私達の教育改革通信
第 113号 2008/1
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2008年
海野和三郎
2500年前の前後は、人類にとって大変な時期であったらしい。民族移動や戦乱があり、文字が普及し、釈迦・孔子・ソクラテス・キリストらが各地に出現した時代であった。恐らく、天災人災が続き、人類がその生き方を模索していたのであろう。2008年は、2500年前以来、第2の人類生存の転換期が始まる年である。12月31日産経新聞「正論」に、佐伯啓思さん(京大教授)が、「ニヒリズムへ突き進む日本」「善き社会」へのイメージが描けず、の表題で、価値観の崩壊を論じている。経済成長や自由・平等は、「善い生活」のための手段であったが、これ以上の善い生活が望めず環境破壊でむしろ悪化することが予想されると、手段が目的となり、自由・平等が目的となるが目的達成の意味が失われ、「私」の生活の利害にしか関心がなくなり、ともかくも非がある者を見つけ出しては声高に責任を追及することになる。このニヒリズムに抗することは難しい。その方策としては、第1に、現代文明のニヒリズム性を理解し、我々が共通に持てる「善き社会」のイメージを描き出すこと以外にない。
ただし、混沌の世の中に「善き社会」のイメージを描き出すには2500年前と同じく100年を要する。社会の変化時間尺度が10年の現在それを待ってはいられない。良い方法がただ一つある。それは、未来の人に「善き社会」をつくることを目的とし、その手段として、混沌の社会に道をつける複雑系科学を利用することである。混沌に創造性が潜在していることは、2500年前、荘子が明らかにしたところであり、老子は「三より万物」とし、ソクラテスは「無知の知」として弁証したところである。ニュートン力学の三体問題では、第3体の影響が他の二体に及びそれが共鳴的に第三体に及ぶカオス解が明らかとなり、フェルマーの最終定理では「2整数の3乗以上の和は、第3の整数の3乗以上のべき数とは等しくない」ことになり、また、「ゲーデルの不完全性定理」ではパラドックス表現ではあるが、述語論理の不完全性が証明された。モーゼの十戒やスピノザの「神の存在」の証明も同様なパラドックス表現と見なすべきであり、複雑系科学と混沌の哲学は正に同じ母から生まれた兄弟であると言える。
20世紀に入り、山岡萬之助は、その「生命論」において、「生命の流、物心一如」を説き、玉城康四郎は「如来=プネウマ=法」としての「いのちのながれ」を説き、生命科学・宇宙科学の中に、宇宙の霊性「宇宙性」を感得した。神戸大の郡司幸夫さんは「いのち=時間」としたが、超多次元の地球環境を含む「いのちのながれ」は、位相空間の多次元表現よりも「時間」の1次元表現の方が誤解されることが少ない。危機(クライシス)には好機の意味があるとマタイス神父さんに聞いたが、アル・ゴア前米副大統領はそれを力説して、地球環境の危機を映像にして世界に訴えた。
21世紀人類生存の危機を好機として表現するには、哲学としては「未来の人との対話」(吉川弘之)、方法としては複雑系科学の手法、特に、地球環境天文学の理論的研究と大気圏外からの地球観測による未知の地球環境大変動の予兆を把握することであろう。また、エネルギー・環境。人口の3問題のつくる混沌の危機を好機に転ずるには、地球環境を40億年護り育てた太陽と海と森の理法を採り入れて、テクノロジーの形にした「地熱・海洋・火山」発電、あるいは、「水星と海と森の太陽エネルギー工学」で、石油火力よりも安価に電力をつくる工法を推進することが必要ではなかろうか。
2008年を未来に夢のある時代への門出としたいものである。
菅野礼司
日本社会における経済的格差は、資本主義の市場原理によってますます酷くなっているように思える。小泉内閣以来の民営化、規制緩和による自由化政策によってもたらされた歪み、富める者と貧しい者との二極化を推し進める政治・経済構造はなかなか是正されそうにない。かって好評だったNHK放映の「ワーキングプア」が12月に再放送された。働けど働けど生活に困る多くの人達の苦しみと呻吟を見るにつけ、かねてから苦々しく感じていたことを思い出した。彼らは悪いことをした分けでも怠けているわけでもなく、一生懸命働き努力しているのにこうである。
その苦い思いとは、野球、サッカー、ゴルフなどのスポーツ界の派手な契約金・年俸や賞金の話である。今年もまた野球のストーブリーグが始まり、マスコミの報道がファンの注目を集めている。何億何十億円という契約・年報のニュースが当たり前のように報道されている。今では皆がそれに慣らされて、おかしいと思わなくなっているらしい。
野球に限らず、多くのファンを熱狂させるスポーツは、興行的価値がありそれだけ社会に貢献しているとは思うが、それにしてもこの金額は異常ではないだろうか。企業としてそれだけの収益があるならまだしも、野球の場合などは、巨人を除いてほとんどの球団は赤字と聞いている。それでもなお、アメリカの風習に引きずられてか巨額のお金が動いている。しかも、表向きのこの金額だけでなく、さらに多くの裏金で操られているらしい。日本の野球界の悪弊を作った元凶は読売巨人であろう。巨人のやり方に対する批判はでたが、是正されずにきた。むしろ今ではさらに増幅されている。
