私達の教育改革通信
第 109号 2007/9
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地球環境への警鐘(2)一日記から 橋本道哉
3月10日 アインシュタインが大正11年11月来日して日本を賞賛して次のように述べている。『日本の家族制度ほど尊いものはない。欧米教育は個人が生存競争に勝つために極端な個人主義となり、あたり構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみとなった。家族の絆はゆるみ、芸術や道徳の深さは生活から離れている。激しい生存競争によって共存への安らぎは奪われ、唯物主義の考えが支配的となり、人の心を孤独にしている。日本は個人主義は僅かで、法律保護は薄いが世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と美しい心が保たれている。この尊い日本精神が地球上に残されていたことを神に感謝する。』
アインシュタインにここまで言わせた当時の日本人は現在では存在しない。現在の日本人は別人種で、遺伝子すら受け継いでいないようであり、当時の欧米人よりはるかにひどい。内閣府の調査によると、『父親は生き方の手本』と答えた18―24歳の若者はわずか全体の15%に過ぎない。アメリカでは43%韓国の29%と比べ落差が大きい。日本人の大人は自分の子供からも尊敬されていないようである。子供の教育を母親に丸投げし、母親は学校、熟や家庭教師にアウトソーシングしているのだから、子供から尊敬されるはずがない。
さて、今年開かれたパリでのIPCCの会議は非常に大きな意味があった。CO2による地球の温暖化が科学的に証明され、否定派や懐疑派は完全に一掃された。全世界で起きている気象異常は明らかにCO2による地球の温暖化が原因であるのに、自分のことしか考えない現在の日本人にとっては、真実を聞くのは不都合であり、真実は歓迎せざるものだとして、見ぬふりをするのが楽だからだろう。大正時代の日本にはそんな身勝手な人は居なかったのではないかと思う。
孫達が我々の年代になって地獄(自分勝手な人間は当然地獄に落ちる)に居る我々に向かってこんな質問をするだろうことを想像してもらいたい。(ゴアの言を借りれば)『あなた達は何を考えていたの?私たちの将来のことを心配してくれなかったの?自分のことしか考えなかったから、地球破壊を止められなかったの?――止めようとしなかったの?』このまま放置しておけば何年か後にはこんなことが必ず起きる。こういうような状況になっているのに、不都合な真実を見ぬふりをして無関心を装うのは、我々が子孫に対して未来の殺人罪を犯すに等しい。友人の片山虎さん(自民党の参議院議員幹事長)が『不都合な真実』という題名の映画を見てショックを受け、今年のサミットの主催国である日本でこの問題を主要テーマとして提起して会議の主導権を取りたいとの連絡がありました。先日(2月25日)、皆さんにお送りしたCO2問題のメールを片山虎さんにも送ってあります。今までの生き方を転換させるための世界運動を起して何とかしないと大変なことになる。皆様方も何らかの形で行動を起してもらえればと思う。
3月16日 中国政府は隠していますが今大変なことになっています。中国人は環境を保護する意識はないので大きく取上げていませんが、日本もこのまま放置しているといずれこのような状況になると思います。
3月29日 現在CO2の排出量は72億トンで自然の吸収能力は30億トンで80%から90%も減らす必要があると言っている。しかも対策を行っても地球は大きな慣性があり温暖化を止めるのに多くの時間がかかり、また対策や人間の行動パターンを変えさせるためにも時間がかかるので、今すぐ行動を起さないと間に合わないと言っている。国立環境研究所と京大、東工大等で色々シミュレーションを行っており、温室効果ガス70%の削減が可能であるとしているが、それでもかなり難しいと思われる。自然の吸収力の30億トンが減少することを計算に入れていない。
現在人類一人当たり1トンのCO2を排出しているが、日本人は一人当たり3トン、アメリカ人は5.5トン、中国人は今のところ0.5トンに過ぎないが今後は増えて行くだろう。30億トン以下に抑えるためには先進国民は0.5−0.8トン/年まで減らさなければならいことになる。到底不可能に思えるが実行しなけば人類は滅亡するのである。
日本人はヨーロッパ人に比較して、頭で理解してから行動を起すまでの時間がかかりすぎているとの不名誉な評価を得ている。ヨーロッパでは都市内の車を減らすために路面電車の導入を始めたが、日本では岐阜市では路面電車を撤去している。中国でさえも燃費の低い車の使用禁止を行い始めたようだ。アメリカの車は買ってくれなくなるようだ。いずれにしてもやるべきことは実行する必要があると思う。
4月3日 地球の大気のほどよい温室効果で地球の気温はちょうどよい温度に保たれている。さらに地球は人間と同じように海水や陸地によりある程度環境がかわっても温度の自己調節機能が働いている。金星を取り巻く温室効果ガスはあまりにも厚いので生物が生きられないほど高温になっている。火星のまわりには温室効果ガスがほとんどないので人間が生きられないような低温になっている。地球のまわりの大気は、ボーリングのボールにニスを塗ったような薄くて壊れやすい。有史以来CO2の濃度が300ppmを超えたことがなかったのに現在では380ppmになっており、現時点で2ppm/年で増えており、しかも加速されている。450−550ppmがポイントオブリターンと言われておりこの数値に達するともう人類の絶滅は避けられなくなる。
