私達の教育改革通信

   108  2007/8

 

 

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極私的においの記憶

 

`島庸二(画家・フリーランス・エディター)

 

【匂いのナショナリズム】

私は画家として普段絵を描いて暮らしておりますが、それと平行して「食」乃至は「料理の理法」を基にしたアートイベントをしてきました。例えば、「破壊と再生の茶会『割れ茶会』」。これはいちど割れてしまった茶碗や鉢を、漆で繕って、つまり再生して、そういう自然の割れた線を景色とする道具ばかりでする茶会で「侘茶」ならぬ「割れ茶」というわけです。

 先頃からNHKテレビで『チャングムの誓い』という人気の韓国ドラマにすっかりハマっているのですが、それを観ながらふと、その民族固有の匂いの存在を思うのです。そこで今、私の食のイベントとして、匂いのエスノ・ナショナリズムとでもいうような、或はエスノ・ナショナリズムの底深くにある匂い、について、そういうものが果たして有るのかどうか、有るとすればそれはどういうものか、を、料理という理法を通して考えてみたいと企画しているところなのです。

【臭いを駆逐するグローバリズム】 

と言うのも今、私たちの社会の各方面を覆うグローバリズムの勢いは、日を追って大きくなる一方で、早い話が食の在り方一つにしても、街中には世界中の料理が殆ど一直線に並んで、エスニック料理などという、一頃はやりのウリは意味をなさないくらい、これでもかこれでもかと目の前に、見慣れない料理が登場してきます。いまやわれわれの舌は、たとえどんな味が乗っかろうともたじろがぬほどの、強さ? 別の言葉でいえば、味覚的グローバリズムを獲得した、とも云えるほどです。

 しかし今申したように、私は食のアートイベントをして来て、いろいろな食の在り方を見てくる中で、確かに舌の方はそんな風にグローバルになるのですが、味に伴う「匂い」に対しては、時に受け付けがたい拒絶反応や違和感を感じる事にしばしば行き当たります。いったんそう感じると、舌の方も手放しで悦べなくなって「おいしいけどどうも・・・」という味に出会うことがあります。味と匂いはほとんどワンセットですが、私の場合、嗅覚の方が少し頑固なところがあるのかも知れません。それは、味というのは調理という人工によって食材の上に何か別の味を作りだす術ですが、匂いは、もっと生理的な、生物的なものに根ざす場合が多いからかもしれません。マトンや牛肉から、或は魚の肉から、たとえそれが嫌だと云ってもその臭いを抜き去ることは出来ません。せいぜい香辛料で中和するぐらいで、料理で下拵えと云われる部分は、大概の場合その中和の方法である場合が殆どです。

【しかし今、オヤジ臭の受難時代】

それにしてもテレビのコマーシャルでは今、臭いの受難時代です。オヤジは臭いからスプレーしちゃう・・・とうのです。アニメ風に描かれた動物の家族が、外出から帰ったお父さんに、消臭スプレーを吹きかけている映像です。特に今はタバコの匂いが標的になっているみたいですが、口臭、腋臭、トイレ、どうもテレビは、さまざまな臭いを摘発しては、絶えずオヤジに脅しをかけてくるみたいです。

 オヤジばかりではありません。この間町で見かけたのですが、散歩の若い奥さんの連れた小さな犬が、突然街路樹に片脚をあげて・・・、そこまではよく見かける風景ですが、その時奥さんの片手には小さなスプレーが握られていて、犬が用を済ました樹へ向けて、にシュッシュッと、そして返す刀で犬のお尻の方にもシュッシュッ。このスプレー、もしかして消臭と消毒のための、愛犬用グッズなのかと…。しかし、スプレーされて匂いを失ってしまった犬の社会というものは、一体どうなってしまうのだろうか。シュッシュッ!とやられる「おやじの匂い」も、愛犬のこれも、いわば「快適生活」という文明料理のための「下拵え」なのかも知れません。

 それもこれも、極度に文明化した人間社会では、縄張りとか雌雄の引きつけとか、動物に固有の「匂い」というものが、生存にさほど重要でなくなったということ。反対に、文明化するということは、人間から動物臭をぬぐい去ることなのかもしれません。それでもまだオヤジは臭うから、更なる文明のグローバリズムへ向けてシュッシュッ!とやるのです。

【グダニスクのおばあさんのスカートの中】

 と、ここまで書いてきて、ふと、ギュンター・グラス原作の「ブリキの太鼓」という映画を思い出しました。逃げ場を失った放火魔の少年が、焚き火でジャガイモを焼いているおばあさんの大きな釣り鐘型のスカート(解説によると4枚重ね)の中に逃げ込む場面です。その時、私は突然、母親の懐の匂い(それはいつも微かな竈のけむり、ほのかな木酢の匂いでした)が、ふと香ってきたのです。