このような極端な貧富の二極構造、歪んだ社会風習に対して、マスコミや有識者はなんとも言わず黙認しているばかりでなく、マスコミはむしろそれを煽っているように見える。以前、松坂投手がアメリカンリーグに引き抜かれたとき、契約金は250億ともいわれ、あらゆるマスコミはこの話題で連日大騒ぎをした。契約金を出したスポンサーはそのお陰で直ぐに元は取り返せたであろう。そのスポンサーにマスコミはうまく利用されたわけである。
その時も思ったことは、それは確かに桁外れのビッグニュースであるからマスコミが騒ぐのはわかるが、その報道の中でどれ一つも、また誰一人もこのような状態はおかしい、この社会は「ひん曲がっている」といった者はいなかったことである。マスコミの取り上げ方があまりにも偏っているから、それに麻痺して疑問を感じなくなり、ますます世の中はおかしくなるのである。
それぞれの分野で超一流の人は、恵まれた才能ばかりでなく必死の努力の結果そうなったのであるから、それに報いるだけの報酬を得てしかるべきだと思う。でも、ものには程度というものがあろう。スポーツ以外の分野でも、社会に大いに貢献しているものは多い。それなのに、それらの分野で超一流の人たちはそれほど優遇されているわけではない。社会的貢献という点では、たとえば、科学・技術の分野で活躍している一流人の方が、スポーツより大きいともいえるだろう。スポンサーのつき方でも、分野によってあまりにも不公平である。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」、「職業に貴賤はない」というがそれをあざ笑う様な社会であるように思う。採算を度外視した経営風習や、桁外れの非常識な契約など、歪んだ社会風潮を正す声が上がらないのが不思議である。
関本 肇
−はじめに−
1988年、ヨハネ・パウロ二世は、カトリック教会の教皇として、ローマ市内にあるユダヤ教のシナゴーグ(会堂)を訪問した。これはキリスト教の歴史上初めてのことである。そのとき彼は、会堂のラビを抱擁して親愛の情を示し、この会堂におけるスピーチの中で「わたしの兄、My elder brother」と呼びかけた。ユダヤ教の兄弟はキリスト教の兄貴分であることを語ったのだ。1983年にヴァチカン公国はイスラエル国と正式に国交を結んだ。
ユダヤ教とキリスト教は兄弟であり、ユダヤ教はキリスト教の兄である。しかし、キリスト教の歴史はこの兄弟関係を長いこと認めなかったし、むしろ弟のキリスト教は兄であるユダヤ教を陰に陽に差別し、迫害してきたのである。ここで「ユダヤ教とキリスト教」と題したのは、兄であるユダヤ教について、弟であるキリスト教の側の理解と環境とを整えたいと思うからからである。
なぜこんな課題に取り組むのか、合点がいかぬとする方々もおられるかと思うが、これはキリスト教の信仰理解のために重大だということと、ユダヤ人差別は西欧世界・社会に、そしてキリスト教社会に余りにも深く食い込んでいる癌でありMS(多発性硬化症)であり、文字通り命に関わる重大な課題だからである。わたしがアメリカや英国に滞在したときに、家庭に招かれる機会が何度かあったが、そこの子供たちが学校の集合写真を持ってきて、自分はこの中からユダヤ人を直ぐ見つけられると自慢そうに言うのを聞いた。そしてこれがそうだ、これもそうだと、指先で指摘する差別の気配に驚いたことである。この感覚は、幸いなことにわれわれ日本人にはない。昔、フランシコ・ザビエルが日本に来たときの、本国のジェスイット会本部への書簡に、日本人を賞賛する言葉に添えて、特に日本にはユダヤ人がいないから素晴らしいと報告している。しかしこのザビエルは日本に来る前にはインドのゴアに滞在しており、そこでカトリックの宗教裁判(異端審問)を行って、ユダヤ人はじめ多くの異教徒を殺しているのである。しかしなぜこんなことが行われたのか。キリスト教のユダヤ人にたいする偏見だと言えばそれまでであるが、実はユダヤ人差別と迫害については、聖書、とくに福音書に原因があることを知っておきたい。
聖書辞典、特に聖書語句辞典を開くと、その箇所がずらりと並んでいる。その「ファリサイ人」の項の最初に、ファリサイ人の偽善として、マルコ7:1−13、マタイ15:1−26が選ばれており、ここではイエスとファリサイ人の論争が書かれ、イエスはファリサイ人にたいして「偽善者」と決めつけ、ご丁寧にも「イザヤは、あなたたちのことを見事に預言したものだ」と言って、イザヤ29:13、(エゼキエル33:31)を引用している。
「この民は、口さきではわたしを敬うが
心はわたしから遠く離れている。
人間の戒めを教えとして教え、
むなしくわたしをあがめている。」