CO2が増えると自然の吸収能力が減少するので、人間一人当たりの発生量を早急に30億トン/70億人=0.43トン/人に抑える必要がある。日本人は現在3トン/人発生しているので80%減らさなければならない。したがって私の提案は、エネルギー消費者がエネルギーの消費量を半分に減らし、エネルギー供給側は化石によるエネルギーを減らしてCO2の発生量を60%減らせば、80%CO2の発生量を減らすことができる。
地球には大きな慣性があるので気温上昇を止めるにはある程度時間がかかるし、人間の生活習慣を変えたり省エネ対策を実行するまでに時間がかかるので、今すぐ対策を立てて実行しないと間に合わない状態になっている。現在72億トンのCO2を発生しているのだからこれを30億トン以下にするには容易なことではない。
4月7日 昨日来、マスコミが地球の温暖化に関するIPCCの報告を報じておりやっと世の中が騒ぎ出した。私の感触ではこれらの報告は、非常に控えめな内容になっている。第一に現在人類が72億トンのCO2を排出しているのに自然の吸収能力が30億トンであることを報告していない。地球の温度の上昇は正のフィードバックがかかるので突然跳ね上がる。
太陽は1年中地球の北回帰線と南回帰線の間の真上にあり、赤道から太陽光が半年しか浴びない北極と南極へ熱を再配分している。赤道の気温が0.5度上がると地球全体の気温は2度上がり、北極と南極では7度も上がる。したがって温暖化の現象は北極と南極で極端に現われる。
赤道から極地域への熱の再配分が原動力となって、メキシコ湾流やジェット気流といった気流や海流が生じている。このパターンが乱れるとあらゆる文明に計り知れない結果をもたらすことになる。人類の文明が始まって以来、気候のパターンはずっと、今日のパターンと同じであった。人類はどのような場所でもこの気候のパターンを踏まえて場所を選び、開発してきた。メキシコ湾流が北極からグリーンランドを渡ってきた冷たい風とぶつかるとメキシコ湾流の熱を奪う。その熱は地球の東への自転が起す卓越風に乗って蒸気として西ヨーロッパに運ばれる。また暖かいメキシコ湾流はグリーランド沖で熱交換して深層の寒流となって帰っていく。すなわちこの場所が巨大な熱塩ポンプの機能を果たしている。北大西洋で暖かい水が水蒸気となって蒸発すると、あとに残る水は水温が低いだけでなく、塩分はそのまま残るため、塩分の濃度が増す。そこで水はぐっと重くなり、毎秒2000立方メートルという信じられない速度で沈み込んでいき寒流となって南へ帰っていく。しかしグリーランドの氷山が溶けて海水の塩分が薄くなるとこの熱塩ポンプが機能しなくなる。この熱が供給されなくなるとヨーロッパは氷河期に逆戻りしてしまう。
その他あらゆるところで異常気象が起り、今まで人類が築いてきた文明だけでなく地球上の生態系が崩壊してしまうことになる。
4月8日 先便で北極や南極に近づくに程温度上昇が大きいと言ったが現在、南極とグリーンランドで危険な状態になっている。東南極の氷床は、地上最大の氷の塊である。しかしこの氷が溶け始め容積が減少し海への流出が始まっている。
次に西南極の氷床は島の頂きに立てかけられたような状態になっている。その氷は浮いている氷と違ってその氷の塊の分だけ海水が減っている訳ではない。つまりこの氷が溶けたり、島とつながっている部分から外れて海水に滑り落ちたりしてしまうと、世界中で海水面が6m(58cmの説もある)も上昇することになる。現在この氷床の底側に憂慮すべき重大な構造上の変化が起きている。
興味深いことに、西南極の氷床とグリーンランドのアイスドームは、その大きさも質量もほぼ同じである。アイスランドのアイスドームが溶けたり、崩壊して海に滑り落ちると世界中の海水面が6m上昇することになる。
また北半球のツンドラ地区が溶け始めると大変なことが起る。最後の氷河期以来凍っている100平方キロの土地に700億トンの炭素が溜め込まれており、この永久凍土が溶けるにつれて炭素が不安定になりつつある。シベリヤの土壌中には、現在人類が放出している年間排出量の10倍もの炭素があるが、これはCO2ではなくCO2の24倍の温室効果があるメタンガスである。もしこれが放出し始めると、地球は一瞬にして金星のような高温惑星になり生物は絶滅してしまう。
既に議論の段階は終り、早急にアクションプランを作って実行すべき時期に来ている。(了)
技術革新により地球環境は救えるか
菅野礼司
地球環境の悪化、特に化石燃料の大量消費による温室効果ガス(CO2、メタンガスなど)の増加で、地球温暖化は急速に進んでいる。国連機関のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次報告は、この温暖化は人為によるものであることを指摘した。ドイツで開かれた今年のG8サミットでも、地球温暖化防止のためにCO2排出の削減目標が大きな議題になった。このニュースは地球環境の問題を世界の人々にアッピールする効果はあったろう。しかし、その目標を実現する手だての議論には、足並みが揃わず真剣みが感じられなかった。スローガンに終わりそうな気がする。