この映画が主題とするものは、国民国家形成以前、いや、それとは別のというべきか、文化的共同性、例えばおばあさんのスカートに染み付いた焚き火のにおい、といったような、そういうものと権力との葛藤の物語りでもあるのでしょうから、そんなふうにシュッシュッ!と、やたらに匂いを無くしてしまって、この先人間はいったいどうなるのでしょうか。

【匂いの記憶/極私的ナショナリズム】

 人間は生まれ落ちたときから、ことばによって自分自身の見える世界を作り上げて行きます。これは基本的に聴覚の世界ですが、同時に味覚や自分の環境に漂う嗅覚も一つの言葉ならぬ「ことば」として、「匂いの記憶」として、やはり自分の世界を作って行く大きなファクターになっているのだと思います。では、いったい何歳ぐらいまで臭いの記憶を辿れるものだろうか。おぼろげな記憶を無理にこじ開けて行き当たったのが、何と、全身どぶ泥の臭いの記憶でした。たしか3歳ぐらいでした。1931年、東京は下町のどぶ板長屋で生を承けた私は、いつもドブ板を踏みならしながら遊んでいたのですが、その日も、買って貰ったばかりの三輪車ごとどぶに落っこちてしまったのです。暮れも押し詰まった寒い日のことで、全身どぶ泥、頭からワカメをぶら下げたようになって、その臭いは子供の私にもかなりこたえました。すぐ丸裸にされて、近所のおばさんたちが総出でお湯を沸かしてくれて、「臭い、臭い」といいながら洗ってくれた、そんな思い出に行き当たりました。

 こうしてひとたび「臭い」の記憶の蓋が開くと、次から次へと出てきますが、こんな遊び?もありました。確か同じ3〜4歳のことです。近所の子供たちと、今まで続けてきた遊びをふと中止して、いきなり腕を捲くって、なんと唾を掛けるのです。そして今度はそれをもう片方の手で激しく擦るのです。摩擦の熱で乾いてきたら、すぐに鼻を当ててその臭いを嗅ぎあうのです。そこでは女の子も男の子もありません。ただそれだけの事で、遊びといえるのかどうか、たぶん今やっている遊びが飽和状態になって、次の遊びに移ろうという、その幕間的なパフォーマンスだったのかもしれません。もしそれをフロイト先生がご覧になっていたら、きっと何か一言あるに違いない、などと、ふとおかしさが込み上げてくるのです。

【よなげやのムラオカさんち】

もう一つ思い出したどぶ泥の臭い。私の家の向側に「よなげや」のムラオカさんという家がありました。よなげやというのは、東京中に巡らされた壕やどぶ川を浚って、鉄屑やたまには貴金属の落とし物を浚って、それを売り捌く商売です。土間にはいつも、天井に届く程、錆びた針金や、何かの機械の部品とかが、番線で結束されて堆く積み上げてあって、錆びた鉄くずの酸性の臭いとどぶ泥の生臭い臭いが立ち籠めていました。夕方になるとおじさんは細い体つきに胸までもあるゴム長靴を履いて帰ってきては、パイスケ?という直径1.5mほどの竹製の浅い笊にゴミ屑を打ちまけるように入れて、大きなマグネットで掻き回しながら、中から鉄とそうでない金属を選り分ける作業をするのです。私はマグネットに古釘とか、おもちゃの部品などが、連なってくっつくのが面白くて、よく側にしゃがんで見ていたものです。それはもう一つ、この中にどぶから上がったばかりのべい独楽が幾つも入っていて、気に入ったのがあれば分けてもらえる、という楽しみもあったのです。それはどこかの子供がコマ遊びの最中に、どぶ川に弾き飛ばしてしまったものですが、そういうのは前の持ち主が一生懸命、強い独楽を作ろうと改造したもので、かなり強そうな面構えをしているのです。駄菓子屋で売っている鋳込んだままの新品の独楽とは、重みや貫禄が全く違うのです。それを更に自分なりに、例えば道路のアスファルトに擦って回転軸の芯を研ぎ出したり、相手と当たる角(これが意外と難しい)を削り出したり、表面にコールタを流して天保銭を貼付けたり、とか、いつも夢中になって、終いには手ばかりかズボンもシャツもがすっかり金気とどぶ泥の臭いで、幾ら洗っても取れなくなってしまうのです。