マタイ福音書の書かれた年代は、およそ80年代の後半、あるいは90年の初めとされている。ユダヤの民はローマに反逆した結果、70年にはローマの将軍ティトスによって神殿を焼き払われ、やがてサドカイ派の支配するユダヤ国家は滅びてしまう。これによって、ユダヤ教の力は劇的に衰え、キリスト教側は急に力を持って、この頃から律法学者とファリサイ派を痛烈に批判し始め、あるいはイエスの口にそうした非難の言葉を入れることができたのである。福音書の研究者によると、福音書への旧約聖書からの引用は後から挿入されたものとされている。わたしの手元に福音書学者たちのグループ、「ジーザスグループ」の出版した「The Five Gosopels」という書物があって、各福音書の中のイエスの言葉について、それらが真正のイエスによるものかどうかがred,pink,grey,blackの4色に分けて分類されている。先に引用したところは、内容的にはイエスの思想が見えるが、イエスの発言ではないとされgreyである。このメンバーの一人は今夏の国際聖書フォーラムに招かれたジョン・ドミニック・クロッサンである。このグループは、福音書以前の古い資料にはファリサイ人への非難や悪口は書かれていないと言っている。後でファリサイ人についてはあらためて述べるが、ここでは、キリスト教のファリサイ人(派)そしてユダヤ人非難や差別は、イエスにはなく、また福音書成立以前には見られず、すべて福音書成立時に書かれたものである事を覚えておきたい。
−ホロコースト以後のユダヤ人差別の転換−
アウシュビッツの解放60周年には、積雪の寂寞としたアウシュビッツの現場に各国指導者、宗教界の代表が集まって追悼式が開かれたが、日本からの参加があったかどうか知らない。ナチス・ドイツは第二次大戦中に600万人のユダヤ人を虐殺し、ショワーあるいはホロコーストと呼ばれる人類史上空前の民族抹殺の罪を犯した。わたしは1980年にロシア正教会創立1000年の記念に招かれて当時のソ連・東欧の諸教会、修道院,神学校を訪ねたが、ポーランドでは、特に頼んでアウシュビッツを見学した。四時間近くの見学であったが、日本人グループのために通訳をした後の絶望的な疲労感は今も忘れることはできない。それは「人類絶滅」の計画と方法を教え、徹底した「人間性の放棄」の極限を示し、さらに「人格否定」の凄まじい実験の追体験の場でもあった。それはまた、驚きと怒り、ショック・衝撃・動転の連続であり、人間の尊厳の全否定の見本市でもあった。この体験の後で、1992年から1995年までの三年間ニューヨークのミッションで働く機会を与えられたとき、住居近くのScarsdale Synagogue Tremont Temple を訪ね、どうしてもユダヤ教の中に入って学びたいという思いをラビに告げたところ、入会を許されてユダヤ教を内側から体験することになった。これはわたしの生涯の終わり近くに与えられた貴重な体験であった。毎週の安息日礼拝の終わりにKaddish(逝去記念)の祈りがあり、その最後に全員起立して、ホロコースト600万の犠牲者を追悼するが、驚いたことに、続けてラビは、広島・長崎の20余万人の原爆罹災者を記念して祈るのである。わたしは驚きと感動をもって、礼拝後にラビにそのことを感謝したところ、ニューヨークの改革派のシナゴーグで用いられる祈祷書は全て同じだと言う。わたしはニューヨークのキリスト教会でホロコースト600万のユダヤ人犠牲者を記念して祈るのを聞いたことはなかった。こうしたところにユダヤ教とキリスト教が、相互に兄弟として祈れる契機があるのではないか。
「アウシュヴィッツとヒロシマ以後、神学は変わる」と1960年以降神学世界で語られた時代があった。言われ始めた時には、それは新鮮で実感があった。しかし今はどうであろう。昨年ヒロシマ原爆の記念日には、日本人の過半数はヒロシマを覚えていないと言われた。記念式典の前にNHKの女性アナウンサーが大江健三郎にどうしたらいいでしょうかと問うた時に、彼は「シモーヌヴエィユの記憶の問題でしょう」と言い、さらに「注意力ですよ」と短く語った。このときの女性アナウンサーが大江の言葉の意味を捉えたかどうか分からない。これについても語りたいが、別の機会に譲る。しかし今、われわれに「アウシュヴィッツとヒロシマ」は、なにを意味するであろうか。わたしには原爆後の焼け野原になったヒロシマを、あの年の11月に駅のプラットホームから見た記憶がある。アウシュヴィッツの現場も見学した。そうした記憶を掻き起こして、これら人間の手によるジェノサイド、ショアー、皆殺し事件を想起しながら現代の信仰と神学を構築しなければならぬと思っている。
