ。1905年にアメリカに誕生したロータリークラブ、世界で最も成功しているボランティア組織だろう。現代風に言うなら、最大級のNPO組織。 さてこの国際的に高い知名度を誇るクラブの創立者、ポール・パーシィー・ハリスはごく普通のビジネスマンだった。ビジネス手腕だけを評価するなら、決して敏腕とは言えず、生涯を通じて事業資金のやりくりにもかなり苦労をしていた。ただ、クラブ運営については堅実な貢献を継続し、“聞き上手”の調整役に徹し、カリスマ的なリーダーシップを主張するようなことは一切しなかったという。

そんな彼が生きた人生の時間は、一挙に時代の変化が加速し出した産業革命の1868年から二つの世界大戦がようやく幕を下ろした1947年までの79年間。 日本史的なものさしで計れば、大政奉還(1867年)の翌年に生まれ、没年(1947年)は、日本国憲法の施行、GHQによる三井物産や三菱商事などの財閥解体の年ということになる。 アメリカ史の中で捉えると、彼の生まれた1860年代はさらにドラマチックな10年間だった。アメリカは南北戦争という未曾有の内戦状態に突入し、1862年には、かの有名な「ゲティスバーグの演説」“人民の人民による人民のための政治” (government of the people, by the people, for the people)が宣言され、その3年後の1865年、現代のアメリカが今もなお戦っている相手、“テロ”によってリンカーンは暗殺された。時代の価値観の変化をひとりの人間の生涯時間という単位で俯瞰すると、改めてショックな事実が見えてくる。

 

さて、そのハリスの座右の銘は英国の国民的文学者、チャールズ・ディッケンズの言葉だった。

「嬉々としてほとばしる小川の流れよ、

天高く羽ばたいて、少年の夢に似て。」

明るい未来を語る少年の夢を維持し続けることこそが、人生を生き抜くパワーであると彼は考えた。

“まず夢を持つこと”が社会へ貢献するヒントであると考えたハリス、彼はもしかしたら未来社会の姿を予見するヴォワイアン(voyant)だったのではないだろうか?

 

新日本様式

 

「たくみのこころ」 

素材を自然の命として尊び、引き継がれてきた知恵や技を大切にしつつ、常に新しい技術や文化を作り出す「たくみの技」

「ふるまいのこころ」 

全体への責任意識をもちながら、個性を磨き、気品と気概のある生き方を求める「粋の行動」

「もてなしのこころ」 

異質な考えや新しいものを尊重しながら、

自己を確立し、多様性と調和を重んじる「優の精神」

 

この3つの価値観を核とした新たな日本ブランドの確立が経済産業省の肝いりで進んでいる。2006年にスタートした「新日本様式」協議会は今年、昨年から選ばれた商品を含めた「新日本様式」100選を選定し、展覧会とワークショップを開催する。会場は東京国立博物館で“緑のライオン”という異名を持つ表慶館。1909年、大正天皇のご成婚を祝って建設されたドーム型の日本で始めての本格的な美術館だ。今回選ばれたラインナップは伝統的なデザインや機能、コンテンツなどをもった実に多彩な商品。鉛筆、輪ゴム、消しゴムからトイレットパーパー、ガンダムプラモデル、高級車や新幹線の車両、人口血管、さらにお城の復元プロジェクトまでと、日本がいかに多様な専門分野を持ち、魅力あふれるものを生み出しているかということを改めて知る機会となった。デザインがいいだけでなく、“日本らしさ”をいかにアピールできるかが、このプロジェクトのミッションだ。グローバリゼーションが進む時代において、発信元の個性や価値観を伝えることは重要な課題になるようだ。近年よく耳にするようになった期限立法や期限付き特命研究団体、確かに時代が求めるものがここまで急速に変貌を遂げる時代では、時間設定のないプロジェクトは無駄な投資になる可能性が高いように感じる。“賞味期限”を遵守するという緊張感、つまり“まだ食べられる”ではなく、“最もおいしく食べていただく”システムそのものを全関係者が等しく自覚し、献身することから、新たな挑戦が始まるのだと思う。「新日本様式」、現在の意気込みと共に、今後の展開へのヴィジョンにも注目してゆきたい。