ところで、地球環境保全のために、CO2排出の削減や省エネルギー技術の開発の必要性がしばしば唱えられている。日本政府や経団連幹部もその方針を打ち出している。環境破壊を防止して地球を救うのも、科学・技術での力が大変有効であることは間違いない。しかし、それにも限界があるし、また、そのための新技術も使用法によっては逆にエネルギー消費を増やす結果になったり、新たな環境破壊の要因を生み出す可能性があることを認識すべきであろう。
環境保全対策のための科学・技術の開発には、主に(1)省エネルギー・省資源のための機器・装置の小型化、(2)悪影響のある物質に替わる技術や代替物の発明である。
(1)の小型化では、大型機器を小型することにより、製造のための資源が節約されるし、そして運転のためのエネルギー消費量が大幅に減る。それゆえ、環境破壊を阻止するのに大変有効であるように思える。
たとえば、コンピュータの場合、半導体のICチップス技術が進んだために、大容量メモリーのコンピュータの小型化で資源の節約は計り知れないであろう。さらに、その運転に必要な電力使用量は桁違いに少なくて済む。また、超微細物質を操作し細工するナノテクノロジーの進歩は、多方面で機器の小型化を可能にしつつある。
これらの技術開発により、非常に多くの機器の小型化が進み、莫大な資源とエネルギーの節約が可能になった。
だが、喜んでばかりはいられない。コンピュータの小型化により、パソコンが一般家庭にまで大量に進出した。今では携帯電話機がそれに替わろうとしている。その結果、社会全体で見れば、パソコン・携帯電話の全台数は指数関数的に膨れ上がり、それの製作に必要な資源量と電力消費量は、大型コンピュータ時代に較べて却って増えた。技術革新による機種の改良で、次々に新機種が売り出され、売れ残り物の廃棄と使い捨ての無駄は目に余るものがある。
この種のものは、その機器が便利であればあるほど、また情報化社会が進めば進むほど、需要が増大し普及する。小型化はその需要に応えやすいから、市場原理優先の経済社会ではその動きを止めようがない。
次に(2)の代替物発明の技術はどうであろうか。結論を先に言うと、新たな環境破壊をもたらし、下手をすると、環境破壊の拡大再生産の可能性があるということである。
その典型的な例は原子力発電であろう。化石燃料の枯渇対策として、またCO2の排出を抑制できるといって、かっては世界的に大変宣伝された。日本でも科学技術庁(現在は文部科学省)が原子力発電に熱心に肩入れした。その推進理由には一理ある。しかし、使用済みウランの処理(原子炉の灰)、老朽原子炉廃棄処理の対策に関する見通しが甘く不十分であったために、今になってそれらの処理に困っている(これには莫大な経費がかかるのに蓋をしてきたので、原子力発電コストを不当に安く評価した原因でもある)。処理できない使用済み放射性廃棄物は、蓄積する一方で下手をすると、将来地球の広範囲が放射能で汚染されかねない。それゆえ、原子力発電は新たな地球環境汚染の要因を作り出す可能性がある。
代替物のもう一つの典型は、冷媒ガスとしてのフロンガス(クロロフルオロカーボン)の利用である。それ以前に使用されていたアンモニアなど有害な冷媒ガスに替わってフロンガスが発明された。フロンは、無色無臭、不燃性で化学的に安定しているなどの特性があり、人体に無害であるうえに大気汚染の問題もないともてはやされ、エアコンや冷蔵庫の冷媒、電子部品の洗浄、発泡スチロールの発泡材、スプレーなど、広範囲に大量に使われた。しかし、大気中に放出されたフロンが、有害紫外線を吸収するオゾン層を破壊することがわかり、たちまち使用禁止になった。しかし、すでに大量のフロンが上層大気中にあり、オゾンホールは拡がった。またすでに使用された機器中のフロンの回収は容易でなく、今も少量ながら放出されている。フロンガスは、代替物が新たな環境破壊の要因となった典型的例である。
現代では、科学・技術の規模は巨大化され、一挙に大量の物が製造されるようになった。地球環境保全はスケールが大きいので、その技術は必然的に大規模となる。従って、新技術が開発されて一気に使用されると、たちまち全地球にその影響は及ぶ。それゆえ、十分なテストで安全性を確認せずに使用すると、後から気づいたときには遅く、取り返しができないことになる。CO2を凝縮して埋める方法や、海水に吸収させる方法などいろいろ研究されているが、その2次的効果を十分検証しないと思いも寄らぬところに影響がでるかも知れない。人間の知恵はまだまだ不完全であり、技術には予知できない抜け穴がある。
環境破壊を救うのも科学・技術の力ではあるが、そのための新技術は環境保全以外に利用され、むしろ金儲けのための技術開発の方が優先される傾向が強い。それが資本主義社会の市場原理である。便利な生活環境で育ち、それに慣れた人間は、その生活が当たり前と思って、さらに便利さを求める。だから、生活に便利な機器はどんどん売れるので、資源・エネルギー消費の増大に繋がる。それゆえ、何か重大な問題が起こらなければ、この連鎖は止まるところなく続くだろう。