ホロコーストはユダヤ人が自ら付けた呼称である、われわれにはそれを論じる資格はない。アウシュヴィッツとヒロシマと、地名で呼ぶのがいいのかもしれない。とにかく、この「アウシュヴィッツ」の後,ユダヤ教の神学者から、あの時、神は何処にいたのかとの問いかけが出され、そこには伝統的な神の存在を否定する「神の死」や「聖なる無」「全能の無」が語られ神秘主義的思索が聞かれたが、やがてドイツのキリスト教神学者モルトマンは、ホロコーストの根としてキリスト教の初代以来の根強く見られる反ユダヤ主義の告発を行い、また伝統的なキリスト教の信条を退ける「神概念の革命」を語っっている。D.ゼレは、神はガス室で殺された者と共におられる、我々が神を助けなかったために「神は人々の中にあり、アウシュヴィッツで絞首台に吊るされて、解放の運動が人間から起こるのを待っておられる」と人間の責任を指摘する。P.ヴァン・ビューレンも「神は人間を、自由に、そして責任を負うものとして創造された」として人間の徹底的な責任を追及する。カトリックの神学者メッツは、アウシュヴッツ以後の神学を形成するには、クリスチャンはユダヤ人の信仰の歴史と同一化しなければならぬとし、アウシュヴィッツのユダヤ人との出会いなしには、神と出会うことはできないとしている。こうした流れの中で、ホロコーストと反ユダヤ主義を追求するベートケは、アウシュヴィッツの根はキリスト教の反ユダヤ主義にあると改めて告発し、それは福音書や初代教会教父、また教会の信条や式文、教会制度にあるとする。アメリカの女性神学者リューサーは、キリスト教の反ユダヤ主義はキリスト教の中心に織り込まれており、イエスをキリストとする告白が、すでにヘブライ聖書のユダヤ教的解釈を否定することを語り、キリスト論の相対化を求め、クリスチャンの信条で「神は全人類の神」と告白することを提言するのである。
これらを受けて、西欧キリスト教は様々に反応した。一つの具体的な例として、南ドイツの小村オーバーアマガウ(人口5350人)で開かれる十年に一度のイエスの受難劇の変化は興味深い。5月21日から11月まで週に5回の上演でチケットの売り上げだけで3000万ドル(32億円)以上といわれ、伝統的な衣装はユダヤ人はすべてファリサイ派ということで黒い衣装、それにたいしてイエス側は白い衣装、ピラトもついでに白衣、こうして、イエスの十字架の死に責任があるのは黒いユダヤ人で、劇のクライマックスで彼ら全員が「十字架につけよと」叫ぶなかで、独唱者の一人がマタイ伝の「血の誓約」「その血の責任は我々と我々の子孫にある」を詠唱する。1934年にこれを見たヒットラーは大喜びでこれを賞賛したと言われるが、2000年の受難劇では、これらは一変した。台本作者と監督とは過去と完全に決別しなければならぬと言っている。イエスはラビと呼ばれ、アメリカの強力なユダヤ人連盟の意見によって聖書の「血の誓約」は消された。村の責任者がこれについてミュンヘン大学の神学部に尋ねたところ承認されたと言われる。聖書の書き換えや、削除については大問題のようでもあるが、本来、さまざまに書き変えられ、削除加筆の長い歴史を経てきたものであるし、現行の聖書もまた、多種類の翻訳によっているので、この機会に、差別文書と目される部分は、はっきりと整理すればいいと思う。さし当たって福音書の「受難物語」は、第二ヴァチカン公会議の「ノステラ・エターテ」の精神に従って、ユダヤ人の気持ちを傷つけるような箇所は、早急に訂正することが求められているのではないか。今や受難劇そのものの性格が問題視されている。伝統的な教会では受難主日には聖書日課としての福音書の「受難物語」全部を読むが、役割を分担して朗詠し、あるいはドラマ化したり、各教会は様々な工夫をしてきたのであるが、われわれは今後どうすれば良いのであろうか。バッハのヨハネやマタイの受難曲は今後どうなっていくのであろうか。わたしは先日、招かれて「ヨハネ受難曲」の演奏を聴きに言ったのであるが、その後、指揮者と話し合ったのは、いつまでこれを歌い続けられるかということであった。
キリスト教会全体としての大変革は1961年に開かれた、第二ヴァチカン公会議といえるであろうが、特にヨハネ・パウロ二世が2000年3月12日のペテロ大聖堂において七人の枢機卿と共同して行った教会2000年にわたる重大な罪の数々を犯したことについての痛悔と懺悔のドラマは決定的だと言えよう。これについては別なところで書いたので、ここでは詳述しないが、キリスト教がユダヤ教を、福音書に依拠しながら差別し、迫害し、ナチスの暴挙を見ながら手を拱いていたことなど、突っ込んだ告白と懺悔がある。またそれ以前に、教皇パウロ6世は第二ヴァチカン公会議の中で、教令「ノステラ・エターテ」(諸宗教宣言)の中で、イエスの十字架の責任はユダヤ人が負うものではないことを語り、「無差別にその当時の全てのユダヤ人に、また今日のユダヤ人に、キリスト受難の際に犯されたすべての責任を負わせることはできない・・・ユダヤ人は神から排斥された者であるとか、呪われたものであるとかいうことが、あたかも聖書から結論されるかのように言ってはならない」と語っている。またルーテルが嘗て発表した反ユダヤ人文書「ユダヤ人と彼らの虚偽」(ヒットラーはこれによってユダヤ人を迫害したと語る)を1994年に米国福音ルーテル教会は公式に拒絶し、さらに世界福音ルーテル協議会もこれを廃棄した。(次号以降へつづきます)
対話の意図とその背景
栗村典男
対話をするという行為の意図、目的とは何であろうか。対話という表現で一般的に古い表現として知られているものは、プラトン(427〜347BC)の著述「ソクラテスの対話」ではなかろうか。然し、その対話は、ソクラテスが自称する「想起法」或いは「産婆術」という表現からも認められるように、対話による「真理の追究」とはいうものの、主として対話相手の知的覚醒を促す、いわば、師からの弟子への教育的関わり、教育的手段としての縦の関係での対話であり、それは民主主義社会で一般的に求める、対話者が対等な関係で対話意図を達成しようというような、横の関係での対話ではない。通常の「対話を進めよう」などという表現には、ソクラテスのような教育的対話とは別の意図もあると考えられる。ここで一般的「対話」について若干の整理をしておきたい。