 (下記の新日本様式協議会公式サイトをご参照下さい。使っていくと次々と新しい角が現れる消しゴム「カドケシ」や、戦後に復元された伊予の大洲城(愛媛県大洲市)など、「新日本様式」100選の詳細を見ることができます)

 http://www.japanesque-modern.org

 

[太田菜穂子]

 1954年東京生まれ。 東京白百合学園小・中・高校を経て、早稲田大学第一文学部に入学、同校の美術史学専攻を卒業。大学卒業後、ケンブリッジ(英国)に留学。1979年エールフランス国営航空にパリベースのスチューワーデスとして入社。1983年帰国。JCMTP(Japanese council for Medical Training Program)のExecutive Secretary して勤務(虎ノ門病院内に本部を置く)。1986年 KLEE INCを設立。企業の文化、環境関連プロジェクトなどで、イヴェント、出版、広報までトータ

ルなディレクションとスタイルで高い評価を得ている。

 

ヒルベルトプログラムとマラルメプログラム

                   法橋登

 

 不完全性定理で知られる数学者クルト・ゲーデルは、相対性理論が発表された1905年の翌年に旧オーストリー・ハンガリ帝国の一部だった現在のチェコ・ブルンで工場経営者を父として生まれ、ウィーン大学で数学、物理、哲学、心理学、神学を学んだ(ゲーデルの専門分野である集合論(数学基礎論)の創始者カントールも数学、物理のほかに神学を学んでいるが、集合論のテーマである無限と超越はもともと神学のテーマだった)。同じブルン出身のゲーデルより3才年長のフォン・ノイマンは、ゲーデルと独立に第二不完全性定理の証明に成功しており、ゲーデルを自身が教授をしている米プリンストン高等研究所にさそった。ゲーデルは米移民局で英語と憲法のテストを受けたが、米憲法が独裁者を大統領にできることに気づいたといわれる。プリンストンではアインシュタインに続く二人目の終身所員になり、宇宙方程式の非因果的厳密解の発見で第一回アインシュタイン賞を受けた。

 ルイス・ボルヘスはフランス象徴派詩人マラルメの死の翌年1899年にブエノス・アイレスの名家に生まれ、22才までヨーロッパで教育を受け、前衛文学を故国に伝えた。ボルヘスの作品群は20世紀前衛文学の最先端に位置づけられる。コントとも小噺とも掌小説とも短編小説とも呼べる文学形式のなかに全宇宙を包もうとしたボルヘスは、伝奇小説家とも迷路の作家とも呼ばれる。現実世界の不完全性を経典や神話、伝承、説話、民話、のなかに発見し、「二人の王と二つの迷路」や「円環の廃墟」や「八岐の園」など、時空の位相幾何学的構造 (多重連結構造) を予感させる短編を書いた(集英社世界の文学「ボルヘス」篠田一士)。無作法な作法指南役吉良上野介と遊蕩する忠臣の物語や世界を細分する名詞を禁止して形容詞を氾濫させる寓話や経典(公理)の注釈(定理)を経典に繰り込む入れ子構造によって経典を増殖させ、異端を限りなく分岐させる逆理には、自己言及と述語論理をめぐるラッセルのパラドックスとゲーデルの不完全性定理(1931年)の反映がある。「学問の厳密さ」と題する10行ほどの文章は、厳密さを求めて原寸大に拡大され、現実と1対1に対応する地図にひとびとが興味を失う話である。人間のすべての関心事に答える「バベルの図書館」の検索室で一生を終える学者の寓話は、ネット社会の未来を見ている。