技術開発による新技術の発明は仕事の能率を大いに上げるが、多くの場合は、逆に新たな仕事を作りだし、むしろ社会全体の仕事量を増やしてきた。便利さを求める新技術は社会の活動力を高める潜在能力を持つ。それゆえ、便利な新機械ができると、それが無ければなしですむ余分な仕事を作り、関連産業を生みだす。たとえば、複写機の発明はその例である。大量のコピー機の普及は資源と電力の大量消費をもたらしたばかりでなく、それに付随する多くの仕事を増やした。それまでは、無くとも済ませたものをコピーし、無駄なファイルが急増した。その結果、コピー作業、事務量の増加、紙の大量消費、紙屑処理といった、環境にとって負の効果を大量に生みだした。コピー機は携帯電話などと併せて情報公害をもたらしたと私は思っている。
これまでの経験で、新技術により便利な物ができても、社会全体で見ると仕事量が大量に増えて、人間の一日の労働時間はあまり減らなかった。ロボットの進歩は人間の労働を軽減し、労働時間を短縮するのではなく、生産量を上げるためにだけ利用され、人間の余暇をあまり増やしてくれなかった。日本では機械化が進んだ結果、むしろ労働時間は延長され過労死がでた。いまだに過労死は依然あとを断たない。
新技術の開発で仕事の能率が何倍上がったか、そしてその技術に付随して(その技術の応用も含めて)増えた社会全体の仕事量の両方を評価すること、またその技術と関連した新機器を含めて資源・エネルギー使用の増減を評価することが必要であろう。これまでは、新たな経済投資や新技術の波及効果は、便利さの向上と経済成長率の面でのみ評価されていたように思う。
このように、環境問題を解決するための科学・技術開発は、新たに別の環境問題を作りだし、最悪の場合は矛盾の拡大再生産になりかねない。また、便利な機器の発明は、現在の社会制度では、逆に仕事を増やし、労働時間の短縮にはならない。この悪循環を断ち切るには、私たちの価値観を転換し、生活習慣を変えなければならないと思う。日常生活でも自動化が進み、電気を消費する装置が日増しに増えている。資本主義下の市場原理優先社会では、この傾向は止まない。そして、私たちがスピードと便利さを追い、物質的豊かさを求め続けることを止めなければ、環境問題に救いはないだろう。
日本から、なぜ世界の一流音楽家が生まれ難いのか
−日本人と音律−
木下久雄
日本からは“世界の一流音楽家”が、あまり誕生しないと言われる。その通りである。この現象については、歴史的、比較文化的、市場経済的条件などとともに、情緒的な要素が語られることが多い。しかし最も重要な一つは《音の絶対美》への感覚にある。この感覚は、二つの要素=実は一つに集約できる要素=に絞られる。一つは「絶対的な音美感」であり、もう一つは平均律と純正律などの音律に基づく“重なった複数の音の美しさ”に対する感覚である。そのよって来るところを少し述べてみたい。
まずは現況を見よう。音楽の創作(作・編曲・改変)、演奏に際して西欧人がリーダーシップを取る場合の日本人への評価は、日本国内における評価とかなりの相異が見て取れる。日本側から見ると、
@日本国内で評価され、人気のある演奏家が西欧でどのように評価され、人気を得るか。
A内外各地の音楽コンクールで、どのような演奏者が高い評価を得るか。また日本人の入賞者がどの程度『商品』として扱われるか。
が関心の的だ。日本国内での見方と欧米のそれとに明確な差があることは、このところかなり認識はされている。Aに注目すると、コンクールと言うイヴェントは政治的、経済的、時事的要素が非常に大きいため、日本人が入賞するケースはここ3世代ほどの間に大きく伸びた。しかし、その中から世界的に商品価値を認められた演奏家が現れる確率は極めて小さい。メジャーレーベルからCDが出ている演奏家でも、実際には日本でしか売られていないという人も少なくない。西欧諸国のミュージックショップで全く同じレベルで売られている演奏家と言うことになると小澤征爾、内田光子、ミドリ(五嶋 緑)他十指に満たない。(尤も、諸国それぞれ贔屓があり、自国の作品・演奏家はどこでも大切にされる。例えばパリへ行くと「へえ、こんな人がねえ」と首を傾げたくなるフランス人の二流演奏家が多数売られていたりする)上出の日本人演奏家は「世界的にみても世界的な」存在なのだ。こうした状況には、実に様々な要素が見て取れる。
さて、筆者が注目するようになった1960年代以降、記憶に残る国内・海外双方での演奏家に対する様々な評価には、(特に批評家筋などオピニオン・リーダーのコメントや『採点』を見ると)内外共通の採点パラメーターがある。「あらゆる曲を不自由なく演奏できる技術」を持つこと、「音が綺麗でよく透る」ことの二つだ。至極当り前である。が、音楽のジャンルを問わないこの「当り前」に日本と西欧では異なる多重の意味がある。
たとえば「音が綺麗でよく透る」について、日本の伝統芸能の『美しい音』と西欧との音響学的な相異を一つ挙げておきたい。西欧音楽の場合、音の澄み具合とソノリティが、ほぼどの国においても共通する価値観で評価される。「澄み」と「ソノリティ」を一般的な言葉で表現することは非常に難しいが、音響学的には中音域(2千Hz近辺)の倍音(高調波)の含み方が決定的な要素になる。(最高音域の倍音の含み方は、音の「特徴」として評価されることが多い)