一般的には、対話は会話の一形態であり、いわば二者間の会話を指すことが多い。とはいえ、その二者は必ずしも二人という二者とは限らず、二つの集団間という場合にもあるが、集団の場合は、状況によっては「各政党間の対話」などというように、三つ以上の集団に膨らむこともないことはない。然し、その三者以上が同時に集って会話を交えるときには、対話という表現よりも協議という表現の方が適切とされている。
生活場面での日常的会話としての対話には、二者の意思と感情の交流による相互の意思や感情を理性的対応としての理解や情緒的対応としての受容によって相互の親和性の深化などができ、円満な、或いはより好ましい人間関係、社会関係の形成、維持、展開が期待されている。また、意図的対話にあってはその意図実現、目的達成を目指していることから、親和追求的対話とは若干の区別と限定が必要かもしれない。従って、意図的対話としての「対話の積極化」という場合には、変化させたい現実の問題や課題、或いは関係が前提にあり、対話による建設的、肯定的、発展的展開期待から対話が始まることになる。そして、その発展的展開は、関係の肯定的「変化」によってのみ可能となるといえよう。但し、その変化が、一方的なものか、相互的なものか、或いは当初からお互いの変化割合、部分が限定されているものか、などの違いなどによって、対話の目的や方法が異なると考えられる。それらの意味を含めて、単純に分類すると、一般社会で「対話」という表現をするものは、次の四つに分類できるかもしれない。
@ 「親和性追求的対話」。これは特別な目的意識のない、一般的、日常的な二者間の会話ともいえよう。「親子間の対話」「夫婦間の対話」等などで、その状態表現が「対話」であっても「会話」であっても本質的な違いは認め難い。
A 「教育的対話」。これは、冒頭のようなソクラテス的対話で、元より主たる話し手としての指導者の変化は期待されていない。一方的な聞き手、思考展開者となりやすい学生などの成熟・成長途上者などの知的覚醒、成熟、成長のための教育技術的対話といえようか。又、聴衆、或いは読者の存在を前提とした解説的「対談」などはこの部類に入るであろう。
B 「研究的対話」。これは、真理追究的であり、その手段、方法の一つとしての意見交換的、共同研究的、或いは共同討議的対話といえるもので、表現を変えれば、課題(真理)追究的対話といえるものかも知れない。理論的対立関係にある者同士の真理追究議論的対話であるならば、先の「対談」にあっても、この「研究的対話」の性質を持つことがある。
C 「問題対応的対話」。昨今の一般社会において、積極的に「対話を求める」というときの対話はこの対話であろう。
一般的には、上記「@」以外は、対話展開に当たって明確な目的意識があり、対話によって何らかの建設的、発展的、肯定的変化が生じることが期待されている。本節では「C」に焦点を絞って考えてみたいが、それに先立って、二者間の会話としての対話という表現の前提にある、会話そのものの一般的意図を概観しておきたい。
明確な意図を持たない日常的会話にあっても、明確な意図を持った対話にあっては尚のこと、会話や対話には何らかの現状維持以上の現状からの肯定的変化が期待されており、その変化は双方の、時には一方の意識の深化、拡大的変化、それに伴う行動の変化としての「関係の変化」「現実生活状況の改善的変化」などが期待されている、と考えられる。そして、そこで必要な共通理解、共通認識としては、対話の必要性を発現させた問題現象や関係の背景、原因は、個人や集団自身における能力や役割などに付随する責任の度合いなどに多少の差異はあっても、少なくとも相互が関係していながらその時点まで問題を問題として継続させており、それを解決し得なかったという限りでの対等な関係による平等な責任があったということへの理解と自覚が必要である。その問題状況や関係に対する平等な責任を自覚する限りにおいて、問題解決責任が平等にあり、そこでの解決には、相互の思考、判断、行動の「深化、拡大的変化」への意志と努力が必要ということが共通理解されていなければならない。