 数学史の上では、少数の形式化された(差異以外に意味をもたない)言語(記号)によって全数学(分野ごとに証明された命題の全体)の完全性(分野ごとに真であるすべての命題を少数の公理―暫定真理―と推論規則から導くことができ、また証明できる)と無矛盾性(両立しない命題を導かない)を示そうとした(形式言語や公理の意味は証明された命題の全体から陰伏的に決定される)ヒルベルトのプログラムのなかで数学の不完全性を証明したのがゲーデルである。文学史では、自然言語で書かれた一冊の書物に全世界を収めようとしたマラルメの未達成のプログラムを継承したボルヘスが示した一つの答えがバベルの図書館だった。マラルメはその一冊をひそかに書き終えていたが今まで所在が知られなかったとして発見者を装い、その要約と解説を折にふれて書きものにすることがボルヘスの不完全性定理「完全な書物は存在できない」だった。湯川秀樹は、ネット社会への期待を小松左京にきかれて「私は世界のどこにも書かれていないことを知りたい」と答えた。

 

応用と活用力不足の学力

       −全国一斉学力調査の結果について―               菅野礼司

 

 今年文部科学省によって行われた小・中学生に対する全国一斉学力調査の結果がでた。その特徴として、特に問題とされたのは、基礎学力知識に対して、その知識を応用したり、実際に活用したりする力が不足しているということであった。つまり、昔から常に指摘されていることだが、机の上で教科書的知識を覚えるが応用力が弱いとか、実生活で活用できないということのようだ。たとえば、理数科の場合には機械的計算はできるが論理的問題や応用問題に弱いということと同じ結果である。一寸問題をひねるともうできないというのが、今度の学力調査における算数の成績に出ている。このことは応用力ばかりでなく、総合的判断力の不足とも関連している。

 

教科縦割り教育の弊害

 私は以前から何度も指摘してきたことだが、日本の学校教育の現状は、教科を縦割的に分断し、しかも事柄の意義をよく見ようとせずに、ばらばらな個別知識を詰め込む教育である。そのために、獲得した知識を統合し積極的に活用する場を授業の中でつくらない。それゆえ、わざわざ「総合学習」という教科科目を設定せざるをえなくなったのだと思う。総合学習はそれなりの意義はあるが、極端な「教科縦割り、個別知識詰め込み教育」の中での総合学習は、教育方法としては矛盾したものであると思う。

 総合学習を通して、覚えた個々の知識を実際に日常生活や社会の仕組みなどいろいろな課題に応用し活用するならば、ばらばらな知識も相互に関連づけられ、その中で応用力や総合的判断力は養われるだろう。だが、総合学習導入当時から私が度々主張してきたように、本来の「総合学習」は、日頃の授業の中で教科ごとに学ぶ知識内容を互いに関連付けながら学習を進めるというものではなかろうか。

 たとえば、今の教科縦割り式授業では、理科と数学を切り離してしまうので、数学で習った式の意味やその演算法を理科で活用するような発想が育たない。高校では化学に出てくる原子・電子と物理の原子・電子とが同じものであることを知らなかったという生徒の話もある。これは極端な例であるが、このように教科を分断して個別知識をばらばらに覚えているだけでは困る。

 せっかく理科を学んでも、それを教科書の知識、机上の知識として覚えるだけで、自然の仕組みや実生活とは別世界のことと思っているようだ。だから、日常生活に科学の知識を活かした科学的なものの考え方ができないので、オカルトや占いを信じる若者が多いのだろう。英語の学習でも、文章の講読と会話は切り離され、別ものとして改めて英会話を学ぶのも根は同じ縦割り教育にある。

最近の小中学校の理科の教科書は写真、絵、図が多く、文章による説明が激減している。他方では、読解力が落ちているといって、本読みの時間を設けたりした。これも矛盾した教育方ではないだろうか。読解力は、国語の時間だけでなく、社会科、理数科、生活科などすべての教科を通して養えるし、また養うべきである。むしろそうしてこそ本当の読解力がつくのだと思う。 表現力にしても、理科や社会科の調査のまとめ方、試験答案の書き方などを通して育成する場はいろいろある。