ところが、日本の伝統芸能を背景にした音への美意識には、これとは異なる独特の高調波への尊重が見られる。(声楽を例に取ると比較的わかりやすい)日本芸能の「声の潰し」の次の段階として見られる発声は、西欧声楽の無駄のない発声と好一対であろう。かといって西欧音楽の中に「しわがれ声」への許容が皆無かというとそうでもない。オペラの世界でも、独特の声が珍重されるケースは多数あるのだ。同様に世界各国で独自の様々な発声が見られる。(必ずしも地声だけではない。中国歌舞に聞かれるような独自の発声、モンゴルなどの“ホーミー”などはその一例)画一的な整理は絶対に不可能だ。
面白いのはオーケストラなど合奏体の評価であろう。これには東西の差があまり見られない。雅楽をとっても、歌舞伎をとっても、西欧音楽合奏をとっても「アンサンブル時の音の美しさ」がまず第一の評価条件である。規模に関わらない。ポピュラーなところで欧州のメジャーオーケストラの「言わず語らずランク」の最高峰は揺るがずベルリン・フィルとヴィーン・フィルだが、この両者と肩を並べる存在も十指に余り、その評価は音楽監督者=指揮者によってかなり変動する。オペラ劇場付きのオーケストラへの評価はさらに多重的だ。小規模合奏に例を取るなら際立った音の美しさで定評のあったアマデウス弦楽四重奏団、精密な表現が頂点を極めた全盛期のジュリアード弦楽四重奏団の評価は今も揺るがない。詳述は避けるが、合奏体の評価では、構成員の「音作り能力」がまずは優先され、それを基礎的に訓練し集大成する音楽監督(わかりやすくは主席指揮者)の能力が問われる。ヘルベルト・フォン・カラヤンが同世代の指揮者たちと一線を画した扱いを受けているのはまずこの理由による。また日本人としては破天荒といってよい評価を長年欧米で得てきている小澤征爾の能力もそこだ。(ディテールは省くが日本におけるこの二人の巨匠への音楽批評は、殆どがこの点実に的外れであり、偏向している)
そしてこの基礎条件に重なるのが「音楽表現」であり、日本でも西欧でもトータルな演奏批評時には、見かけ上この「表現」があたかも第一であるように書かれる。コンクールの審査結果にしても同じことだ。しかし西欧では基本的演奏技術と音の美しさが「批評の前提」であって、「表現」はその上に構築されるものとして評価され、批評される。
ところが日本の音楽批評では、今もって前提抜きにまず「表現」である。批評家と呼ばれるオピニオン・リーダーたちは、例外なくエモーショナルな言葉を使って紹介し論評する。そしてこれが、言葉の上で西欧の批評と一見同じレベルで行われているように見えるところに問題がある。もう少し細かく言うと西欧の場合、「技術」と「音が美しい」ことはあらゆる表現の根幹としてまず「批評の対象にするかどうか」の前提になっているのだが、日本の場合、そうではないのだ。明治の昔から、日本人が好きなのは「髪振り乱しての熱演」や「水の如き清冽な演奏」「悟りすました老境」なのである。日本国内では、基礎技術に問題があり、音も美しいとは言えない奇妙な演奏家が人気を博してしまう。日本では「音の美しさ」のレベルが低いがゆえに、批評の対象にしてもらえないと言う現象はまず見られない。
裏返すと、西欧の場合、音楽表現上の能力があまり高くなくても「傑出した美しい音」だけを評価されてコンクールのトップに立ってしまう人が時折見られる。一つだけ例を挙げておけば、ウラジーミル・アシュケナージがショパン・コンクールに優勝できず2位に甘んじた時、1位を勝ち取ったのはアダム・ハラシェヴィッチという、おそるべく音の美しいピアニストであった。しかしこの人は結局2線級の演奏者に終り、アシュケナージには到底及ばなかった。
話をはしょるが、日本人の西欧音楽に対する感覚には極めて大きな特徴=欠陥がある。一つは創作・演奏全面にわたる基礎技術に対する認識不足。特に演奏に関するそれは殆ど絶望的である。スポーツの技術については分析的なコーチングがかなりの域に達しているのに、この領域ではさっぱり進歩が見られない。むしろ退歩の傾向にあり、音楽課程の学生のうちかなりの人数が西欧でレッスンを受けており、その内少なからぬ数が『基礎からの叩きなおし』を受けている。(もちろん海外崇拝のせいもあるが…この要素についてはいずれ稿を改めたい)
しかしこれ以上に大きな要素は、さらに基本的な「音律」に対する「耳」である。もう少し具体的に言うと「平均律」という極めて便利で合理的だが部分的に音を濁す要素の大きい音階システム=音律と、自然音の成り立ち・構成に基づく不便だが響きの美しい「純正律」や、それの修正システムともいえる「ピタゴラス律」「ミーントーン」など西欧の伝統的な音律とを「演奏の中で整合させ、最終的に美しい音を生み出す」技術の差なのである。高いレベルで言う西欧人と日本人の「音感覚の差」はこれである。我国と西欧人の大部分に基本的な差はない。しかし、西欧(とその傘下文化を持つ国)では、専門家への道を歩む才能の持ち主の場合、早い時期からこの整合技術を「伝統的に体得」する。
荒っぽく言えば、平均律を主軸に様々な音律システムの長所をフレキシブルに生かし合って「美しい響き」を作り出せるかどうかが、平均レベル以上の西欧音楽の演奏における一流かどうかの分かれ目であろう。
くどくなるが、「例えば平均律とその他の音律とのすり合わせ」をもう少しわかりやすく説明してみよう…ピアノの鍵盤を想像して欲しい。例えば「ド」の音の隣には半音高い「ドのシャープ」がある。その隣は「レ」だ。そしてレの半音低い「レのフラット」は、「ドのシャープ」と同じキィである。それならあらゆる音階に「フラット」は要らない。シャープだけでいいはずだ。なのに楽譜には必ずシャープとフラットがある。なぜだろう。筆者のところにも小学生から音楽学校の学生に至るまで広い範囲から下記のような質問が一度ならず寄せられた。