通常、対話を求める者は対話の必要性を感じ、或いは認め、それを対話によって何らかの肯定的展開ができることを期待していると考えられている。そこで、対話呼掛け者は、一般的には、対話が必要と感じ、認める問題や課題の肯定的展開に必要な負の要因、即ち問題現象、或いは問題の原因は、主として相手の側にあると感じ、認識しているといえよう。何故ならば、対話が必要と認識する現象(状況)や関係としての問題や問題の原因が、自身の側にあると感じたり認識したりしているのであれば、対話を要求するというような外への働きかけの前に、自己を省み、自身の意志と実行という自己深化、拡大的変化努力によって問題状況や関係を解決する可能性があることを理解しているからである。対話を必要と判断する状況や関係の背景にある問題やその原因が、自身の自己深化、拡大的変化を含めた思考や行動だけでは対応、解決できない、主として相手の側に問題の主因がある、それ故に、相手の何らかの変化によってしか解決できない、という感覚や認識があるがために自分の外、即ち、相手に向かって対話を呼掛けているといえる。然し、対話を呼掛けられる側には、対話呼掛け者とは同一の認識はなく、自身の方からの対話呼掛けの必要を感じたり、考えたりすることをしていない状態にある、といえる。この理解の限りでは、対話呼掛け者には自身の側に問題があるという認識はないために、対話による自身の変化は、基本的には念頭にない、ということになる。然し、対話、そして対話を呼掛けるという発想の始点は、必ずしもそのような一方的なものばかりではない。
対話を呼掛けるということの始点には、先に対話必要状況やその背景にある問題や問題発生責任が主として相手にあるという感覚と認識が一般的であるといった。とはいうものの、時には、相手の価値観、思考、行動が問題状況の主因にあると理解していても、相手のそのような問題は、こちらの側の理解不足、誤解に基づく対応(関係)が一つの原因になっているかも知れない、と感じる場合もある。それにも拘らず、それを確認する手段が現時点では見出せない、そこで、自身の対応の仕方の変化によって平和裡に問題状況の打開や解決ができるならば、そのために動きを始めようとして対話を呼掛ける、ということもある。その限りでは、対話呼掛け者は、自身の理解や対応への無謬性、無責任を主張し、自己の正当性を前提に、一方的に相手の思想などの変更や状況、関係の深化、拡大的変化のみを期待しているとはいえない。そこには、自身の変化による問題の緩和、解消意志、姿勢がある、といえる。とはいえ、背景には、問題の主因は相手の未成熟性、未成長性などにある、という思いは強く、自身は、自身の本質部分の強さ、大きさに対する自信故に、そこにある自身の余裕の範囲内で相手に合わせて、或いは譲歩、妥協して、問題の緩和や解決を図ろうという姿勢があり、自身の本質部分への変更必要性を感じたり、理解したりしていることは少ない、といえよう。それは、繰り返すことになるが、自身の本質部分に問題があると感じたり認識したりしているのであれば、先ず、自身の問題部分を自身の意志と努力によって解決することが可能と理解するからである。問題の原因が自身にあると感じ、理解し、その自身の問題性が関係の持ち方などで表面化している場合、その問題の解決を求めて他罰的に外部に向かい、対話を呼掛けるなどということは、理論的にも現実的にも、考え難いことであろう。但し、問題原因が自身にあると感じ、認識できていても、それが病的な、或いは深層心理的な要素などが原因で、自身の意志と努力では解決困難と感じ、理解している者は、その解決への援助を求めて外部の、精神科医、或いは心理学の援助専門職に向かうことはあり得るが、それは「対話」要求とはいい難いものである。
また、対話呼掛け時点において、自身の新たな対応方法を求める、探る、即ち、自身の変化の仕方を求めることもあることは少なくはないとしても、少なくとも、その背景の主たるものには、自身の能力の優位性があり、相手に妥協的に合わせることによって問題の緩和や解決を期待しても、問題の発端が自身、或いは自身の背景や自身の根源部分にある、と感じたり認識したりしていることは少ないのは、先に繰り返し述べたことである。然し、自身の変化必要を感じたり考えたりして関係を求め、思索を巡らすような対応は、現実の一般的関係の中に少なからずある。例えば、乳児に対する主として母親の対応がある。何らかが原因でぐずつく乳児の、そのぐずつきの原因が理解できず、母親が問題解決のために悩み、苦しみ、努力をし、その一方的な努力の結果として解決方法を見出し、そして一方的な自身の対応の変更によって問題状況を打開する、ということがある。これは、一般的な対話関係とは明確に異なるが、対話呼掛け者の心理には、この母子関係での母親的心理が部分的、或いは一時的にあることは否定し難いのではなかろうか。
以上のような前提から思考を発展的に展開しようとするならば、対話を呼掛ける者は、基本的には、先ず広い意味での相手の意思や感情を「聴く」という姿勢を持つことが期待される。聴くこと、それは相手を受け入れ、理解することであり、相手や状況に対する理解が深化、拡大することで、聴く者、受容者自身も深化、拡大的に変化することになる。同時に、聴いて貰えた、即ち、話せた、表現ができたという者も、受容されることで自己や自己存在が確保でき、安定し、そこから深化、拡大的変化への足場、自信ができ、相手を受容、即ち相手の知識や感情、理論などを吸収し、結果として自身の思考、判断やその基準となっているものが深化、拡大的に変化し、次いで、自身の行動の変容が生じ、新たな関係が展開できるということへの理解と信念を持つ、或いは共有するという展開が期待できる。