 歩道と車道が分かれているアスファルトの「カイセイ(改正?)道路」というものが初めて通って(9、10歳/1940頃)、しかし今のように車がたくさん通るわけではなくて、べい独楽を研いだり、スケートをしたり、自転車の練習をしたりする、新しい遊び場ができた、といった感じだったのですが、それでも、たまに自動車がやってくることがあって、すると、みんな一斉に遊びを止めて、自動車の通り過ぎた後の道路に一列に並ぶのです。そして一斉に深呼吸して、いま通り過ぎた車の排気ガスの臭いを嗅ぐのです。これが子供たちの官能をたまらなく刺激して、自動車が通るたびにこれをやるのです。今のシンナー遊びみたいなものかもしれません。

【削りたての鉛筆の匂い】

唐突ですが私は西脇順三郎の詩が好きで、初期の詩集『旅人かへらず』を先輩から借りて筆写していたのですが、それが完成した或る時、その先輩に連れられて、慶応大学の文学部長室に先生をお訪ねすることになったのです。24〜5歳の頃です。私の筆写した『旅人かへらず』をお見せして、そして首尾よくサインを頂くことが出来たのですが、そのとき先輩の主宰する詩誌で特集した先生の詩集「L’OMBRE」を見せられたのです。その中の一つ、

 

「秋・」

タイフーンの吹いている朝

近所の店へ行って

あの黄色い外國製の鉛筆を買った

扇のように輕い鉛筆だ

あのやわらかい木

けずった木屑を燃やすと

バラモンのにほひがする

 

 というのですが、この「バラモンのにほひ」。ここまで読んだとき、突然、それまで大事にしまい忘れてしまっていた、小学一年生の時の匂いを思い出してしまったのです。私の一年六組だけがその当時では珍しく男女組(共学)でした。何しろ「男女七歳にして・・・」という時代ですから、それは珍しい事で、共学といっても教室では、黒板に向かって右側が男子、左側が女子の席という具合に、男女がぴっちりと分けられて、お互いに遠くから相手を窺っている、といった具合でした。そしてそれはずっと六年生まで続いたのですが、そんな中に一人、奇妙な匂い、そう「削りたての鉛筆」のような匂いの女の子がいたのです。何かの弾みに隣り合うこともあって、そんなときこの削りたての鉛筆の匂いがするのです。その頃は誰でも「肥後の守」という二つ折りのナイフをセルロイドの筆箱に持っていて、鉛筆はそれで削ったものですが、そう気がついてからは、毎日のように、何本も何本も削っては、私の筆箱の中はいつも削りたての、先の尖った鉛筆がいっぱいに並んでいました。今でも右の掌の親指の付け根のところに、ぽつんと青い点がありますが、その頃、その研いだ鉛筆の芯の先端で、誤って突いてしまったのが、入れ墨のようになって、未だ消えずに残っているのです。憧れの大先生の前で、こちんこちんに緊張している時に、本当に人間の記憶の回路は、突然、あらぬ方に繋がるもののようです。

【最大の破壊力、おまえは臭い!】

 今云う「シカト」したりされたりという、子供たちのいじめは、昔もやはりあって、中でも「おまえは臭い」という言葉は、かなりの破壊力を持っていました。その子が特別に臭い訳でもなんでもなくて、実体の空無な、それ故にこそ強烈な力を発揮する「クサイ」であるそれが、なぜ強力な「シカト語」なのかはわからないまま、自分でもそう云われたくない、と、いつも警戒していたように思います。警戒といっても虚妄が作り出す「臭い」なのですから、どうしようもないのですが・・・。

【メンコの役をさせられた学芸会】

 子供の頃から私は芝居というものをあまり好きではなかったので、その「破戒」の文学も、あまりよく知らなくて、ただその場面に強く共感しただけだったのですが、芝居が好きでない理由というのは自分ではよくわかっていました。

先に述べた「よなげやのムラオカさんち」の向かい側にキリスト教の教会があって、教会と云ってもドブ板長屋の棟割りの中の一軒に住む、初老の牧師さん夫妻が、自宅をそのまま教会にしているものでしたが、そこでは子供たちに日曜学校というのを開いていて、牧師夫妻のお話やキリストの事績を描いたぬりえが貰えたり、何よりも当時のその辺の暮らしの中では得られなかった、独特なモダンなクッキーとかいう、確か今にしてみればそれはアニス系の、ふだん家で感じる匂いとは別の甘やかなものを、子供ごころに深く吸い込んでいました。

 では当時の私の家の匂いは、というと、関東大震災と昭和の大恐慌のあおりで、父は親代々の薬屋を失敗してしまい、酒に浸る日々だったそうですが、初めての男子である私が生まれたのを機に酒を断って、私の知る父は、在家ながら熱心な禅宗の信仰者の姿でした。ですから家の中は常に線香の匂いが漂っていたし、お菓子ときたら、いつも父がお寺から貰って来る供物の打ち菓子だとか、どれもみな線香臭かったのです。