Q:ピアノを習っています。阿呆な質問かもしれませんが、気になって仕方がないことが一つあります。楽譜を見るとどんな音楽にも「調子」があり、シャープとフラットの記号がつけられています。曲の途中で出てくることもあります。ですが、ピアノを習っていると「ドのシャープ」と「レのフラット」とは同じ鍵盤を弾きます。「ミのシャープ」は「ファ」ですし、「ドのフラット」は「シ」です。それなら、シャープかフラットのどちらか一つあれば、すべての曲は書けるのではないでしょうか。この質問をすると先生はすっきりする答えをしてくれません。どんなピアノの名人の演奏を聴きに行ってもプログラムにこのことが解説してあるのを見たことがありませんし、沢山あるCDの解説書にも、なにも書かれていません。ピアノの名手たちは何の悩みもなくシャープとフラットを弾いているのでしょうか。
このきわめて初歩的で簡単な、しかし難問への私の答えは次の通りである。
『実はドのシャープとレのフラットとは違う音なのです。ドのシャープは普通レのフラットよりも、少し高いのです。つまり、二つは実は違う音なのです。しかし、そうするとドの隣のキィが二つ必要になります。ピアノの鍵盤を増やさなくてはなりません。ドのシャープとレのフラットを同じキーにしてあるのは、実は一オクターブ=例えば下のドから上のドまでの間=を無理矢理12等分して12のキーで演奏できるようにしたためです。だから、耳のよいピアニストは、二つの音の違いや、その音たちを重ねて作る和音に矛盾を感じながら弾いているし、ピアノ協奏曲を演奏する時、ピアニストとオーケストラのメンバーとは、実はどこかで音階の辻褄を合わせているのです。(実は日本の場合、全く無頓着な人のほうが多いのですが)この問題について自信を持ってしっかり解説できる人は非常に少ないといっていいでしょう』
この問題を少し突っ込んで考えてみるために「音階」の発生から「純正律=純正調」に到達するまでを考えよう。
(次号以降へつづきます)
中野 有
(Nakano Associatesシンクタンカー、在ワシントン)
ワシントンからコラムをお送り致します。
ニューヨークタイムズの7月8日の日曜版の社説にて米軍の「イラク撤退の主張」が大きく取りあげられている。通常、ニューヨークタイムズの社説は複数の社説でページの半分を占めるが、「本国への道」というテーマで異例であり、本日のニューヨークタイムズの一面からもイラクの悲劇が伝わってくる。それらを踏まえイラク問題の現状を述べることとする。
ブッシュ大統領の失策
ブッシュ大統領の失策は、イラク侵攻に関し米国の明確な戦略と国際支援を得ることなしで行なったことにあるのみならず、イラクの選挙、憲法、米軍の増派など全ての解決策が裏目に出ていることにある。更に、フセイン政権が破壊された後、米国主導によるイラクの軍隊、警察による治安維持、そしてイラクの経済構造の支援を行なう義務が米国にあったにも拘らず、ブッシュ大統領は、イラク復興に向けた具体的な案を持ち合わせていなかった。何よりも米軍の死傷者が増え続け、開戦以来最悪の自爆テロが起こるという状況を放置していることにある。
ブッシュ大統領の失策により、キャピタルヒルとホワイトハウスが分断している。また、共和党内部の中心的存在からもイラク撤退論が浮上し、政治的な麻痺状態に陥っている。米軍が撤退することで、イラクの内戦、民族浄化、難民問題などの悲劇が予測される。同時に、米国の失策がイラクの悲劇を生み出しているとの事実から、米軍撤退を真剣に議論すべき時期が到来している。
撤退のメカニズム
16万人の米軍、並びに何百万トンの軍事装備を撤退させるのは、大変な難題である。クウェートに向かう南部への道は、道路わきの爆弾の危険が伴う。空や海のルートを通じ撤退のルートが確保されなければいけない。また、北部のルートとしてクルドの領土を固め、トルコとの協力を進めなければいけない。撤退には少なくとも半年を要するので、撤退に関する政治的意思が今、求められている。
イラクの内戦
現在の米軍の軍事態勢では、イラクの宗派間の闘争が激化しておりそれを鎮めることは困難である。シーア派、スンニ派、クルドのそれぞれの主導者が米国の撤退を厳格に捉えることにより、イラクの危機が実感されイラクの宗派間の和解に向けた具体論も期待できる。米国政府内には、イラク政府の優柔不断な態度に対する不満がくすぶっている。
イラクの主導者が米国の干渉や保証を信用しない風潮の中、ボスニアスタイルの分割論、換言すると、シーア派、スンニ派、クルド族のそれぞれの妥協による分割を行い、国連の国際的監視の下で、イラクの復興を実現させる案も現実的オプションと一つとなろう。
国際社会は、イランに対し、イラク南部にイラクシーア派独立のための干渉を避けるような圧力をかけなければいけない。ワシントンは、イラクのスンニ派に代わってシリアのようなスンニ派の国がイラクスンニ派に干渉しないように説得しなければいけない。トルコはクルド族の領土にトルコ軍を送ることを避けなければいけない。