一般的に、対話を呼掛ける者は、繰り返し述べているように、当面している問題状況や問題関係の主因が相手にあると理解しているために、対話は、自身の正当性、誤りのなさを主張し、相手の誤りや未熟性を指摘して、相手の変化を期待するために、自己主張的自己表現、即ち、「話す」こと「聴かせる」ことから始めやすい。然し、状況、関係の変化は、自身の未熟さや誤謬への気付きと、その気付きによる新たなものの吸収、そして、その吸収の結果としての深化、拡大的変化が必要である。仮に、問題やその原因の主たるものが対話を呼びかけた相手の側にある場合でも、それを相手が気付き、自覚する前に外部から指摘、批判されることで修正などの変化をさせるということは、相手の主体性を損なったままでの表面的変化としかならないことが多い。それは、一般的状況としては、強い権力関係下での上位者による強制的作用に下位者が服従した、隷属的変化でしかなく、正常と理解されている社会関係形成を目的とした対話関係とは異質なものでしかない。従って、自覚以前の問題指摘や批判は、外部者が指摘する問題やその原因が、特に相手の思考停止的信念、絶対的前提にある場合、相手に自己存在の不安定化を感じさせ、自己存在の確保、保護という自己防衛的姿勢を優先するために、その対話そのものに積極的に参加することはないことになる。そのように理解することができたならば、対話を呼掛ける者は、対話の始めに、相手の主張、思想を聴くことから始めることが、対話による発展的変化を期待する最も効果的な姿勢であることが理解できよう。いうまでもなく、人は、黙って聞かされる、という受身の関係、例えば、初めから一方的に聞くことを求める教育関係は、聞かされる側に主体的欲求(所謂、準備性)が形成されていなければ、対話関係の主体が単に相手にあるために、その話としての意思や感情、或いは自身が持っていなかった思考材料や思考方法などを吸収、受け入れる度合い(所謂、動機付け)が薄いと理解されている。対話関係での変化は、変化への内発的動機が強ければ強いほど大きなものとなるが、その内発的動機を持つという主体性の効果的な形成と維持には、それなりの理論と技術が必要といえよう。
そこで、対話呼掛け者は、初期においては「聴く」ことに比重を置いても、対等な関係では対話必要とされる問題やその原因に対する責任の対等、平等性が共通理解され、共有されている状況や関係を前提として、問題や課題などが根本的前提としているものへの検討と思考(論理)展開方法、即ち論理性についての議論を展開することが期待される。その過程で「聞く」ことから「聴く」ことへの拡大的展開、即ち、自身の思想や相手の理論根拠(背景)、論理などに対する疑問などを表現、即ち「話す」ということに先立った「聴く」という行為からの対話展開努力は、対話呼掛け者としての責任、義務的姿勢であることへの自覚は当然のことである。対話とは、特に対話呼掛けによる対話とは、聴くという受容から始まり、そして受容による吸収、その吸収を踏まえた思考、過程での、或いは、対話の段階的結果を踏まえた発言として話す、更には、対話によって思考を深化、拡大することで自身の思考根拠、思考方法などが発展することでもある。その対話の過程で重要なことは、自身が理解していたもの、或いは思考、行動場面で信念的前提としてきたもの、それまで懐疑の対象としていなかったものをも、相手から必要とされたときには検討の対象とし、発展的に修正しようと意志することで、行動、生活、関係を変えることを目的としている、といえるであろう。ここまでの理論展開について、否定的理解をすることはないと考えられる。一般社会においては、人々は独立した人格を持ち、社会的主体性を持ち、自然・社会的環境によって形成された独自な文化などやそれを根底に持った生活をしており、それらの独自性や主体性が人権ともなって尊重されている。然し、独自性、主体性の尊重に付随して生じる個人間、集団間の差異(異質)性が、人間関係、社会関係に或る種の根源的対立、葛藤などを生じさせる要素として内在しているといえなくはない。人は、思考、決断、行動に先立って、何らかの判断基準として価値観や信念を持たざるを得ない。もし、理性的判断基準に基づく自由意志否定し、心理学的決定に拘ると、ビュリンダ(1315〜58)のロバの比喩の如く、餌を前にして飢え死にすることになるように、理性的存在性を軽視することになるであろう。この、独立し、主体性を持った人の精神的生活に不可欠な、或いはその根源にある価値観や信念から半ば不可避的に派生する問題への対応は、人の存在の本質に関わることであることから、理性的対応のみでは解決は困難と理解しなければならないかもしれない。この、人の存在の根源に関わる価値観や信念などに絡んだことから生じた対話要求、即ち、問題対応的対話が必要と認められた状況にあって、その解決などのための変化必要性を考えるときの問題を考えてみたい。(次号以降へつづきます)
戦陣訓とハーグ条約
法橋登
1.軍人勅諭と戦陣訓