 入学試験の採点の時にしばしば感じたことだが、物理や数学の答案で、記号や式について説明もなく、なぜその式が成り立つのかその理由の説明は一切無しに、式だけずらずら書いている答案が多くあった。理数科でも、答だけだせばよいというものではない。これなどは、普段の授業や試験で、人が読んで判るような書き方の指導をしてないからだろう。この指導をきちんとすれば、論理的思考法や表言力を養う手助けになる。

教科縦割り教育ではなく、すべての教科を関連づけて学ぶようにすれば、応用力や総合的判断力は自然とつくはずである。

 今度の中教審による学習指導要領の改定作業では、国理数社などの基礎教科の時間数を増やし、総合学習の時間を減らすそうである。総合学習を減らす代わりに、なるべく各教科間の関連をつけたり、すべての教科で記述や論述を増やしたり、自らの考えを発表することで知識を活用する力をつけるようにしたいという。教科縦割り教育に代わって、その方針が浸透すれば、教育の状況は大分改善されると思う。かねてからの私の思いが実現する方向に漸く動きだしたようで嬉しい。

 

一斉学力調査に対する疑問 

 それにしても、今度の学力調査は、調査目的に対して感度の鈍い試験問題と方法であるとの教育専門家の指摘もある。このように大きな費用と労力を掛けた全国一斉学力調査の成果がこの程度では、繰り返してやる必要もないだろう。問題内容を充分研究して、統計値として充分信頼できる程度の生徒数によるサンプル調査で済むはずである。

 全国一斉調査は、過去の例のように、成績を上げるために歪んだ競争と、試験のための偏った勉学を煽る危険性もある。

 

学習指導要領改定と教育予算   

佐々木聖

(教育誌記者)

 

「ゆとり」VS「詰め込み」を超えて

 学習指導要領の改定に向けた中教審答申の中間まとめによると、小中学校の主要教科の授業時間数が増える見込みだ。その一方で、現行の学習指導要領から登場した「総合的な学習の時間」の若干の削減が企図されている。

 OECDの学習到達度調査などの結果を受けて、いうところの「ゆとり教育」から逆側に振れた、というのがもっぱらの評判だが、「ゆとり」か「詰め込み」か、という二項対立の議論ほど不毛なものもない。

 「ゆとり」という言葉で表されるのが、思考力・判断力・表現力など数値化しにくい学力で、「詰め込み」と称しているものが知識や技能などの習得、すなわち数値化しやすい学力だとしたら、どちらも大切に決まっている。要はどうバランスをとるかだろう。

 そのあたりのことは当然、専門家の間で議論されているから、今度の中教審答申の中間まとめでは「習得→活用→探究」という学習サイクルを提言して、教科の学力と教科横断的な学力のバランスをとり、知識や技能の定着をふまえた思考力・判断力・表現力を養成する手立ての段階的道筋が示された。同時に重点指導事項例を提示して、最低限おさえておくべき指導のポイントを明らかにしようとしている。

 それはいいのだけれど、問題は学校現場の負担増だ。「どちらも大事」なら当然、現場の教師のやることは増えるわけで、ただでさえ校務・事務の書類仕事が増え、子どもと向き合う時間がとれないのに、「これ以上どうすればいいのか」というのが現場の本音ではないだろうか。もはや「改革疲れ」という言葉も聞こえくる。教育委員会や学校現場の創意工夫の余地は確かに残されているのだろうが、大枠の条件整備に本腰を入れることも必要だ。

 中教審でも教員定数増、補助教員などの導入、研修の時間と費用の手当てといった「ヒトとカネ」の問題が取り上げられ、現場の創意工夫を支える条件整備の重要性が指摘されている。ヒトとカネは出さないけれど創意工夫で何とかしろ、ではもはや立ち行かないことがようやく公の声として上がりつつあるようだ。