主にヨルダンとシリアに200万人のイラク国外難民とほぼ同数のイラクの国内難民が発生している。その難民問題解決のためには、イラクに隣接する6カ国(トルコ、イラン、クウェート、サウジアラビア、シリア、ヨルダン)の協力が不可欠である。特にサウジアラビアとクウェートの役割が重要であり、米国は、国際的な支援を確保するための難民危機問題の国際会議開催を行なうべきである。
4年4ヶ月前のイラク戦争開戦時には、フランス、ドイツなどの協力体制を得ることが出来なかったが、両国とも政治体制が変化し、イラク問題に対する新たなる国際協調体制を構築する環境が生み出されつつある。
ブッシュ大統領は、イラク問題の袋小路から抜け出すために、イランとシリアとの対話を進めなければいけないし、英国、フランス、ロシア、中国などの国連常任理事国をはじめとする国際社会との協調体制を再構築しなければいけない。
ブッシュ大統領とチェイニー副大統領は、米軍の撤退がイラクの内戦や国際テロを煽るとの主張をしているが、事実、米軍が撤退しなくても、これらの悲劇は既に始まっているのである。従って、現在、米国は米軍撤退という選択に直面しているのである。
石油火力より安く太陽エネルギー電力を得る原理
海野和三郎
地球に住む生物は、人類を含み、太陽エネルギーによって生命活動をしている。それ以外には、地熱と潮汐のエネルギーもあるが僅かである。半径約2光秒有効温度約6千度の太陽は、500光秒の距離にある地球に約1.4kW/m2(太陽定数)の太陽エネルギーを与えるが、約3割の大気減光を考慮すると、太陽に正対する地表に1kW/m2、温度にして約90℃を与える。一方、氷結している極地を除き、このエネルギーを夜昼地表全体で平均する作業を海流や海洋大循環で行うと、深海の水温約3℃となる。3℃と90℃は、1気圧の大気下で水が液体の水である温度で、体温約36℃のヒトは、間接的にではあるが、90℃の熱源からエネルギーを得て3℃の環境へ余熱を捨てて活動する熱機関と見なすことができる。
地球断面積は表面積の1/4、その1/3が陸地で農耕の適地がその1/10として、地表面積の1/100乃至1/1000の農耕地に1kW/m2の太陽エネルギーが常時照射されていることになるが、葉緑素の占める面積が農地の約1/10、葉緑素が炭水化物をつくるエネルギー効率がその1/10として、農業生産は約1kW/人の食物消費人口を何人維持できるかを勘定してみると、ほぼ19世紀末の世界人口約15億人程度となる。この数字あわせ自身は大した意味はないが、20世紀に入ってからの4倍の急激な世界人口増加が化石燃料使用による肥糧生産・耕運機利用などによる生産効率の増強に帰することができる。21世紀に入り、化石燃料への過度の依存が、人類生存の危機とも云える三つの基本的問題を顕にした。エネルギー問題・地球環境問題・人口問題である。しかも、この三者が結合し、相乗効果を持って人類絶滅の複雑系混沌を生じている。飢餓・戦争・異常気象などがその予兆である。地球環境破壊がこのまま進行すると人類の力の及ばない破滅に突入する可能性もある。政治・経済・文明・教育・宗教などが、過度の自己中心的原理主義を捨てて、未来に人類文化を維持発展させる道を択ぶことが現代人に課せられた使命である。しかし、億年かけて地球が貯えた化石燃料を100年で浪費することが、21世紀人類生存の危機を生じた根本にあることを考えると、省エネ・集エネ・創エネを世界中で実行することが基本であるが、特に、効率1万分の1程度の利用効率で用いている太陽エネルギーを、例えば、利用効率を10倍ほど上げて石油火力より安く電力を得る方法を創るのが、最も宇宙の原理に叶った施策であると考えられる。それ以外ににも、3℃の深海水と火山島地下1000mのマグマの高温の温度差を利用する海洋地熱発電も考えられるが、世界中到るところで家庭規模で実現できる点は、前者の効率を上げた(水星と海と森の)太陽エネルギー工学の方が“使う場所で作る”点で勝っている。
その原理は小学生にも分かる簡単なものである。5800Kの太陽の発する放射エネルギーは極めて良質(低エントロピー)のエネルギーであるが、地球上では生物に最適の「水が水である」エネルギー密度であり、エネルギー工学的には直接エネルギー源としてはやや不足である。集光系を用いて10倍集光すれば、ほぼ350℃の水星環境となり、エネルギー利用効率は原理的には10倍となる。これが「水星の太陽エネルギー工学」で、太陽光発電パネルでは同一面積で10倍発電し、水深15cmの太陽熱温水器の場合は生の太陽光では6時間かけて40℃の温度上昇であるが、1時間で沸騰する。しかし、このままでは欠点が大きい。太陽光発電パネルの場合は、1℃の温度上昇に対し、発電効率が0.5%ほど減少し、200℃もの温度上昇に対し、パネルは機能を失ってしまう。「森の太陽エネルギー工学」はその欠点を完全に除くだけでなく、発電に使われない80%ものエネルギーで対流温水をつくる。
一方、ブナの大木は一日に1トンもの水を吸い上げて葉から蒸発し、打ち水の原理で葉を冷やし、二酸化炭素と水を使って光合成を行うという。水蒸気を多量に含んだ大気は熱容量が大きく、地表で熱せられた大気が対流で上昇し断熱膨張しても周囲より気温が下がらないから更に膨張して軽くなり、対流を一層助長する。そのため、日に照らされた森には風が吹き、その風に乗って二酸化炭素が葉に供給されるだけでなく、葉面の対流境界層が薄くなり、葉緑素に二酸化炭素が拡散しやすくなり、光合成は10倍も促進される。これが有名な矢吹機構(矢吹万寿「風と光合成」1))に他ならない。上述の「森の太陽エネルギー工学」は、太陽光発電パネルを木の葉の変わりに使った矢吹機構に他ならない。