 母の懐が燃し火の木酢の匂いであったことは先に述べましたが、父の懐はというと、こちらは常に抹香の匂いと、仁丹のような匂いでした。薬屋を仕舞ったとはいえ、家には局方以外の漢方の薬も残っていたらしく、私などはよくお腹を壊した時などそうした煎じ薬を飲まされたものです。

こういう匂い、実は、この父親の懐の漢方の匂いは、後で、もう一度、今度はスパイスとかハーブという匂いにコードを変えて、1950年頃ですが、私の画家としての生活に大きな転機をもたらすことになったのです。そして更にもう20年の歳月を経て、冒頭に述べた食のアートイベントへと発想の緒が繋がっていったのです。『チャングムの誓い』などは全編が漢方ならぬ韓方薬の香りに満ちた物語りですから…。 余談は措いて、つまり日曜学校のそれと、我が家の匂いのコードが違っていた、という訳です。 

 その日曜学校のクリスマスの催しで、劇をする事になって、私は胸を踊らせていたのですが、本来ならキリスト誕生の話になるのに、その一年後には、第二次世界大戦が始まろうというときですから、銃後の子供たちの心構えを説いた、勧善懲悪劇です。大勢の悪い友達が、一人のよい子供を誘惑するといったその劇で、私は事も有ろうに、代表的悪ガキの役を振られ、マルメンと云われていた大きな円形のメンコをおでこに付けさせられて登場するのです。もうそれが嫌で嫌で、恥ずかしくって・・・。そんな或る日、劇の練習の最中に、チリンチリンとベルの音がして生ゴミ集めの車が来たのです。当時はおじさんが大八車に大きな黒い箱を乗せて、集めにきたものですが、教会の裏口を開けて作業を始めたのです。その臭いが突然劇の中へ流れ込んだものですから、思わず「あっ、臭い」と云ってしまったのです。すかさず牧師の奥さんに、そんな下品な事を云ってはいけない。だからおまえにはメンコが相応しい、と云わんばかりに叱られてしまったのです。そうか臭い事は下品なのか、おれは下品なんだからメンコの役なのか、と、なんともやり切れない気持ちになって、いっそクリスマスなんか休んでしまおうかと何度思ったか知れません。結局何とか終わらせたのですが、日曜学校そのものも、また劇とか芝居というものもいっぺんに嫌いになってしまったのです。

【魚臭に悩んだモンテーニュ家】

堀田善衞著『ミシエル城館の人』(全3巻/集英社刊)は、モンテーニュ好きの私にとって、或る場合には『随想録』そのものよりも、その時代背景や、ミシェルの人となり、伝記を知る、格好の、そして楽しい読み物です。私は20代の初め頃から『随想録』に親しんで来た手前、何かのおりにぜひ、モンテーニュの城館を訪ねてみたいと思い続けてきたのですが、04年5月、ちょっとした用事があって私たち夫婦でヨーロパを訪ねたおり、長年パリに住む義妹の案内で、それを果たすことになったのです。

 ところが城館はボルドーから60kmも田舎ですから、まずボルドーの市街、ミシエルの新婚時代を過ごした家やミシェルが市長を務めたボルドー市庁舎、或は旧高等法院庁舎などを訪ねる事にしました。そしてまず義妹がミシュランの案内書を頼りに探し当ててくれたのが、ラ・ルーセル街23番地、25番地です。ミシエルの家系は曾祖父の代からこの地で、回船業を中心とした商業を、葡萄酒、大青(パステル)の染料、鮭その他の塩魚を各地へ売りさばく大商人でした。問題は塩魚です。先述の『ミシエル城館の人』によると、これが大変な悪臭を発する甚だ近所迷惑の商売だったようで、かのエラスムスはその『対話集』の中で、この塩魚屋に対して「塩魚屋よ、阿呆の臭太郎」と呼びかける始末です。

ご存知のようにミシェルはアンリ三世に仕える帯剣貴族でしたが、その貴族という地位にとって、一方で商人であるということすらも芳しからぬ上に、事も有ろうに塩魚屋というのは最も具合の悪いもので、祖父の代から、何とかこの魚臭を抜き去ることに、多大の努力が払われたというのです。もちろんわがミシェルの頃にはすっかりそれは消え去って、身のこなしも、考え方もすっかりと王の侍従としてもボルドーの市長としても、立派な品格を身につけているのですが、その倉庫兼事務所のあったこの家は、今ではそれぞれ別の人の住居になり、そんな臭いは遠い昔の事として、静かな佇まいを見せています。車がやっとすれ違えるくらいの、細い石畳の道を挟んで、3〜5階建ての家が並び、その一軒の戸口高くに、わがミシエル・ド・モンテーニュの事績を記した小さな金属の板が打ち付けてあるのを見ている時、暑い日差しの中、ガロンヌ川の波止場の方から、ふと、潮風とともに立ちこめる、問題の、強い魚臭を嗅いだような錯覚に襲われたのです。そして殆ど同時に長い事忘れ去っていた私自身の魚臭の記憶が激しくぶり返してきたのです。