 日本の教師の授業研究の水準の高さは国際的にも定評があり、互いの授業を見学し合う「校内研修」のシステムは多くの諸外国の手本となっている。日本の教育水準の高さを下支えする地道な努力は営々とした積み重ねがあるのだから、こうした良き伝統を絶やさないために必要なのは、現場をエンカレッジするための具体的施策だろう。

 

右肩下がりの教育予算

 そこで思い出すのが、有馬朗人元文部大臣(現・武蔵学園長)に取材した時に見せてもらった、あるデータだ。諸外国のここ10年間のGDPに占める教育政策費の割合の推移を示すグラフで、英米韓独仏いずれも、全体的には緊縮財政にも関わらず、右肩上がりで増えている。アメリカでさえ微増だ。対して日本はどうか。小渕政権から森政権に変わった時には増えたが(有馬文部大臣在任時)、小泉政権時にがくんと減って、以降は右肩下がり。教育基本法改正と教育再生会議で一見、教育に力を入れているように見えた安倍政権の時も下がっている。

 要するに諸外国にあっては、いずれも国家的戦略として教育政策を重視しているのに対し、日本は掛け声だけ高いものの、肝腎の予算を増やさない。財源をどうするのか、そのことについての国民的合意を得る努力もしない。選挙で教育政策を筆頭に掲げる候補者や政党が少ないのがその証だ。日本の教育予算が先進諸国に比べて少ないことは周知の事実だが、改めてこういうデータを突きつけられると、こんなことでいいのだろうかと愕然とする。

 イギリスのブレア首相が就任時に「私のやりたい政策は三つある。第一に教育、第二に教育、第三に教育だ」と演説したのは有名な話だが、その背景には、市場原理と評価制度を導入した結果、ダメな学校と優秀な学校の格差が大きく開き、国の責任として底上げが急務だという危機感があった。サッチャー政権が断行した教育改革は確かに一定の効果があったが、その副作用として、いびつな構造を生んでしまった。

 日本の昨今の教育改革の動向を見ていると、どうやらサッチャー型を目指そうとしているかのようで、ところが実のところ当時のサッチャーが何を手本にしたかというと日本の教育なのだからまことに皮肉な話だが、先ごろ結果が発表された「全国一斉学力テスト」で明らかになった「教育の地域格差」が発端となって、おそらく日本でもブレア流の「底上げ」議論が活発になるのではないか。その際に避けて通」れないのが予算の裏づけだ。

 国の財源は逼迫し、何に予算を増やすかは優先順位をつけざるをえない。先進諸外国が緊縮財政の中から教育予算を優先させているのは、国際競争の激しい時代のなか、国力の向上の基盤は教育にほかならないと正しく認識しているからだ。ましてや、資源をもたない日本の唯一の資源が人材であることを考えれば、優先順位はおのずと明らかではないだろうか。

 

ミュージック・サイレンに就いて

                                    早川 俊久 

 

 浜松市内を歩いていると美しい音楽が空から降ってくる。その音源の正体はミュージック・サイレンと呼ばれるサイレンである。

 

戦時中の事をご存知の方は、サイレンの音に忌まわしい、警戒警報や空襲警報の不気味な音を想像する人が多い。戦後も当分の間は、工場の始業や終業等を報せるのに多くの会社では、そのサイレンが使われていた。

 

そんな時代に日本楽器(現、ヤマハ)の川上嘉市社長(当時)は、サイレンの持つ圧倒的な音のエネルギーを生かして音楽性のあるものに変えられないかと、技術者に命じて生まれたのがミュージック・サイレンである。

 サイレンの音で音階を作り音楽を奏でようと言う訳である。サイレンの音程は単純に言えば、ブレイドの枚数と回転数の積によって決まる。その組み合わせによって音階を作り、曲に合わせて適宜に音を開閉するメカと、ソフトがあれば音曲を奏することが出来る筈だ。そのようにして設計されたのがミュージック・サイレンである。従って音程は単純な整数比となっている。