太平洋戦争末期に沖縄で起こった「集団自決」の歴史教科書での取り上げ方や自決の背景になったとされる軍人勅諭や戦陣訓が議論されている。軍人勅諭は、西南戦争後の恩賞と処遇をめぐる近衛兵の反乱(五三人の将兵が死刑判決を受けた竹橋事件)鎮圧後に陸軍卿山県有朋の委嘱を受けた啓蒙思想家西周が起草した皇道思想に井上毅や山県らが加筆修正した軍人の服務心得で、戦陣訓は、日中戦の長期化による抗日運動や軍規の乱れを受けて陸軍大臣東条英機が島崎藤村、土居晩翠らに草稿を委嘱した軍人の行動規範である。この戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず」はよく「集団自決」に結びつけられる。陸軍は、帝国憲法発布に先立って下付された軍人勅諭に天皇による統帥宣言書として特別の地位をあたえたが、海軍では軍人の国政不関与令として受け止められた。東条英機は東京裁判でA級戦犯一号になったが、開戦時に真珠湾攻撃に加わった酒巻海軍大尉は米軍に救助され捕虜一号になっている。
2.皇土決戦と総力戦哲学
私は終戦の年の四月、中学二年から和歌山県境に近い大阪陸軍幼年学校に入った。米空軍の爆撃目標になっていた名古屋の飛行機工場への勤労動員との選択だった (米国では数学のできる高校生が人間計算機として原爆計画に動員された)。最近まで自分を最後の陸軍生徒のひとりと思っていたが、先月届いたOB誌で自分たちのあとで中学四〜五年生を対象にした陸軍予備士官学校の生徒募集があったことを知った。入校日は八月だった。その八月に自宅で待機中の採用決定者あてに教育総監から次のような「心得」が送られた。「諸君は初志貫徹し本校採用者に決定されたり。皇土決戦の秋にあたりいよいよ学徒の本分に精励し、有終の美を飾るに努め、健全なる身体、旺盛なる志気をもって全員無事着校せんことを切望す」。日付がないので「心得」が原爆投下の前か後か推測するしかないが「心得」にある「有終の美」を飾る時期は米軍の本土上陸が予想された「皇土決戦の秋」九〜一一月である。八王子から松代に通じる地下壕が「決戦」の最終ラインだという地元の噂もあった。開戦の前年に哲学者西田幾多郎は皇室を「哲学以前にして以後の哲学」である「絶対無」のモデルと考えたが、西田門下で物理出身の田辺元は有終の美を飾る時を「歴史的現実が永遠に接する瞬間」とよんで学徒を送り出した。しかし「私には憎むべき敵が分からない」と書いて出陣したある学生は、「歴史のまわり合わせを憎み続ける一生より歴史的瞬間での死を選ぶ」という遺書を残した。「皇土決戦」は「現実が浄土を映し浄土が現実を映す(西田)」宗教行為だった。日本の聖戦哲学や総力戦哲学は防空能力を失った日本本土への無差別爆撃の哲学的根拠になったことは、爆撃機のパイロットの戦後証言で知った。
3.ハーグ条約
第一次世界大戦のあとに結ばれた戦時国際条約(ハーグ条約)俘虜条項には「捕虜の認識番号や年齢、所持品などの個人情報や健康状態を自国機関を通して国際赤十字委員会に報告すること、捕虜になる前と同じ軍人の地位や生活水準で処遇すること」などの規定があるが、実際には敵対行為をしないという誓約書を書いて即時開放された例もあった。日本は条約に調印したが、西洋人の労働条件や生活水準が一般日本人より高いことから条約遵守は困難として批准せず、準用にとどめた。しかし遼東半島青島の駐留地から香川県善通寺に収容されたドイツ人捕虜のなかには「第九」や近代的養豚を地元に伝え、開放後日本に永住して製パン業を起こしたり洋菓子店を開いたひとたちもいた。日米開戦直後に国際赤十字委員会から両交戦国にハーグ条約の再確認が求められたが、赤十字資料によると2次大戦中に外地の収容所で日本軍の管理下にあった捕虜の総数は11万人余(シベリヤでの日本兵の戦後抑留者は60万人)だった。米連合軍による日本軍将兵の捕虜も赤十字に報告されその資料も国内で閲覧できるが、日本では捕虜は存在しないことになっている。最近中国広東省で雑誌記者が接触に成功した八一才になる旧日本兵はその例である。六〇年間山中や谷川でヤマイモや魚を採って暮らし、時々里びとの農作業を手伝って米や野菜の提供を受けていたが現在は現地の養老院に保護されている。フィリピン・ルバング島で三〇年間ひとりでゲリラ活動をしたあと投降した小野田陸軍少尉の帰国第一声「辱ずかしながら」は流行語になった。
4.戦陣訓から微生物学へ
大阪の陸軍学校生徒として戦陣訓世代の最後のひとりになった花房秀三郎は、戦後阪大理学部化学科から米ロックフェラー研究所に移り、がんウィルス研究の開拓者としてこの分野の最高賞ラスカー賞と日本学士院賞を受け、ノーベル生理医学賞候補・ロックフェラー大学名誉教授・大阪バイオサイエンス研究所長として日米両国で有終の美を飾っている.。陸軍学校で軍人勅諭と戦陣訓に次ぐテキストになった「作戦要務令」は、孫子の兵法の現代版とされる。そこには「戦勝の要諦は有形無形の戦闘要素を一点に集中するにあり」とある。この言葉は、たとえば万能細胞の実用化をめぐる日米開発競争で、一〇年間で一〇〇〇億円の開発費を投入する米国の一極独走に対抗するアドバイス「有形無形の開発要素を一拠点に集中せよ」ととれる。花房は、世代交代の早いがんウィルスに特化された微生物の観察から人間未来のすべての可能性がみえるという。(湯浅・川東)