 私は子供の頃、たぶん6〜8歳のころですが、絶えず歯痛に悩まされてきました。荒川という比較的大きな川が近くを流れていたのですが、その川沿いの工場街の一角に「鯖の神様」と呼ばれている小さな石の祠があって、これが、虫歯の治療に霊験があるということを、何処からか聞きつけて来た母が、お供えの生鯖を一匹携えては私を連れてお参りにいったものです。この辺一帯は荒川の海運を利用したさまざまな大工場が密集していたのですが、その中の一つに干し鰯(か)の製造工場があって、常に魚の腸樽(わただる)が積んであり、焼け付くような魚臭が立ちこめていたのです。思わず鼻をつまんで駆け出したくなる臭いです。多分それらは陸送では憚られるので、腸樽専用の船を使って運んだのでしょう。その魚臭はなるほど、歯の痛みにも増して、かなり堪え難いもので、母と私はお参りもそこそこに、真夏の酷暑の中、汗びっしょりになりながら、少しでも早くそこを逃れるように、小走りに通り抜けたものです。ガロンヌ川ならぬ荒川の魚臭が、同じような暑さの中、凡そ70余年の時を隔てて、突如蘇ったというわけです。

しかしこうして思いがけなくも、匂いの記憶を辿るチャンスを頂いて、いろいろと書いてきましたが、凡そこれらのどれを取っても、一つとして心地よい匂いの記憶はなく、余りにも貧しく、ある場合には牧師の奥さんではありませんが、少なからず下品でさえあることに愕然たる思いです。まだ幾らでもありそうですが、この先いくら思い出してもそれは変わらないのでは、と思うと尚更です。例えば上の魚臭の記憶にしても、すぐその場で義妹や、そしてワイフにさえ、話すことが出来なくて、記憶の底の、元あった場所へ、意識下へと、慌てて圧し隠してしまう始末でした。その様は、まるで、いくら洗っても洗っても血の「臭い」が取れなくなってしまった、あのマクベス夫人の手のように、何と狂わしいことでしょう、私の一生は。

 

地球環境への警鐘―日記から(1)  

 

 橋本道哉(橋本技術士事務所 所長)

 

2月25日 気候に変動に関する政府間パネル(IPCC)の作業部会がパリで1月29日から2月1日まで開かれた。今世紀末の地球の平均気温は1.16.4度上昇すると報じられている。それを受けて日本人の科学者15人が国民に緊急メッセージ出している。こんな重要な情報はマスコミは全然扱っていない。最近の異常気象で少しおかしいとは気が付いているものの全く能天気である。

CO2の増加による温度上昇のため、地球上の各地の生態系は、こうした変化に順応することができず、死滅のリスクにさらされる生物種が増えていく。大規模な水不足、農業への打撃、感染症の増加、自然災害の激化など様々な悪影響が複合的に生じ始まる。このような事態は人類生存の危機である。人類が化石燃料の消費によって毎年排出するCO2の排出量は70億炭素トンであるが今後さらに増加していく。中国では車の数は現在では3000万台であるが間もなく1億台、2億台をオーバーして行くでしょう。インドも然りです。日本でさえも、京都の議定書では日本は6%減らすことになっているが、実際には8%も増え、差し引き14%も増加しており増加が止まらない。さらにその他の開発途上国の産業が発展すると、どんどん増えていき減る可能性はゼロに近い。

一方、自然のCO2の吸収能力は30億炭素トンで、現在のCO2排出量の半分の処理もできないのである。

自然によるCO2の吸収は主として海と森林によって行われるが、温度が上昇するとCO2の吸収能力は減少していく、即ち正のフィードバックがかかってCO2の発生量と温度が上昇していき、地球は死の惑星になる。

こういった正のフィードバックの例をいくつか述べると、

1.海洋が暖まると、海底から養分ある海水が海面に上昇して来なくなり、養分の乏しい水に覆われる地域が増え、海洋の藻類が育たなくなり、その分CO2の吸収率が減少する。また海洋の藻類が枯れると太陽光を反射する白色の層雲が海上に発生することも少なくなる。海洋の砂漠化が拡大する。

2.陸地では気温の上昇によって熱帯林の安定性が損なわれ、その面積が減少する。森林の失われた土地は冷却メカニズムを欠くため、より暑くなり、その結果、森林が消えてなくなる。

3.雪に覆われた地面は、そこに降り注いだ太陽光をほとんどすべて宇宙に反射するため、寒冷なままになる。しかしひとたび雪が縁部で溶け始め、黒い地面が現われると、太陽光を吸収するため暖かくなる。その暖かさがさらに雪を溶かし、正のフィードバックで雪解けが加速し、やがてはすべての雪が消える。