ヤマハの屋上には1951年から今もそのサイレンが、始業、終業時は勿論休憩の始め終り等を含めて日に10回は美しい音楽を流し、市民に親しまれている。

 

それを企業などの時報やPR用に使えないかと、各地から問い合わせが寄せられ、北は北海道の札幌から、南は九州の宮崎まで主としてデパートや市役所等に設置された。今も使われているか否かは知らないが、製品の性格とPR効果を勘案して一都市一台と限定して設置された。

 

1951年からのサイレンには一つ難点があった。短い音符の同一音が続くような曲、例えばシューベルトの「菩提樹」の様に「ソソミミミミド…」といった曲は耳の良い人には歯切れが悪く感じる(滝廉太郎の「荒城の月」のように「ミミラシドシラ…」とゆったりとした曲の中の同一音が続く場合は問題無い)。1989年、そんな難点を除きハイテク技術を駆使して、よりコンパクトに作られたミュージック・サイレンが開発され、今もヤマハの屋上で鳴っている。

 

私は今も市中でこの音を聞くと青春時代を懐かしく思い出す。

 

「身体知」を求めて

                     茂木和行

 

標高800mに位置する北海道鹿追町の然別湖には、全面凍結する冬場に氷上コタン(雪と氷でできた村)が出現する。アイスチャペル、アイスロッジ、アイスシアター、アイスバー、そして氷上露天風呂までを備えた小さな氷の村は、27年前に湖畔のホテルの従業員たちが遊びで始めたものが「体感ビジネス」として発展、いまでは株式会社「ネイチャーセンター」が運営し、1−3月に計3万人の観光客を集めるまでになっている。西洋かんじきをつけての森の散策や氷のグラス作り、スノーモビル、熱気球フライトなどの体験型メニューが人気を呼び、遠く台湾からのツアー客までが訪れる。長靴だと腰の付け根まで潜る深雪でも、かんじきなら快適に森の中を歩ける。キツツキの仲間の「木ばしり」がダケカンバの幹上を走り回り、雪の上にテンの足跡が点々と続くのが見える。樹間はほとんど無音である。氷の作業場で、小さな煉瓦状の氷を、ノミで削って


マイグラスを作る。削りかすが透き通った壁を貫いて光に反射し、水色に輝く。サクサクというノミの音が耳に心地よい。湖上に作られた露天風呂からは硫黄の香り、そして冷気とぬくもりが木霊のごとく共鳴する。

ある時から、自分自身の「感じる力」に疑問を持つようになり、できるだけ身体全体で何かを「感じる場」を増やすようにしている。それだけでなく、「考える人」よりもむしろ「感じる人」を探して、日本各地を歩き回るようになった。書物で得られる固化した「知」ではなく、いわば「肌で感じる」原点としての「知」(それを私は「身体知」と名づける)を持ち合わせている人を探しているのである。そういう人たちは、常識化・体系化した知によって彩られた世界に何らかの裂け目を与え、価値観の転換へと導くヒントを内蔵しているのではないだろうか。

北海道・知床半島の付け根、斜里町ウトロの山本泰寛さんは、高速クルーザーによる半島めぐりの案内人の一人だが、ヒグマ・ウオッチャーとして独特の野生動物観をもっている。クマよけに効果があるとして勧められている鈴は「効果がない。環境に騒音をばらまくだけだ。嘘だと思ったらヒグマの目の前で鈴を鳴らして実験してもいい。クマはそんなことでは逃げない」と一蹴する。クマは基本的に人を襲わない、が彼の持論で、山菜とりなどで襲われるケースは、食糧のなわばりに入り込んだと認識されたためだといい、交尾の妨げになる子グマを食べてしまう雄グマと勘違いして人間をたたく(クマは視力がよくない)雌グマの例など、「襲う」だけの理由がある場合に限られるという。実際、山本さんは目の前で雄グマにぬっと立たれたり、母グマを目の前にして子グマにじゃれつかれたり、など、ヒグマとの豊富な交流体験があるが、襲われたことは一度もない。