次に、「海の太陽エネルギー工学」であるが、海は抜群の保温のよさで地球環境を守っている。太陽光は水深100m近くまで達するが、そのエネルギーが海面まで出る機構として、放射・熱伝導・対流のうち、まず、常温の持つ遠赤外光は水を通さないから除外され、最も有効な対流は後に述べる理由によって表層以外は夜間や冬期に外気が寒冷になっても有効に働かないから、熱伝導によるとすると、数10mの深さからの熱伝導時間h1000年のオーダーとなる。その間に、海流特に海洋大循環で世界中の深海が平均化され、太陽照射と釣り合う地球平均温度3℃で深海が一様化される。対流阻止で保温した太陽熱温水装置をソーラーポンドと称し、発電(イスラエル)や温水プール(カリフォルニア)に利用されたといわれている。発電用のソーラーポンドでは、発電効率を上げるために短時間で沸騰水を作る必要があるが、10倍程度の集光と保温のよいことが不可欠である。保温のための対流阻止には、海と同じく塩度を下層ほど大きくした塩度勾配ポンドと液体の粘性を利用した粘性ポンドがある。真水では粘性ポンドは、2mm程度の間隔に仕切る必要があるが、粘性ポリマーで、粘性を上げて仕切りの間隔をひろげ、熱交換装置で沸騰水を作るのが実際的であろう。海には「塩の指不安定性」2)に代表される温度と塩度の二重拡散対流不安定性があり、真夏の太陽光による蒸発で塩分が濃くなった表層に生じた塩分のむらは、「塩の指」を生じ、温度は一様化されて塩で重くなった分だけ更に沈んで、万年億年かけて不可逆的に永年変化し、対流の起こりにくい天然の塩度勾配ソーラーポンドを形成する。イスラエルは死海環境など塩度勾配ソーラーポンドの適地であるが、大規模発電には集光系との結合が難しく、石油火力発電との競争に負けたのではないかと推察される。
「水星と海と森の太陽エネルギー工学」は3者の長所を生かし欠点を補えば、十分に石油火力より安く電力を創ることができる。まず、森の太陽エネルギー工学として、1m2の太陽光発電パネルに簡単な可動反射鏡をつけて、午前8時から午後4時までの8時間1kWの太陽光がパネルに当たるようにする。パネルが熱を持たないように水で冷やせば、パネルの発電効率を10%とすると、100W8時間、一日平均にすると30Wの発電装置ができる。校費10万円、5年使うとしても、天候の制約などもあり、石油火力には10倍程度負ける。それに、80%以上ものエネルギー熱エネルギーを無駄にしては勿体ない。太陽熱を有効に利用するのは、「海の太陽エネルギー工学」の得意とするところであるが、集光しなければ水温上昇は50°程度に限られるから、熱機関としての発電効率はその温度上昇を絶対温度300Kで割ったカルノーサイクルの効率15%が上限である。聞くところによると、火力発電の効率は40%(?)というから、石油火力より安く電力を得るには、簡単な集光系で10倍集光して、「水星環境」をつくり、「森と海との太陽エネルギー工学」と結合させる必要がある。
10倍集光を考えるのは、1m2程度の太陽光発電パネルが家庭規模で適当と考えられるが、それに適当な規模の集光系は10倍集光系が必要且つ充分と考えられる。パネルを冷却して暖まった温水をソーラーポンドの予備加熱として利用するのが理想的であるが、ソーラーポンドの対流阻止には設計上の問題もあるので、まず最初は、太陽光発電パネルに対する10倍集光系を試作して、世界に普及させるのが実際的であろう。集光系は固定で全天集光できる非結像集光系が理想であるが、現在のところ朝八時から午後4時までの太陽を2割程度のロスはあっても10倍集光する半固定非結像集光系を考えている。下端のパネルを囲む、片側30°両側60°の四角い漏斗型の金属鏡は固定でその上端に透明な光線方向制御板を置き、太陽が子午線をはさんで広い範囲でどこにあっても、制御板を透過したあとはほぼ真下に近い方向に進行するようにする。その様な光線方向制御板は、片側10数度の南北に長い板状の透明プリズムが東西に櫛の歯状に平面に取り付けられた構造のもので、朝の太陽光は方向制御板の上面で屈折角が40°程度入射し、プリズムの内面での入射角が40°程度で臨界角より小さいとプリズム側面から屈折してほぼ真下に近く射出する。正午の太陽光は、プリズムの下面のカットされた面から出る部分もあるが、プリズムの側面に当たった光線は全反射して反対側の側面から屈折してほぼ真下に近い確度で射出する。方向制御板より上の部分の集光装置は可動とし、南北の反射板は季節ごとの調整でよいが、東西は日周に合わせて駆動する必要がある。10倍集光の「森の太陽光発電」装置は小型効率のよいの太陽熱温水器としての利用も考えられるから、試作して、世界に普及を図ることが、現段階で日本が提案すべき緊急の課題であろう。
1)矢吹万寿:風と光合成、葉面境界層と植物の環境対応、農文協、 1990
2)H.E.Huppert, 1976,
Thermosolutal Convection, p.239 in Problem of Stellar Convection, Lecture Note
in Physics, ed. By E.A.Spieagel and J.P.Zahn , Springer-Verlag
(編集 湯浅・川東)