4.地球の温暖化が進むとシベリヤやカナダの熱を吸収する黒っぽい寒帯林がその範囲を拡大し、ますます多くの熱を吸収する。

5.森林と藻類の生態系が死ぬと、それが分解する際、CO2とメタンが空中に放出される。温暖化の進む世界では、これも正のフィードバックとして働く。

6.メタンは、氷の結晶内の分子サイズのかご構造の中に取り込まれ大量に沈積している。これは低温、あるいは高圧でのみ安定である。地球が温暖化すると、これが溶け、CO2の24倍の温室効果をもつメタンガスが大量に流出する。一方、数少ない負のフィードバック機能として、地球が温暖化されて熱帯暴風雨によって海がかき回されると、下層部から海面層へと養分が引き揚げられ、それによって藻類が繁栄するが、その影響はあまり大きくないだろう。

以上のように全く絶望的な事態になっているのに、さっぱり認識されていない。このままでは我々の可愛い孫が間違いなく窒息してしまう。さて、では我々はどうしたらよいか。有効な対策は殆どないが以下のことが考えられる。

1. 技術開発と生産性の根本改善

同じGDP、同じ満足度、同じサービス、製品を生み出すのに、できるだけ少いエネルギーや資源でもって実現する。例えばベルトコンベヤー生産方式をセル生産方式に変える。

2. 自然模倣

地球の生態系学ぶ。蜘蛛の糸、蛍の光は常温常圧の世界で化学反応を行って極めて効率的有用物を生み出している。一方人類の生産方式は、高温高圧で、廃棄物も多く出しながら、効率が悪い。バイオやミクロのナノ技術のようにエネルギーや資源を使わないで有用物を作る技術を開発する。また石油エネルギーを使って圧力をかけないで膜の浸透圧を利用する等。

3.サービスとフローに基づく経済への移行

所有すると捨てなければならないので廃棄物の問題が起きる。所有しないでサービス、あるいはリースで使う。例えばタイルカーペットは擦り切れた部分を切り取り資源の再利用する。

4. 自然資本へ再投資

森林のような自然的な資本をより意識的に再投資してメンテナンスしていく。 

5.   社会システム

環境に熱心に働く会社や個人に税制上の優遇処置をする。その他法的な規制を強化する。

6.価値観や意識を変える。

電気をこまめに消すような価値観の変化では温暖化は止まらない。金持ちになったり、地位が高くなったときにより大きな、より豪華な車に乗るのを止め、燃費の上で最高性能の車に乗ることが社会的ステータスにするような価値観に変える。

大きな効果があるのは、火力発電を原子力発電に切替えることである。ほとんど危険が無いのに近隣の住民のエゴに押し切られて全人類を危機に陥れること事態全くナンセンスだと思う。その他、考えられることは全て実行しなければならないが、CO2の排出量を30億炭素トン以下に下げることは不可能に近く、既に正のフィードバックがかかっている段階に入り、もう手遅れの状態になった可能性がある。地球上の生態系のバランスを保つためには、人類の人口は5億から10億と言われている。いずれにしても早急に意識改革をし、あらゆる対策を実行する必要である。

              (二回連載。続く)

 

危機の日本 「為せばなる」か            

海野和三郎

 

「やばいぞ日本」という新聞記事がある。「為せばなる」決意ともとれる吉田松陰の悲鳴が聞こえてくる昨今の情勢である。学士会会報2007-V No.864に、カール・ ベッカーさんの「生命の危機に対して日本人は何ができるのか」が出ていた。副題に“人類の未来に対する日本の「こころ」の貢献〜生き残り対策〜”とある。ベッカーさんの論点の一つは、世界の近未来の危機が一足先に人口の多い資源小国の日本にやってくることである。

 問題点が4つのプラグマティックなテーマにまとめられている。1.石油の限界CO2税、原発老化、危険廃棄物処理不可 2.温暖化2度前後、オゾン層破壊、強酸性雨、化学肥料限界 被害 3.騒音公害 気質:ダイオキシン、水質:THM 重金属、食物:発癌性物質 4.人口高齢化 若者大望怠慢、非現実的教育、円高・競争力低下 とある。翻訳のぎこちなさはあるが、十分理解できる。4つのテーマそれぞれに、ほっといたらどんなことになるか、と、可能な解決策がやはり箇条書きで記されている。3.の公害問題は一旦事件となるとマスコミが飛びつく問題だから、ここではこれ以上触れない。残る3つは、1.エネルギー問題、2.地球環境問題、3。人口問題、の3大問題であり、しかも、この3者が結合し相乗作用が働いて、地球人類全体を暗雲で閉じ込めているが、日本は特にその最先端にいるというわけである。