長野県北安曇郡白馬村さのさかの「親海湿原と姫川源流」エリアは、長野県が自然環境保護地域として指定している山野草あふれる自然探勝地である。ボランティア・ガイドの北村光雄さんと、標高750mの植物の宝庫をまわってみた。「紫の花が橋の欄干につける擬宝珠(ぎぼし)の形に似ていることからコバギボウシ」「葉の裏にギザギザがあり、継母がいじわるして継子のお尻をぬぐったことからママコノシリヌグイ」など、北村さんはこの一帯の植物のことにとても詳しい。赤い小さな実のついたゴマギの葉をこすったら、北村さんの言う通りゴマの香りがプーンと匂う。白馬村には、山岳や山野草など白馬一帯の自然あるいは芸術について卓越した知識や知恵をもった人々を、有料のガイドとして村が認定する「白馬マイスター」と呼ばれる制度がある。北村さんはその白馬マイスターの「弟子の一人」だと言う。マイスターにガイドを頼むと2500円かかるが、彼の場合は800円。師匠のマイスターがこの制度に批判的で、「生活しながら村の魅力を伝えられるもっと安上がりなガイド・ボランティアをたくさん養成したほうがいい」と、地元でペンションを経営している北村さんのような人たちに知識と知恵を伝授しているのだという。

千葉県我孫子市の手賀沼近傍に、錦鯉研究家・玉木芳信さんの自宅兼養魚場がある。玉木さんは十数年前から独自に錦鯉養育の研究を始め、現在では幅2m長さ5m深さ1mの自宅養魚槽と近くに四つの養魚池を擁し、自宅で孵化させた錦鯉を育て、希望者に稚魚を分け与え、錦鯉養育の啓蒙に努めてきた。この6月には小冊子「60a水槽で育てる錦鯉―ことし生まれた紅白の錦鯉を育ててみませんか」を手作り発刊し、その育魚技術を一挙に公開した。江戸時代の文化・文政(1818~1829)のころ突然変異で生まれた錦鯉は、丈夫で順応性があり、人にも慣れ、「泳ぐ宝石」と言われるほど美しい。指を入れると群がってくる体長1p程度の稚魚たちのこそばゆい感触は、視覚と相まって私たちの心身を癒してくれる。大型の水槽には、「紅白」「黄金」「大正三色」など玉木さんが手塩に育てた体長60p余りの色とりどりの錦鯉たちが泳ぎ回る。ときに大ジャンプで仲間同士が接触してけがをするときがあり、ティッシュで表皮を軽くたたいて水分をとったあと、ヨーチンかイソジンを麺棒でつけて治療するのだという。

「人間は考える葦である」との名言を残したパスカルは、「宇宙は我々を包むが、思考は宇宙をも包む」とも言い、人間の思考の素晴しさを讃えている。デカルトの「我思う、故に我あり」に至っては、「思考」は人間が存在する究極の根拠になった。だが、人は考える前に、何よりも、見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わう、つまり「感じる」存在である。「霊魂(プシュケー)はある意味では存在のすべてである」とアリストテレスが『霊魂論』のなかで語ったとき、彼は霊魂の二つの力を「思考力」と「感じる力」であることを明確に認識していた。

「愛」は知られる前にまず感じられる。「憎しみ」も知られる前にまず感じられる。「真」も「善」も「美」も、それが何かを知られる前に、まず感じられるものであろう。個別・具体的な体験知を超えた「知そのもの」への愛好を説いたソクラテスに竿さして、「身体知」へと戻ること。全国で出会った「五感名人」とでも言うべき方々は、この「身体知」の体現者であると思っている。

(編集 茂木)