1、のエネルギーに関して、現状維持の行方は、温暖化悪化、交通停止、企業破産、

放射病多発。可能な解決策は、ソーラー、風力・海力、バイオ・ガス、人力とある。      

2.の環境問題に関して、現状維持では、慢性食料不足、海中食物連鎖破壊、自然破壊の悪循環、伝染病、犯罪増。解決策は、種バンク、品種改良、CFC廃止、オゾン代理、貝殻散布、有機農法、自然対抗とある。詳しくは原文参照。

3.人口問題では、現状維持の場合、ケア不足、厚生赤字、労働不足、病気、自殺、犯罪増、空洞化、輸入出不可。解決策として、老人雇用延長、若者発明力活化、10代生産性要求、永続可能発明輸出とある。

近未来の世界の絶対不可欠ニーズとして、@エネルギー(太陽・地熱・風・海)A有機農業B飲料水Cリサイクル技術が上げられている。そして、人類の未来に対する日本の「心」の貢献として、「もったいない」「自然の力を崇拝尊重」「道」「神道」「和のこころ」等が挙げられている。

よくまとまった説得力のある論説である。特に、有機農業と飲料水に関して、世界的な視野で日本の特殊性もふまえて論じられているのが、新鮮な印象を与えるものであった。太陽エネルギーに関して私見を付け加えるならば、1.直射太陽光に正対する面の温度は90℃、海洋大循環で平均化すると約3℃の深海温度、共に、1気圧の大気下では水が液体の水である温度で、生物生存に最適である。2.体温約36℃で、ヒト1人は90℃からエネルギーをもらい余熱を3℃に捨てる約1kWの熱機関と見なすことができる。直接間接の違いの多様性があるが、すべての動物植物に通ずる原理である。3.地上で受ける太陽エネルギーは、約1kW/m2の良質のエネルギーで、夜昼緯度で平均するとその1/4を地表で受ける。陸地面積は地表の約3分の1で約1.5km2太陽光の当たる地球断面積は地表面積の1/4だから約0.4.1014kWの太陽エネルギーが常時陸地に注がれている。農業用地は陸地の1/10、葉緑素が占める面積はその1/10、葉緑素が光合成をして炭水化物を作る効率が1/10、その1/10が食料生産とすると、1kW/人で生きる人を農業生産は40億人養うことができる勘定になる。極めて雑な計算に過ぎないが、11%の氷に閉ざされた地域もあることなどを考慮すると、20世紀初頭まで人力による農業生産で支えられて来た世界人口15億人が、化石燃料使用で(トラクター、化学肥料、運送など)20世紀末には40億人、21世紀に入って60億から100億の世界人口になろうとしていることが理解できる。

以上は、食料生産に関連した人口問題であるが、文明の維持・発展に対していわゆる50年後の石油ピークの影響は一層深刻である。しかし、不確定ではあるが、それより遙かに恐ろしいのは、異常気象に始まる地球環境(地球温暖化)の問題である。

 人口問題・エネルギー問題・環境問題の三者を同時に解決するための最も日本的な方策は、地球が寒くなり過ぎないように保温するために海が夜間や冬季に熱が逃げないように下層ほど塩度を濃くして対流を防ぐ海の魔法をつかっていることに感動し、大気を涼しく保ち光合成を盛んにするために森が大量の水を大気中に蒸発して風を起こしている森の魔法(矢吹機構)に感動することであろう。ただし、それだけでは生の太陽光はエネルギー源としてはいささか弱く、太陽光発電パネルで発電しても石油の火力発電より高くつく。工業製品としてのパネルの値段が数万円/m2と高価だからである。太陽エネルギー電力が石油火力発電より高くつく間は人類の危機は止まらない。では、どうすればよいか。答えは極めて簡単である。簡単な集光系を用いて10倍集光して発電量を10倍にすればよい。ただし、それには条件がある。その一つは集光系の値段がパネルと同程度かそれ以下であること、及び、集光でパネルの温度が上がると1℃の温度上昇に対し0.5%ほど発電効率が下がるから、水でパネルを冷却する必要がある。つまり、森が水を使い風を起こして木の葉を冷却し葉緑素発電(光合成)の効率を高めることに学ぶのである。太陽光発電パネルと葉緑素の光合成のエネルギー変換効率が共に10%程度であることも両者のアナロジーが本質的であることを裏付ける。冷却水の持ち去る85%に及ぶ太陽熱エネルギーは捨て手は勿体ない。やはり10倍集光系下のソーラーポンドに導いて再加熱し沸騰水をつくるのに用いるべきである。水深20cmのソーラーポンドは、10倍集光すれば1時間で沸騰するから、それで蒸気タービンを回して発電すれば、30%の効率で発電が可能である。水素やメタノールにして貯えれば、石油より安く、公害のない、再生可能なエネルギー源となる。使う場所で作ればよいから、ヒマラヤの奥地であろうと絶海の孤島であろうと世界中至る所で利用できる。ただし、それにはソーラーポンドを作って対流によって熱エネルギーが逃げるのを阻止する必要がある。実を云うと、ソーラーポンド機構は海のお家芸で、海は「塩の指不安定性」と呼ばれる温度と塩度の二重拡散対流不安定性の原理を使って塩分を下へ運び、下層ほど塩度と比重が高くなっているので、夜間や冬季海面温度が下がっても対流が起こらず、海面下100mで吸収された太陽エネルギーは3000年もしないと熱伝導で冷やされない。その間海流で世界中の深海温度が一様化され保温される。水は遠赤外光には完全に不透明で、放射冷却もないから、対流さえ阻止すれば水槽水の保温はほぼ完全で、水深20cmのソーラーポンドは数日間保温する。対流阻止には、塩度勾配以外に粘性を用いる方法がある。その場合、真水は粘性が小さいので、2mm程度に仕切る必要があるが、適当な粘性ポリマーを溶かして仕切を拡げ熱交換で沸騰水を作るのが実際的かもしれない。何れにしても、海の保温の原理と森の矢吹機構に学び、10倍集光で350℃の水星環境をつくる「水星と海と森の太陽エネルギー工学」を、誰でも何処でも家庭規模で自由に使える日本発の太陽エネルギー・テクノロジーとして世界に普及したいものである。

それが、カール・ベッカーさんの云う「人類の未来に対する日本の「こころ」の貢献」ともなれば幸いである。

 

地球が私に教えてくれること

                   藤縄由美

 

『地球が私に教えてくれる』というアメリカの先住民(ユートー族)の優しい詩をご紹介します:

 

地球が教えてくれる沈黙 草原の草が今も新しき光とともにあるがごとく

地球が教えてくれる苦痛 古き石たちが記憶せしものに苦しむがごとく

地球が教えてくれる慎ましさ 野の花がはじまりから慎ましく咲くごとく

地球が教えてくれる思いやり 母が自分の子供を養い育むごとく

地球が教えてくれる勇気 他と離れて独り立つ一本の樹のごとく

地球が教えてくれる限界 さながら地を這って進む蟻のごとく

地球が教えてくれる自由 さながら大空を舞う鷲のごとく

地球が教えてくれる受容 秋のたびに命を絶つ木々の葉のごとく

地球が教えてくれる再生 春になると芽を出す種子のごとく

地球が教えてくれる自分を忘れること 融けゆく雪がその命を忘れるがごとく

地球が教えてくれる優しさ 乾いた草原が降る雨に涙するがごとく

 [引用: Native Heart

  (http://native.way-nifty.com/native_heart)]

 

ぼんやりとしていても感覚が澄んでいるようなとき、心が「直視できないような光」の存在を思います。そのすべての源ともいえる光の中心からすべては生じ、無限に暗いところから無限に明るいところまで広がっていますが、完全なる闇(悪)といったものは存在しません。すべて光の源から生じたものです。その光の先端に波打つ場所が、私達が五感(六感)で感じる世界のように存在しています。

光の中ではすべてが一つで光は永遠に流れて巡っています。もともと同じところから生まれ、この世の波間で、そこに帰りまたひとつになりたいと恋い願うのです。そして、この世で何かの波形として「永遠」が現れたのなら、それは神聖なる奇跡と呼べるものではないのでしょうか。ひたすらその恍惚とする幸せ(永遠)の場所に帰りたいと思います。

ただ、この世で、光の先端で、全体の中で位置と役割を感じ取り、全体のために生きて周りを輝かせること、周りとともに輝くこと、それが限られたこの世での存在の意味、仕事なのであり幸せにつながっているのではと、日々の小さな出来事(小さな奇跡)から感じています。

『和光同塵』という言葉もあります。たとえば木の葉も一枚一枚同じではなくその場所、周りの枝葉のための役割があり、ひいては木が季節を越えて成長していくために在るのでしょう。大切なことは言葉にならないもの(言葉にされなかったこと)から教わったように思います。(単なるデータのような知識は学校に行かなくても書物などから学習可能ですね。)

頭ではなく腹でわかること、それは静かにそこに降ってきては地図の目印のように置いておかれるようなものではないでしょうか。ここに今後の教育の方向性はないでしょうか。例えば教え導く者は「なぜ学ぶ?なんのために生きているのか?『自分』であるというのはどういうことか?」といった問いにどんな用意があるのでしょうか。       

(編集 茂木)